私の村「泊」のご案内をします。若狭湾にのびる内外海半島の先に泊(とまり)があります。村の背後には夫婦亀や大門小門など天下の奇勝をほこる蘇洞門があり、美しい風景に包まれています。箱眼鏡から海底を覗いてアワビやサザエやわかめをとる磯見漁などの伝統漁法も残る「海に生き海に生かされる村」です。戦時中まで鉱山のあった岬に続く道に、地蔵(三十三所観世音)ありました。今は寺の境内に鎮座して微笑んでいます。ふるさとの平安と祈りがあります。
この豊かな自然や伝統や精神文化を未来に継承するために村で泊の歴史を知る会を結成し、伝統行事や歴史、民俗を再発見し記録し続けています。村の氏神様若狭彦姫神社で車座になって酒を汲みかう酒事などの伝統行事も継承されています。民謡「泊盆踊り唄」など民俗文化を記録したり、村のかわらばんを発行するなどの地道な活動を続けてきました。若狭彦姫神社の近くに、泊岳の山麓から流れる水があふれ出る名水まじょ川があります。最近、名水を復活し区民のいこいの場になっています。
泊新漁港が完成し区民が集い夕涼み会 盆踊りなど新しい交流行事も始めています。泊写真ニュースやふるさと近況ファイル 泊の昔(写真集)でも紹介しています。韓国船遭難救護の碑が未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選に指定されました。私たちはこの美しいふるさとを大切に守り子孫に継承していきたいと思います。
歴史・出会い・交流
この村に1900年1月12日、韓国船が遭難し、93人を救護した歴史があります。事件から2000年1月、韓国の大学教授の提案で百周年を記念して「韓国船遭難救護百周年記念事業」行いました。日本語と韓国語で表記した絵本「風の吹いてきた村」出版、現場を望む海岸に「海は人をつなぐ母の如し」と刻んだ記念碑を建てました。側には少年の像がアジアを見つめて立っています。
海の少年は歌い続け、語り続け海風がオーケストラを奏でます。この美しい風景の中に子どもたちは遊び、祖先の魂も遊んでいます。記念碑の前で国際的なバイオリニスト丁讃宇さんが「イムジン河」など美しい曲を演奏してくれました。雨森芳洲の生誕地高月町雨森の小中学生が来訪しサムルノリの演奏をしてくれました。韓国の浦項海洋科学高校サムルノリのメンバーも来日しコンサートをして交流をしました。韓国の高校生たちは2000年以来、毎年船で小浜に来航し、記念碑を訪れています。
筑前琵琶の川村旭芳さんと日本胡弓の木場大輔さんが千年の風音楽会 を村の海照院で開き、韓国船救護の話を琵琶語りで演奏しました。2003年に日韓友好の集いが開催されました。韓国船遭難救護記念碑訪問者は多く国内はもとより、韓国からも多くの訪問者があります。
記念碑公園ではムクゲの美しい花たちが微笑んでいます。ムクゲを植樹し国際交流の基点となるムクゲの公園 でムクゲ咲き誇ることを夢見ています。私の村は地球郡アジア村字泊です。2006年に、韓国・鳥取・小浜・そして未来をつなぐ日韓交流展を開催しました。2006年、水産庁未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選定されました。