生江氏の関わる話ー左近長者の左近とは
左近長者の左近とは
地区の篠尾町には酒生用水は左近長者が開いたという言い伝えがあるという。それでは、左近とはどこから来た名なのであろう。現在、酒生用水は足羽川から用水を取水している。左近長者の「左近」と酒生用水の「酒生」は関係があるのだろうか。
足羽村史によると、酒生村の酒生の名は、当時地区の中心を流れていた酒生用水から名を取ったと記されていた。それでは、酒生用水はいつから酒生用水と呼ばれていたのか。地区の古民家に所蔵されていた1755年製作の酒生用水図を見れば、用水の名は酒生ではなく佐小用水となっている。江戸の中期では「酒生」ではなく「佐小」の名であった。つまり、本来酒生ではなく佐小かあるいは別のサコの可能性がある。
サコと呼ばれる地名は全国にいくつかある。徳島県徳島市佐古町、高知県香南市野市町西佐古、岡山県赤磐市佐古、岐阜県飛騨市神岡町佐古、福井県三方上中郡若狭町佐古など西日本に多くその名が見られる。どこも、山に囲まれた場所に存在し、古い歴史を持つ地域である。
柳田國男氏の「地名の研究」によれば、佐古とは山に囲まれ一つの水流の岸が連続して平地を作っている場所であるとされている。現在の酒生地区においても成願寺山や脇山ヶの山に囲まれ、東郷と酒生の中央に足羽川が流れていて連続した平地がある。これは十分「サコ」に該当する。
ところで、古代ヘブライ語で「サコ」とは覆いかぶさるとか保護されるという意味があるという。周囲を山々に囲まれた平地は囲まれ感があり、背後の敵から襲われる心配の無い場所である。確かに、保護されている気分になり安心して住める。
1300年ほど前に酒生用水を開発したとされるのは生江氏一族。いくつかの特徴からこの年代に日本に渡航してきた秦氏であると推定される。秦氏であるならば、山に囲まれたこの酒生地区付近を、「サコ」と呼び親しんだのだろう。「左近」も「酒生」も元は「サコ」という地形の特徴が名となったと推測され、天神付近で足羽川から水を取り入れた用水の名をサコ用水と名を付けても不思議ではない。