阿須波神は由来はアシュール神
阿須波神とは、927年の延喜式神名帳によれば天皇の宮殿の守護神の5神の一つに数えられている。東海道の難所であった鈴鹿峠が古くは阿須波道と呼ばれていたり、万葉集の中で「庭中の 阿須波の神に 小柴さし 我は斎はむ 帰り来までに」と読まれていたりして、古代には名の通った神の一柱であった。
古代メソポタミアでは、紀元前23世紀ごろアッカド人が勢力を伸ばし、サルゴン王が率いるアッカド帝国がメソポタミアの統一を果たした。このアッカド帝国には都市国家アッシュール(ASHUL)という重要な都市があり、以後に成立するアッシリアの首都にもなった。その後、アッカド人はシュメール人に追われて、この地を去ったとされる。
都市アッシュールにはアッシュール神を祀る神殿があり、当時は宗教的に重要な都市であったが、現在では人が住んでおらずアーチ式の門が残るアッシュール遺跡となっている。
日本へ渡来人としてやってきた人達の中にアッカド関係の人達が含まれており、アッシュールで祀られていたアッシュール神を持ち込んだと推定されます。「ASHUL」を英語読みすれば「アッシュー」となり、これが日本で阿須波神という名になったといえます。
福井には猿田彦を祭神とする神社が複数あります。同市本堂町の高雄神社では「オッシッサマのお渡り」という行事あり、赤い顔をした天狗のような衣装の猿田彦が神社を渡り歩く内容である。
古代、福井の九頭竜川から入って陸路を大和へ向うルートが存在したという。アッシュール神を祀るアッカド人が越前の地へ入った可能性がある。その足跡として猿田彦に関係する神社や祭り、「アスワ」の読み名が残ったとも考えられます。