御茸山は昔、殿様が松茸をとった山だったそうだが、近年はちょっと御目にかかれない。そのかわりといっては何だが、栗がたくさん取れる。
九月の終わりの天気のよい日に一人で栗林に入ってみた。ここは春にはかたくりの花が群生していたところである。いまはその面影はなく、枯れ葉が地面を埋めつくしている。
雨上がりなので地面が滑りやすい。注意深く栗林の中を歩くと、あったあった。雨でちょっぴり湿り気のある落ち葉、多分昨年の落ち葉だろうがそのうえに焦茶色の艶のある栗がチョコンとのっている。それを素手でそっと拾うのはやはり栗狩りの醍醐味だ。
しかし、裸の栗ばかりではない。イガごと落ちているのも多い。これは長靴のさきで押さえ、持ってきた鎌で押し開く。トゲに刺されないように慎重に中身をいただく。イガで落ちているものは虫が入っていることも多い。一つでも虫の入った穴があればその栗はもう駄目だ。虫にくれてやろう。
30分ぐらいでウエストバックが一杯になる。一人で山に入ったのでちょっと飽いてきた。この辺は薮蚊が多い。夢中で栗を拾っているときは、それほどではないが、一服すると蚊のうるささが気になる。手首や顔に群がってくる。
それに、今年は冷夏だったので秋の実が少なく、熊が里に下りてきているという。ガサッという音にもビクリとしてしまう。
この時間でこの収穫ならまずまずだ。今日は引き返すことにする。しかし、今度は戻る路がはっきりしない。普段の山歩きの場合は方向をしっかり見ながら歩くので路に迷うことはないが、このように何かを捜しての山歩きは地面しか見て歩かない。しかも、夢中になっているのでちょっと入っただけでも方向が判らなくなる。
落ち着いて周囲の山の感じを見て、もとの方向に戻る。来たときとは多少違うところを戻ったようであるが、何とか初めに入ったところにたどりつくことが出来た。
昨年は数人で入って、一人がバケツに一杯は採ったという。今日はそれには遠く及ばない。また日を改めて秋の幸を捜しに行くことにした。
今年の夏は雨が多かったので、キノコがよく採れるという。それではと、御茸山の松林に松茸を捜しに出かけることにした。自然の家から展望台までは自動車が入る林道がある。この道を長靴を履いて、てくてく歩いていく。
夏も過ぎ、朝夕は肌寒さを感じる9月の下旬のよく晴れた日。道端の草木達も朝露に濡れてみずみずしさはあるものの、初夏や夏の盛りのような勢いは感じられない。もうしばらくするとこの草木も黄色や赤に染まってくるのだろう。
そんな林道を5分も歩けば松林が見えてくる。ここは県有林。下草を刈る職員がいるのだろうか、きれいに刈り採られている。松茸があっても良い条件は十分揃っていると自分では思っている。
樹齢50年から100年ぐらいの大きな松の根もとに近づき、松の落ち葉が積み重なり、ちょっと浮いているようなところをめくってみる。何かの白い菌が繁殖している。鼻を近付けると松の木の匂いと落ち葉の匂いが混ざりあい、松茸の香りを連想させる。
しかし、松茸は見つからない。手あたり次第にそこいら辺の松の根もとを同じように捜すが何もない。もしかするとという気持ちはあったが、はやり、無理のようだ。
半分あきらめて、道沿いに生えている何本かの松の根もとを捜しながら峠の分岐まで歩く。地元の人は知っているのかもしれないが、素人の我々ではとてもわかるものではない。
松茸に御目にかかろうと思ったら、近くのマーケットへ走った方が近道のようでようである。
キャンプ場には古びた男女兼用の屋外トイレが一つある。ブロック作りの建物で、男子の小用が3つと女子用が2つで構成されている。テントサイトと炊飯場の間に位置し、テントでの生活時や野外炊飯、あるいはキャンプファイヤーなどのとき、それなりに機能している。
しかし、建っている場所自体が杉林の中の陰の部分であり、昼でも少々薄暗く湿めっぽい。雨が続くとコンクリートの床がしっとりと濡れてくる。また、建築されてから十数年を経て、かなり汚れてきた。そろそろ、お化粧直しが必要のようである。
小さい建物なのでペンキの塗り替えぐらいは素人でも出来そうだと、白いペンキとハケをもっていそいそと出かけた。
周りには雑草が生え、北側の外壁にはツタが2本、壁を這い上がっている。電源の元スイッチをいれて、蛍光灯をつける。天井を見上げれば4つの隅にはクモの巣がしっかり張られている。壁の塗られた白いペンキは剥げかけて、ブロックの地肌が見えかけている。
床をみれば初めは白く塗られていたのだろうが、今は排水穴を中心に茶色く黄ばんでいる。その上に何の糞かわからないが転々と黒い粒状の物があたり一面に広がっている。
大便用のドアをあける。便器の周りは紙のくずや落ち葉の破片が床にへばり付いている。備付けのトイレットペーパーはすでに芯だけとなり、新しいペーパーは無造作に水のタンクの上の置かれている。
隅には何やらゴミのような物が入ったビニールの袋がおかれ、汚物入れはすでに満杯で蓋の上にまで積み上げられている。ビニール袋の中をあけてみれば、どこかの母親が置いていった紙おむつのようである。
とてもペンキ塗りどころの話しではない。まずは掃除をしようとほうきを捜すが見当らない。デッキブラシはあるが柄が抜けて掃除用具というよりは単なる燃えるゴミになっている。
ほうきとゴミ袋、それにひばしを用意して掃除をはじめた。ひと通り掃除を終え何とか使用可能にはなったが、もうペンキを塗る気はしない。
ペンキはこの次にしようと、この日は近くの泥の溜った排水溝を整備することにした。
よく晴れた秋の朝。少し早目に出勤して、朝8時ごろに脇神社の横を通りかかったときのことである。木漏れ日が薄もやのかかる坂道に差し込んでいる。
その時である。何か黒っぽいものがかけ抜けた。チラッとこっちを伺い一目散で20メートルほど先を横切っていった。大きさは30センチぐらいだろうか。
瞬間的にかけ抜けていくので姿形まではよく分からない。大きいしっぽを少し持ち上げているのでイタチとは違うようである。同僚の話しではリスがよく出没するという。どうも幸運にもリスを見かけたようである。
それにしても自然の家はそれほど山の中にあるわけではない。民家からせいぜい100メートルくらいである。この周辺にリスが生息すること自体珍しいことだと思っている。
臆病でしかもすばしこいので、ここを利用する子供たちが見つけることはまず無理だろう。しかし、この自然の家の付近にリスがいると思うだけでも楽しくなってくる。何かの機会にここに生息していることを子供たちに教えてあげたいものだ。
そういえば、ここの山は栗林になっていて秋になればたくさんの栗が手に入る。これを主食した小動物が生息したとしてもなんら不思議ではない。
今年は長雨のせいか栗の出来がよくない。数が少ない上に落ちているものを見ると多くが虫に食われている。今年の栗の収穫は少なかったが、これを頼りにしている小動物たちにとっては大変なことだろう。何とか頑張って今年の冬を乗り切って欲しいものだ。
自然の家付近は「やまのいも」が多く見られる。展望台までの林道の両脇付近には特に多い。10月の終わりの天気の良い昼休み、ちょっと時間が空いたので指導員の先生と出かけることにした。
やまのいもは杉や桧の枝に巻きつき成長する。今の時期は、つるが枯れかけ黄色く色付きかかっているので、遠目からも見つけやすい。大きそうなつるを見つけて近づく。
葉のつけ根の部分には小さいむかごがついている。紫色の小さいいもの子のようなもので、地上に落ちて新しい個体となる。これを一つとってかじるとがじりと歯ごたえがあり、やまのいも独特のぬめりも感じられる。むかご飯といって、これを一緒に炊いた混ぜご飯も昔から知られている。
さて、このつるを探って地面から生えているところを捜す。以外にそのつるは細く、不用意に引っ張って切れると草に紛れてわからなくなる。地面の様子を見て、がらがらの砂利だとまず無理。大きい木の根本もちょっと難しい。やわらかく掘りやすそうな土で、しかも斜面が良い。斜面だと掘りだした土を下へ落とせば良いから労力は半分で済む。
このような条件を満たす場所はそれほど多くはない。その一つを見つけ掘りだす。つるのまわりをクワとスコップで掘り進む。20センチや30センチ掘ったぐらいではつるはほとんど太くならない。つるのままという感じだ。
40センチも掘ると親指ぐらいの太さになる。60センチ掘り進んだところで石にあたった。石のすき間から深く伸びているようである。太さが5センチぐらいになってきたので、ここで切れるのは惜しいがしょうがない。切り取るとやわらかいまっ白な切り口が穴の奥に見えている。
最後まで掘ろうとすれば1メートルは掘り進まなければいけないだろう。繊細な神経と1メートルは掘り進む体力と忍耐力と好奇心が必要だ。
ここはこれでおわり。あとは掘り起こした土を元へ戻す作業。最後にいもの地上に近い部分を30センチほど切りとって埋め戻す。また来年、小さいながらもつるが伸びてくるはずだ。
きょうはやまのいも掘りの経験をしたという感じだ。上半分だけだがロビーへ展示しておき、満足としよう。
くず湯をご存じだろうか。くずの地下茎からとったでん粉を湯で溶いて病気のときなどに飲んだりするあれである。いまではほとんどじゃがいものでん粉を利用しているらしいが、本来はくずの地下茎からとったもののはずだ。
このくずが自然の家には嫌になるほど生息している。趣味の家までの階段やテントサイト、車道沿いに至るまであらゆる所にはびこっている。この自然の家にとってこのくずは完全に雑草扱いにされている。桧や杉の枝、あるいはあじさいの花に巻きつくくずのつるを定期的に駆除している。
今回はこのくずの根を掘ってみることにした。大きく伸びたくずの根の部分を捜し、スコップで掘り出す。先にやまのいもを掘っているので要領は得ている。
地下茎は垂直ではなく、ほぼ水平に伸びている。まわりの土を掘り出すが、山いもと違って地下茎はとても丈夫だ。やまいもは一年一年新しいいもに更新されるがくずは何年もかけて大きくなるようだ。繊維が強くちょっとぐらいスコップがあたってもびくともしない。スコップで何回も切りつけてやっと切れたくらい丈夫である。
掘り上げてみると長さが50センチ、太さは7、8センチはあろうか。初夏のくずのつるは切っても切っても伸びてくる。あのくずの生命力を感じさせるたくましい地下茎である。ちょっとしたやまのいもよりも大きいが、そのままでは堅くて食用にはならないだろう。繊維質の地下茎なので、すり潰してでん粉だけを取り出すのが関の山だ。
掘り起こした穴を埋め戻し、帰路につく。これもやまのいもと一緒に展示しておくつもりだ。
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