バリ島ツアーその2  2016.11




     ――バリ島旅行――

   ライステラス
 
 日本で言えば棚田。山の斜面に段々畑のような田んぼが広がる。日本では能登半島の棚田や信州の棚田が有名だ。田圃は日本で飽きるほど見ているのでそれほど期待はしてなかったが、バリ島で見る棚田はそれはそれでいい物がある。一つは、棚田を見てバリの人にとても親しみを感じたこと。山間まで苦労して水田を作っていることに同業者として近親感を抱いた。もう一つは、バリの人がこの棚田を誇りに思っているように感じたことだ。
この場所は一つの観光地になっていて、土産店が並び外国からの観光客が数多く訪れていた。棚田の中に入って写真を撮る人もいたようだ。喫茶店のようなものもあり、棚田が名勝のような扱いにされていた。後日、田舎のレストランで昼食を摂ったが、その場所も田圃を借景のように生かした作りになっていた。地元の人が、いかに稲作に誇りを持っているかを感じた次第だ。
道沿いに歩いていると、家庭用の祭壇を作っている現場を覗くことができた。屋外に建てる小さな仏舎利塔といおうか。木造で綺麗に細工され化粧されたそれは、先祖を供養する場所らしい。日本なら仏壇がその役割をしているようだ。御爺ちゃんから孫まで、一家総出でその祭壇の修理補修をしていた。専門の店ではなく、需要のある家庭まで出向いて作業をしているようだった。
絵画を販売している店も気になった。思い思いに描いた絵が、壁いっぱいにかかっている。日本では絵画のギャラリーに気軽に入れないが、ここだと、お土産店のような感覚で絵を買うことができる。芸術に対しておおらかというか寛容なのだろう。色鮮やかな絵画は、バリの雰囲気をよく表しているし、一枚ぐらい買って行ってもいいかと思わせる。


   バリのトラック
 
 日本のトラックは、業者系はブルーが多いし、個人が使う軽トラックはほとんどが白だ。ところが、このバリではどのトラックも黒い色ばかりだ。黒だと、多少汚れたり傷ついたりしても目立たない。合理的な色ではあるが日本人には少々違和感がある。さらに、乗用車やミニバンは年式が新しく綺麗なものが多いが、トラックはなぜか古くて汚れているものばかり。乗用車は買い替えの間隔が短いが、トラックは最後まで使い切るように思われた。バリの人にとって乗用車とトラックは、全く扱いが違うらしい。


   スズキの車
 
 スズキと言えば、日本では軽自動車とバイクのメーカー。一部普通車を出しているが、目立つものではない。バリではトヨタ車の信頼が高く数も一番多いが、スズキも負けていない。我々がツアーで乗せてもらったミニバンもスズキ製だった。1500ccの7人乗りだが、この車種は日本では見ることは出来ない。スタイルも内装も走りも問題は無くそれなりに使えた。よく見れば、同じ車種が街中に数多くみられる。以前、インドではスズキが売れていると聞いたことがあった。このバリでこれだけスズキが売れているとは驚きだ。
一方ホンダは現地でジェイズと呼ばれているフィットを何台か見るだけ。スズキのミニバンが200万ならフィットは250万円するらしい。値段が高くプレミア扱いのようだ。フィットに乗っている人は車体を改造している人が多く、趣味のスポーツタイプとして購入しているようだ。日産や三菱車はホンダ車よりも目に付き、より多く走っているように思えた。


   民族衣装
 
 バリで結婚式をすると聞いたとき、両親の衣装をどうするか気になっていた。日本から礼服を持ち込むのも大変だし、赤道直下の国で礼服を着られるかどうかも分からなかった。
 娘から、現地で民族衣装を借りる話があったので、式での衣装を借りることにした。インドネシアの民族衣装がどの様なものかわからないし、それが結婚式に合うかどうかもわからなかったが、異国の地でもあり如何にでもなれという気分で借りた。
 式の当日、朝の7時半に現地の衣装さん3名とホテルのロビーで落ちあった。ピンク色のお揃いの衣装を着た現地の女性達だ。衣装を着けるのは、わが夫婦と新郎側の母と姉の4名だ。ホテルの自室で女性達の化粧から衣装まで約1時間。男の自分は中に入れないので、外の中庭で時間を過ごした。おかげで、爽やかなビーチを見たり、中庭で花や小鳥の写真を撮ったり、ヨガ講習を見ていたりで、良い朝の時間を過ごせた。
 1時間ほどして部屋に戻り、自分の番となった。腰に布を巻いて、下着の上にそのままブレザーを羽織った。帽子のような巻物を頭にかぶり、化粧もなく10分ほどで終了した。
 4人の民族衣装が揃えば迫力は十分で、廊下で出会ったボーイさんたちも思わず拍手。待合室に入って新郎の友人に声を掛けたところ、日本語で話したのに「イエス」の返事、インドネシア人と勘違いしたようだ。こっちも、「スカルノの弟です。」と冗談を言ったが受けなかった。若い世代は、インドネシア大統領のスカルノさん、デビ婦人の旦那を知らないのだろうか。


   結婚式
 
 式を挙げる会場は、ホテルの敷地内の独立した教会。三角形の白い建物は、バリの抜ける様な青い空と海に映えて、一つの芸術品のような趣だ。アプローチも素晴らしく、水をたたえた池の中を通るようになっている。教会へ入るまでに、新郎新婦だけでなく客人たちも自然に気持ちが高まってくる。教会はほとんどがガラス張りで、バリの自然光を十二分に浴びることになる。
 新婦と父がバージンロードを歩き、新郎に花嫁の手を渡す。歩き始める前に、何か言葉をとスタッフに誘われたが、感極まって何も言えず。一通り、西洋人らしき神父さんによってセレモニーが進んだ。指輪交換や宣言などあったはずだが、画像は残っていないし自分の記憶もあいまいだ。ただ、綺麗な場所できれいな娘が結婚式を挙げたというだけが残った。花嫁の父としてはそれで十分だ。そのうち、プロが撮った写真や動画が届くであろう。
 フラワーシャワー、ケーキ入刀、記念撮影、会食とその後幾つかの催しがあった。この辺からはしっかりと記憶に残っているし、自分で撮った画像や動画もある。
 ケーキ入刀はホテルの中庭の一部で行われた。樹木の木陰で行われるケーキ入刀はなかなか良いものだ。日本では多くの場合室内だが、これほどの解放感と感動は得られないだろう。記念写真もほとんど浜辺。爽やかな海風に吹かれた記念写真は、新郎新婦の一生の思い出になることだろう。
 レセプションは木陰にあるガラス張りの部屋。20人ぐらい入る小ぶりなものだが、それもプライベート感があり悪くない。二つのテーブルにそれぞれ新郎新婦が付いて、来客を招いた形になる。日本だとひな壇に新郎新婦が座り、客がお酒を注ぎに行く形だ。お色直しで席を外すことも多く、誰が誰を招待した宴会か分かり難いものだ。
 出された料理は、しっかりとしたもの。ロブスターや肉料理など、一流ホテルのシェフが作ったコース料理をこんな素晴らしいシチュエーションで味わうことができる。
テーブルについているのは、はるばる遠くバリまで来てもらった高校時代の友人たちや仕事仲間、それに民族衣装で着飾った妻と新郎の親たちだ。浜辺ではパラシュートや水上スクーターで遊ぶ人が、遠くには停泊している豪華な客船を眺めることができる。なんと贅沢な食事であり、贅沢な時間であろう。


   外での夕食
 
 外食をしたく、ホテルを出てレストランを探した。ホテルの前の道は交通量が多く、というかバリの主要道はどこもバイクと車がひっきりなしに流れてくる。横断歩道があっても、無いのごとしだ。日本のように歩行者優先かどうかも分からない。少しバイクの切れ目ができたので慌てて渡るが命がけだ。これもバリの思い出と言えば思い出になるが。
 通り沿いにはお土産店やレストラン。詐欺が多いと聞いているので気軽に店内へ入れない。ぶらりぶらりとひと回りして、入り口のメニューと店構えで店を選んだ。作りが中華風だったが、まあまあの店。奥へ案内されて、マルゲリータのピザとナシゴレン、それにビンタンビールを注文する。目の前のテーブルは、中国人の家族連れのようだ。中国資本風なので、入り易かったのだろう。
果たして、出てきた料理の味は悪くない。マルゲリータも具がたくさん載っていたし、ナシゴレンもホテルのものと変わらない。ただ、生野菜が付いていたが、生水も同様でこれも口にすることがなかった。値段は20万ルピアで2000円弱。地元の基準では少々高そうだが、こんなものだろう。ここもクレジットカードが使えたはずで、旅行客にとってカードが使えるというのは有り難いことだ。
自分の足で探して、自分の責任で店を選び入る。これも、海外の旅行ではいい経験になる。ホテル内の食事やツアー先でのガイドさんが選んだ店では、失敗はないもののいい経験にならない。


   オイルマッサージ

ホテルの早期予約の特典で、オイルマッサージが付いていた。特に経験したかったわけでもないが、また、まあいいかで予約を取った。最初は、到着日の夜に予約を入れたが、ウブドでの舞踊鑑賞を変更したため、結婚式の後に変更した。
 7時45分が予約時間だったので、夕食を済ませてホテルのスパへおもむいた。結婚式を済ませたので、このホテルの位置関係がなんとか掴めていた。何とか専用のスパまで辿り着けたが、到着の日だったらかなり苦労しただろう。
 受付で、オイルの種類を選んだ。ハーブが入った5種類のオイルであるが、一つ目は何とか香りが分かったが、あとは鼻が慣れて不明。結局、選んだのは最初のものだった。
 ベッドが二つ並ぶ部屋に通されて専用の衣類をまとうが、小さな紙パンツとガウンだけ。薄暗い部屋とはいえ、少々恥ずかしい。
 何はともあれ、マッサージが始まった。一人一人に付くのは、がっちりとした体形の地元の女性。マッサージは意外に力が必要だ。体格の良い男の人だとなおさらだろう。足を湯で洗い、首から背中から足まで掌で揉みほぐした後は、先ほどのオイル使った全身のマッサージだ。最初はちょっと痛いほどだが、次第に慣れて気持ちが良くなってくる。中には、寝入ってしまう人もいるだろう。マッサージが終わったときは短く感じたが、時計を見れば約1時間はかかっていたようだ。おまけのマッサージだったが、妻と二人で貴重な経験をすることができた。
正式なコースは花びらを入れた入浴、足の裏マッサージなどを含めて3時間程度、経費も100万ルピア近くかかる。日本円なら1万円弱だが、こういう場所で半日ゆったりするのも悪い選択ではない。


   美術館巡り
 
 当初、バリ舞踊を見る予定で、結婚式の夜にウブドへ向かう予定であった。しかし、夜のウブド散策に自信がなかったことと、結婚式の後に外へ出るはどうかとも思っていたため予定変更。最終日にウブドの美術館巡りをすることになった。出発前は、絵画や芸能などマルチな魅力のウルマ美術館にするつもりであったが、バリへ入ってからジックリと案内書を読み、同じウブド村にあるルダナ美術館とネカ美術館に変更した。
 当日のガイドは、先日のケティさんではなく、別の中年男性だった。車はスズキではなく、トヨタのミニバンであった。乗車姿勢が乗用車的で、乗り心地も上々であった。
 一方通行の関係で、ルダナ美術館を先に訪れることになった。ホテルから約1時間かけて現地へ到着。建物は地下1階、地上2階のコンクリート作りのしっかりとしたもの。入館料は1人5万ルピアだった。
絵画は、バリの伝統芸能を描いたものや、農作業や祭りの様子を描いたものなど多種多様。壁いっぱいの絵画もあり、見ごたえは十分だ。伝統舞踊を踊る女性を描いた絵画も数多かった。一通り見終わった後は、様々に描かれているバリの農作業や生活の様子がまるで見たかのように分かる気がした。農作業や祭りは実際にその場へ行き、参加しなければ分からない。しかし、短期間の限られた旅行中ではそれは難しいが、こういう絵画を見ることで疑似体験できるのは有り難い。
 本館を出た後、隣接する平屋の建物に案内された。そこには、売り物用の小型の絵画が展示されていた。これがまた圧巻であった。小さいながらも、それにつぎ込まれたエネルギーは本館のそれに決して負けてはいない。ほとばしる絵画からのエネルギーに圧倒された二人であった。価格を聞けば数万から数十万、買えない額ではないが今回は買うつもりが全くない。案内してくれた人には悪いが、美術館として絵画を楽しむだけにした。
 建物の外にはちょっとした庭があり、実物大の石で造られた象が置かれていた。池に植えられていた蓮の花も含めて、この景色はバリ島らしいものだ。
 見終わった後、飲み物が付いているというのでコーラを2カップ貰った。椅子に腰かけ、我々以外に誰もいない美術館をぼんやりと眺めていた。採算は合っているのだろうか、建物の維持費はどうしているのだろうか、これらの絵画を描いた画家たちはどういう生活をしているのかなどと、思いを巡らすのも、悪くはなかった。

   
   バリの農作業
 
 ルダナ美術館の窓から偶然見えた農作業。古くて大きな耕運機を二人の若い青年が修理をしていた。やがて修理が終わり、田を起こし始めた。耕運機は、20年から30年ぐらい使っていそうなもの。乗用のトラクターではなく、人が後を付いていきながらハンドルを操作するものだ。以前は牛がその役目を負っていたらしいが、さすがに今は見られない。
田圃は区画整理されておらず、大きい田もあれば小さいものもある。手刈りで穂先だけを刈り取った田圃を、残った稲株そのままに鋤で鋤き込んでいる。藁が長いので、日本のようなロータリーでは絡まってしまうだろう。大きい機械で四苦八苦しながら、小さな田を鋤き込んでいた。
田圃の畔にはお地蔵さんならぬ3メートルほどの仏像が立っていた。他にも小さな祠のようなものもある。信心深いバリの人だから、コメの豊作の祈って建てたのだろうか。これらにどういう意味があるのか、ガイドさんに聞けばよかったと反省している。
バリ島の気候は温暖なので2期作から3期作が可能だ。街道を走れば、刈り取った田、穂が出始めた田、植え立ちの田と様々。日本のように一斉に植えて、一斉に刈り取るということはないようだ。今耕しているこれらの田圃は来年の3月か4月ごろの収穫するのだろう。
この場所ではないが、レストランの隣で一人畦草を刈っている青年を見た。隣のガイドさんの話では豚の餌にするという。雑草までも生活の中で利用するなど、今の日本ではほとんど見られない。ある意味で、バリの生活は古くてそして新しい。


   田舎のレストラン
 
 美術館を閲覧したあとは、ウブド郊外のレストランに入った。ガイドさんにどこか連れて行ってと依頼してあったものだ。道路からは見えにくいが、入れば駐車場は広いし建物もしっかりしたものであった。
 注文したのは郷土料理のダック料理とバリ風カレー。どちらも10万ルピア程のものだ。少々香辛料が利いていたが、味的には悪くないものであった。ホテルの食事も良いものだが、こちらの方がより地元に根付いたバリの味という感じだ。テーブル席からは田圃が見渡せ、風も吹き抜ける気持ちの良いお店であった。席には白人や中国人や日本人など色々な国の人が食事を楽しんでいた。フリーで入る店はこれだから面白い。
 ある白人家族は焼き鳥を注文していた。テーブルの上で直接焼くものだから、煙が充満してわいわい騒いでいた。これも旅行の思い出の一つになるのだろう。二人の若い中国人女性が目の前で食事を摂っていた。スタイルが良く垢抜けした服装だったが、ずっとスマホの画面をいじっていた。今の中国の事情がうまく反映しているなと思われた。
 隣は、日本から来た70ぐらいの母親と30代の女性の席だった。付き添いのガイドさんから色々説明を受けていたが、海外は慣れていない様子だった。一人娘が老いた母親を思い切って海外へ連れてきたという印象だ。年老いた母には、海外旅行は大変だろう。
 レストランのすぐ横で一人の青年が鎌で畦草を取っていた。ガイドの話では、刈り取った草は自宅の豚の餌にやるという。すべてのものを有効に利用するという循環型の社会がバリにはそのまま残っている。古くて新しいバリの農村風景だ。
 ここの田圃の真ん中にも、先の美術館の田圃で見られたカラフルで大きな仏像が立っていて、店の客が何人か記念写真を撮っていた。デンパサールでは目につかなかったので、ウブド村特有のものなのかもしれない。
 店の奥にあるトイレを利用したが、それなりに綺麗。さすがにこの場所でウオッシュレットを期待するのは無理だ。戻る途中にお土産用の絵画が売られているのを見つけた。先ほどの美術館に展示してあった絵と同じ画家の絵らしきものがその中にあった。バリ舞踊を踊る女性の超小型版だ。3号程度の大きさだったので20万ルピアぐらいなら買おうと思っていたが、値段を尋ねると50万ルピア。手持ちルピアが少なかったのでやめたが、日本に戻ってみると買っておけば良かったと思っている。
 支払いは現金のみだったが、立地している場所を考えると仕方ないところか。バリとしては、ちょっと上級なレストランであろう。満足のいくものであった。


   ネカ美術館
 
 パリの美術の歴史がわかる本格的な美術館。建物ごとに色々な時代の絵画が展示されており、その絵画の数は膨大なものになっている。
 最初は丁寧に見て回ったが、疲れてきたのか後半は流し気味でざっと見たという印象だ。中庭から民族楽器の音色が聞こえてくる。みれば、年配の男性がポロリンボロリンと弾いていた。絵の鑑賞とBGM的な生演奏はとても合う。
 リタイヤ年齢であろうか、リュックを背負った白人の夫婦が熱心に一つ一つの絵画を見ていた。二人とも絵画を趣味にしているのだろうか、あれこれ話し合っているようだが英語なので内容は分からない。定年後のこういう夫婦も悪くないと思えた次第。
 昼の食事にたっぷり時間と取ったので、ネカでの時間が無くなってしまった。それでも、最後は刀剣のコレクションはゆっくりと見学した。大部屋すべてバリの刀剣が展示され、特徴のある蛇行している剣が目についた。そういえば、先に見学したケチャダンスの時に、この蛇行剣を使った場面があった。米作りだけの平和な島に見えるバリであるが、そうとも言えないようだ。剣の歴史は、政治の歴史でもある。市場や観光地だけでは中々知り得ないバリの絵画と刀剣、バリの歴史を含めて十二分堪能できたネカ美術館であった。


   両家の食事会
 
 新郎の計らいで、両家の食事会が計画されていた。結婚式のレセプションで食事はしたものの、新郎新婦とほとんど話ができないからだ。場所は、宿泊ホテルの日本食レストラン「凛」。娘らが泊まっている部屋のすぐ近くにある。メインレストランの「スク」とはまた違って、落ち着いた高級レストランである。
 一つのテーブルに両家が向かい合って席を取り、好き好きに料理を注文した。日本食ということで寿司の盛り合わせを注文した。わざわざバリまで来て寿司の盛り合わせでもないが、毎日続いたインドネシア料理に少々嫌気がさしていたので丁度良しだ。日本の寿司屋よりもより豪華に造られていた。異国の地でこういう寿司をいただくのも悪くはない。
 新郎側の親たちは分厚いステーキを注文した。バリ島で牛ステーキを食べたかったと美味しそうに食していた。どちらかというと肉食系、その点、我が家は草食家と言えるのかも。
 話の内容はこのバリ島で経験したことが中心となった。相手の母親たちは離島へ行ったらしい。水中ダイビングやスライダーなどの海遊びを存分に体験したという。否定するわけではないが、まるで20代の若者のようだ。還暦前後の我々夫婦はとてもアクティビティまで気が回らず、名所旧跡、市場や美術館などを巡っていただけだ。都会と田舎の感覚の違いかもしれない。
 他の客は日本人らしいグループが一組のみ。ほとんど貸し切り状態で満足のいく時間を過ごしていたが、この日はバリ滞在の最終日。深夜1時前の出発のため9時半過ぎにはHISの迎えが来ることになっていた。新郎の親たちはもう一泊するし、娘らはあと数日バリを楽しむ予定になっていた。我々は、一路日本に向かうことになっていたため、8時半にはレストランを出てホテルのロビーへ向かった。


   デンパサール空港
 
 デンパサール空港はバリにある唯一の空港。空港施設は新しく、到着ロビーもまだまだ余裕を持った大きさであった。日本からは、成田と羽田それに関西空港からの直行便がある。どの便も日本を午前11時前後に出発して、バリへは17時過ぎに到着する。帰りは深夜にデンパサールを出て、朝の9時前後に日本へ到着する。毎日、同じ日程で発着を繰り返している。
 我々も、当然この深夜便を利用して日本へ帰ることになる。空港に着いたのは午後10時前。出発手続きをするフロアーへ入るのに手荷物検査がある。順番にトランクと身体の透視を受けなくてはならない。それを通過すると、一般的な出国の手続きとなる。ガルーダ航空の受付で荷物を預けて、帰りのチケットをもらう。その後、もう一度小荷物と全身の透視を受ける。先ほどよりは厳しい検査だ。昨今、テロが蔓延しているのでこれくらいのセキュリティは仕方がないのだろう。ベルトや時計を外すぐらいは想定のうちだ。
 その後は、免税店やレストランが並ぶ大きなフロアーでゆっくり時間が取れる。ここで、しっかり外貨を置いて行ってくださいということだ。価格を見れば、一般市場から見ればとんでもなく高い。同じチョコレートが1.5倍ぐらいしている。食事処や喫茶店もあったが入らずに空いているベンチで休息をとった。
もう深夜の12時近く、還暦夫婦にもう動き回るエネルギーは残っていなかった。近くの売店で財布に残ったルピア札を使うために小物の菓子類を購入した。この店は、ちょっとしたコンビニのような作りで価格も安かった。
 途中、出発ゲートの変更があった。日本の空港ではあまり見かけないが、ここでは結構ありそうだ。迷っている日本人客が何組か見られた。その変更されたゲート前で待っていると、今度は係員が便の番号を呼んで、搭乗客を呼び込んでいる。別の場所へ連れていくようだ。まあ、東南アジア的と言おうか、外国ではこれくらいは覚悟していなければ、旅行は出来ない。
 何はともあれ、零時30分頃にはガルーダ機に乗り込み出発となった。席に着いた乗客は、アイマスクや毛布をもらってすぐ寝る準備。その後、夜食のパンと飲み物が出たようだが、自分の記憶にはない。
                            


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