カンボジアツアーその2 2018.3.4〜3.8
バンテアイスレイ遺跡
二日目に行った石造りの寺院遺跡でシェムリアップから車で1時間ほどの距離にある。バンテアイスレイとは女の砦の意味だという。規模はアンコールワットより小さいが、赤い砂岩に残されたレリーフは保存状態が良くその美しさが特徴的だ。東洋のモナリザと呼ばれる女性像もあったが、これはそれなりかな。女性の砦らしく、こじんまりとして美しくわかりやすい遺跡だ。見終わった後に、数人が路上で民族楽器を演奏していた。後で画像を確認すれば、民族楽器を演奏するCDを売っていた。道端で民族楽器演奏を聞けるのは良いが、CDがどれだけ売れるのだろうか、生計を立てていくには大変だろう。
トンレサップ湖の水上生活村
トンレサップ湖はカンボジアの中央に横たわる大きな湖だ。現地語でトンレは大きな川、サップは湖を表す。乾期でも琵琶湖の3倍、雨期だとメコン川の水が逆流して面積はなんと10倍にもなる巨大な湖である。ただ、水深はそれほどでもなく、乾期で1メートル、雨期でも10メートルぐらいらしい。水産資源が豊富で、カンボジア人が消費するたんぱく質の6割をこの湖の淡水魚から得ているという。そして、遠浅の湖岸に多くの水上生活者を抱える。今回はシェムリアップに一番近い村を訪ねたが、全体では10ぐらいのブロックがあり、数万人の水上生活者が居るという。
今日は、この水上生活者の村へ小型船で出かけるツアーだ。今は乾期の終わりなので、水が引いている状態。港につながれている桟橋も低い所にある。数十の船が繋がれ、次から次へとツアー客を乗せては出発している。水面の色は薄茶色で不透明。衣服に付けば色が変わるような泥水だ。我々が乗った船は、10名定員ぐらいの小型船で、運転者に補助者、ガイドと我々4名の客で出発した。右側通行で、数十人乗せた大きな観光船から2,3人乗ったエンジンボートまで、雑多な船が全力疾走で進む。大きな船が通った後は、その波で大きく揺れる。運転手は船を巧みに操り波を乗り切っていく。隣には小さなボートが大きなエンジン音立てて追い越していく。何とも賑やかでスリリングな船旅だ。
途中、近道を通って湖へ抜けると遠くに家らしきものが見えてきた。確かに、海の上に数多くの建物らしき物が並んでいる。数十メートル間隔ぐらいで、一軒ずつばらばらと家浮いており、それぞれが杭につながれている。近づけば、それぞれに生活している様子が見える。暑いためか開放的で、中がお見通しだ。料理を作っていたり、子供の守りをしていたりしている。中には屋根に太陽パネルが付いている家もある。聞けば小さなテレビを見ているらしい。魚を取って生計を立てているようだ。他にも、普通の村の様にマーケットや酒屋さん、学校や教会、工場などがある。子供たちは学校へ船で行くそうだ。
我々の船は、水上のマーケットのような建物に着いた。普通のお土産屋さんのようであり、軽い食事や酒も出されていた。生け簀にワニを飼っており肉を販売していたが、臭っており手が出せるものではなかった。1個1ドルだったのでヤシ実ジュースを飲んでみた。味は意外にうまく、ヤシの実なら衛生面で問題ないだろうとの判断だった。今までの経験では青臭くて飲めないものも多かった。お土産品や絵画も数多く売っていたが、あえてここで買うことも無かろうと止め。
帰りも行きと同じようにスリリングなものだ。波に揺られて水しぶきを浴びながら一路港へ向かった。堤防に携帯電話のアンテナを見つけた。考えてみれば、電話線を引けない場所だけに携帯電話は必需品なのだろう。こんなとこまで携帯電波が来ているとは、これも意外なことの一つだった。途中、大木の枝に小船が引っかかっている。水かさが増えたときに引っかかったものだろう。雨季と乾季では水深が10メートルほど変化するようだ。
水上生活者へ物資を供給する店も多く並んでいた。陸路を車で運んできて、水上の店へ下ろすのかあるいは直接来たボートの客を対象にした店だ。水上生活にはこういう店も必要なのだろう。船を下りて桟橋を上がれば、痩せこけた猫が一匹寝ていた。我々が手で触っても無関心。腹が減っているのか暑いのか。こんなところで生活する猫も大変だ。
古いディーゼルエンジン
水上の村までの移動はエンジン付きの船が中心だ。桟橋につながれている船には、エンジンがむき出しの物もある。良く見ると車用の古いディーゼルエンジンをそのまま付けている。エアクリーナーもマフラーも外されているが、どうも日本車の中古エンジンのようだ。船のエンジンはガソリンよりも燃費が良くて力強いディーゼルが合っている。一昨年に古いディーゼルレジアスを手放したが、そのエンジンもこのような使い方がされるのであろうか。日本の使い古されたディーゼルエンジンが重宝されるのは気持ちの良いものだ。
オールドマーケット
シェムリアップにはオールドマーケットと言われる一角がある。この町一番の繁華街であり野菜や魚のマーケット、それにお土産を中心としたさまざまな店がある。ツアーでは一度はここへ連れて来られるはずだし、ここを見なくてはシェムリアップを見たことにはならない。我々は、トンレサップ湖の帰りにこの繁華街へ寄った。
道端で車を降りたが、は交通量が多く容易には渡れない。ガイドさんの後について、バイクや車の隙間を縫ってエイヤで渡った。地元の車やバイクも慣れているのか上手に避けてくれるようだ。
ガイドさんに連れられて縦100メートル横300メートルぐらいの区画の店が集中する場所へ入った。淡水で採れた魚や果物が並んでいる。魚には黒だかりのハエが群がっているが、気にしているようでもなかった。ザルなどに置かれているだけで冷蔵されておらず、臭いもものすごいものがある。イカやエビなどの海の魚もあったが、それも臭っていた。冷蔵施設を持っている訳でもなく、このカンボジアで魚の鮮度が保つのは大変なような気がする。果物は豊富だった。ドラゴンフルーツやマンゴやパパイヤは分かったが、見たこともない果物も多くあった。素通りしただけだったが、この強烈な臭いのために戻る気が起きなかった。
お土産店では、民芸品や銀製品、絹織物などが売られていた。ハンモックが欲しかったので、店を見つけて交渉すれば、6ドルぐらいが3ドルぐらいになったような気がする。どこまでが正しい価格は良く分からぬ。言い値で買ってはだめだが、6割ぐらいまでまけさせられれば良いのだろうか、いまだによく分からぬ。
1時間ほど時間があったが、疲れてしまって河原のベンチで休んでいた。これはこれで良い人間ウオッチングになる。地元の女性がバイクで乗り付けたり、日本のボランティアの若者が同じTシャツを着て歩いていたり。オレンジ色の法衣を来た若いお坊さんも通ったような気がする。白人の人は開放的な服装をして夫婦で歩いている。これはこれで面白い。
この後、露店で缶の飲み物を買った。アクエリアスの炭酸入りだったが、値段は1ドル。どこへ行っても飲み物は1ドルなので分かりやすい。アンコールワットで買ったポカリスエットも1ドル、水上の村で買ったヤシの実も1個1ドルだった。
川を挟んだ商店街へも行ったが、二人だけではとても狭い路地の中へは入る気がせず、表を歩くだけになった。それでも、幾つかの店を見ていたが、先ほどのマーケットとは違い暇そうな様子だった。
中央を流れるのはシェムリアップ川。排水も兼ねているのかそれほどきれいな川ではない。それでも、夜はライトアップされているので視覚的には綺麗だ。シェムリアップではこの川以外の川を見たことがない。ほとんど平地ばかりなのと、乾期は雨が降らないことなどから川の形態が出来ないのだろう。雨季になると降った雨は何処へ流れるのだろうか。
夕食と影絵鑑賞
カンボジアでは宮殿舞踊のアプサラダンスとこの影絵が有名だという。牛革を切り込んだ切り絵を幕の後ろで動かして物語を演じるのであるが、我々が鑑賞したのは何とか姫が敵に誘拐される場面であった。
食事を摂ったのは我々だけで、4人のために数人が影絵を演じてくれていた。何はともあれ贅沢なことだ。珍しい影絵であったが人形の動きは荒いし現地の人が発する言葉の意味も分からず、すぐ飽いてしまった。まあ、食事の余興としてはこんなものであろうか。公演後に演者が幕後から出てきたので、感謝の意を伝え一緒に記念撮影した。
食事はタイ料理だったような気がするが、スパイスが効いている煮物料理だった。カンボジア料理よりも少々味付けが濃いように思えたが、料理そのものに違いがあるかどうかよく分からなかった。いつもの様にアンコールビールとともに美味しくいただいた。
ベンメリア遺跡
ベンメリア遺跡はシェムリアップから車で1時間半ほど離れた寺院遺跡である。ベンメリアとは蓮の池という意味だそうだが、堀のほとんどは埋め尽くされ蓮の花は見つけられなかった。近年発見されたが、発見当時そのままでほとんど整備されていないのが特徴だ。回廊の屋根の多くは崩れ落ち、中央塔も崩れ見る影もない。ガジュマルは好き勝手に遺跡にへばり付き異様な風景を見せつけている。ワットよりも前に建てられたというこの遺跡は、ワットのようなレリーフは彫られていない。遺跡の中は木製の通路が設けられており、その上を通って遺跡を見学することになる。木製通路も月日を経て傷みかけているものの、その通路が無ければとてもじゃないが一般観光客は回れないだろう。
規模的にはアンコールワットに匹敵する大きさであり、東のアンコールワットとも言われたらしい。綺麗に整備されたアンコールワット遺跡の後に見れば、この手つかずのベンメリア遺跡はかえって趣があって面白い。ジャングルの中で遺跡が数百年経てばこうなるということだろう。近くに石切り場があり、そこから運ぶにはそれほど困難ではない。アンコールワットやトムの石もここから象を使って運んだと言われるが、30キロ以上あるから大変な道のりだったはずだ。
この地域までくると、シェムリアップの賑わいは全くない。ジャングルの合間に住む住民という感じで、放し飼いの鶏がヒナを数羽連れて川縁で遊んでいる。時たま、古い耕運機がトレーラーに荷物を積んで走ってくる。これが、カンボジアの原風景なのだろう。
焼き米のおやつ
ベンメリア遺跡への道中、何軒もテントで特産品らしきものを売っているのを見つけた。薄く剥いた竹に何か詰めてあるようだ。ガイドさんに聞けば、竹に味付けしたコメを入れて焼いたものらしい。750リエルと表示されているので、それほど高いものではないだろう。欲しいとガイドさんに伝えると、帰りに寄ってくれるということだった。
そして、遺跡見学の後にこの店に立ち寄った。米を焚いたような美味しそうな香りが漂っていた。奥さんらしき女性が店番をしていた。言葉が分からないので、ガイドさんを通じて2本購入した。1ドルと1000リエルだったので、1本70円ぐらいになり高いものではない。ガイドさんも自分用に2本買っていた。
車の中でよく見れば、節のある細めの竹にココナッツミルクで味付けした小豆と餅米を詰め、薬草で蓋をして火を通したものだった。最初は食べ方も分からなかったが、ガイドさんが上手に剥いてくれた。味は決して悪くない。日本の赤飯風であるが、ココナッツミルクが醸し出す深い味わいがある。一緒に回っているSさんご夫婦にも一つ差し上げたが好評だった。今回の料理の中で一番と言われたがうれしかった。
クメール風フランス料理
ベンメリア遺跡の遺跡見学を終えたお昼は、オールドマーケット横のレストラン。2階にあるイエローマンゴーという名の店で、クメール風フランス料理を頂ける。牛肉のステーキをメインにしたコース料理だった。前菜もスープも良かったしメインの牛肉もおいしかった。調理場を見ると、4人ほどのシェフが白い帽子をかぶって料理を作っていた。
店の客は、我々4人の他に日本の1グループ。この人数の客にこのシェフだから十分な高級レストランといえる。味は、普通のフランス料理だった。ここはカンボジアなので、この料理が食べられるだけで大変なことだ。庶民の平均的な収入では高額すぎて手が出ないはず。それに、調理場や他の席は解放状態なのに、我々の部屋だけはエアコンが入っていた。申し訳ない話だ。
国立博物館
シェムリアップの中心部に国立アンコール博物館がある。アンコールワットやアンコールトムを見学したが、体系的に知りたい気もあったからだ。それに、行きやすい場所にあり、入場料もそれほど高くなかった。もう一つは自分たちでトゥクトゥクタクシーに乗ってみたいこともあった。これらの理由により、三日目のフリータイムは博物館になった。Sさん夫婦も同様の意見だったため、一緒に訪れた。当初はホテルからタクシーを利用するつもりだったが、昼食場所からそれほど離れていなかったため、ツアーバスで連れて行ってもらった。
荷物を預け、チケットを買うのだが、ガイドさんがいてくれて助かった。我々だけだったら訳が分からない。5ドル出して日本語説明のスマホを借りるのだが、これとて自分たちでは大変だったろう。
内容的には、数多くの仏像やレリーフ、それに寺院の模型などが整理されて展示されていた。40数番目までの説明ポイントがあったが、一つ一つの説明が長くて進めない。詳しく聞いても、どうせ忘れてしまう。適当に端折って次へ進んだ。それでも、1時間半ぐらいかかったであろうか。最後は、中の喫茶店でドリンクをいただいた。いつも思うが、これが一番いい時間だ。
ほどなくして、Sさん夫婦も見学が終わったようで一緒に博物館を出た。別々に行動したかったため途中で別れた。
古いドル札
博物館のすぐ横に小さな公園がある。大きな木が何本も生えており、涼むには丁度良い日陰になっている。何軒かの露店がテーブルやシートを出して土産物や果物を売っていた。果物はジュースにしてくれるようだった。何気なく見ていると、影絵に使われるような牛革の工芸品を見つけた。大きいものから小さいものまであり、木や象などが切り抜かれていた。6,7ドルだと言っていたが、4ドルぐらいと考えていたので交渉不成立。そこを離れようとしたら、子供が追いかけてきて10枚ほどの絵ハガキと一緒に5ドルにするという。まあいいかと商談成立。10ドル札を出したら、少し古かったのか気に入らず受け取らない。新品の20ドル札を出して、お釣りを15ドル貰った。古い米ドルは信頼がないらしい。偽札が出回っているのか良く分からない。
お釣りをもらう時に、財布の中が見えたがそれほどの札が入っていなかった。一日の売り上げはそう多くはないのだろう。無理して値切ることはなかったと少々後悔している。それでも、こういう場所で買い物をする面白さは味わえた。大きな土産店で買うよりずっと貴重でいい思い出が残る。
道端のお寺
公園で買い物を終えてブラブラ歩いていると、心地よい調べが聞こえてきた。それは、道端の仏教寺院から聞こえてきたものであった。ふらりと入ると、入り口に白い象が置かれており、何人もの礼拝者が建物の中へ入っていく。そして、仏像の前で何かを祈っている姿が見える。近くでは数名が民族楽器を弾いて礼拝者のために曲を奏でている。音楽は人をリラックスさせるものだ。丁度いいベンチがあったので二人でしばらく休憩だ。ふと前を見れば、隅に日本語で書かれた世界平和の白い標識が立っている。ここにまであるとは驚きだ。
個々のお寺は、日本のそれと違って開放的であり、誰でも入ってきて誰でもお参りしている。お寺って本来こういうものなのかと妙に感心したものだ。
トゥクトゥクタクシー
100cc程度のスーパーカブに4人乗りのリアカーを付けて、タクシーとして使っている。トゥクトゥクと呼ばれ、地元や観光客の貴重な足となっている。料金は交渉次第だが2キロほどの初乗りで3ドルぐらいだという。ベンメリアで出会った学生は、30キロほどで35ドルだったと言っていた。日本では見ることも乗ることも出来ないが、カンボジアで一度は乗ってみたかった乗り物だ。
公園で土産物を買った後、ブラブラとホテルまで戻ろうとしたが暑くて早々と中止。公園の近くで待っていたトゥクトゥクを見つけた。車体はまずまずだし、運転手の印象も悪くなかったので早速交渉した。エンプレスホテルの名前を伝え、いくらか聞いてみたら5ドルだという。こちらは3ドルと伝えると、向こうは4ドルと値を下げてきた。でも値を下げないでいるとまあいいかと3ドルで交渉成立。
乗り込んで走り出せば、バイクのエンジン音はそれほど大きくないし、乗り心地も悪くない。外の風が心地よく抜けていく。視点が低い乗用車よりも見通しが効くし、何より面白い。周囲の風景が手に取るようにわかる。意味は分からないものの、隣に並んだバイクの若い女性の雑談が聞こえてくる。ただ、追い越すバイクやら横切る車など、スリリングな場面も多い。事故の多いのもうなずける。一緒に博物館を周ったSさん夫婦もトゥクトゥクでホテルに戻ったはず。後で感想を聞いてみるつもり。
やがて、エンプレスホテル風の玄関に到着。気分が良かったので2ドルはチップのつもりで5ドル渡した。運転手は大変喜んでいたが、最後に「カンサハムニダ」と言われたのには笑った。韓国人に見られたのであろう。そしてホテルの玄関を入るといつもの見慣れた風景ではない。ドアマンにエンプレスホテルかと聞くと隣だという。運転手がホテルを間違ったのだが、こっちも気が付かないのもおかしい。まあ、海外なんてこんなものだ。慌てて歩いて隣のホテルへ移動した。
プールサイドバー
最後の夕はホテルで過ごした。体力と気力があれば、まだまだ街中を歩きまわるのだが高齢夫婦にはもう限界だ。空港への送迎は午後9時10分だから、それまでいくらかの時間がある。国立博物館から戻ってきたのが4時頃だったので、5時間ぐらいあった。
チェックアウトは朝に済ませてあるので、部屋へは入れない。ロビーでしばらく過ごして、プールサイドバーでゆっくりすることにした。ここは、ロビーのすぐ後ろにあり、プールサイドにバーが設けられている。軽食が用意されているのを事前に確認していたので、当初からここで夕食を摂るつもりでいた。
ぶらっと入れば、時間が早いからか利用者は我々だけだった。プールサイドの一番いい席を取ってピザパイとビールを注文した。ピザは12ドルで、少々高いが肉厚でしっかりとチーズが載っていた。一口頂けば中々旨いじゃないか。二人で舌鼓を打ったのは言うまでもない。プールではロシア人らしいグループが泳いだりふざけていたりした。高齢者夫婦とその子供たちのようだった。プールの中でビールを注文し飲んでいた。金持ちらしかったが、こういうやり方もありかとも思った。その中の一人がこちらを見て「ごゆっくり」らしいことばを発したようだった。その時は良く分からず返事が出来なかったが、何か返答すべきだった気がする。
こちらは時間があるので、ゆっくりと酒とピザを楽しんだ。あちこち回るツアーでは慌ただしく1日が過ぎてしまう。こういうゆるい時間もあって良いものだ。いつの間にか日が落ちて、プールサイドはライトアップのみになった。これはこれで、良い雰囲気だ。割引券を使ったので支払いは19ドル。二人で2時間ほど楽しめて2000円なら十分だね。最後のカンボジアの良い思い出になった。
お土産の油絵
アンコールワットを見終わった後にトイレに立ち寄ったが、すぐ横の広場で油絵を売っていた。バリ島へ行ったとき、店頭で気に入った絵を手持ちの現金が無くて買えなかった覚えがある。面白半分でぶらりと立ち寄って絵を眺めていれば、アンコールワットを題材にした油絵を売っている。何枚か見せてくれたが、気に入ったやつは20ドルしていた。縦型の小さめの絵だったが、20ドルは少々高いと思っていたので、はっきりは記憶が定かではないが値切って12か15ドルで買った。大きな石像と象とアンコールワットがペインティングナイフを使って描かれている。自分も絵を描くが、これだけの絵は描けない。見本のつもりで手に入れたが、2000円弱でまともな絵画を手に入れられれば上等だ。交渉して買ったならそれ自体が良い思い出だし、お土産としても面白い。
マリンバ演奏の女性
エンプレスホテルのロビーで毎朝マリンバが演奏されている。マリンバといっても民族楽器のようで、詳しい名は知らない。奏でる音は素朴で大人しい音であった。演奏者は20代の半ばの女性で。綺麗な人であった。ゆったりとした曲を何曲も演奏し、朝の慌しいロビーの雰囲気を和ませてくれている。
3日目だったろうか、少し会話をしようと、簡単な英語で話しかけたが何も通じず。案内本でカンボジア文を示したが、それとて通じない。ホテルの従業員は英語が通じるが、この女性は全く分からない様子だった。ただ、優しく微笑んでいるだけだ。もしかすると、カンボジア語の読み書き自体が出来ないのかもしれない。これが、カンボジア事情なのかもしれない。
ガイドさんそれぞれ
1人目の人は、農家出身の男性で良くしゃべってくれた。名古屋で過ごしたことがあったようで、よく行った居酒屋さんの話をしていた。アンコールワットやトム、バンテアイスレイ遺跡の説明はすべてこのガイドさんだった。他にも農家ことや飼い犬の話やバイクの話などを話してくれた。
2人目は背の高いイケメンの人だった。水上生活者やオールドマーケットの添乗だった。しっかりと案内してくれたが、無駄話はほとんどなかった。独身かと思って聞けば、結婚していて3人の子供がいるという。年齢は38歳だというが見かけはもっと若い。子供たちは将来どんな仕事に就いてほしいかと聞けば、まだ小さいから何も考えていないと言っていた。父親はツクツクタクシーで生計を立てているという。カンボジアでは現状の生活で精いっぱい、まだ未来が見えていないのだろうか。でも、このガイドさんの目は清く澄んでいた。
最初の迎えと最後に空港へ送ってくれたガイドさん。アンコールワットは思ったよりも良かったと伝えると、車の中で一気に遺跡のことをしゃべり始めた。あれはこうだとか自分はこう思うとか、空港へ着くまでの20分の間こちらは一言も挟めず仕舞いだった。アンコールワットへの熱い思いは伝わってきたので、これはこれで良いんじゃないかね。悪口を言っているよりずっとほほ笑ましい。
カンボジアの学校
道中幾つもの学校を見かけた。この国では小、中、高校すべて午前と午後に分けて、どちらか片方を受けるという。朝の始業時間に遅れると学校の中へ入れてくれない。門の前で立ち往生している子供達をよく見た。行ける人は学校へ行くし、行けない子供は行かないらしい。カリキュラムに従って何時間も勉強するのでなく、日本で言えば保育園か児童館のようなものだろうか。
ただ、制服の白のカッターシャツ、紺色のズボンやスカートをきちっと着ていた。午前と午後に分けるのは、昼寝の習慣があることと給食を準備できる施設がないためであるようだ。プノンペンには大学があると言うが、大学まで進学できる人は裕福で特別な人たちだけだろう。庶民の子が手軽に大学に行ける環境ではない。
新潟のご夫婦
同じホテルに泊まり、ほとんど同じツアーに参加したSさん夫婦。トムで出会った知り合いに先生と呼ばれていたので教員OBかと勘違いしたが、話しているうちに夫婦で酒屋さんを経営していることが分かった。住まいは、新潟の上越市というので準地元のようなもの。同じ雪国ということで大雪の話で盛り上がった。
上の男の子が30歳というから、年齢的には我々と同じように60歳前後のはず。一年に一度は国内旅行と海外旅行に行っているという。これは良いことで海外旅行は何かのきっかけがないとなかなか行けない。3日間、ほとんどSさん夫婦と一緒だった。何かと気楽だったし楽しいツアーになったが、こういう出会いには感謝したいものだ。
再びシェムリアップ空港
シェムリアップ空港へはHISが手配した送迎車を利用。早々に出国手続きを済ませてから、待合ロビーにて時間待ちになる。小ぎれいな免税店が並んでおり手持ちのドルがあったので少しお土産を買うことにした。あちこち見まわったが適当なものがなく、結局、チョコレートとクッキーを買うことにした。そして、レジに並んだが、これが問題だった。免税の手続きをするのだが、時間がとてつもなくかかる。たぶん、公務員なのかもしれないが、レジを何回も打っているし、サインを書かせるし、一人の客に10分ほどかかっている。こっちも疲れていたのでだんだんイライラしてきた。買うのをやめようかとも思ったが、他に方法がないのでじっと待った。
出発は12時半。朝から動いているので二人とももうヘロヘロだ。ベンチに座ってひたすら体力回復だ。帰りの便に乗り込んだあと、機内食のバンが配られたが、ちょっとかじって睡眠となった。
上海乗換え
問題の上海空港。朝の4時半位に上海空港に到着。実は、シェムリアップ空港にて上海までの航空券を1枚しかもらっていないことに後で気が付いた。現地の空港関係者に聞いてもこれで良いと言っていたが、半信半疑だった。往路では乗り継ぎ時に次の航空券に判を貰っていた。それが、次の航空券がないとどうなるのか。一度中国へ入国することになるのかそれさえも日本語スタッフがいないので分からない。
飛行機を降りて、バスで空港施設へ向かう。この時に他の日本人乗客と話が出来た。この人たちもチケットがないという。これで、自分らだけではないとちょっと安心した。その後、大勢で入国手続きをするのだが、隣の乗り換えカウンターで、中国東方航空のスタッフがチケットを配布してくれていた。往路ではこの手続きはなかった。出発が小さな空港の場合は次の航空券を発行できず、こういうシステムになっているのだろう。
その次は、寒さの件だ。上海と言えば、九州の宮崎あたりの緯度だ。我々の感覚では温かいつもりでいたが、そうではなかった。後で調べれば、冬の上海は東京よりも数度低い気温だった。これでは寒いはずで、35度のシェムリアップ空港から乗り付ければ、その寒暖差は30度近くある。我々も薄着だったからたまらない。それも、疲れた体で夜明け前の5時間を過ごすのだ。空港内は大きな空間になっており天井も高い。多少は暖房されているだろうが、暖かいわけではない。店はまだ開いておらずじっとベンチで過ごしたが、もう遭難するかと思ったぐらい。次回の上海乗り換えは十分な服装を準備したいものだ。
それに、あの真っ赤な中国風のうどんの店。天ぷらうどんなら暖まるかと二つ取れば、これがまた古い油が鼻につく。体は温まったものの、1週間たっても腹の調子が戻らない。たぶんこの店の油が影響しているのではないかと今でも思っている。
ツアーを振り返って
今回のカンボジアツアーは、結果的には良い旅行だったように思う。近くの小松空港から出発できるし、現地のガイドさんの案内も悪く無かった。ツアー内容もよかったし、お世話になったホテルも満足のいくものだった。難をあげるとすれば上海空港の乗り換えか。小松から乗ったグループは我々だけだったこともあり、異国の巨大空港での乗り換えは気を使った。帰りもチケットの問題や待ち時間の長さなどそれなりに気苦労をした。
ただし、今回のカンボジアツアーは中国当方航空と上海空港乗換えがキーポイントとなるために、これはどうしようもないだろう。この組み合わせができたから、格安ツアーと小松空港の組み合わせが出来たと考えられる。
それに、上海の乗り換えが出来るようになれば可能性が広がる。ハブ空港として上海空港を利用すれば、小松出発でアジアだけなくヨーロッパやアメリカのどこの国へでもいけることになる。これは、関空や中部空港から離れている北陸では朗報になる。
カンボジアは、高校の時の知り合いがこの国のジャイカで働いていたことがある。一度は訪れてみたかった国ではある。今回は、アンコールワットメインのツアーであったが、カンボジア人の生活や農業事情などカンボジア事情を知ることが出来た。途上国の一つとして色々なことを考えさせられるものであった。
なお、この旅行は市役所の退職記念旅行も兼ねている。ここ2,3年は地元の自治会などで忙しい日々を送った。今年になりやっと余裕が出来たところだ。久しぶりの妻との海外旅行は、この前のバリ島の共に良い思い出になったことも事実である。
〈カンボジアのツアー日程〉
3月4日(1日目)
10時前に自宅発、北陸自動車道にて片山津インター下車、11時前には小松空港着。
3月5日(2日目)
朝4時に日の出見学出発、遺跡パスポート取得6000円ぐらい、戻ってホテルで食事。午前はアンコールトムと昼食、午後はアンコールワット見学後に食事とアプサラダンス鑑賞。
3月6日(3日目)
午前はバンテアイスレイ遺跡とタイ料理、赤い砂岩に保存状態他の良いレリーフが残っている。午後はトンレサップ湖と水上生活村、オールドマーケット散策、夕食と影絵鑑賞。
3月7日(4日目)
午前はベンメリア遺跡とクメールフランス料理(オールドマーケット2階、イエローマンゴー)、午後は自由行動で国立アンコール博物館 公園で買い物とお寺見学、ツゥクツゥク試乗、ホテルでビーチサイドバーにて夕食、9時にシェムリアップ空港へ行き出国手続き。
3月8日(5日目)
22時過ぎに空港発 4時30分上海着 乗り換え前に航空会社のカウンターにてチケットを貰う。寒冷な空港にて待機と朝食、9時30分に上海発、12時30分に小松着。
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