2016 センター試験 国語 雑感
客観的な問題分析というよりも、受験直後の若狭高校生徒の声を中心に、まとめていきます。
もちろん、これまでの授業内容とも密接に絡むので、かなり主観的なものとなることをお許しください。
1 直後の反応
会場に応援に行った際、もっともどきどきするのは、生徒が試験教室から出てきたとき、どんな表情でいるか。
ある年の英語では、涙ながらに出てきたこともあり、授業担当者としては、本当にどきどきものです。
若狭高校生は、美方高校生とともに福井県立大学小浜キャンパスでの受験。
生徒と、教員との決められた場所での接触を、ご配慮くださっています。
2016年度の国語 退室許可が出た、14時25分。
教室からは、足取り軽やかに出てくる生徒が非常に多かったです。
「時間が余りました」と、いう生徒も多く、ほっとしました。
(時間を計ってやる練習を、ほとんど授業ではやっていなかったので、
時間管理だけが心配だったのですが・・・・)
2 各問について
a 評論 土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』
若狭高校では、3年1学期に「友だち地獄」を扱いました。アイデンティティに関わる文章も、かなり多く読んできましたし、
「私」の多面性についても学んできたので、出典を見たとき、おもわずうれしくなりました。
もう少し硬い文章を想定していましたが、ほっと一安心。
選択肢も紛らわしくなく、本文を理解できれば得点できる物ばかりです。
ネットでは「やおい」が大きく取り上げられていましたが、解くにあたってはほとんど関係なし。
直後に、それを話題にした生徒は誰も居ませんでした(^^;)
問5の対話形式も、「新課程を意識」などと書く予備校さんもありましたが、20年前の問題と同じですし、
受験生にとっては、このような形式であったところで、特に面食らうこともなく、本文から吟味できたようです。
(そもそも、問題集等を使ったパターン練習をほとんどしていないので、
若狭高校生にとっては、「問題形式」はあまり関係ないように思います。)
b 小説 佐多稲子『三等車』
「小説、良い話でした~」 「めっちゃ長かった」
の声多数。
事前予想の通り、少し古い時代からの出典でしたが、直近で扱った久米正雄や菊池寛等と違い、難しいことばの言い回しは無し。
時代背景さえ、本文から読み取れれば、古い時代であることを全く意識しなくてもよかった文章でした。
ですので、生徒からも「やっぱり古い時代でした!!!」などの声は皆無。
語り手の心情に共感できた生徒が多かったようです。
手応えをみんなが感じてくれて良かった。
c 今昔物語集 巻16第32話 隠形男依六角堂観音助顕身語(隠形の男、六角堂の観音の助けに依りて身を顕はせる語) 第卅二
ほとんどの生徒が、「古文読めました!!!!」と帰ってきました。
「古文、鬼に唾をかけられる、おもしろい話でした」 と、にこにこ話す生徒を見て、
いや、本当にほっとしました。
これまでの模試等ではかなり古文に苦しんできた生徒も多く、私自身の不安も大きかったからです。
特に、模試のたびに、「文法を踏まえた口語訳」をうまくできない生徒が多かったことから、
もうちょっと文法を教えようか、と思った時期もあったのですが(助動詞だけは1学期に簡単に復習しましたが)
とはいえ、これまでの我々の授業では、
新学習指導要領で訴えられている「古典嫌い」を作らない指導の重視という趣旨に則り
「文法にこだわった、『逐語訳』的な読み」ではなく、現代文のように「場面・人物設定」「大まかなあらすじ」「登場人物の心情」などの読み取りを通して、
「古典に表れたものの見方・考え方を理解し、自身のものの見方・考え方を相対化する」ことをねらいとしてきたこともあり、
それほど文法には固執せず指導してきました。
今回出された格助詞の「の」の問題ですが、これは、一年次の伊勢物語でよく指導される内容です。
特に評価したいのは、「同格」「主格」などの文法用語を使わず、訳した際の意味の違いでグループに分けるという形式で出題したこと。
「何のための文法知識か」ということを、我々高校教師にメッセージとして伝えているのだということが、
大変よくわかります。
「黒板を使った品詞分解の講義」などは、ほとんど行ってこなかったので、こういう出題は本当にありがたい。
「そうはいってもセンターでは文法が・・・」とおっしゃる方も多かったのですが、
今回の問題により、多くの方の不安が払拭されるといいなぁ、と思っています。
問六くらいですかね、少し紛らわしく生徒が感じていたのは。でも、これも本文理解ができているかどうかを問う、良問。
出題の皆様に感謝です。
和歌がみんな不得意だったので、直前には2時間ほど練習したのですが、でなくて良かったです(^^;)
d 漢文 盧文ショウ「抱経堂文章」
漢文は、少し難しく感じた生徒もいたようです。特に、問6はD「此図」の説明に???となったようですね。
いや、その気持ちはわかります。ただ、Eの「今之図」は、本文の叙述から3にしかとれないです。
ま、こういう問題が一問くらいあっても、良いでしょう。
「問7」は、「筆者はつまりこの文で何が言いたいの?」という、いつも漢文の授業で問うていることなので、
読めていれば書ける。良い問題だと思います。
「さっぱりわからなかった」という生徒ももちろんいましたが、最近の傾向通り、「句法」を取り立てて問われることもなかったので、
本校生にとっては、比較的取り組みやすかったようです。
3 次年度の指導に向けて
「なぜ、国語を教室で教え・学ぶのか」を再度我々自身が確認することが求められているように思います。
特に、古典ですが、
現行学習指導要領 国語総合の解説には、
「文語のきまり,訓読のきまりについては,
詳細なことにまで及ぶことなく,読むことの指導に即して扱うとする考え方は従前と同様である。
したがって,文語のきまりなどを指導するために,例えば,文語文法のみの学習の時間を長期にわ
たって設けるようなことは望ましくない。漢文の訓読のきまりの指導の場合も同様である。」
とか
「古典を読み味わうためには,古典を理解するための基礎的・基本的な知識及び技能を身に付けて いなければならないことは言うまでもない。
しかし,従来その指導を重視し過ぎるあまり,多くの 古典嫌いを生んできたことも否めない。
そこで,指導においては,古典の原文のみを取り上げるの ではなく教材にも工夫を凝らしながら,
古人のものの見方,感じ方,考え方に触れ,それを広げたり深めたりする授業を実践し,
まず,古典を学ぶ意義を認識させ,古典に対する興味・関心を広げ, 古典を読む意欲を高めることを重視する必要がある。
そして,そのような指導を通して,古典を理 解するための基礎的・基本的な知識及び技能を身に付けさせていくことが大切である。」
とあります。今後の授業改善に一層活かしていきたいメッセージですね。