教室ディベートにおける「勝敗」と判定のポイント
 
                                                     福井県立若狭高校 渡邉久暢
 教室ディベートにおいて、判定は不必要だという意見がある。
1 議論や討論に勝敗はなじまない。
2 競技ディベートならともかく、教室ディベートで  あえて勝敗を決める必要はない。
という理由がその主たるものであるが、高校国語の授業におけるディベートという前提で、判定の必要性
と、その判定を生徒が行うことの重要性を述べる。
 
一 判定の必要性(1・2の批判に対する反駁)
1について
 国語教室におけるディベートの目的は、「真理の追究の方法」を学ぶことであり、その論題における「真理の追究」ではない。
 具体的には、ディベートによって、思考の方法を学び、コミュニケーション能力を充実することが目的なのである。
 このような目的である以上、どちらがより批判的に、論理的に、創造的に思考していたか、またコミュニケーション責任を果たしていたか、という観点からディベートの試合を判定し、勝敗を決定することは必要である。この判定こそが、生徒を育てていくのである。
2について
  ディベートでは、自分の信念を主張するのではなく、
便宜的に分けられた立場で論を展開するものであるから、勝敗をつけることが、その人の信念を否定することにはつながらない。
 むしろ、「論と人を分ける」ことを学ぶ意味でも、判定は行わなければならない。
 また、試合までの準備を一生懸命にやった生徒ほど、勝敗の判定を知りたがる。その判定が「どちらもよく頑張ったね」では、生徒は納得しない。逆に判定を行わないことで、「よいディベート」を求めるという意識が、生徒の中で高まらないという弊害が生まれる。
 
二 判定を生徒自身が行うことの重要性
 審判としての能力、つまり論理の展開を正確に聞き取り、客観的に分析する力を育てることもディベートの目的である。
 また、審判を経験し、審判の立場から自分たちのディベートを見つめ直すことで、「よいディベートとは何か」を自分自身で考えるようになるのである。
判定のポイント
 
一 試合前に
1 審判はクラス員全員が
 審判をするのが「試合に出ない人」ではダメである。
クラス内での班対抗試合では、肯定側の班・否定側の班・審判の班等に分けて、試合をしない一班全員が審判を行うようにするのが望ましい。
 全員が審判を経験することで、「よいディベートとは何か」を考えるようになり、クラス全体のレベルアップにつながる。
2 マイクロディベートを繰り返す。
 いきなり試合・審判をやってうまく行くはずがない。生徒自身が何度もマイクロディベートで試合・審判を経験する事が大切なのである。
 特に重要なのは、必ず全員がフローシートを取りながらマイクロディベートを行うことだ。
 判定を行った後にディベーターと審判が、お互いのフローシートをつきあわせながら、話し合うことによって、審判を意識した話し方ができる(早口問題も解決できる)。
 また、判定にたいする疑問や、異議などを話し合うことで、審判としての力量も上がり、全体として「よいディベート」を目指すようになる。
二 試合において
 
1 判定は審判が聞き取った言葉の中で判断
 極力私情をはさまず、理性的に落ち着いて議論を判断することが、審判には求められる。そのためには、フローシートに残されたメモをもとに、議論の流れを思い出しながら、個々のメリット・デメリットについてどの程度成立するかを判断する。
2 どちらの根拠が優れているかを比較
 主張が分かれた点については、根拠の優劣(どちらの証拠が勝っているか)を比較する。具体的には 
 経験的事実     > 事実関係の予測
 新しい証拠     > 古い証拠
 権威のある人の発言 > 一般人の発言
 論題に特有の証拠  > 一般的な証拠
3 立論から反駁までの全体から、勝敗を判定する。
 「立論では肯定側が勝っていた」「第一反駁は否定側の方がよかった」と、個々のステージごとに判定をしがちであるが、判定は全体を通して行わなければならない。お互いの第二反駁が終わった時点で残ったメリットの総和とデメリットの総和を比較して大きい方の勝ちとする。
 より詳しい判定基準については、「ディベート判定練習問題」(本誌第8集に収録)を参照願いたい。