『日本の反知性主義』が、2016年度国公立大学入試問題に、数多く採用された。
この書は、9人の寄稿者によるアンソロジーとなっている。

その9編の内から、
東京大学は、内田樹の「反知性主義者たちの肖像 」

大阪大学は、白井聡の「反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴」

広島大学は、高橋源一郎の「『反知性主義』について書くことが、なんだか『「反知性主義』っぽくてイヤだな、と思ったので、じゃあなにについて書けばいいのだろう、と思って書いたこと」

静岡大学は、鷲田清一の 「『摩擦』の意味―知性的であるということについて

と、各大学がそれぞれ違う箇所から出題している。

昨年の春、結構流行った本であることから、多くの国語教師は読んでいただろうし、この本を教材にした方も少なからずいたのではないかと思う。
私も、この本の鷲田清一が書いた「『摩擦』の意味」という章を、課外授業で使用した。
とはいえ、河合塾さんの解答速報サイトに3月2日現在に掲載されている国語を入試科目とする国公立大学のうち、なんと4大学(2/9)がこの書から出題したことは、驚きに値する。
以下、各大学の採り上げ方を見てみよう。

★東京大学は、編者である内田さんの章からの出題。
最初の設問は、筆者が「知性的な人」をどのような人だと考えているのか、を問うもの。
問四も、筆者が「知性」をどのようなものだと考えているのかを問うもの。

 知性は個人の属性ではなく、集団的にしか発動しない。だから、ある個人が知性的であるかどうかは、その人の個人が私的に所有する知識量や知能指数や演算能力によっては考量できない。そうではなくて、その人がいることによって、その人の発言やふる
まいによって、彼の属する集団全体の知的パフォーマンスが、彼がいない場合よりも高まった場合に、事後的にその人は「知性的」な人物だったと判定される。
 個人的な知的能力はずいぶん高いようだが、その人がいるせいで周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしなくなるというようなことは現実にはしばしば起こる。きわめて頻繁に起こっている。その人が活発にご本人の「知力」を発動しているせいで、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまうという場合、私はそういう人を「反知性的」とみなすことにしている。


「知性とは集団的な現象である」というこの出題箇所でのメッセージを東大受験生の皆さんがどう受け止めたのか、大変興味深い。
少なくとも私は、このメッセージが、多くの方に伝わってほしいなぁ、と感じた。

東大の問題文はこちら 

★大阪大学は、白井さんの章から出題。
現在の日本で反知性主義が跋扈している理由を世界的文脈と日本特有の文脈から考察した箇所。東大の出題箇所に比べると、メッセージ性は少ない。「中略」とされた箇所には、反知性主義者かどうかは学歴とは無縁であることを、某衆議院議員の事例を挙げて説明されているが、そこは、さすがに入試には使えない・・・。(写真は中略箇所)


メッセージに関わる設問としては、「自由で平等な人間」という概念を、近代原理の『陰画』と表現する作者の意図を確認する問題と、大衆民主主義社会における政治権力のふるまいについて説明させるものがあったが、まぁ、どうなんだろう。。。。。
大阪大学の問題文はこちら


★広島大学は、高橋さんの章から。
「誰かが何かを書いていて、ああすてきだ、って思えるときがあって、そういうときに、それはなぜだろうか、って考えると、そこに『知性』(の働き)があるからじゃないか、って思えることが多い。」
出題されたこの箇所は、大好きだ。
高橋源一郎さんの文。
鶴見俊輔さんの「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」と小4の息子に訊かれたときのエピソードからのお話。
この章のまとめで、高橋さんは、「必要なのは、そのことによって受け止める側の人間が、自力で、どこか遠くへ行くこともできるような『回答』なんだ。そのために必要なものを、ぼくは『知性』って呼びたいと思うんだよね。
書いている。すてき。
高橋源一郎さんの『ぼくらの民主主義なんだぜ』も面白いですが、ちょっと入試問題には・・・だからね。
メッセージに関わる設問は、「ここで言う知性とは何か。文章全体を踏まえて説明せよ。
そのものズバリ! そして、センター試験と同様に、表現に関わる設問として、「この文章では口語表現が多く見られる。そのことの効果について説明せよ。」
うん、さすが広島大。
広島大学の問題文はこちら

★そして静岡大学

 私が課外にて扱った章から出題。私は静岡大学出題箇所のもう少し後の部分で設問を作ったのだが、静岡大学さんはこの章の冒頭から切り取っている。
 鷲田さん自身は「反知性主義」ということばを、この章で一度も使っていないのだが、知性的であると言うことがどのようなことかについて、出題箇所ではない、その次のページあたりから書いている。それゆえ、私は章全体をプリントした上で、静岡大学とは別の箇所から設問を作った。多文化性を懐深く受け入れることのできる文化を構築することを目指してきた社会が、逆に排外主義へと裏返ってしまうことの危機感を述べた部分からだ。。私の箇所の方が、メッセージ性があって良いと思うのだが、いかがだろう・・・・。
 さて、静岡大の設問では、意見は異なるものの、互いにある程度までは理解できるような概念として使われている「公分母」の意味を問うもの、「《共存》の可能性を「摩擦」の中に見ようとしたこと」の意味を確認するものが出された上で、
「筆者は「以上の議論は半世紀以上前のものですが、現代においても、というか現代においてよりいっそう、リアルになってきています」と述べている。
・ここでの「議論」の内容を踏まえながら、文章全体における筆者の主張を150字以内で要約しなさい。
・筆者の主張に対するあなたの意見や考えを150字以内で述べなさい。
と、主張を要約させた上で、受験生の意見や考えを書かせる問題!
静岡大学は例年自分の意見を書かせるが、昨年までは、「筆者の主張を踏まえた上で意見や考えを300字」となっていたのが、主張の要約150字、意見150字と分けたところが変更点。
良い設問だと感じた。

静岡大学の問題文はこちら

これだけ同年に同じ書籍から出題されるとは、と、あらためて驚く。
私なりにこの意味について、考えるところもあるが、ここでは書くまい。(教室でこっそりと)
とはいえ、まだお読みになっていらっしゃらない方は、多くの大学人からの受験生・国語教師へのメッセージが込められている書として、一度ご覧になるのはいかがだろうか。

 後期に行われる小論文入試問題、次年度の推薦入試問題等で使用される可能性も十分あるのではないかと、想像する。

私は今年、今の時代性を鑑み、『希望の思想 プラグマティズム入門』が、どこかで出されるのではないかと予想して、直前予想問題を作成したのだが、管見の限り、出題は確認されていない。個人的には残念・・・・・。


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 内田樹編『日本の反知性主義』から、多数出題
~2016年国公立大学入試問題~