高麗時代末期から李朝前期にかけて焼かれた青磁の茶碗で、茶碗の胴に雲と飛鶴の文様が象嵌されていたところから出た名称である。
李朝初期ごろから南朝鮮一帯で数多く焼かれていた。高麗象嵌青磁の技法が転化したもので、鼠色の素地に白象嵌の文様を施している。
三島や粉引と同時期に同じ窯で焼かれている。鉄分の多い素地に白化粧を刷毛で施し、透明釉をかけている。
土に鉄分が多く、黒いため、白く化粧掛けをして、その上に柔らかな透明釉をかけたものである。釉膚は柔らかく、白い色調があたかも粉を引いたように見えるので、粉引あるいは粉吹といわれている。
名称の由来は形によるものと考えられる。今日、井戸手の茶碗を大別して、大井戸、小井戸、青井戸、井戸脇、小貫入などと呼んでいる。
◎見所として、竹の節高台、高台脇の力強い削りあと、ゆったりと胴にめぐるロクロ目、見込みの茶溜り、枇杷色に厚くかかった釉薬、高台付近のカイラギ(釉がちぢれた状態)などがある。
姿に特徴があり、平たく端反りで、腰を丸くふくらませ見込みには大きな鏡が付けられ、鏡のなかに目跡が残っている。
堅手は、素地や釉が堅いためにつけられた名称で、そのほとんどが白地の茶碗である。
雨漏堅手は、やや焼き上がりが柔らかいためか、白い釉膚に雨漏りのしみのような景色の生じた茶碗である。(長い年月使用したため)
雨漏りには堅手の他に、作ゆきに関係なく、白い釉膚に雨漏りのしみの出たものをいう。(粉引や柔らか手にしみのできたもの)
朝鮮の港の名前からきた名称という説あり。
端反りの口作り、大きな高台、見込みの中央に鏡といわれる丸いくぼみのある茶碗である。
斗々屋、魚屋などの文字があてられている。 薄作りで淡柿色の釉がかけられた端正な茶碗である。
柿の蔕(へた)は、ととやの一種といわれている。 鉄分の多い胎土に、薄く釉薬をかけた釉膚は暗褐色に焼き上がり、高麗茶碗のなかでももっとも侘た渋い作ぶりである。姿はやや腰が高く、端反り気味にロクロ引きされている。
呉器、五器または御器とかく。名称の由来は、禅寺で使う漆器の御器に似た形からきたといわれる。
堅手風の堅いもので、高台を十文字に切ったり、意識的に変化させた茶碗をいう。高台脇に箆を使ったり、あるいは胴をひずませたり、大きく高い高台を付けたりと、かなり自由奔放な作振りである。
慶長年間に日本からの注文によって作られたものといわれる 古田織部の切り形を手本にしたとされており、非常に作為の強い茶碗である。大振りな高台を五角または六角にとり、こまかく面取り箆目をつけた腰まわり、口部のひねり返しなどに特徴がある。
慶尚南道にある地名からきた名称で、堅手・御所丸・金海手の茶碗を焼いていたといわれる。 金海の茶碗はやはり日本からの注文によって焼かれたと思われ、堅手と同じく白磁の茶碗でふた手の物がある。ひとつは口を桃形や洲浜形に変化させたもので、丸い腰の下に大振りの高台をつけ、高台に切り込みを入れたりしている。もう一つのものは、小判形のいわゆる「ねこかき手」といわれるもので、胴に猫が爪でかいたような文様が施されている。
玉子の殻を見るような、淡い釉調によって名付けられた物らしい。形は熊川に似ているが、素地が薄く手取りが軽い。
鉄分の多い小砂まじりの荒い土に、薄く釉薬がかかり、肌がいらいらとした趣なのでこの名が起こったという。
いずれも日本から見本を送り、寛永年間末から寛文年間にかけて釜山近辺で焼いた高麗茶碗である。
参考文献
《陶磁大系・高麗茶碗》 平凡社
《原色茶道大辞典》 淡交社
《茶道具の基礎知識》 光村推古書院