54 ◎膳所焼について


膳  所  焼 (ぜぜやき)


近江の国膳所(大津市膳所)付近の陶器。

膳所焼は、史料によりますと元和年間(1615〜24)から陶器を作っておりました。
当時、小堀遠州は近江奉行であり、元和7年に膳所城主でした。
寛永年間(1630年頃)には、時の膳所藩主石川忠総が小堀遠州の指導により遠州好みの茶器を焼き始めました。
初期の作品は大名間の贈答用として作られたもので精撰された原料を用い、熟練した工人の手になるもので、古文書にもその精巧さを賞めております。
遠州好みの茶入として耳付「大江」、瓢「白雲」が有名です。
中期には多少の盛衰はありましたが、概ね継続して焼いたものと考えられます。
天明年間になりますと土地の人、小田原屋なるものが梅林焼と云う交趾風の陶器を初めましたが、間もなく中絶し、続いて雀ケ谷焼なる名の下に明治十一年に至ったのでありますが、経営困難のため又々中絶の止むなきに至りました。
 大正八年膳所の人岩崎健三、名窯の廃絶を惜しみ山本春挙画伯と計りその再興を企て、途中非常な苦心を以てその維持経営に努め、遂に茶器制作に於ては遠州七窯の一として恥しからぬものとなり以て今日に至っております。
現在は大津市中庄一丁目に工房と窯があり膳所焼美術館もございます。