71  金輪寺

 金輪寺茶器(金林寺)      

金輪寺の名の由来は、後醍醐天皇が吉野金峯山寺で一字金輪の法を修したとき、吉野山中の木株でつくった器に茶を入れて茶をほどこしたという伝説があります。
本来の金輪寺と称する器は小型の経筒であったようで、蓋裏に「勅」の文字が入っていたのは勅願の納経であったかと思われます。
(かなりの大形となっています)
したがって茶器の金輪寺はその形をとって転用したものです。
形は頭切に似ているが底が輪底になり、京都・北村美術館所蔵の金輪寺の場合は底に利休の花押があります。
利休の茶会記を見ると『今井宗久茶湯日記抜書』の天文二十四年(1555)四月一日の利休会に「キンリンシ茶入」とあって、茶入として用いられています。





                                  参照  「利休・織部・遠州」  名宝日本の美術・十七  小学館