第29回ちょっといって講座
「医療崩壊」を食い止めろ
権丈善一 慶應義塾大学商学部教授
2007年11月19日
福井県国際交流会館
竹内正毅 福井県地方自治研究センター理事長
私も、年金生活者になりましたが、あまりに厳しいものがあります。今年、役所から介護保険の通知が来ましたが、年金から差し引かれるとの通知でした。年金はマクロスライドということでほぼ横ばい、へたをすると下がるといわれています。2023年頃は私が死亡する時期ですから、私は死ぬまで年金が上がらないのではと思います。今日は、「医療崩壊」についての講演ですが、若い頃は全く病院に一回も行きませんでしたが、最近はいろいろ医者に行きますが、「不整脈がある」といわれました、原因は何ですかと聞くと、「竹内君、それは加齢だから」といわれたのです。医療負担も十数万円支払わなければならない。現役時代ならまだしも、年金となるとかなりの負担になります。高齢になっての医療は身に詰まされる。今回また、75歳以上の別枠で後期高齢者医療制度というものが始まるそうです。私も老人の部類になりましたが、老人と未来の老人が共に手を取って、よりよい医療制度の確立に向けて取り組んでいきましょう。
権丈善一教授講演
1.なぜ、日本の医療費の自己負担比率は高いのか
医療が危ない状況になっています。G7(カナダ・イギリス・フランス・イタリア・日本・アメリカ・ドイツ)の国のうち、アメリカを除いて医療費の自己負担比率の高い国はどこでしょうか。
=会場の声=「カナダ?」
カナダは必要な医療に対して自己負担を課すと、国が地方自治体に対して補助金を減らします。必要な医療というのは国が決めて、課した自己負担分の国から地方への国庫負担を減らすのです。必要な医療は無料化を目指すというのがカナダの政策です。他には?
=会場の声=「日本?」
日本が一番自己負担率が高いのです。マイケル・ムーアという監督が『シッコ』という映画を製作しました。その中で、イギリスの病院の「cashier」というお金を払う場所を探しに行くシーンがあるのですが、イギリスの病院ではお金を払う場所はないのです。病院に行ったら基本的にはタダなのです。ようやくムーアは病院の中に「cashier」という場所を見つけました。そこで何をやっていると思いますか?病院に来たときの電車賃=交通費を払っているのです。医療はタダという考えです。
アメリカは民間保険がメインで、低所得者と高齢者だけが医療保険の対象で、人口の25%です。他の75%の人たちは民間保険に入らねばなりません。しかし、民間保険の保険料は非常に高いので、だから国民の6〜7%が医療保険に入っていない。残りの民間保険に入っている人がどのように民間保険で悲惨な目に遭っているかというのが『シッコ』のメインのテーマであり、無保険者をテーマとして扱っているわけではありません。ただ、無保険者の例として、指2本を切断してしまった人が出てきますが、病院に行くと薬指なら140万円、中指なら720万円ですといわれるわけです。それでは140万円で薬本だけお願いしますといって、1本の指しか接合しないわけです。それが無保険の世界です。
企業は保険を買って福利厚生でやるというのがアメリカのシステムですが、そこで、どんな悲惨さが起こるかですが、「病気になりました」といっても、その病気を認めず、病歴に嘘があるといって、保険給付をしない競争を懸命に医療保険会社はやっているのです。保険給付を行うことを「メディカル・ロス」といいます。「メディカル・ロス」が85%を超えるとウオール街で株価が落ちていくのです。ウオール街で株価を維持していくために、「メディカル・ロス」をいかに少なくするか、給付を認めないということをやっているわけです。
なぜ、日本はこんなに自己負担率が高いかですが、なぜでしょうか?
=会場の声=「患者数が多い?」
人口当たりの外来患者数はアメリカなどと比べると5倍くらい多いです。つまり、医者はアメリカなどと比べると5倍以上働いています。では、G7の国でGDPに占める医療費の高い国はどこでしょうか?
=会場の声=「トイツ?」
「市場に任せれば医療は効率的になるから、安くなる」という論理には嘘があって、市場に任せると医療費は高くなります。ダントツにアメリカです。アメリカの公的医療部分には低所得者用の「メディケイド」と高齢者用の「メディケア」がありますが、この国民の25%をカバーする医療費が国民皆保険のわが国の医療費よりも高いのです。GDPに占める医療費の割合はダントツに日本は低いのです。日本の医師の患者取扱数はヨーロッパとかアメリカに比べ5倍くらい多い。人口当たり医師数は他の国に比べ少ないのです。自己負担率は高い。だから、日本では高齢期になると不安を感じて、貯金をしておかねばならないという気持ちになる。欧州は高齢になろうが介護になろうが病気になろうが殆どパブリックでやってくれるのです。だから、スウェーデンの人とかはほとんど貯金しない。
2.再分配政策としての社会保障
しかし、何故に日本の自己負担率は高いのか?先ほどの回答の中で「患者数が多い」というのは医療費が高いからという話に繋げたかったのではないかと思いますが、医療費は低い、日本の医者は欧米の医者に比べてべらぼうに働かされています。取扱患者数がメチャクチャ多い。なぜそんなことが起こるのか?
=会場の声=「予算配分?」
GDPに占める公的教育費はOECD30ヶ国の中では何位だと思いますか?
=会場の声=「最後のほう?」
ビリです。トルコと同じくらいです。教育にもお金を使っていない。医療もどうも使っていない。
図1 社会保障の仕組みを説明しますと、図1ですが、みな家計に所属しています。労働、資本、株であるとか貯金、土地といった生産要素を市場に供給して我々は所得を得ているわけです。所得を得るときにどんな原則で所得を得ているかですが、私の大学の学生がマクドナルドへアルバイトに行って、「私のおばあちゃんは要介護状態で負担がかかっているんです」と言っても時給は変わりません。生産にどれだけ貢献したかという貢献原則で所得が分配されるのです。貢献原則だけではどうかということもあります。
年金受給者になれば医療費も増えていきますので、必要という概念もあってよさそうです。だから国家は家計が貢献原則で得た所得を租税負担という形で集め、もう一度必要原則として家計に給付しているわけです。介護度はどうだとか、医療としてこれだけ必要だとかいう必要性を認定している。このようにバランスを取っているのが現代国家です。
18世紀の中頃の産業革命が起こったとき、市場というモノがものすごい力を持ちました。18末~19世紀にかけて社会は市場だけで分配原則を持った社会が出来上がっていたのです。そうすると何が起こるかというと、病気になると収入は増えないが支出が膨張していくとか、必要原則と貢献原則に乖離が生まれて矛盾が起こってくるわけです。そこで、19世紀半ばにマルクスのような社会主義者が登場してきます。「能力に応じて働き、必要に応じて分配する社会」があってもいいではないかという考えです。マルクスが1845年に書いた「共産党宣言」の考えです。しかし、それから100年以上たって、「能力に応じて働かない」社会主義国家の問題が露呈してきます。これら社会主義国家も、20世紀の末には、これではまずいということで、市場と国家による再分配を組み合わせた国家になってきました。欧米先進国は市場に再分配を付け足していったのです。貢献原則だけでやると必要原則とのギャップが生まれてくる。しかし、必要原則だけでは生産面で弱い状況になってくる。このバランスをどうとるかをどの国も考えています。
3.OECD諸国でも最低部類の日本の国民負担率
賃金・配当・利子といった所得を全部足し合わせたモノがGDPです。租税社会保障負担をGDPで割ったものが国民負担率(T/Y)です。
OECD30ヶ国の中で、日本の国民負担率は何番目くらいだと思いますか?
27番目です。その下はアメリカと韓国とメキシコだけです。カナダとかイギリスとかフランスは医療
図2 OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)
については無料の制度を造ろうと言っていますが、これらの国は国民負担率も多くなっています。ところが日本は下から何番目の負担率であるにもかかわらず、再分配に返しているわけです。分不相応で、その足りない分が借入金となります。これが赤字国債になります。日経新聞はこの国民負担率を下げろと言う議論しかしませんがそういう議論だけでいいのかです。
社会保障給付費は2006年度90兆円、2025年度で141兆円になるという試算が新聞などででます。厚労省が試算したわけですが、それを見て「1.6倍になる」という見出しが新聞の一面に載るわけです。そうすると、「減らさなければならない」という議論になる。医療費の推計はどのようになされているかというと、2006年度で27.5兆円、2025年度で48兆円で1.7倍になる。だから医療費も抑制しなければならないとい
図3 う新聞論調になります。この推計は足下の伸びで複利計算で伸ばしています。当然、そこには国民所得の伸びというものもあります。90兆円は2006年度の国民所得の24%なのですが、141兆円は2025年に推計される国民所得の26%に過ぎないのです。今後の高齢化で2%ポイントは伸びていますが、社会保険料も税率も変わらないと想定しているわけです。年金などは、2025年度には高齢者が増えるのに、年金の給付率は下がることが予定されているのです。医療は2%ポイントしか上がらないという状況しか描かれていません。これを抑制すれば、悲惨な状況になります。給付費が減れば自己負担額は当然高くなります。日本の医療費の単価はアメリカなどと比べると異常に低く設定されています。ほんとにそれでいいのかです。
日本は高齢化水準は世界で一位です。社会保障に回る社会保障の割合はイギリスなどよりも低い、アメリカよりは高いですが。フランスとかドイツとか医療をなるべくタダにしようという国は社会保障の給付が大きい。ところが、日本は社会保障に回す金が少ない。貢献原則に基づく分配を必要原則に基づいた分配に修正するのが社会保障です。
図4
みなさんが、なんで必要なところに金が回らないのかとか、なんで病気になって、いままで保険料を支払ってきたのに自己負担しなければならないのかといったことが起きるのは、社会保障に回す率が低いからです。2025年には141兆円になるから医療給付を抑制しなければならないとか、社会保障費を抑制しなければならないとか論じられている2025年の姿そのものが、高齢化率の世界一だというのに、スウェーデンなどと比較すると半分くらいの社会保障費で生きていこうとしているのです。
2025年になれば、いまよりもさらに自己負担を課せられることになる。
国民所得との比率で論じないとだめなのです。名目値で論じるとみんな誤解してしまいます。それが、141兆円になったら大変だから抑制しましょうという論調でしかメディアでは論じられない。都合のいい形でデータを利用して危ない方向に持って行こうとしている。企業側から見れば負担は少ない方がいい。労働者を雇えば社会保険料を負担しなければならない。労務コストが邪魔で仕方がない。したがって、なんとかして負担しないでいられる方法はないかということで、政策を提言しているのです。年金にしても租税負担方式出とかっこいいことをいっていますぐが、自らの負担を回避して消費税で賄おうとしているわけです。
4.世代間格差を煽るマスコミ
高齢化率が高く、さらに後期高齢者の自己負担率を高くしようという動きが出てきていますが、高齢者は若い人よりも医療費を4~5倍も使っているとさんざん言っておいて、自己負担率は同じにするということは、結局高齢者には4~5倍の医療費を払えということなのかとなります。そのような状況が起こるのは基本的に給付が少ないからです。
高齢者の給付と家族給付とかの比率を並べて、日本は高齢者に対する給付が高いというわけです。高齢者天国なのだから、高齢者の給付を減らして若い人たちに回すべきだという論法がよく使われます。高齢者と若い人を対立させるわけです。日本の少ない社会保障費の中で高齢者に回る分というのは圧倒的に高齢者部分が大きくなるが、GDPに占める社会保障費の中の高齢者の割合というのは、そんなに日本が高いわけではありません。しかも、日本はダントツの高齢化社会になっているわけです。確かに、わが国は家族給付はやってないに等しい。少子化対策とかに全然お金を使ってないのです。しかし、高齢者医療費を減らして少子化対策を増やすという論法はよくわかりません。利害を衝突させて全体として社会保障費が増えないようにという論陣の方が強い分けです。年金についても同様で「世代間格差の是正が大切だ」、「世代間格差が問題だ」といって新聞がそういうことを書く。私は40台ですが、私たちの世代は親にどれだけ仕送りをしているのかです。今の年金受給世代は、親は全部子供が見なければならなかった。昔は家族の中で高齢者を扶養していたのですが、それが徐々に徐々にパブリックに移ってきます。今は仕送りしなくても親は生きていける。公的年金の制度だけの中だけを見ると、高齢者は公的年金をほとんど払っていないのに受益は沢山あるということになる。しかし、プライベートの部分とパブリックの部分を足し合わせた形で見てくるとそんなに変わるはずがない。昔はプライベートにやってきたものが、パブリックに移ってきた。新聞などが煽る「世代間格差の対立」の構図というのはかなりうそをつかないと本当の問題点のところまではいかない。
5.小さな政府と大きな政府の違い
T/Yという国民負担率はOECDの中では下から4番目くらいである。それで、B/Yも非常に低い。だから、みなさんの生活実感からすると、なぜこんなに苦しい目に遭わなきゃいけないんだという感覚になる。日本は一人当たりGDPはそれほど低くはありません。そこから公的負担を除いた可処分所得は、ルクセンブルク、スイス、ノルウェーとかに続いて5番目になり、決して低くはありません。しかし、日本人は他の諸国の人たちと比較すると老後の不安を抱えながら生きている。なぜなのかです。お金ではないのです。介護とか医療とかの現物給付がどれだけ充実しているかが安心感をもたらすのです。お金を1人1人に与えるというよりも、医療とか介護とか個人では対応できない支出に対して、どれだけみんなでパブリックにやっていくかが豊かさの基準になるのではないでしょうか。
そのように見ていくと、国民負担率はスウェーデンは71%です。フランスも60.9%です。『シッコ』の映画でもフランスにいる米国人に取材していましたが、「フランスでは、子供が生まれたらベビーシッターがすぐ国から派遣されていて、全部やってくれる。アメリカにいる親に申し訳ない。アメリカにいれば親は60、70歳でも働かねばならない。医療保険に入るためにも働かなければならないが、私たちは、フランスにいることで、高齢期にも医療や介護が充実しているし、若いころは洗濯をしに来てくれる」というシーンがあります。
表1、表2 国民負担率が高まると国に競争力が弱まるという話が出てきます。しかし、スイスが毎年出している国際競争力調査では、世界2、3位をスウェーデンとかデンマークとかが占めているのです。国民負担率の高い国が日本よりも国際競争力が高いのです。国民負担率が高ければ国際競争力を削がれるというのはうそっぽいところがあります。国が税金などで徴収し、給付するのですから、医療産業は賄われるし、保育・介護も賄われているので雇用を生んでいる。1999年から2004年までの間に我国は公共事業をどんどん減らしました。そこで、建設業の労働者はものすごく減っていくわけですが、それを上回って介護産業で雇用が生まれています。回して使っているのですから国の経済がおかしくなるとはなかなか言えない。再配分に回す金が少ないと不安があるので貯金をするので需要が生まれない。再配分に回せば、安心して消費に回すことができる。再配分を小さくすれば、儲かるのは保険会社と金融機関だけとなる。
地方では交付税が減ってくる、土建業でも公共事業が減ってくる。そこで、介護とか医療とかに回した金を使っていけば、同じような経済効果を持つ。
表2で、Tという借金部分を足すと、これを潜在的国民負担率といいますが、これも各国と比べると低い。(T+D)/Yが潜在的国民負担率です。(T+D)/YからB/Yを引けばG/Yが残ります。公共事業をやったり橋を造ったり、司法制度を整えたり、公務員を雇ったりするものです。G/Yだけを見てみると日本はそれほど大きくはない。今の国家は国民が負担したものの5割以上を社会保障に回しているのです。公共事業をやっているとか、日本の公務員が悪いことをしているといわれているが、それほど大きいものではない。この無駄を削れば社会保障費がでてくるというのは桁が違う。
図5
医療費でも3、4、5兆円といった金がかかる。公務員の人件費は5兆円くらいです。5兆円を半分にすることが出来るわけがありませんが、たとえ、叩いて半分にしたところで、ヨーロッパ標準の医療費を賄うお金に足りないのです。46.9%という国民負担率が低いから再分配に回すことができないのです。このうち本当に負担しているのは36.2%しかなく、残りは借金なのです。
なぜ、赤字国家になったのかということですが、1990年代のバブル崩壊期に財政出動で経済を支えたという見方もできますが、基本的には負担すべきものを負担していないからです。
国家は橋を造る、司法制度を整える、公務員を雇う、国会議員を雇うといったいろいろなものがあります。この部分の国の国民所得に占める割合はほぼどの国も同じなのです。何が違うかというと、その上にのっている、必要原則による再分配部分が違うのです。大きな国にするということは再分配部分を増やすことです。小さな国にするということは再分配部分を減らすことです。公共事業や公務員といった国家の基本的機能の部分はそれほど動くような話ではない。無駄はなくせばいいが、再分配部分が増えるというほどの余裕はない。
現在は、我国では小さな政府に向かうべく力が働いています。国民負担率から言えば、下には韓国、アメリカ、メキシコしかいない。小さな政府大きな政府ではどちらが住み心地がいいかです。アメリカとスウェーデンで比較して、医療サービス、教育、年金、保育所とかでどれだけお金を使っているかを調べている人がいます。スウェーデンでは私的な年金とか私的な保育所、私的なヘルスケアにほとんどお金を使っていない。しかし、税金は沢山払っている。アメリカはプライベートにはものすごくお金を払っている。しかし、税金はあまり払っていない。しかし、両者を足した家計に占める割合を見ると両国ともそれほど変わらない。だが、先週の金曜日に『Jon Q』という映画をやっていましたが、片方にゴージャスな医療がある。片方に医療を受けることも出にない人がいるという中での平均値が同じだということです。パブリックにやればそれほどの格差はつけられない。平等な形がスウェーデンです。大きな政府というのは生活必需品が充実した社会で、小さな政府というのは差嗜品が大量にある社会です。医療、教育、保育、介護といった福祉を生産するのは3つの機関があります。1つがガバメント、1つがマーケット、1つがファミリーです。日本はファミリーにものすごく依存しているのです。スウェーデンはガバメントに依存しています。アメリカはマーケットに依存しています。病気になったときに、医療をどのように国民に提供する体制を作るかですが、ガバメントでありマーケットでありファミリーです。どこを減らしたからといってどうにでもなるものではない。療養病床を減らして寝たきりの老人といわれる人たちを家に帰そうという計画がありますが、ガバメントを減らせば、マーケットかファミリーが大きくなります。我国ではファミリーが大きくなります。ファミリーを大きくしないためにはガバメントを充実しなければならない。しかし、ガバメントを充実するにはある程度負担しなければならない。日本とかアジア系の国はファミリーの部分が大きい形をしている。ヨーロッパでもイタリア、スペイン、ポルトガルといった南欧諸国はファミリー部分が大きい形をしています。南欧はカソリック、日本などは儒教の考え方が強い。困ったことに、ファミリー部分の大きい形をした国ほど悲しいほどの少子化に苦しんでいる。ファミリー部分に頼って生み育てる社会というものに対して、ファミリーが暴動を起こしているのです。
女性が労働市場で働くのを労働力率といいます。女性の労働力率と合計特殊出生率をプロットするとどのような関係があるかですが、女性が働けば出生率は上がるか下がるかですが、
1960〜70年代くらいまでは下がるというものでした。ところが、1990年代から2000年代に入ると逆に労働力率が高い国ほど出生率が高くなっています。なぜ、そのようなことが起こるかです。昔は出生率を上げようと女性が働くことを抑えようとしましたが、これは無理です。国の労働力の問題、女性の高学歴の問題などで、労働力率を動かすことはできない。そこで、女性が働きながら家族を持ち子供を持ち、子供を持っても労働市場で不利にならないような社会を作ろうじゃないかというふうに変化していく。
公的教育についても我国はダントツにお金を払っていない。ダントツ医療費が低い、少子化対策などファミリーポリシーにもダントツお金を払っていない。
日本では高学歴になると給料が高くなる。給料が高くなると子供を持つと退職せざるを得ない。退職すると元の職場に戻れない労働市場なのです。一生涯の所得は誰が高くなるかというと、労働市場に出て給料の高い人のほうです。子供を持っても労働市場で不利にならないような政策をとる必要がある。スウェーデンでは保育所が義務教育化されている。オランダでは一旦家庭に戻っていても再び労働市場に戻るときに不利にならないような労働市場での整備を進めている。パート労働になるといきなり厚生年金からはずすということはない。欧州諸国ではなんとかガバメント部分を増やして生きのころうとしていますが、日本がそれができない。他の多くの国も、日本を除きそうした方向に向かっている。ともかくファミリーをガバメントが肩代わりしないと国が危なくなるぞということです。
なぜ、医療費の自己負担が他の国より高いか、なぜ、日本の医療が疲弊しているかですが、基本的には利用料を払っていないからです。
アメリカのGDPに占める医療費の割合は15.2%です。日本は8.0%で、日本の公的医療費は6.6%です。アメリカは、公的保険は高齢者と低所得者の25%しか対象としていない。それでもアメリカの公的医療費は6.8%で、日本よりも高くなっている。民間にできることは民間でといわれるが、現在の皆保険部分を民間に任せると何が起こるか。所得ごとにどれだけ医療費を使っているかですが、アメリカは所得が高い人ほど医療費が高くなる。日本は皆保険制度をとっているので所得にかかわらず平等な消費ができている。どちらの国が望ましいかです。
6.価値観の明示
私の問題意識は、『市場のダイナミズムを享受しながら、そこに生きる人たちが尊厳を持って人間らしく生きていくことができ、かつ、一人の人間として生まれたときに、備え持っていた資質を十分に開花させることができる機会が広く平等に開かれた社会はいかなるものであるかという問いを意識しながら』研究しているわけです。『そして、この問いに対して、現在のところ、医療・介護サービス及び保育・教育サービスを、あたかもみんなが自由に使った共有地のように所得・住んでいる地域・まして性別にかかわらず利用することができる。すなわちダイナミックな市場を共有地で囲い込んだような社会をつくればよいのではないだろうか』と考えています。
経済学は19世紀の終わりごろから価値観とは独立に実証科学という物理学の真似をしていったのです。私はそれをミスの原因と考えています。私は価値観を明示する。社会科学の中で価値観独立の研究などというのはあり得ないと考えています。私としては、市場というものはダイナミズムがあって、これを利用しない手はない。けれども、共産主義のように能力に応じて働いて、必要に応じて分配するというのは無理がある。しかし、ある特定のサービスに関してだけは共有地のように供給体制があっていいのではないか。
どのような社会が望ましいかを皆さんに考えてもらいたい。市場に任せるとは支払い能力に応じて差が生まれることを認めるということです。アメリカの『John Q』の映画で、子供のかかった病気が正規の労働者であるときは保険対象の病気だったのが、レイオフの中でパート労働者に落とされていたわけです。企業はある時、正規労働者には適用していた病気を、パートの労働者の子供の病気はカバーされないような保険に切り替えていたのです。そのような社会と皆保険の社会のどちらがいいかといえば、私は皆保険の社会がいいと思うのです。
図6 経済財政諮問会議にいる八代尚宏氏とかは市場をいかにつくるかに関心がある。八代さんなどとの共著の鈴木玲子さんとかは図5のようなグラフを作ってきたりするわけです。先週、八代尚弘さんと自治体病院全国大会で公開討論をしました。八代さんの価値観からいうと図5では右側が望ましいということになるようです。鈴木玲子さんはグラフをどう読み取ったかというと、『家計と所得の医療サービス支出の関係をみると、わが国では所得と支出額はほぼ無相関であり、低所得者世帯も高所得者世帯も医療サービス支出額はほぼ同じである。このことから、高所得者の医療ニーズが満たされていない可能性が大きい。
一方、アメリカでは所得と医療サービスの相関は高い。所得に応じて国民は多様な医療サービスを購入していることを示唆する』〔八代尚宏編/鈴木玲子(2004)P.286)ということになります。これを読んだ大学生は、では、アメリカ型の方が望ましいのだということになります。だから、医療は格差が生まれていいんだな、混合診療は認めて当然だということになります。
事実というものは価値判断と独立には存在し得ないのだと思います。実証科学であって価値観とは独立の経済学というようなことを言っていますが、経済学の内部に価値観が組み込まれているのです。あなたは価値観を意識していないだけであって、本当は価値観を持っているということをいいたい。
同じ図から私は、皆保険下の日本では医療の平等消費が実現されているのに、国民全般を対象とした医療保障制度をもたないアメリカでは、医療が階層消費化していると読みます。私のような価値観を持てば、アメリカよりも日本のほうがいいよねとなります。八代さんや鈴木さんのような価値観からは産業が生まれるのだから市場の方がいいよという話になります。
7.『年次改革要望書』と「規制改革・民間開放推進会議」
図7
クリントン大統領と村山首相くらいの時代から、アメリカと日本はお互いに、このように制度を変えて欲しいというような年次計画要望書を出し合っているのです。年次改革要望書の米国からの要望には本当に「郵政民営化をやって欲しい」とか「ロースクールをつくって欲しい」「商法を変えて欲しい」「大店法を撤廃して欲しい」といったいろんな要求が入っています。それが、面白いほどに実現されてきています。それを実現していく日本側の対応機関が規制改革民間推進会議であったり、経済財政諮問会議であったりするわけです。その年次改革要望書の中で米国は2004年に「混合診療」を要求してきました。保険はここまでで、そこから先は自由に医療を供給して欲しいという要求です。その時は厚労省はどうにか逃げ切って、2006年10月から「保険外適用制度」というものをつくりました。
先週、私は八代氏が討論したときには、「混合診療」はおかしいよね。がん患者そのものが混合診療の全面解禁を求めていない。医療の格差が生まれるだけでなく、認めていくと、どんな医薬品、医療器機も言い値で取引されるようになって医療費は高騰するし、どんな医療でも病院でやっていいということになるので、医療なのかまやかしなのかのチェックもできなくなり、医療の質も落ちるという話をしました。その夕方、東京地裁が「混合診療を認めないのは違法」という判決が出ました。次の日の新聞には八代氏の「画期的な判例である」というコメントが出ました。
価値観というのは社会科学の中ではものすごく大切なものになってきます。日本の医療費は他の国に比べて少ない。これを国際標準・ヨーロッパ標準まで上げましょうといい続けています。医療費の将来見通し検討会が昨年12月から厚労省の中にできていますが、その中でも言い続けています。国際水準にまで上げても、その後医療費をコントロールすることはわが国は可能なのだ。いままでもコントロールし続けてきたから日本の医療費は低いままだったのです。八代氏は医療費の「出来高は青天井だ。この出来高の青天井を変えて包括払いにしなければならない」とおっしゃるわけですが、その青天井の出来高払いの医療制度の下で、何ゆえに他の国より医療費が低いのかです。何ゆえに診療報酬の点数を動かすと医者の収入が変わるのかです。青天井なら関係はないはずだと思うのです。医者は自らの専門職としてのプライドと経済的欲求=算術と仁術のトレードオフの中で行動していると思います。
出来高の下での日本の医療費は他の国よりも低かった。診療報酬は毎年毎年の交渉の中でこれはコントロール可能と思います。
8.今日の「医師不足」とは
ある日突然医師不足というものが言われるようになります。1997年医者は過剰だといわれて、医師を減らしていきましょうという閣議決定がなされました。ところが、ある日突然、医者は不足してきた、虎ノ門病院の小松秀樹氏が『医療崩壊』という本の中で「立ち去りがたサボタージュ」という言葉を提起しました。勤務医が疲れ果ててしまって、勤務医としての仕事を逃げ出して開業医になる。なぜ、そのようなことが急激に起こってきたかですが、人口10万人に対する医師数というのはなだらかに増えています。医師1人当たりの患者数、医師1人当たりの病床数では、日本の医師は他の国の5倍〜3倍は働いています。昔からですが、「眠らないよ」という状況は構造的に続いています。
図8 図9
ここで、「医療事故」というキーワードで新聞を検索すると、1997年に医師は過剰で今後減らしていかなければという閣議決定をしましたが、1999年から「医療事故」のヒット件数が急激に増えます。このきっかけは、
図10 横浜市立病院の患者取り違え事件です。忙しい看護師が1人で2人の患者を取り扱う中でミスが起こったのです。ここから、メディアの医療パッシングが起こってきます。「医者が悪い」、「病院が悪い」、「医療はなっていない」と叩かれるわけです。その後、某新聞の投書欄に「一般社会では人の命を奪おうものならそれ相当の処罰を受ける。命を奪われた家族のことを思うなら至極当然のことだ。それなのに医療事故を犯した医師たちはたいした処罰も受けずに平然と医療業務を続けている。私たちは自分や家族の命を預けるのに信頼できる医師を正しく判断して選ぶだけの手段がない。
せめて、過ちを犯した医師の名前は全て公表すべきだと思う。」という投書です。医療パッシングから、医者に対する信頼関係がものすごく変化してくるのです。
「医師不足」というキーワードで検索すると、1999年あたりから医師と患者の関係が変わり、その上に、新医師臨床医療制度が加わったとことで加速されて、深刻な医師不足になってきているといえます。
『論座』2007年2月号に書いたことですが、医療事故報道前はある医師の診療科間の負担感を考えれば、診療科間では負担感もそんなに違いはなかったのです。
図11 ところが、メディアが医療叩きをはじめ、負担感が高まるわけですが、診療科ごとの違いがでてきました。産婦人科のように、いままで「幸せだね」といわれてきたところが、「医療事故」となることによって「不幸」に転換していくところになってくると訴訟が起こりやすい。医師1人当たりの訴訟件数は産婦人科あたりが圧倒的です。そこで、「やってられない」という負担感が高まり、隣の芝が青く見えてくる。これが、開業医と勤務医、産婦人科・小児科と他の科といった状況に出てくるわけです。さらに、今の政策はこうした少なくなった医師の負担を高めた形で不足を補おうとしているが、それはないだろうということです。医者を増やす方向に、医療費を増やす方向に政策転換すべきなのです。
八代氏などは、医療費を増やすのに、民間で増やして何が悪いかという論理です。プライベートに増やせば、アメリカのような形になります。それを、悪いとするならば、我々は公的な負担をしなければなりません。
今の日本は医療費が低いく、将来も小さすぎる福祉国家しか志向していない。2025年になっても社会保障の給付はイギリスの今の水準よりも低いです。1人当たりGDPが3万ドル以上の豊かな国18カ国の中でも、日本の国民負担率26.4%は最下位であり、高齢化率が14%を上回る国の中での日本の高齢化率16%は1位、租税負担率16.5%も最下位です。消費税負担率2.5%はOECD加盟30カ国中29位です。消費税5%というのは、他の先進国と比較すると圧倒的に低いものです。消費税は払っただけでは逆進的です。払った消費税を所得で割ると、所得が高いほど消費税の負担率は下がります。しかし、払ったものを平等に分配すれば、負担から受取を引いたネットの負担は累進的になります。他国は消費税源で社会保障を充実させてきます。
所得税・住民税平均4%ではOECD平均9.1%の半分です。この国の所得税・住民税は非常に低いところにあるわけです。医療費のGDP比では2004年にイギリスに追い抜かれてしまった。イギリスはサッチャー政権のときに医療費を抑制しようとしました。そこで、イギリスで育った医者が外国に行き、他の国で育った医者が来たりとか、看護師がやめたいとかで医療が崩壊してしまいました。2001年の総選挙で、ブレアが政策転換をして、医療費を1.5倍にすることを公約したのです。日本はこれから先も医療費を下げていこうとする。そこへ混合診療とかを普及させていこうとしています。
図12
しかし、少しずつ流れが変わろうとしています。『東洋経済』という雑誌ですが、医療が崩壊しているとして、「ニッポンの医者・病院・診療所」「小さすぎる福祉国家の現実 老後不安大国」といった特集をしています。ビジネス誌で、小泉・安倍政権の構造改革を批判したのははじめてではないか。メディアでも毎日・朝日が医療費抑制策に慎重姿勢を示し始めています。読売もさすがに論調が少しずつ変わってきています。
吉川洋氏・八代尚宏氏などが居られる経済財政諮問会議で2006年6月に小泉元首相が、歳出削減をいつまで続けるのかという答えとして、「歳出をどんどん切り詰めていけば、いずれやめて欲しいという声が出てくる。増税しても必要な施策をやってくれという状況まで、歳出を徹底的にカットしなければいけない。」と答えているわけです。新聞等では「小さな政府でないと国際競争力がなくなる」とか「小さな政府でないとこの国はだめになる」といった論調がされていますが、本当は日本の政治家は何を考えているかというと、増税するか歳出をカットするしかないと考えているわけです。しかし、増税しようとすると、確実にわが国では選挙に負けます。尾辻元厚労相は「私が厚生労働大臣のとき経済財政諮問会議の人たちは、私にずいぶんいろんなことを言って攻めてきました。保険免責制を提案したこともあります。当時経済財政諮問会議に反対することは非国民と呼ばれることでした。私1人が被告席に座らされているようなものでした。今だから正直に言いますといつもポケットに辞表を入れておりました。」述べています。
9.医療政策は選挙で変える
「医療をどうしても変えたいのであれば、雨が降ろうが槍が降ろうが、はたまた空からミサイルが降ってこようが、今日の医療崩壊に手を打とうとしない政党には拒否権を発動するしか方法はありません。今日の医療問題に取り組もうとしない政党を選挙で支持していては医療は変わりません。選挙の後に医療がどんなにひどい目に遭ったとしても後の祭りというのが間接民主主義とうものなのです。」といっていました。
参院選を振り返ると、二院制でお互いに強い力を持っているのは日本しかありません。イギリスも二院制ですが、他方はほとんど力がありません。フランス革命のときにシェイエスは「第二院は何の役に立つのか、もしそれが第一院に一致するならば、無用であり、 もしそれに反対するならば、有害である 」と言っています。参院選は1989年の宇野さんから海部さん、橋本さんから小渕さん、安倍さんから福田さんという形で与党の中での政権交代が起きるということで参議院が機能してきたので、自民党の長期政権が実現してきたのではと考えています。
最近、財政改革研究会が復活しています。与謝野さん、谷垣さんあたりが主導しています。この国では負担増をするしかないのだといっています。がんで入院されたときに『告知』という文章を『文芸春秋』に書かれましたが、この国も告知をしなければならないんだ、成長すればうまくいくというが、どこに根拠があるんだといっています。国民に正直に言わなければならないといっています。この財政改革研究会に2度ほど呼ばれていきましたが、私と考え方が似ている人たちがいます。
もう一つ、安心できる社会保障税制改革に関する与党協議会が設立されていて、ここもある程度負担増を言わなければならないのではと思っています。このように与党の中から動きが出てきています。あまりにも野党が、マニフェストの中に、増税はやりません。しかし、あれもやります、これもやりますと書いてしまった。これを全部足し合わせるとどう考えても足りない。いい加減なことをついていけば分かる人たちは分かってくるのではないかということです。しかし、この人たちが動き始めると、一方で竹中氏とか中川秀直氏とかが、増税は選挙で負けるからあり得ないと与党の中でやっています。先週は与謝野さんは選挙のことを考えていては正しいことはできないとTVで言っていました。
ここでの問題は、200万人の医療関係者が誰を支えるかです。負担増を言ってくれる人を支えなければなりません。医師数は十分だと決めた閣議決定を何とかしないとだめです。あと何年がんばれば大丈夫になるという希望すらもたせられない。政策転換をやらないとだめです。医者も10年たたなければ役に立ちませんが、何年間かがんばれば。そして、昨年閣議決定された2011年までにプライマリーバランスを取る、借金しないで財政運営をできるようにするために、社会保障の国庫負担を毎年2200億円づつ減らすということを組み込んだものですが、これを廃止しなければなりません。その国庫負担の50数パーセントは医療に回っているのです。生活保護はどうだとか言う議論が出ますが、社会保障費のうち生活保護費は3%程度です。ここをどうがんばっても減らすことはできない。そこで医療が狙われるのです。社会保障2299億円のマイナスシーリングを撤廃することを表に出す政党を如何につくっていくかです。
質問
日本の今の医療給付が少ないはおかしいというのは分かりましたが、負担の方として消費税しか道がないのかという点に関して疑問があります。日本の場合、所得格差が大きくなっていますが、消費税を上げると低所得者や非正規労働者は苦しくなるのではないのか。所得税の減税は廃止になったが、法人税の減税は続いています。いきなり消費税を上げるというのはおかしいのではないでしょうか。
答
10.社会保障の財源を消費税に求めるのは筋違いか?
大きい政府をやっているところは消費税収入が大きいことは先ほど説明した通りです。財源調達で考える必要があります。グローバリゼーションの影響は大きいと思います。「金の卵を産む鶏は殺すわけにはいかない」のです。金の卵とは資本です。資本はどのような移動をするかというと、法人税率とか労務コストを見ている。日本の法人税収は他の国よりも高いのです。庶民増税に反対して大企業から税金を取ればいいという気持ちは分かりますが、法人にさらに負担を課すというのはリスキーです。高額所得者に課せばいいではないかという論議もありますが、最高税率を1%上げて400億円です。10%上げても上のほうの所得は逃げていくので4000億円にもなりません。これを社会保障の必要額まで上げようとすれば気が遠くなる。消費税の場合には1%で2.5兆円です。どの国でも同じですが、グローバリゼーションの中では税を課しても移動しない課税ベースに課税するしかない。たとえば、スウェーデンで暮らしている人に消費税を課したからといって他の国へ逃げるということはないわけです。その制約条件をあまり無視すると、金の卵を産む鶏を殺すことになるということです。グローバリゼーションの圧力の下で、金の卵を産む鶏を残しながら、金の卵を産んでもらって、その金の卵を消費者レベルで分け合って、生活必需品を充実させるという視点になります。たばこ税は1本1円上げれば900億円の税収になりますから、この税金は悪くはありません。しかし、20円、30円と増やしていけばタバコを消費する人が減ってきます。
しかし、90年代に所得税や資産課税は減税しすぎたと思いますのでそれらはあげても良いと思いますし、社会保険料も上げていいと思っています。社会保険料は他の国と比較してまだ低いところにあり、財源調達能力はあります。社会保険は情け容赦なく収入を上げます。既に、日本では、税収より社会保険料収入のほうが大きくなっています。社会保障をどれだけ安定して行うかは財源が硬直的でなければなりません。硬直的ということは、他の視点で見ると安定した給付ということです。エゴイスティックで動かないということは、安定した給付を保証してくれることなのです。変動的税収ではなかなか給付は安定しません。年金も医療も税収とは関係なしに必要になります。安定性があり財務省が口出しできないことです。75歳以上の後期高齢者医療制度はかなり税金が入ってくることと、年齢が分離されたことで、財務省などの口出しが入ってきて、将来的にはあぶない制度ではないかと思っています。金は出すが、口は出さない制度をいかにつくるかが問題なのです。
ドイツなどは日本よりも法人税収入は低いのですが、ヨーロッパでの競争にさらされているので、法人税率を下げて、消費税で庶民に負担してもらいながら社会保障を充実させようとしています。
社会保険料は上げていい、また、たばこ税も上げていいと思います。禁煙用のパッチを保険給付で出すくらいなのですから、原因者に負担させればいい。しかし、タバコ業界も政治と結びついて値上げが難しい。我々は世論をどう方向性をもっていきたいのですが、財源調達の議論になると、仲間割れをして、あれがあるのではないか、これがあるのではないかと負担増は絶対いやだといっているから力がもてないのです。
特別会計で無駄があるという話です。特別会計と一般会計を足し合わせると461兆円で一般会計の5倍以上だという議論です。これは重複計算をしているのです。重複計算をはずすと233兆円になります。半分の中でも借金を返すために国債を発行している額とか地方交付税に回る額とかは企業会計ならばはずしてしまうものなのです。企業会計ベースでこれらもはずすと123兆円です。特別会計を加えるとこれくらいになるという額の27%しかありません。しかも、支出の中身は、社会保障給付の特別会計とか地方交付税に回るお金とかで、実はなかなか動かせないお金なのです。国債整理基金特別会計の債務償還額などは借りて返しているだけなので、このようなものを特別会計があるからといって額を加えてもだめなのです。財政的余力はありません。「無駄をなくせばどうないかなる」というのは幻想であり、「成長すればどうにかなる」というのも幻想です。財源論では現実的には辛い選択肢しかありません。だから、政治家からすると選挙に負けそうな選択肢しかありません。しかし、負けそうな選択肢をいう勇気ある人たちを支えるしか、社会保障を守る方法はありません。
図13 国民負担率の内訳の国際比較
(注)
1.日本は平成19年度(2007年度)予算ベース、諸外国は、OECD "Revenue Statistics
1965-2005"及び同 "National Accounts 1993-2004"等による。
2.租税負担率は国税及び地方税合計の数値である。また所得課税には資産性所得に対する課税を含む。
3.財政赤字については、日本及びアメリカは一般政府から社会保障基金を除いたベース、その他の国は一般政府ベースである。
4.四捨五入の関係上、各項目の計数の和が合計値と一致しないことがある。
5.老年人口比率については、日本は2007年の推計値(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(平成18年(2006年)12月推計)による)、諸外国は2005年の数値(国際連合 "World Population Prospects: The 2004 Revision Population Database"による)である。
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講師紹介
権丈善一
1962年
福岡県生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業、同大学商学研究科修士課程・博士課程を修了。2002年 同大学商学部教授となる。
《主な著書》
『再分配政策の政治経済学---日本の社会保障と医療』(慶應義塾大学出版会)『年金改革と積極的社会保障政策---再分配政策の政治経済学U』(慶應義塾大学出版会)『医療年金問題の考え方---再分配政策の政治経済学V』(慶應義塾大学出版会)『医療政策は選挙で変える---再分配政策の政治経済学W』(慶應義塾大学出版会)など
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