第2回  ちょっといって講座

「 ペレストロイカと雇用問題」

大津定美 龍谷大学経済学部教授

1990年3月16日 於:福井県民会館

 

T.ペレストロイカで一向に改善しないソ連の経済 本日は、経済のペレストロイカが抱えている困難に比重をおいてお話しします。昨年、私が訪ソしているときに起こった炭坑ストライキは経済のペレストロイカと大変緊密な関係を持っていましたが、しかし理解しにくい出来事だったわけです。現在、ペレストロイカは大変な困難に直面しています。昨日、ゴルバチョフが大統領になって強権を得たということですが、経済のペレストロイカにとっては、これはプラスの要因ではありません。悪くいってしまうと、経済のペレストロイカを進める上ではかえってマイナスの兆候ではないかと思います。

 なぜそうかというと、ペレストロイカ全体を見る上で、「政治の改革」、「経済の改革」、この両方がうまく合い携えて進むというのが望ましいわけですが、現実にはそうなっていない。中国の場合は78年から開放政策を取り、一時期、経済の改革がどっと進みました。政治の方はほとんど改革されないままで。政治と経済の改革の進展工合のギャップが大きくなってくると、その社会が変革し得る内部の許容量が限界にくる危険性があるわけです。

 ソ連の場合は2年前=88年6月の党協議会から政治の改革が大事だということで言われ、当初の予想を遥かに超えるスピードで展開しているわけですが、経済の方は、ご承知の様に一向に改善しない。このギャップが大きくなってくることが懸念されるわけです。モスクワの市民なんかも、経済はだめだ。だからペレストロイカは何にもないと言っているわけです。ゴルバチョフは口だけで、結局我々に何ももたらしていないといっているわけです。こうした雰囲気の中で大統領になったわけですが、強い手によって経済も少しは改善されるだろうと市民も言っているわけですが、私はそれは検討違いだと思います。経済の改革は上からやれといっても動かないと思います。

 あれだけ新しい法律を作り、様々な改革を言いながら、経済がなぜ良くならないのかということです。改善しないどころか、昨年夏以降、明らかに庶民の生活は悪化しました。とりわけ、マーケットで物が買えるかどうかですが、物がない。10日程前に、モスクワの女性を招待しましたが、その人の話では、商店は全くからっぽの状態だそうです。常時商店に並んでいなければならない日用品のアイテム800のうち、夏の段階で常時あると調査員が調べてわかったのは40〜50で、ほとんどの日用品は店頭から姿を消してしまったわけです。

 しかし、ほんとうに悪化したかのかどうかです。昨年、妻と訪ソしたとき、招待を何回も受けました。10年前にも行きましたが、そのときには10ヶ月いて1回しか招待されませんでした。しかし、今回は6ヶ月いる間に49回招待を受けました。家庭に手作りの料理で御馳走になるいうことで、呼ばれて行ってみると、「大津さん、家の冷蔵庫を見てくれ」といわれるので見ると、そこには何でもあるわけです。ロシア人の家ほど客のもてなしがすごいところはない。「店には何もない」「家には全てある」というのは、理解に苦しむ。

  家に招待したモスクワの女性にも聞いたわけです。中性洗剤は家にどれだけあるのかと。そうしたら、15個買いだめているというのです。これは1年以上は持つわけです。庶民の購買力(お金)が沢山あって、それに比較して、店に物がない、あれば買っちゃうということです。

U.需要と消費の不均衡

 なぜお金がダブついているかですが、経済改革と関係があります。87年から賃金上げの戦後第三回目の大改革がはじまり、88年の後半から、これに加速度がつきました。これまでは、労働者・職員の平均賃上げは年2%から2.5%ぐらいでした。88年後半に入ってからは、6.5%、89年は9.1%という貨幣所得になったわけです。ソ連の賃金は日本と比較すると、[手取り]マイナス[医療費、教育費、住宅費]です。だから、ほとんどが衣服費と食費に使われるわけです。それが、1割ぐらい上がったわけです。これは労働者の平均のアップ率ですから、都市のある特定の職種ではさらにアップしているわけです。

 こういう賃上げが一方にあり、他方、海外の動きとしては、昨年の夏、ポーランドでは連帯が選挙に圧勝して、そこから通貨の改革[ドルとの交換レートを実勢に近づける]ということで、手綱を弛めたものですから、ダダダといきまして、9,10月あたりは、月に100%のインフレが進みました。それを、ソ連の庶民は、TV、ラジオ等で見聞きして、そのうち、ソ連の通貨のルーブルはただの紙屑になるという雰囲気が蔓延したわけです。そういう大衆心理が働いて、昨年夏以降の消費財不足になったわけです。

V.経済改革は調整段階に

 現在、政府はどうしようもない[需要と消費]の市場不均衡を是正するため、賃上げを押える、あるいは物価の値上げを押える、賃上げをやる場合は生産性が基準以上でなければならないとか、賃上げに使った源資が伸びたら、それに対して企業は税金を払わなければならないという、[所得政策]を昨年の春ぐらいから躍起になってやっています。経済改革は調整段階に入っているということです。引締め政策です。

 他方、国家財政は1,200億ルーブルという大変な赤字です。国民所得の13%ぐらになり、米国の双子の赤字の国家財政の赤字部分の3.5%をはるかに上回ります。赤字を埋める為に、さらに輪転機を回して、ルーブルを印刷して[紙屑]を作り、インフレを昂進しているわけです。これをなんとか押えなければならない。

 昨年の12月にルイシコフ首相が経済改革のプログラムを発表して、内部で様々な議論がありました。90年は準備段階として、91年92年には、赤字企業の閉鎖、企業と企業の取引を、これまでのように上から指令してやるのではなく、卸売関係に持込むという市場経済導入の為の準備を大胆にやる。93年から、市場経済が作動するように準備を済ませるということです。しかし、我々が見る所では、これは経済改革のプログラムではなく、経済改革[停止のプログラム]です。さしあたりはやれないということです。経済の浮揚、経済の改善の為には経済システム、メカニズムの根本的な改革をやらなければならないということは明らかですが、現局面では根本的改革はできないから、中途半端なものに終わらざるおえないということです。しかし、中途半端のものを続けている限りでは、ソ連経済の一段上への浮揚は望めない。世界経済の中では、外にどんどん先を駆けていくところがあります。ソ連経済は大海原に大きな巨体を浮かべている船、自分で行く方向も決める事も出来ない、持っている余力もどんどん絶えて行く、少しづつ少しづつ沈みゆく船だと思わざるをえません。船長のゴルバチョフ氏がどんな強い手を使ったところで、彼1人の手で船を下から押上げる事は不可能です。

W.経済のペレストロイカの3つの側面

 @価格の改定ができるのか

 

 経済のペレストロイカには3つの側面があります。従来の指令型、命令型の経済から市場導入によってメカニズムを変えることです。しかし、これはそれだけでは作動しない。価格の大胆な改定、需要と供給が反映されコストが反映される価格システムを導入しなければなりませんが、それは不可能だと思います。私の住んでいた近くのスーパーマーケットで売っている肉1sの値段は、2ルーブルです。これはモスクワじゅう何処へいっても同じ価格[公定値段]です。これは10年間このままの値段です。豚肉は2ルーブル20カペーカです。鳥肉は2ルーブル40〜50カペーカです。こうした肉を買うもう1つの場所は、ルイノクあるいはバザールと呼ばれるところです。ここで、豚肉の一番いいやつは1s10〜12ルーブルでした。つい最近モスクワから来た女性の話では、15ルーブルだとのことです。こちらの方は需要と供給によってじわじわと上がって行きます。この公定の肉の国家が農民から買い付ける価格はいくらというと、4〜6ルーブルぐらいです。それを2ルーブルで売っているわけです。半額以下です。バザールで売っている価格が市場価格です。

 価格が2ルーブルだと、我々はいつでもそこにあるものだと思いがちですが、そうではありません。値段が2ルーブルだというだけで、行っても売っていないのです。ところが、午後の3時、4時ぐらいになると、ザーット長い行列が出来ます。そこへ割込んだりすると凄じい喧嘩になる。見ているのがいやになるくらいです。2ルーブルで肉を買うというのは凄じい闘いなのです。時間に余裕のない人、お金に余裕のある人はバザールに行きます。こちらへいけば何時でも買えるわけで、実際の値段は2ルーブルではなく、8ルーブルだということです。体力のない年金生活者、働いているぎりぎりの所得しかない家庭の主婦は並べないわけです。この階層は8ルーブルも払うお金もない。それで、年間62s食べるという統計がありますが、とてもそんないは食べていない。肉を食べられる階層は限られてくる。所得の高い階層か、会社をサボッテ3時、4時に並べる人です。

 メカニズムを変えるには、肉の価格を2ルーブルではなく8ルーブルにし、

農産物への補助金もなくしてしまうことです。しかし、今すぐにそれをすることはできません。ポーランドの連帯の動きは、1980年の肉の値上げから始りました。一挙に肉の値段を改定してしまうと、現在の政府は保ちません。肉の価格は経済の問題であるよりも、政治の問題です。ラジカルナ、根本的な改革はできないというのが現状です。

 A産業構造の転換はできるのか

 ペレストロイカのもう1つの側面は産業構造です。ソ連産業構造は「重厚長大」そのものです。「軽薄短小」はほとんどない。ましてや、サービス業、商業といった分野は発展していない。モスクワで住むときにはほとんどレストランなどというところへは行けません。レストランへ行くにはこれまた行列です。圧倒的にレストランや公共食堂などというものが、街の中にないからなのです。サービス業をさらに増やすとか、消費財の比率を増やすとかに転換しなければなりません。工業の生産物のうち、3/4までが生産財です。材料とか機械といった生産の為のものです。残り1/4だけが消費財です。これを転換しなければなりません。それから、軍需産業をやめて平和産業に転換することです。

 B89年春からほんとうのペレストロイカが始った

 ソ連の現在の状況は敗戦直後の日本に非常によく似ています。それ以前かもしれません。共産党独裁の下で生延びてきたシステムというものは、民主主義は全くあっちいけで、共産党が社会の角々まで支配する、上から下へというシステムです。封建制社会をイメージした方が早い。それが、いま政治改革[デモクラチザーチア]によって転換しているわけです。今まで抑圧されてきた人々が様々にものを言うようになってきているわけです。グラスノスチというのは、ロシア語でゴーラスというのは言葉という意味ですが、自分の考えていることを声に出していうということです。ペレストロイカがほんとうに始ったのは89年の3月の選挙からだといえます。あの選挙で党の指導者だった人が誰一人選挙で当選しなかった。これは何か本当に違うことが始るのではないかと思ったというわけです。「党の中央でどうか」とか「ゴルバチョフがどういった」とかでは、「また演説をやっちょるわい」ということで、誰も動かない。選挙でこれは違うと思った。それから、地方の都市でも、環境問題の運動やったり、党の地区の指導者がこういう悪いことをやっているといったことを書いて、壁新聞にして貼る。そのような動きが昨年の春ぐらいから、全国でほうはいとして起っている。チュメニ、ドネツク州などでも、地方の大衆が立上がって、党の責任者の退陣を要求するということがどんどん起っています。ボルゴグラードでは、幹部は悲惨な目にあっています。党の指導者が交通事故を起こしたが、その指導者の後のトランクを開けたところ、みんなが行列で並ばないと買えない、ハム、ソーセージ、キャビアといったものがごっそり入っていた。そこで、党には何の指導力もない、ということで新たな政治勢力を作る動きも広がってきています。これらは、なかなか伝わってきませんが今の現状です。

X.経済改革と「雇用・労働問題」

 @産業構造の転換による雇用問題の深刻化

 第三の問題は戦後日本が、戦争中の産業を転換しなければならなかったことと同様に、産業構造の転換を進めなければならないということです。これが最もしんどい。なぜかというと、産業が「重厚長大」に偏しているということは、沢山の労働者・職員が張付いているということです。今、それを新たな職場に転換しなければならない。「転換」というと言葉では簡単ですが、働いている人にすれば、今日までは仕事があった、明日からは仕事がないよ、こっちへいってくれ、ということを社会の要請としてすることになるわけです。総論としてはみんなペレストロイカ賛成ですが、自分のことに関わってきて、今まで自分が慣れ親しんできた職場を捨てなきゃいけなくなる。と「いや、待ってくれ。おれは反対だ」となる。産業構造の転換は同時に就業構造の転換です。ゴスプラン付属研究所の試算によると、ペレストロイカのプログラムの全体で、どれくらいの人が首を切られなければならなくなるかというと、約1300万人〜1900万人に上ります。物的生産部門から一旦、首を切られて、商業とかサービスに職を求めて転換していかねばならない。

 A中央アジア・カフカスの民族問題の激化と青年失業問題

 もう1つの雇用問題は地域的な広がりを持った問題です。特定の地域、中央アジア[ウズベク、カザフ、タジク]などでは学校を卒業しても、就職するところがない。カフカスのグルジア、アゼルバイジャン、アルメニアの3地域だけでも、300万人ぐらいそういう青年がいます。中央アジアでは、600万人が公然たる失業に喘いでいます。失業があるということをソ連の経済学者は認めようとしません。私はさんざん論争して「事実から出発せよ、マルクス経済学は何を教えているのか」といいました。昨年1月、『イズベスチア』にゴスプラン経済研究所のコスタコフ氏との「完全雇用と労働市場」という対談が掲載されました。やっと経済学も、失業、あるいは社会主義の下での雇用はどうあるべきかという問題を正面から取上げるようになってきました。これは当然のことです。

 アゼルバイジャンとアルメニアの紛争でも、新聞では、ムスリムはどうしょうもないんだ、キリスト教徒と回教徒は二千年も争いを続けてきたのだからといった報道もありましたが、就職口がないということで不満が鬱積している。そこへ、なにか、イデオロギー掛ったことになるとわーっと暴徒とかしてしまう。

 B改革による雇用対策と労働市場政策

 経済改革は、(・)放っておいても自分で消費者の為になるものを作るというメカニズムも作る、(・)産業構造を転換する、(・)平和産業へ転換する。この3つは異なった次元の改革ですが、これを同時にやらなければならない。強い力を大統領が持っても、経済改革には繋がらないわけです。資本主義の下では、雇用保険に登録して失業中という事であれば、休職期間中の3ヶ月とかは前の給料の6割とかが貰えます。ところが、「ソ連では失業者はいない」ということですから、首を切られると本当に路頭に迷うわけです。それに、転職をするといっても自由にお金があって住宅を買うことができません。配給システムです。都市では住宅は不足財です。住宅を得る為に長い間企業で働く必要があります。5年10年待って順番がきたのに、この部門を閉鎖するといわれて、はいそうですかとはいかない。職場=住宅取得の為の権利となっていますから、転職はそう簡単にはいかない。現在の社会政策、住宅政策の基盤になっているものが崩壊します。徐々に就職斡旋センターを作り、失業保険や転職プログラム、住宅の問題も解決していかなければだめです。

 経済の面でのペレストロイカは大変時間のかかる、そして、社会的に痛みの大きいプロセスであるといえます。急ぎすぎると、可能であったものまでだめにしてしまうかもしれない。ゴルバチョフ、なぜそんなに急ぐのだろう。

Y.協同組合・個人労働活動の自由化と推進

 他方、改革が全然進まないかというとそうではない。協同組合とかに職場を求めて転換している人達が増えています。資料の3ー1ですが、今年1月で450万人に増えています。レストランばかりでなく、自動車の修理、洋服を作ったりとか様々です。表の3ー3にどのような分野かが出ています。国営企業で、働いても働かなくても同じ賃金、これではやってられないという人が協同組合を作る。これは私企業、中小企業です。

 モスクワの人々の6〜7割は別荘を持っていて、夏の4週間ぐらいは完全に休んで、休養をとるのが普通のことです。ペレストロイカで経済が苦しくなって、さぞ庶民の暮しも苦しいだろうと思うと、全然そうではなくてなんでもある。「モスクワには問題が2つある。どこで食料を買ったらいいのかという問題と、どうやったら痩せれるかという問題だ」という冗談です。11月以上続けて長期の休暇なしに働くのは人道に反するというのが、基本的な労働時間、有給休暇のプロソフィです。夏は3週間4週間と何にもしないでのんびりと過すわけです。そこで別荘を建てる。建築の協同組合で夏のダーチャ[別荘]を作るというのを、6,000〜7,000ルーブルで請負う。高い値段ですが、早くてきれいな仕上をやる。庶民はこの協同組合の建設業者にものすごい反感をもっています。彼等が一番不足している建設資材を、国営企業が作った出口で買占めて、ドゥ・イット・ユアセルフで家を建てようと思っても資材が買えない。Tシャツなんかも工場の出荷段階で買占められてしまう。買占めというのをロシア人は平気でやるわけです。行列で並んでいても、ガサッと買占めてしまって、はい終りとなるわけです。養豚場を建設しようとした協同組合の建物が不審火で焼け落ちたということもあります。昨年7月にストライキのあったドネツクに行きましたが、ストライキ労働者を私はペレストロイカを支持する下からの初めての動きだと思いました。このストライキ委員会の46項目の要求の1つに、協同組合を許さない、協同組合を即時閉鎖せよという要求がありました。それぐらい、批判が強いわけです。

 @経済を活性化させる協同組合の可能性

 しかし、私は協同組合を支持します。なぜかというと、国営企業の大企業は伝統的な経営方法で、ペレストロイカでメカニズム改革といっても、何も変らない。いくつかの工業の中心的企業を訪問して聞いたわけですが、新な経営方式に移ったというところは1つもありませんでした。機関産業の中心部では経済改革は進んでいないわけです。だからといって何もしないと、全体が潰れてしまうわけです。経済を活性化させる1つの方策として、協同組合があります。住民が必要とするものを自分たちの創意工夫で、少し高いかもしれないけれども、自分の労働も報われる。働けばそれだけ収入になる。マーッケットメカニズムを協同組合は可能にしたわけです。大衆はそれに批判をもっている。それに乗じて、指導部のトップであるリガチョフをはじめ保守派は、ことあるごとに、協同組合を押えようとします。協同組合をやっていいかどうかという許認可は役所にあります。必要な資材を回すか回さないかもその役所が握っています。いままでは、これは「ヤミ経済」でやっていました。ヤミ経済が存続するかぎり、許認可の責務にある役人はそれによって、副収入が入るわけです。それを公にするということになると、役人は裏金を取りようがないので、徹底的に反対する。すこしづつは進んでいますが、かつての中国の様に、農村を豊かにし、国内の工業の市場を作って経済発展の基礎を作っていくというところまではいっていません。政治のペレストロイカは大きく進んで、共産党独裁が崩れ、党の権威が落ちていく、それと同時に社会主義の権威も落ちていこうとしているわけですが、経済の方は、旧い、ペレストロイカがこれを打壊さなければならないと考えている社会主義的な根っこというものはなかなかなくなりそうもない。5年10年あるいはもっとかもしれません。その間、これを志向する政治が持つか持たないかという問題です。このギャップがあまりにも大きくなると、口ではペレストロイカといいつつ、実際は価格改定はやらない。国家からの発注、生産しろという命令を強めていくということが進行せざるをえないわけです。

 

☆☆☆☆質疑応答☆☆☆☆

質問 A 計画経済の問題ですが、革命から後の大多数がだめだとは僕は思わない訳ですが、ゴルバチョフは強い手で絞めつけてくるのは怖いことだとおっしゃいましたが、それしかソ連経済が再起する道はないのではないかという気がする訳です。計画経済と経済ペレストロイカの関係について御説明願えればと思います。

Z.指令型計画経済と指示型計画経済

 @これまでの指令型計画経済

答  計画と言う言葉の理解にこれまで2つありました。1つは指令と同じ、上から下へということです。、現実に存在した計画メカニズムというものは、政府ー国家計画委員会・国家調達委員会(計画目標をを決める)ー省[自動車工業省、鉄鋼業省(それを受取る)等々があり、それもソ連邦と各共和国の二段階あります。中央のものだけで47の工業省があるといわれています。連邦共和国のもの全てで約800あるといわれています。省に所属するのが企業です。これまでの計画と言うのは、政府が国民の意向を体して、この5年間、肉はあんまり伸びなくてもがまんする、しかし、自動車は絶対欲しいという社会のニーズを感知して計画委員会に諮問する。計画委員会はどの省に何をどれだけという指令を出します。省は傘下の企業に命令を出す。たとえば自動車企業は命令をもらえば、いくら鉄が必要か、ガラスが必要か、ゴムが必要かということで、割当て請求書を出す。それが、国家調達委員会へ行き、割当て証明書を出す。その割当て証明書をもらったら、それを持って、鉄鋼業省傘下の鉄鋼業企業へ行くわけです。そこで、現物たとえば薄板鋼板を自動車企業へ出す訳です。

 A指示型計画経済

 もう1つの計画経済の考え方は、企業が相互に関係を持つことができる。今の関係は自動車企業と鉄鋼企業はトップの指令ではじめてお互に関係を持つわけで、自分で取引をするわけではない。相手を選択することもできない。マーケット関係ではない。その関係を企業にまかせる。しかし、この企業が全体としてどのくらいの成長率、生産の伸びをみるか、投資をやるかといった、全体のおおまかな動きを政府が決めて、ゆるやかな網をかける。これを、指示型計画経済といいます。

 B現状は、旧いものは弱く、新しいものは強くなっていない

 しかし、現実に存在してきたのは、指令的な計画経済でした。現実に進行しているメカニズム改革は指示型計画経済に移るということです。計画経済を放棄するといっているわけではない。省庁を弱める、そして企業は自由に相互に関係を持って、企業にとって得なものを取入れる。この判断・決定は自由でよろしい。そして、企業にとって重要な、何をどれだけ作るかという基本的な意志決定は国営企業法では自分で決めていいといっているわけです。今までは、全部上から来ました。今度は、自分たちの福祉の向上の為に、賃上げの為に、売れるものをどうやって作るかという頭の転換をしなければならない。とこが現実にはそれが出来ていない。何ひとつ変化は起っていない。他方、すこし前まであった上からの指令も弱くなってしまった。企業は怖いものがなくなって、賃上げだけは進んだわけです。旧いものは弱くなって、新しいものは強くなっていないというのが現状です。計画経済を維持する為に、ゴルバチョフの強い力で旧来の指令を強くするといことが、今いわれていることだと思います。しかし、それで経済は回復するだろうかということです。もし回復したとしても、その結果何が出てくるのか。指令システムでは、たとえば、釘を作る場合、どの釘を何本作るか、一から十まで事細かく指令しなければ企業はやらない。省の方でも面倒臭くなり、そんな細かいことまではできません。今月10t作ればよいということになる。企業が一番簡単なのは10tの釘を1本作ることです。そういうことをづうーっと続けてきました。経済改革が必要なのは、物がないからではない。物はあるところにはありあまるほどある。靴だって、女性のスカートだって、ないというのは嘘です。靴も誰も買わない靴が倉庫に山積みになっています。ソ連では国産の製品に対する信頼は全くなくなっています。それを作り出したのが、この指令経済です。経済成長を維持する為の一番良いやり方は、現在の「重厚長大」産業をそのまま維持することです。機械は高い値段がついています。消費財、衣服等は安い値段がついています。ソ連の鉄鋼業は年間1億8千万トンを生産する世界最大の産業です。そんなに鉄を作っているにもかかわらず、乗用車の外側を作る優れた薄板鋼板はできない。それが不足しているため、乗用車の生産はブレジネフ時代の1975年以降15年間1台も増えていないわけです。そうやって、機械を作り、鉄を作ってもその機械はどこに持って行っても使えない。故障ばかりなのです。10tの釘というのはマンガのようですが、この企業は平気で作り続けてきたわけです。住宅建設もそうです。入ってもすぐには水がでない。ドアもまともに締らない。床はいつぬけるかわからない。ベランダがガサっと落ちる。どこに責任があるのか。みんながみんなに責任を擦りあう。住宅をやっと貰っても、半年ほどは住めるようにするのに必死で、夜はそのことばかりをやっていて、昼会社に出てきても居眠ばかりということになります。1965年に指令型経済から、指示型経済に変えるという方針が出されました。それから25年も経ちました。結局だめだめだった。80年代始めには経済成長がマイナスに低下したと思われます。しばしは、弛んだものを絞めることによって物が出てくるかもしれません。しかし、誰も見向きもしないものが出てくる畏れは十分にあります。品質検査の専門の技官はソ連全体で100万人います。にもかかわらず、企業から出てくる不良が3割、4割、庶民はそれでもないから買う訳です。それを修理屋へ持っていく。その社会的コストがどれだけ掛るのか。

 

質問 B ポポフなどは市場経済重視といっているわけですが、市場経済の具体的イメージも湧いてきませんし、日本の場合も完全なる市場経済ではない。国家の指示が末端まで浸透して、細かい所まで指示しながら経済運営しているというのが実体だと思うわけです。『社会主義』はどういうイメージでどういう方向に向うのか。

[.どうやって指令経済から指示経済へ移行するか

 @市場経済の悪い所だけが強まる虞も

答  問題は指令経済から指示経済にどうやって移行するかです。今の改革は一見、何の規制もなくなってしまうかのように見えます。企業をグループの私的所有にする。ここで労働の搾取を認めるか認めないか、搾取とは何かを真剣に議論しています。「具体的に誰も説明してくれなかった」とこの前の最高会議で女性の代議員が叫んでいました。経済学者の怠慢だったと思います。

新しく出来た所有法などを見ますと、賃貸料だけ払えば、その企業は自分で儲けてよろしいということになっています。狙っている事は、失業者は何%以上は出さない、青年に対する教育機関はどうでなければならないかとかいった、社会全体の利益になるものは

ちゃんと押える。その中で企業は自由に動いていいという移行のプログラムがない。

 この指示経済というのは、悪くすると、市場のいいところと計画のいいところ両方頂きましょううという身勝手なモデルですから、今のままだと、計画もなくなっちゃう、市場のメリットも自分の利益だけを考える。株式会社などというのも出てきていますが、株式を沢山持つ事ができるのは企業の中の指導的立場にある人だけです。そうした人達は、いまのうちに、株を買っておく、この株が公開されて社会的資金を動員して経営改善をやるという段階になったら、自分はそこの経営者に収まる。あるいは、株の売買の利得で儲ける。そうしたことが今進行しています。ハンガリーでもそう伝えられています。そいう幹部達は、今、行き先をこういう形で求めようとしているわけです。これは、経営の内部の生産に結びつく改善に幹部の力が注がれるのではなく、「株」という資本主義のあだ花みたいのものに、知恵を働かせようとしているわけです。市場が持っている、お互に競走し、少しでも大衆に売れるものを、従って質のいいものを、コストを安くしてという社会的にプラスの方向ではなくて、土地転がしや、企業の売買といった投機的形の動きが今どんどん広がっています。市場経済の社会的に悪い所が強まって、指令経済の少しは果してきた役割もなくなってしまう。

 A企業経営者の質

 長期的な話としては、企業の経営者の質です。内部の労働者には報いるものを支払っていく。だけど、むちゃな賃上げは許さない。会社のギリギリのところで生産物を社会に提供していく。経営マインドを持った経営者がいないことには、絵に書いた餅に過ぎない。残念ながらソ連にはそうした人達がいません。本当の意味での経営者はいなくて、全て企業幹部の任命は工業省から行なわれてきていた(ノーメンクラツーラというような階層)わけです。それでは、いくらモデルを描いて、法律を作ってやっても、基本的な生産単位としての企業が、望ましい形で発展する見込はないわけです。最近はソ連政府もその方面の努力をしており、もうすぐ、日ソ経済委員会の招待で、40人くらい向うの実務家がやってきて、日本的経営の方式を学ということです。

 B労働組合も本来の労働組合の質が求められている

 他方、企業にある労働組合もそうです。ソ連の労働組合は労働者の安全衛生、福祉、労働時間というものを本気で守る組織にはなっていないということです。炭坑労働者は4交替で、夜勤、深夜勤で働くと、法律では2割、4割の割増し給がつく事になっています。しかし、89年7月10日に始った炭坑ストライキで、「割増し給を払え」という要求項目がありました。驚いて、研究所の労働経済の専門の教授に電話したところ、わかったことは実際に払っていないということです。日本に来るソ連の労働組合の代表は、いかにソ連の労働法規が守られ、設備がちゃんとしているかなどということばっかり言ってきましたが、炭坑ストが明らかにした事は、全然そうではない。ソ連は1年間に7億トンの石炭を産出していますが、炭坑労働者が、年間700人も事故で死んでいます。こんな犠牲の多い石炭産業を抱えているわけです。現場でそういうことがあっても、労働組合はそれを代弁して本当にそれを解決しようとしなかったからです。かえって、抑圧して放り出すということをしてきたからです。経営者が責任感も能力も意欲もない。ただ単にあぐらをかいている。炭坑労働組合の中央本部へも行ってみましたが、組合員は230万人ということです。このうち、直接生産に携わっている組合員は98万人だということです。それ以外の人は管理部門(何々局とか何々部、何研究所とか)の、わけもわからない部署をいっぱい作って、そこに巣くっているわけです。炭坑労働者が要求したのは、「今炭坑は赤字ですが、赤字なのに賃上げを要求してけしからんと社会はゆうが、俺たちはそうは思っていない、炭坑労働者が98万人でやっていけというのならやって行く。130万人は無駄飯食いだ、現場の新しい機械を入れよう、改善しようという時に、次々に管理組織の段階があって、はんこをもらって歩かなければならない。現場の改善はこうした階層がいるためにできない。彼等は仕事をしないだけでなく、現場の改善の妨害をしている。この連中を搾取者と呼ばずになんと呼んだらいいのか。」というのが現場の叫びです。だから、労働者のストライキでは稀に見る130万人の管理部門階層の首切りを要求したのです。

 C指示型計画経済の理念

 この指示型計画経済の理念とする所は、私的企業が利益中心で動いていいんだが、ある範囲、ある枠の中で動いてもらわないと困るということです。その中心は働く勤労者の労働と生活の基本的な面で遅れて行く人がないように、社会保障政策で保証できるようにという、『社会主義』という言葉で、本当に残らなければならないものは、そうした社会政策、社会保障の分野だと思います。

現在の指令型経済ではそうした社会政策等が保証されているわけではありません。一番安いサナトリウムを優先的に使える権利を持っているのは、企業で病気になり怪我をした労働者ではなく、管理部門の幹部達です。供給が少ないからです。現行の社会保障というのは紙に書いた餅なのです。

 

質問 N氏 今後、ソ連に対し日本の果すべき役割と我々勤労者の生活を良くして行くという展望の上で、どういう関わり方をすべきなのでしょうか。

\.ソ連と日本との交流で危惧する事

答  ソ連では、よく「日本経済はどうしてそんなにすばらしいのか、日本経済について講演してくれ」といわれて困ったものです。ソ連社会全体に日本に対する熱い視線があります。ちょっと、恐ろしいのは日本がロシア人にとって天国みたいな国として映っていることです。さらに、恐ろしいのは、原発が危険ではないという話をするときに、日本では大事故が起きていない、あの国民は原発を完全に使いこなしている、だから原発は使いようによってはちゃんといけるんだという話を、当局者は必ずいうということです。

 どうも心配なのは、『日本的経営』なるものが美化されて、それはバン万歳だと思われる事です。では、日本の企業は東南アジアで何をしているのか、選挙のときはどういう絞めつけがあるのか、といったことはソ連には伝わっていません。経団連ベースでソ連から研修者が来るときも、きれいな研修室、マネージメントゲームとかなんとかを見せる。しかし、そんなものはおそらく役に立たないと思います。現場で働いている人達とマネジメントのぎりぎりの接点というものの姿を伝えなければならないと思います。あるいは、環境問題、たとえば『水俣』を知らないのかと聞くと知らないといいます。これは、運動している側にも問題があります。土本典昭さんがイルクーツクあたりへ水俣の映画を持って行って見せたということはありますが。生活と結びついたところで、ぎりぎりのところを伝える努力をそれぞれのレベルでしていかなければならないと思います。

 

・・・講師のプロフィール・・・

 おおつ・さだよし 1938年北海道生まれ。51才。東京外国語大学ロシア語学科卒業、京都大学大学院修了・伊東光晴経済学部教授に師事、英国留学、ソ連留学を経て、現在、龍谷大学教授。著書に『現代ソ連の労働市場』などがある。89年9月までソ連に再留学、帰国後、『エコノミスト』『経済セミナー』などにペレストロイカとソ連の国内情勢に関する論文を精力的に執筆している。