第6回  ちょっといって講座

「 今、地域から生活を問う」

 脇田 憲一 北摂・高槻生活協同組合理事長

1991年12月4日   於:県民会館

  

T.生活者トータルユニオン運動の提唱

 はじめに

 現在私は高槻市という京都と大阪の中間に位置する人口36、7万人の都市に住んでいます。5年前に地域購買生協を創り、北摂・高槻生協の理事長をしています。この5年間で組合員はやっと2,000人です。高槻市のエリアだけで活動しています。それから北摂生活者トータルユニオンという聞き慣れない組織の理事長もしています。私はかって30年ほど労働組合運動にかかわってきました。20、30代は鉄鋼といった企業内での組合活動を、40代は大阪総評の地域オルグということで活動をやってきました。そこで体を壊しましたが、幸いにして元気になり、地域で療養方々パート労働相談を始めました。 そこで、女性の消費者運動、老人の地域福祉の活動、障害者の自立の為の活動等の交わりができました。そこから新しい地域に密着した生協運動、ただ物の売り買いというのではなく、地域の生活者運動を総合していく運動にしていけたらということで始めたわけです。

1.生活者トータルユニオン運動とは

 生活者トータルユニオンではパート労働相談で様々な駆け込みが入ってきました。そのアフター・ケア、つまり解雇問題であれば事業主と交渉しなければならないし、労災職業病の問題であれば監督署と交渉しなければならない、また事業主とも交渉して労働者の保護をしなければならないということで、個人加盟のパートの人が気軽に入れる、いわゆる地域合同労組(パートユニオン、地域ユニオン)を作ったわけです。

 従来、未組織・パート労働者の世話は地区労などが担ってきたわけですが、総評が解体し、連合に再編される中で地域の労働組合組織がこうした部分の面倒を見れないという状況が出てきたわけです。労働組合の中の活動家や地域の障害者運動や福祉の運動に従事している、あるいは環境問題に取り組んでいる活動家が、力を合わせて助けを求めている人たちにボランティアで手を差し伸べる支援組織を作ろうと始めました。

 従来のように労働組合を基盤(労働組合の持っている物質的な力、人的な要素あるいは経済的財政的な要素)にして、そこから地域に出ていくというのではなく、地域で労働組合で活動している人達も、地域で活動している人達も一緒になって地域の助け合い組織を作る。その中に個人加盟のできる地域を単位とした合同労組を包み込んでそれを支えていくことをやっています。

 私は30年ほど労働組合をやり、その間、選挙とかにも関わりましたが、労働組合は日本の社会の中で労働者・勤労市民の気持ちの中になぜ定着してこなかったのか、日本の革新と言われる人達は、なぜ世の中を変え、次の時代につながるような新しい道をつくり得なかったのかという反省の中で、21世紀につながる新しい運動をという思いで始めたわけです。

2.生活者トータルユニオン運動の理念

 @企業、資本に管理された「労働と生活」を見直す

 働き方、暮し方を振り返って見たときに、納得のいく労働になっているのか。生活の中身を取ってみても、物質的には豊かになったが、豊かさの中身が人間として納得できるのかを考えてみたときに、あまりにも自分の主体がいかにあやふやなものであるかに気が付くわけです。労働の中でのいろんな不平不満は自分が納得できないからです。企業の論理・合理化、効率性、競争という中に知らず知らずの間に巻き込まれて行って、それに追い立てられることに終始している。やっと手にしたマイホームにしても二重三重のローンの塊にがんじがらめになっています。気が付いてみると我々は消費する1つのマシーンでしかない。資本がどんどん作り出すものを消費する道具でしかないと。それが子供の教育に反映されたり、様々な世代の断絶になったりしている。そういった我々の働き方・暮し方を見直そうではないか、どうしたらそれを変えることができるかということです。

 A賃労働と非賃労働の対等の価値を認める

 私たちの労働を大きく分けると、狭い意味での労働=賃金労働(稼ぐための労働、我々はいつのまにかそれを労働の全てだ意味なり価値があるんだと思うようになってしまった)と非賃金労働に分けられます。非賃金労働=賃金に置き換えられない労働、子供の育児とか様々の家事労働、年寄りの世話というのも労働です、これは働いたからといって賃金を貰えるわけではないが、これも必要な労働です。ところがそれが価値として認められていない、働いて賃金を得るための労働と比較して、そうした労働は付随した、上と下との関係として捉えられている。

 そうではない。賃労働は様々な賃金に置き換えられない労働によってなりたっている。賃金に置き換えられない労働はまた賃労働によって支えられている。家の中での働き手が賃金を稼ぐ、そのことによって賃金に置き換えられない労働も支えられている。それは主とか従とかではなく、対等の関係にあるわけです。そこには男と女の関係、子供とか年寄りとかの関係、権利の問題も対等な権利として考えて行かなければならない。

 B自立・協同・自治の地域社会をつくる

 まず1人1人が自立し、自立した個人が力を合わせて行く、そして自分達の責任において治めて行くという自治の精神です。これが民主主義の規範ではないかと思います。こういう社会を作って行くことが本当の人間の幸せになるし、人間以外の動物に対する関係、自然に対する関係にもつながって行くのではないか。資本や企業に振り回される生き方・暮し方ではなくて、生活者の視点からどういう働き方・暮し方が望ましいかを見て行かなければならない。しかし、それを現実に実践するのはなかなか難しい。様々な習慣あるいは現実的な資本の論理が働いているからです。それと闘って行くのが我々の運動ではないかと思います。

U.多用な協同組合運動の展開

1.パイの分け前を追う運動パターンを変える

 ご紹介します運動は、一つ一つが事業に係わっています。自分達が作り出す事業と、そして働き方・暮し方を変えて行く運動とをセットにしていくというのが特徴です。なぜこのことが大事なのかというと、物事を実践するには経験主義的にやって行くだけでは進みません。そこにはやはり理論が必要です。やっていることがいろんな人々、いろんな地域に普遍化出来ることです。

 政治の面では自民党を中心とする保守政治、企業における事業展開に於いては経営者が支配の力を持っています。それに対して文句をつける。いろんな要求を出してその実現を迫って行く、というのが今までの私たちの運動の基本的なパターンでした。

 そのパターンを延長して行くとどういうことになるかというと、ものを要求して取るわけですから相手があります。よしんば私たちの団結の力に折れて、いくぶん我々の要求を認めるにしても、そこでは物質的なものが必要になってきます。企業で言えば賃金要求、時間短縮の要求があったとすれば、企業は儲けなければいけないので、その要求を満たしてなお且つ事業が成り立たなければならない。そうすると要求する側も事業が縮小して倒産しては困る。ますます発展させていかねばならない。パイを大きくしていくことによって分け前も大きくしていくことができるという考え方になってきます。

 私たちはいままでそういう論理でやってきました。要求することは我々の権利だから相手がどうあろうと言うことは言いますが、現実は相手に出す力がなければ取ることもできない。その論理の中に私たちは知らず知らずのうちに巻き込まれてきた。パイを大きくする、経済を大きくすることが我々の豊かさにつながるという幻想を持ってきた。

 ところが何時しかそれがおかしいということになってきている。それは公害の問題やなぜ電力が必要なのかという問題、パイを大きくして行けばどんどん電力が必要だという論理になる。ものをどんどん消費していく、たとえば紙の消費はものすごいわけですが、そのパルプはどこからくるかというと、熱帯雨林をどんどん伐採しているからです。パイを大きくして行くということは、どこからか資源を持ってこなければならない。一方でどんどん資源が破壊され、生活している人達はそのことによって段々段々疲弊していく。

 北と南の問題、先進国と発展途上国の問題経済格差の問題、富と貧困の問題です。だから豊かさの陰には必ず貧困がある。そのことに気が付かず、大きくなることはいいことだというのはおかしい。私どもが展開して行く事業、運動がそれを否定していかなければならない。そのような事業、運動の展開は可能なのかが問われるわけです。そこで、ささやかな実践ですから、これが将来どのような展開になっていくのか未知数ですが、取り組みをしている。そのことに真実性というものがあるとするならば、21世紀に向けてそういう運動の展開と言うものが社会の主流になっていかなければならない。企業とか資本の論理に対抗する新しい論理がそこから生まれてこなければいけない。そうでないことには新しい本当に私たちが納得できる社会と言うのは生まれてこない。

2.日本の生協の今後

 現在日本生協連に加盟する組合の組合員数は1400万人。労働組合に組織されている組合員は1200万人ですから組織労働者の数を生協の組合員がここ2、3年の間に追い越したのです。これはここ14、5年の活動に於いて飛躍的な伸びを示したわけです。しかし、売上高は1兆3000億円、まだダイエー1社に及ばないわけです。全消費者の購買高のわずか1.2%でしかありません。

 労働組合が戦後永々として築いてきた組織はここ十数年間性著の伸びと反対に沈滞しているわけで、組織労働者の比率は25%を割っているわけです。一方に於いて、生協の組合員の大多数は主婦です。生活の場に於いて新しい消費者運動として、暮しのところで主婦を組織したわけです。

 しかしながら、私は長年労働組合運動をやってきて、ここ数年生協に係わるなか、労働組合が戦後辿ってきた1つの流れから生協の流れを見た場合、10年から15年遅れて生協もまた労働組合が辿った道を同じように辿るだろうと思うわけです。こういう見方は今生協をやっておられる方にはほとんどいないと思います。日本の高度成長からは1テンポ遅れてはいますが、1970年代半ばから80年代の十数年間が生協の成長期ではなかったか、それは流通業界の中で生協を1つの業態として考えた場合、主流は無店舗で主婦を5人とか10人とかの班組織にしてそこで共同購入するという方式です。そしてその成長期はすでに過ぎている。厚生省なり自民党の方針では、1県1生協、統合再編を行政指導で行おうと、モウレツに水面下では生協の合併が進行しています。目指すものは当然にして生協の巨大化、企業化です。競争相手は流通資本のビックといわれるスーパーとの競争です。流通業界の中の新しい競争に生協も組み込まれて行って、業態としての生協が生き残るために再編統合を促進せざるを得ない状況にある。

 始めは5人、10人の共同購入から出発した生協が、段々店舗展開ということになってきて、特にK生協のように組合員数100万人を突破した生協もあります。この成長もここ12年の間で、その前は45、6万人の生協だったわけです。今H県に於いてはDスーパーをはじめ大手スーパーが進出できない。K生協が抑えているからです。H県に於いてはCO−OPはスーパーの代名詞なわけです。実をいうとDスーパーはK生協のノウハウをスーパー展開に生かしてきたわけです。今Dスーパーは再びK生協に挑戦しようとH県周辺に集中投資を行っています。

 世界の生協の流れはイギリス、カナダ、スウェーデン、ノルウェーなどでは、資本と対抗して巨大化をして全て失敗をしています。イギリスの生協をはじめヨーロッパの生協は今バタバタと倒産しています。私の予測では日本の生協も必ずそうなると思います。巨大資本との競争に於いて、生協はいくら合理化をしても対抗できない。なぜなら、生協法の制約、員外利用の制限(組合員以外には物を売ってはいけないことになっています)等、様々な手かせ足かせがあるわけです。そうした状態で資本と競争して勝てるはずがない。資本力ももちろんそうです。一般の銀行も担保があれば生協に融資しますが、基本は組合員の出資です。ですから、資金力、ノウハウにしてもK生協などの例外はありますが対抗できない。生協の衰退、倒産がここ数年から十年の間にはどんどん出てくるだろうと思うわけです。

 @北摂・高槻生協(地域購買生協)

 私どもが生協を始めるとき、こうしたことを大体予測していました。どういう生協を作ることが、私たちの働き方暮し方を変えて行くか、そして、農業と自然との関係に於いて私たちの食生活がどういうものでなければいけないのかということを追求して行くことが本来の生活者運動ではないのかということを基本に於いて出発しました。

 幸い高槻の場合、農業地域がかなり残っていて、軟弱野菜をほとんど地元で調達することができるわけです。そこで、地元の農業を掘り起こして行くことと、農業生産者が作り出す野菜、農産物を地元で消費して行く。地場産直といっているわけですが、これを基本にしようとしたわけです。

 買う部分だけをどんどん膨らましていくと、それに見合った仕入れの仕方をしなければならない。組織が大きくなればなるほど、大量生産、大量流通というところを相手にしなければならない。日本の農業はいろんな問題がありますが、玉葱はどこそこというような産地主義です。そこで大量に作って都市の市場へ大量に輸送してとうい形態です。地域で取れた野菜を地域で消費して行くという、流通システムが地域、地域でできて、野市にしてもそういうシステムに見合った市の形態になっていた。ところが、企業主義を取って行きますと間尺に合わないということで、大量生産、大量消費の中心になっていくということで、地域の小さな市が潰れて行く。

 消費する部分だけ膨らましていくと、それに見合った流通が必要になってくる。生産、流通という部分は期存の部分に依存しなければならない。自分の所で取れた物をその日のうちに消費者が消費できるというシステムを崩して行かなければならない。私のところの生協では巨大化生協の後追いであり、しかも出来るはずもないことです。

 私どもが考えたのは、まず地元の農家の組織化ですが、幸い色々な手づるがありましたので、辛抱して家庭菜園の枠を少し拡大してもらい、それを生協に出荷してもらうことから始めました。それが、段々拡大し、生産に見合う形で生協の組織も拡大してきました。 現在軟弱野菜は全量地元から、しかも有機・無農薬の野菜を提供しています。農家が自分の処で食べるものはそんなに農薬を掛けないで作っていますから、それを少し増やしてというやり方です。現在高槻で100軒くらいの農家に生協に入って頂いて、生協の生産者部会という形で組織化し、そこで作付計画・出荷計画を作っています。

A農業生産者組合(生産者協同組合)

 5地区から出荷してもらっています。各地区から世話人が2人づつ出てもらって、作付計画・出荷計画を決めてもらう。生協の場合は注文で、注文した物を仕入れることになり、在庫0です。ところが、どうしても自然相手ですから、そのバランスはなかなか取れません。端境期もあり、工場生産のようにはいきません。

 クッションとして店舗展開を考えました。現在、5店舗あります。これを生協の直営店とすると員外利用の問題がありますので、協力店方式で別会社組織にしています。これも資金の問題等なかなか大変でした。生協の共同購入高は月商2500万円ほどですが、5店舗の売上は3000万円を超えています。店舗の方が配達が入りませんから生協のシステムよりも伸びが急速でした。店舗の目玉は地場野菜です。新鮮さです。しかも有機・無農薬ということが消費者に歓迎されたわけです。その店舗が地域のセンターになり、運動を重ねて行く拠点になっています。

 農家ではこれまで、リスクの大きい軟弱野菜などは止めて花に切り替えたりしていたわけですが、作った物が全量責任を持って買い取るんだということになれば、安心して作れますから、生産意欲を刺激し、生協に参加してくる生産者がだんだん増えてきます。

 いつまでも生協の部会ということではなく、作る者と消費する者との関係は対等でなければいけない(生産者の自立)ということで生産者組合ができました。

 田圃は現在3割減反ですから、田圃がどんどん空いてきています。生協がそれを借り受けて、生協の組合員、職員及び周辺の人に呼びかけて、稲作、キャベツ、じゃがいもを作っています。労働は全部ボランティアで、足代と昼飯だけを生協が補償しています。これを、土日にかけてやります。指導は生産者の人が沢山いますし、農機具も生産者から借り受けています。田圃は現在3反完全有機無農薬米を作っています。初回は大失敗をしましたが、今年は豊作でした。田植、草取り、稲刈りも全て人力です。それを動員を掛けてやる。実際に消費者も農業とはどういうものかを体験しようとやってくる。時間短縮で余暇が増えていますので、労働者が出向いて行って、減反の田圃を耕す、山の仕事をするということがでてきていいんではないかと思います。

B高槻福祉生協準備会(食事サービス事業)

 高槻市のある生協にM会という生協組合員の高齢者の方の食事サービス、家事サービスのボランティアグループが出来ました。それを生協として展開していたわけです。その活動の中で一番大きな壁にぶち当たったのは、食事の世話です。買物、調理、食事の世話ということでものすごい時間が必要になってくる。そこで、やはり給食部門を生協の中で作りたいということを問題提起しました。ところが、福祉の部門はなかなか事業として成り立ちません。したがって、生協が購買部門で生み出す収益の中からボランティア活動を通じてその範囲の中で出来る福祉活動については認めるけれども、生協として採算に合わない福祉事業部門を作ってやるということについては、全体の合意が必要である。生協の組合員は老人だけではない。一部のために事業部門を作って赤字を全体でカバーしていくことについて、はたして全体の合意が得られるのかという議論となり、時期早章という結論になったそうです。

 それを何とか地域で出来ないかとM会の彼女達は考えていたそうです。そして、半年くらいかけて研究会をやりました。大阪府下の生協は沢山あり、府連レベルの役員会では色々話合いをしていいますが、地域では激烈な組合員の争奪戦を演じています。したがって、地域での生協間の共同というのは現実的に不可能です。ところが、地域福祉ということで考えてみると、これから高齢化社会になっていくので、市民レベルでの助け合いシステムを今のうちに作っておかないと、自分達が高齢になったときに困るということで、高槻市福祉生協準備会ができました。いつまでも準備会のままですが、府県レベルでは事業の見通しが建たないと認めてくれないからです

 どういうふうにすれば事業の見通しが建つかというと、株式会社安全給食センターということで、出資金700万円の会社を設立しました。そして、国民金融公庫から600万円借入れしました。目標として、1日200食、これを採算ラインとしました。しかし、当初は全く0からの出発で得意先も何もありませんでした。国金がこんなものは事業として成り立つはずがないということでなかなか金を貸してくれなかったほどです。潰れた街角のスーパー跡を利用し、本格的な厨房設備をいれ、敷金200万円、家賃15万円で15坪を借り受けで出発しました。主婦の手作り弁当という名前で、材料は生協の無添加の自然食弁当ということで売りだしました。全く冒険でしたが、1年で事業として成り立つラインに到達しました。

 どういうふうにして200食を確保したかというと、市役所とか、学校、NTTの職域にチラシを持って行って、いろんなコネ、労働組合の協力も得ながら、最初はサービスで食べてもらうなどして始めたわけです。現在職場に入ってきている弁当屋は大量生産で300円とわけで、530円というと高い。価格では絶対に対抗できないので、趣旨を訴えたわけです。昼食の弁当で一定の基盤を作ることを方針としてうちだしたわけです。それで、基盤を作り、生協の店舗でも弁当を売るという形でとしました。

 独居老人等への食事サービスは要望のある人に福祉生協の会員として、会費1000円で登録してもらい、緊急必要な人からサービスを出発しました。非常に消極的な対応でしたが、こうした部分では採算が成り立たなかったからです。病院の健康を守る会、老人会などとも交流するなかで、福祉生協の会員を作って行きました。初年度は福祉弁当を15食から20食、2年度は50食を目標に昼食及び夕食を作っています。これが一つのモデルになると、この単位のものをよそに作って行けばよいわけです。配達する区域はそんなに遠くまではできない。昼という一定の時間制約があるからです。

 C異業種商工協同組合(北大阪商工協同組合)

 これは生協に納入する様々な地域の業者の協同組合で、豆腐屋とか、パン屋、うどん屋などの協同組合です。金の借入れ、税金、社会保険などの問題を組織として取り扱って行こうとしています。そこでは障害者の雇用の問題、健常者と障害者が対等の関係で働いて行くということを事業の中で取り入れて行く。そこで、私達の事業では、自閉症の人達や、在日朝鮮・韓国人の人達も混然として働いています。

 いまなかなか人手不足で、配達という仕事は朝から晩までで、人が集まりません。運動の中で、ボランティアを雇用事業団としてかかえ、リサイクルできるゴミの分別、生ゴミを団地の周辺でコンポストで有機肥料にしていく、その有機肥料を生産者組合、生協の協同農園に還元して行く。これを賃金を出してやっていたのでは成り立ちませんから、土日に労力提供してもらう。大都市ではこうしたことは無理ですが、農業地域に接近している都市、地方都市では可能だと思います。

 

質問

A男   生協は宅配ということですが、福井はほとんどが共稼ぎばかりで共同購入方式が成り立ちにくいわけです。それからボランティアに参加するのは女性ばかりなのか。

脇田   私どもが生協を作った時は既に生協が成熟期で、班組織を単位にした共同購入方式をやっていたのでは成り立たないということで、生協を利用したいのだが共働きで昼間いない家庭を対象に、個別配送、夜間配送で出発しました。そんな生協が成り立つはずがないと笑われたものです。共同購入ということで、そこへ商品を卸すから集金の手間、仕訳全てを組合員がやるから成り立つのですから。そこで、どうしても、配達するものの低賃金長時間労働の犠牲の上にですから、なかなか、従業員が定着しませんでした。それが、段々工数毎の密度を増やし、容器の工夫をし昼の配達でも夜まで持つ保冷剤などを入れ、なんとか採算が取れるようになりました。

  ボランティアに参加するのは男性もいます。農作業には郷愁がある、しんどい目をしても後のすがすがしさが違う。退屈で暇を持て余している人も多いわけです。趣味と言っても毎日それに打ち込めるものもないわけですから。

B子   非常にすばらしい運動を女性が中心になってやっていると感心します。

脇田   現在参加しているのはほとんど女性です。給食センターも専業主婦の人達が中心ですが、よく1年間でそこまでやれたと感心するほどです。ノウハウは私たちがこれまで培ってきた人的関係や経験などですが、そうした、経験なり知恵なりを地域で集積していこう、それをさらに新しいノウハウに積み上げて行くということが大事だと思います。その基礎的エネルギーはまさに女性です。男は定年になっていかに自分が役に立たないかとしみじみ感じているわけです。そうなったとき、女性の知恵、経験がますます生きてくるわけで、定年後は男女の地位が全く逆転してくるわけです。その役立たない男を再生する、経済的にゆとりのある人はボランティアでもいいし、給料の欲しい人は有償でも働けるという組織が地域で沢山出来るということは今後の高齢化社会を考える上で有意義だと思います。お年寄りでも運転もできるし自転車にも乗れるわけですから。そこで、いろんな人との関係が生まれるというのが老後の豊かさではないかと思います。

C男   くらしの助け合い組織はどうなったのでしょうか

脇田   生協枠の中での活動はなくなってしまいました。福祉生協に移行したといっていいでしょう。

 

資料(高槻福祉生活協同組合準備会 総会資料より)

 

・・・・講師のプロフィール・・・・

 わきた・けんいち

 大阪府高槻市に在住し、北摂地域で地区労運動から生活者トータルユニオンまで幅広く活動。現在、北摂・高槻生活協同組合理事長、北摂生活者トータルユニオン理事長および活タ全給食センター代表。論文に「ユニオンは『宗教』を超えられるか」(現代の理論)等がある。