年金改革への提言

高山憲之 一橋大学教授

 

シンポジュウム 年金制度はどうあるべきか

   高山憲之 一橋大学教授

   中村秀一 厚生省年金課長

   川村仁弘 自治省公務員課長(前共済課長)

   佐藤晴男 自治労中央本部書記長

1993年4月21日 於:旭川市民文化会館

(自治労年金集会記念講演・シンポジュウムより)

 

 

年金改革への提言

高山憲之 一橋大学教授

T.はじめに

 予想以上のスピードで日本の人口構造は高齢化しつつあり、高齢者がこんなに増えていくときに年金制度はもつのかという疑問、不安というものが日本全体を覆っているという感がありますが、そういった不安をどうやって取り除いていくのか、若い人達の不信をどうやったら払拭できるのか考えないといけない時期に今あります。

 年金制度は来年度が財政再計算の年であり、再計算に合わせて給付とか様々なものを見直す事が従来の慣行になっています。今年の秋には年金審議会等の答申が出て、来年の春の国会には改正法案が提出される段取りになると予想されます。

 高齢化が進むにしたがって、負担が増えてくる。その負担をいったい誰がいつどうやって引き受けていくかに関して、残念ながら確たるルールがありません。そのルールを定める事が出来るか如何か、つまり、支給開始年齢とか、給付水準とか、誰がいつどうやって負担していくかということについてルールを定めることが出来れば、現在あるような年金に対する不安というものは解消されるし、若い人の年金に対する不信も少なくしていくことが出来るのではないか。

 同時に年金制度は社会経済の産物で、社会経済が変化すればそれに合わせて変えていかなければならない。最近、介護に対する不安、出生率の予想外の低下という問題が起こっていますが、そうしたことと年金とは無関係かということです。もし関係があるなら年金サイドから何か出来ないかということです。

 

U.65才問題

(2―1)結論――65才問題を財源対策の切り札にすることはできない

 65才問題はもう何回も政府から提案されています。昭和55年(1980年)改正の時に厚生省案として示されました。前回のときにもやはり支給開始年齢を引き上げたいということで議論があり閣議決定までなされた経緯があります。共済組合の場合、現在支給開始年齢は59才ですが、1995年から60才となります。これをさらに65才まで上げるということで、平成元年(1989年)に閣議決定までされているわけです。共済年金についても厚生年金と同様の趣旨の改正をするということです。

 従来の65才問題の取り組みというのは、将来の財政対策の切り札として提案されました。平成元年の段階では、将来の財政不安をなくすため、支給水準を下げるとか、保険料を一気に上げるとかの選択肢もあるが、いずれも問題が大きすぎる。したがって、支給開始年齢を引き上げるということであったわけです。次回改正ではこの65才問題になんらかの形で決着をつけるということです。

 結論を先にいえば、65才への引き上げを財政対策の切り札にするということは出来ないだろうということです。それは可能でもないし適切でもない。しかし、このような考えは、従来の年金の専門家の間では小数派に属しています。年金の専門家の多数派は65才への支給開始年齢の引き上げはやむを得なくて、財政対策の切り札として期待せざるを得ないというのが、共通の理解です。

(2―2)米独の経験

@各国とも年金支給開始年齢を引き上げ

 なぜ、65才引き上げができないかですが、人口構造が高齢化しているというのは日本だけの問題ではありません。欧米をはじめとして、スピードには差はありますが、軒並高齢化問題には頭を痛め、その解決策をめぐり苦しみました。その苦しみの貴重な経験が既に我々の前にはあります。

 支給開始年齢の調整をした国は幾つかあります。アメリカでは1983年、レーガン政権下で65才から21世紀には67才に引き上げることとしました。ドイツでは、ベルリンの壁の崩壊した日に議会で改正法案を可決しました。支給開始年齢は従来、失業者と女子については60才、男子加入者については63才だったわけですが、将来的には65才へ統一すると決めています。昨年の12月にイタリアでも年金改革を断行しました。過去20年来改革が失敗してきたわけですが、ついに断行したわけで、支給開始年齢を男子については60才を65才に、女子については55才を60才に引き上げることとし、調整期間は非常に短く2002年までにすることになります。いずれにしても、支給開始年齢の引き上げを決めています。

A支給開始年齢を引き上げても繰り上げ支給で退職年齢は変らない

 では、「各国とも支給開始年齢を引き上げた」と額面通り受け取ってよいかということです。それでは実際に、みんなが65才から67才まで働き続ける体制を作ったかというと、そうではないようです。米国では年金支給開始年齢は65才ですが、62才から「繰り上げ年金」を受給できる制度が残されています。現在、62才から「繰り上げ年金」を受給すると年金額は20%減額され、それは一生続きます。将来67才に受給開始年齢を引き上げた時には、この減額を30%にすることになっています。現在は、男子の場合、およそ半数が62才で隠退し年金を受給しています。女性の場合は2/3から3/4が62才で年金受給者になっています。支給開始年齢を上げた時に、みんなが65才から67才まで働くようになるかというと、労働経済の専門家がいろんなかたちで分析しましたが、そういうふうにはならない。支給開始年齢を上げても、退職年齢はほとんど変らない。変っても2〜3月なのです。62才から年金をもらう人々にとっては、従来は2割の減額で済んだわけですが、3割減額になるなるわけです。大多数の62才から年金をもらう人々にとっては、「10%程度年金額が少なくなる」ということです。支給開始年齢の引き上げといっているのは、「実質上、給付水準を切り下げたのと同じではないか」ということになります。

 ドイツも同じことをやっており、従来は繰り上げ支給という制度はなかったわけですが、今回の年金改正で62才からの繰り上げ支給を認めることになりました。繰り上げ支給はどうなるかというと、減額率は10.8%です。旧西ドイツは最も早期退職が進んでいる国です。ブルーカラーは50代の中ごろに、障害年金の受給者になるか、失業者になるかという人が圧倒的に多いわけです。障害年金の認定は非常に甘いわけです。日本は精神に於ける異常を厳格にチェックしてはじめて障害年金を受給できるわけですが、西ヨーロッパの各国は非常に寛大な扱いです。50代半ばに失業者になった人達は職場に復帰する可能性はほとんどありません。失業給付の受給期間はドイツの場合は2年ほどですが、その後はミーンズテスト付きですが、失業扶助をもらい、そして年金に繋げるということをしています。また、ホワイトカラーなど、恵まれた立場にある人は、企業年金を貰っており、退職促進的機能を持っており、こうした職域年金を貰って退職するというのは世界一般的な傾向です。だから、ドイツでは支給開始年齢を上げても、現在の62才という退職年齢が変る余地はほとんどないわけです。ただ、年金受給者の貰う年金額が少し少なくなるだけなのです。

 イタリアはセニョールティーペンションといって、35年間保険料を納めた実績のある人は、年金を減額なしで支給するという制度があります。高卒ならば50才代の全般で適用されてしまいます。従来はセニョーリティーペンションを貰って再就職する人々がいました。今度はセニョーリティーペンションを貰う場合には退職を条件とするというところまでは決めたようです。しかし、これを廃止することはないようです。

(2―3)早期退職傾向は強まる

  1. 個々人のレベルでは早期退職が進む

 各国とも支給開始年齢の法定年齢は上げたわけですが、これは退職年齢ではないということです。では法定年齢は何かというと、標準年金を計算する際の計算基準年齢にすぎないわけです。法定年齢は60才の国もあり、65才の国もありますが、退職年齢は61〜62才で、法定年齢によって大きく違うわけではないわけです。

 世界ではむしろ退職の時期が早まっています。【図の1】は労働力率を調べたものですが、軒並低下しています。特にイタリア、オランダ、フランスなどという国は60代前半層で働いている人が4割を切っています。日本も他の国と較べれば高いものの、趨勢的には下がっています。【図の2】は総務庁の調査で、サラリーマンをやっている人の割合ですが、後の世代ほどやる人の割合は多くなってきているのも拘らず、60代の前半層はやはり傾向として下がっています。日本でも早期退職が進んでいます。 【図3】は平成2年に老齢厚生年金の受給を始めた人達の年齢分布をとったものです。62.1才が平均として出ています。ではみんな62才で年金支給開始になったのかというと、そうではなく、60才で63%の人が貰い始め。65才でも21%の人が貰うわけです。平均値は実体値を知る意味では殆ど意味がないわけです。

 【図の4】ですが、サラリーマンをかつてやっていたか、現在やっている人のうち男子で60〜64才の人を選んだものです。昭和61年の国民生活基礎調査の個表データーを借りて作成したものです。現在共済年金あるいは厚生年金に加入している、あるいは共済年金・厚生年金から年金を受給しているという人の就業状況と年金受給状況を表にしたものですが、64%がサラリーマン現役を続けています。14%が自営業で、完全退職しても年金を貰っていないというのが21.5%です。年金受給額が120万円から179万円のところでは、完全退職者は53.2%です。月額で10万円を超せば完全退職者が半数を超えているということです。サラリーマンの現役として残るのは3割弱になってしまうわけです。

 これを、1才刻みでどうなっているかを調べたのが【図の5】です。86年の共済関係者の年金支給年齢は58才でした。59才の段階では77%の人は現役として残っていました。60才ではそれが53%に落ち、61才では45%まで落込んでしまいます。アンケート調査をすると、「年をとっても元気なうちは働きたい」と答える人が圧倒的に多いわけです。「日本人は他の国の人達と違って働くことが好きなんだ」といわれます。しかし、この質問は意味が無いと思います。若いひとに向かって「あなた月給いくら欲しいですか」「休日は何日欲しいですか」と質問するようなものです。質問を変えて「あなたは年金なしで65才まで働きますか」と聞いて欲しいものです。「年金なしでも頑張るか」ということです。しかし、こうした項目のアンケートは1回もないようです。おそらく、「年金なしでも働く」という人はいるでしょうが、かなり少なくなると思います。圧倒的な多数は「年を取ったら年金は貰いたい。年金を貰いながら、自分の過去の経験やキャリアを活かせる職場が合ったらそこで働きたい」というのが本音ではないか。

A高齢者は皆本当に65才まで働きたいと思っているのか

 65才問題を仕切るために、65才まで働きたいとみんなが言っている。また、マクロの経済的要請から、日本では急激に高齢化が進み、労働力が不足するようになる。それを外国人労働に期待するのではなく、まず、高齢者に働いてもらおうではないかという意見が政府の関係者の間には多いわけです。しかし、期待された高齢者は本当に働くつもりがあるのかということです。

 どうも日本もアンケート調査とは裏腹に、結果として早期退職が進んでいます。雇い主からの事情として、早期退職を進める理由は、民間企業の場合、競争に勝ち抜くため技術革新を担う人を高齢者に期待することは出来ないので、若い人を雇うというのが通常です。もう一つは組織の新陳代謝の問題です。特にホワイトカラーの場合、年を取った人が居座るというのは澱んでします。ある程度年を取ったら後進に道を譲って退くということをしていかないと、組織が活性化して行かない。特に日本の場合には民間大企業や公務員の場合年功序列の賃金体系がセットされています。年寄りに辞めでもらえば若い人を2人雇えるという賃金管理をどうするかという問題です。高齢者はある年齢で肩叩きをせざるを得ないという経営の論理があります。個人はいろいろ立場が違います。

B休息する権利

 ヨーロッパとかアメリカを見ていると、よくハッピイリタイアメントという言葉があります。退職おめでとう、サラリーを稼ぐという苦痛から解放されて、自分の新しい人生が始まるという意味です。経済的に成功した人は40代でもリタイアする人もいます。労働自体が苦痛だという社会ではそういうことになってしまいます。また、豊かな社会を実現した社会では休息する権利ということがいわれています。貧しい社会では問答無用で自分の食いぶちを稼ぐために死ぬまで働き続けなければなりません。ところが、豊かな社会になれば、ある程度年を取ったところで一息吐かしてもらえる。ヨーロッパでは60代あるいは50代後半から休息する権利が与えられ、確実にそれが享受される時代がここ20年ばかりはあったということです。これは一旦手にした権利ですから、譲ることはできないということです。

C豊かな社会への過渡期にある日本

 日本も過渡期にある時代ではないかと思います。いままではどちらかというと貧しい社会であるということを前提に動いてきました。ところが何時の間にか、豊かな社会になってしまった。日本人は生活実感としては豊かさを実感していないようですが、世界の人達から見れば、日本人が豊かでないとしたならばどこに豊かな人がいるかということです。住宅の費用が高いもので、実感がないのも当たり前となっていますが、全体としては豊かな社会となったわけです。そうした中で、年を取ってもづっと働き続けるということが、サラリーマンの倫理として生き残るかです。

 戦後生まれの団塊の世代を始めとしてすこしづつ考えが変ってきているのではないかということです。特にバブル経済が弾けて以降、中高年齢層に対し冷たい仕打をしている企業が沢山あります。企業、自分の勤め先との距離の取りかたを考えるだけの余裕が今出てきたといえます。今の50才代後半の人達はとにかく遮二無二働くしかなかったわけです。戦後生まれの人達は企業にあくまでもしがみついて、しゃかりきに働きたいと思っていないのではないか。そういう人達を念頭において老齢年金の支給開始年齢を上げようとしているわけです。

(2―3)選択と安心

@65才への引き上げで、60才からの繰り上げ減額年金は従来の42%では納得しない

 【表の1】にもあるように、昭和21年生まれの人達から65才にしたいと思っているわけです。企業側は納得するか、個人は納得するかです。「企業は支給開始年齢の引き上げはやむを得ない、しかし、定年延長は反対だ」といっています。連合は「支給開始年齢の引き上げには絶対反対で、60才支給の堅持」という方針を今も変えていない。

 支給開始年齢の引き上げを財政対策の切り札とするというのが、前回改正の考え方でした。厚生年金の場合、65才への引き上げで、将来の支出総額をどれくらい節約できるかというと、約10%強です。今回の【暫定的試算】ですが、将来の支出の節約はやはり10%強です。切り札というのですが、その裏には別の前提が隠されており、60才支給を65才にした場合でも組合員数は変らないという非常に粗っぽい前提です。2020年で受給者が200万人減るということです。この人達にどういうことを仮定しているのかは良く分りませんが、おそらく、繰り上げ減額年金を別途受給していると推計しているのかも知れません。繰り上げ減額については、前回の改正では国民年金並みということでしたから、42%減額という従来の6割り方にしてしまうということを前提にしています。200万人規模の人達が自分の予定とは異なった減った年金で我慢せざるを得ない。しかし、それで治まるかです。現在は月20万円あるいはそれ以上という人が過半数を占めています。その6割、平均で月12万円ですが、たぶん治まりがつかないということで連合を中心として反対しているのではないかということです。

 ドイツの場合のように、減額に政治的な加算をつけるかとすれば、42%の減額という大きなものではなく、もっと幅の狭いものにせざるを得ない。私は著書の「年金改革の構想」の中で、現在、共済会がやっている経過的措置が1年で4%だから、5才だと20%ぐらいの減額で対応できないかと提案しているわけですが、繰り上げ減額年金ということで、65才問題を突破できるかを別途検討しなければなりません。

A厚生省は今回の改正では基礎年金をいじるつもりはない

 現在の、非サラリーマンが受けている国民年金ですが、従来から42%の繰り上げ減額支給制度があり、減額年金で支給を受け始めている人達がかなり多いわけです。小遣いという意識が強い人が多いので、どうせ小遣いなら60才から早くもらおうということです。だから、サラリーマンだけ減額率を低くし、サラリーマン以外の人達の減額率を変えないで置くことが出来るかです。サラリーマンの減額率に政治的加算を付ければ、非サラリーマン層の国民年金の減額率を変えなければならなくなる。そうすると、ものすごい財政負担が新たに増えることになります。これを誰がどうやって負担するかを同時に議論しなければなりません。

 基本的は同時にやったらどうかと思いますが、今年3月に実施された年金に関する有識者調査を読む限り、厚生省は基礎年金はあまりいじくりたくないということではないかと思います。基礎年金について大幅な問題点を提起しているという雰囲気はゼロです。年金改正はその時々で一挙に解決するということは不可能です。少なくとも、改正の時点で今回やることとやらないことを取捨選択せざるを得ません。持っているエネルギーとか力量とか関係者に対する理解と納得とかを考えて判断があったとは思います。とすると、繰り上げ減額率のような大改正は次回はしないと暗黙のうちにいっているのではないか。したがって、サラリーマンの方を繰り上げ減額率で解決しようとは予定していないのではないか。連合や組合側との接点を探るには別な仕掛けが必要となっているのではないかと思います。

 現在やっているような、60才から65才までの特別支給をしている年金について、共済年金とか厚生年金の本体から切り離して、特別な制度とする、これの水準をどうするか。65才以上はそれを跳ね返さないような制度とするといった調整をするということになるのではないか。

(2―4)雇用と年金の完全連携

@公務員は定年と年金が接続していなければならない

 年金とは問答無用に成立させて、後は65才からだというような放置は出来ないわけです。特に国家公務員法や地方公務員法には定年制と同時に、しかるべき年金措置をして生活の保障をするべき規定があるわけです。これは、従来の共済年金は職域年金だったからで、職域年金は退職と接続しているところに意味があるわけです。退職後に隙間が空いてはどうにもならないわけです。職域年金を前提にして地方公務員法は作ってあるわけです。ところが、一元化の動きの中で、共済年金は職域年金から社会保障年金化の動きがこの間急速に進んだわけです。そこの部分をどうするかですが、まじめに考えると地方公務員法まで変えなければならなくなります。そこで、変えない形で何等かの妥協が図られるのではないかと思います。

A公務員は定年延長をそう簡単には出来ない

 定年延長はそう簡単にはできない。民間でも定年延長が出来ていないのに、公務員だけが先行して定年延長をするなどということは出来る訳がないのです。公務員については最終的には納税者の判断で決まると思います。公務員に65才まで働いてほしいと納税者が思うかどうかです。高い月給を払っても65才まで働いてほしいと言えば定年を65才まですることが出来ます。しかし、そういうことにはならない。民間でさえやっていないのに何故公務員だけがという話になるだろうと思います。だから、雇用と年金が直結しないような整理をしたら、関係者は納得しない訳です。雇用サイドで出来ることは何か、年金サイドで出来ることは何なのかという調整で決まるのではないかと思います。ですから、あまり無理をしない形で決着が図られるのではないかと思います。

 

V.スライド・再評価方法の変更

(3―1)所得バランス・生活意識の老若逆転

@高齢者の多くは実際どれくらいの生活費で生活しているか、平均値・中間値・最瀕値

 65才問題で無理をしないで決着が図られると、財政対策ができないわけです。将来掛金負担を大幅に増額してそれを引き受けてもらうしかないかと言うことですが、私はそうは考えていません。別な手段があると思います。給付水準を実質的に調整することが可能だという判断です。

 最近連合がやったハガキアンケートにショックを受けた訳です。「老後を2人で生活するのにどのくらいお金が掛かるか」ということでしたが、何と30万円です。胸に手を当てて冷静に考えて頂きたい。みなさんは現役で奥さんが居て子供が2人という世帯が多いと思いますが、いったい手取りでいくら貰っているかです。手取りで30万ある人がどれだけいるか、月々30万円お金を使っている人がどれだけいるかです。なぜ、夫婦2人になって子供が手を離れてから30万円ものお金が掛かるのかということです。連合は大企業のサラリーマンの意向を代弁する組織に成りがちです。ハガキアンケートの対象者は東京周辺が4割を占め、東京周辺の特殊問題が反映された数字になっているということです。年金問題というのは、全国の共通の話でしなければなりません。

 では、実際の統計調査で月々の生活費がどうなっているかです。【表2】は全国消費実体調査の平成元年度調査です。6万世帯で、高齢者は4千数百のサンプルがあります。ここへは、夫婦2人で生活している高齢者を取りだしてきています。旦那さんが60才以上で奥さんがいる。そして子供は離れているという世帯です。自営業の夫婦は子供と住んでいる可能性が高いので、この数字の大半はサラリーマン及びOBということになります。年間収入の平均値は430万円です。ところが、平均値は真ん中にはありません。上から数えて33%目にあるわけです。「年金受給者は平均値で430万円あります」などという論文を書くと必ず投書が来ます。「わたしの隣近所ではこんなに所得のある人はほとんどいない」というような内容です。平均値と言うのは代表性に乏しいわけです。だから、少ない方から多い方に並べて真ん中の数字が中央値ですが、これは年間収入で340万円です。最頻値ですが、これは隣近所を見渡した時に一番多い数字、つまり多数派です。年収は280万円です。月々の生活費では平均値は23万円、中央値は19.5万円、最頻値は14万円代です。5年前の昭和59年では最頻値は13万円でしたから、この5年間に1万円上がっただけです。最近でも15万円くらいで生活している人達が圧倒的に多い訳です。それを見たのが【図の7】です。数の多いのは14万円以上15万円未満です。若い人達はどれくらいで生活をしているかを比較の為に見てみましょう。【図の8】です。サラリーマン4人世帯で、年齢30〜49才です。月々の生活費は平均で30万円です。それは上から数えて30%の数字なのです。中央値は27万円です。最頻値は20〜25万円のところにあるわけです。子供を抱えて4人世帯で20万円の前半の生活費で生活している世帯が圧倒的に多い訳です。25万円未満で生活している人が40%もあるわけです。こうした生活をしている人達が、アンケート調査がきたときに「老後夫婦2人で30万円が必要」などと答えるわけがありません。そういう数字を使って年金問題を議論することはミスリーディングです。老後30万円を貰いたいと答えた人に現役の時にはいくら貰いたいかを逆に聞きたい。現にそれだけお金を貰っているかです。年金は天から降ってくるわけではない。若い人達がお金を出し合って支えているわけです。

A生活意識の老若逆転、「高齢者は全て貧しい」わけではない

 年金は1つのパイを現役とOBでどう分けるかです。財源は現役が出しているわけです。何も制約が無くて「いくら月給が欲しいか」、「何日休日が欲しいか」、「何才まで働きたいか」、「いくら年金を貰いたいか」という希望を表明するだけなら簡単ですが、世の中はそんなものではないのです。出来ることと出来ないことが有ります。双方が納得するには折り合いを付けなければなりません。現実を離れた数字で議論をしても意味が有りません。高齢者の消費支出は東京は若干高めで27万円ですが、貯蓄残高の平均値を見ても高齢者は2,000万円のお金を持っています。これは平均値ですから上から3割の層ですが、中央値は1,000万円、多数派は300万円台です。住宅宅地はほとんどの高齢者は持っていますが、地方へ行けば評価は1,500万円程度です。東京では突出していて1億円を超えています。若い人は生涯賃金は大卒で3億円、高卒で2億円です。年金は約6,000万円です。高卒では税金・社会保険料を引かれ、生活費などを考えた時、自分たちの所得でなぜ高齢者の生活を支えなければならないのかという疑問を持った人達も沢山います。高齢者は全体としてみれば貧しいということではありません。一人暮らしの老人とかでは恵まれていない人達もけっこういます。全国消費実体調査等で調べても月々8〜5万円で暮らしている人達がけっこういるわけです。そうした人がみんなではないわけです。

 【図9】ですが、生活実感を見ますと昭和48年には55%の多数派が生活できないと答えていたわけです。高度成長の真っ盛りで、現役は毎年10%程度月給が上がっていた時代です。高齢者は成長から取り残されていたわけです。今は、14.5%の人はそう答えていますが、多数派の65.5%の人達はなんとかやっていけると答えているわけです。なんとかやっていけると答えている人の月々の生活費は14万円台なのです。

【図の10】は年齢階層別の生活意識調査ですが、91年の国民生活基礎調査で世帯主だけに聞いたものですが、50代前の層では4割以上に人が苦しいと答えていますが、50代を超えると4割を切っています。生活意識に於ける老若逆転が起こっています。

(3―2)従来のままだと、どうなる

 どうしてこんなことが起こるかというと、年金では昭和50年ころのサラリーマンの月給を100とすると、年金と社会保障で10が消え、手取りで90です。当時のOBの年金は100に対して60だったわけです。現役とOBの差は3対2だったわけです。ところが、この10年間で税金の負担が上がり、社会保険料も上がって、100の所得で84の手取りに落ちてきています。OBは気が付いたら68になっていたわけです。ほとんど税金や社会保険料は掛からない。現役とOBの差は5対4になっているわけです(これはボーナスが考慮には入れられていませんが、月収レベルでは)。手取りのバランスが5対4という国は日本だけです。所得税率上げも反対、消費税も反対、社会保険料のアップも反対というのが多数派の意見だったわけですが、いろんな過程で上がってしまった。ところが、年金だけは税金もほとんど掛からず、社会保険料も掛からない。このまま放って置けば、高齢化のコストを現役だけが負担する社会になる。それで、現役の人が納得するかです。

(3―3)年金財政における自動安定機構の確立

 5対4の比率になったものを3対2にするなどということは非常に難しいことです。だから、現役の月給が手取りでどれだけ上がったかを参考にして年金の5年に1回賃金の再評価をし、5年に1回の年金水準見直しの賃金スライドは名目賃金がどれだけ上がったかでやっていますが、それをこれからは税抜き、社会保険料抜きの手取りでどれだけ上がったかを参考にしてスライドすれば、常にこれからも5対4の給付水準は維持されるわけです。給付乗率をいじったり、給付単価をいじる必要はありません。

 ドイツが89年の改正をした時に決めたやりかたで、92年7月から新しいやり方で実施されています。従来はサラリーマンの月給がいくら上がったかを参考にしてやってきましたから、90年から91年の1年間に6.1%のスライドをしなければならないということでしたが、2.9%アップしただけです。これをネットスライドといいます。差は3.2%で、1年ではこの数字は小さな数字ですが、財政効果は抜群です。表の3ですが、今回の改正で2030年の保険料率は26.9%ということですが、改正しないで置くと36.3%と89年の倍近いところまで保険料を上げなければならなくなるところでした。財政効果ですが、ネットスライドの導入によって5.71%の効果があるということですが、これを36.3で割ると16%になります。ちなみに支給開始年齢の引き上げはほとんど保険料を下げることに役立っていません。

 ネットスライドは定期預金の年利回り7%とすると10年後には元利合計はほぼ2倍になっています。年利が3%なら24年、年利2%なら35年かかります。年金給付のスライドを仮に3%でいく場合と2%とでいく場合とでは、3%でいく場合は年金が倍になるのに24年ですが、2%ならば35年かかるということです。ですから、水準調整だけでもやりようによっては結構な財政効果を期待できるわけです。しかし、社会保険料の中でも公務員には雇用保険はないし、税金は所得税と住民税だけにするのかといった、何をネットにするのかという技術的問題はあります。仮に消費税を上げて社会保険料をあまり上げないというようなことになると効果はあまり大きくないのではという議論もありますが。

 

W.ライフステージの変化に適応した給付の再設計と負担問題

(4―1)遺族年金の改善

 今回の年金改正ではアメに相当する部分が無いのでやりにくいのではという議論がありますが、そうではありません。アメに相当する部分では遺族年金の改正とか、高齢障害加算・出生給付の新設、扶養控除の導入とかあります。遺族年金の改正というのは、働いている女性が現在の年金制度に対して不満を持っているわけです。それは専業主婦を優遇している遺族年金に対してです。それを、専業主婦とか友働きで差が無いような制度に変えることはできるわけです。

(4―2)高齢障害加算、出生給付の新設、扶養控除の導入

 高齢障害加算は60才になる前に倒れて障害者になれば重度加算付き障害年金が当たるわけですが、一旦、老齢年金をもらってから80才で倒れても老齢年金のままなわけです。それを、障害になった段階で加算をつけようというものです。それによって介護パワーにに少しでも応えていきたいということです。

 出生給付、扶養控除は、出生率の予想外の低下に応えようというものです。これで、そう簡単に子供が増えるとは思えませんが、少なくとも今より条件の改善が図れるのではということです。扶養控除は仮に名目の月給が同じであっても、扶養者がいる場合といない場合では違ってもいいのではないかということです。現在は全く同じ保険料を負担させているわけです。掛金を払う段階で、税金でやっている方法と同じように、ベースとなる金額に扶養控除を設けるということです。

(4―3)ボーナス保険料

 ボーナスは企業規模や月給の高い人と低い人では大きく違います。ボーナスに保険料を掛けていないということは、サラリーマンの中では賃金の高い人ほどメリットになっています。

(4―4)「社会保険料の引き上げ」VS「消費税率の引き上げ」

 現在のマクロのパイのうち6割は賃金です。残り4割は配当とか利子とか家賃とか地代とか移転所得のの年金収入とかが占めています。この6割の賃金だけで財源の負担をしようとしているわけです。4割のところにも少しずつ負担して貰った方がサラリーマンにとっては得に決まっているわけです。フランスの社会党政権の91年の時に、本人分の掛金を減らして、CSGという付加価値税を年金の目的税として導入したわけです。みんなで負担して、代りに本人分のの負担を下げたわけです。サラリーマンの利害に正直であれば、消費税の税率を上げることに賛成し、社会保険料を上げることに反対だというのが正直です。労働者の利害が日本とフランスとでは違うなどということは考えられません。日本でも労働組合はいずれそういうことを提案すると思います。

 

X.おわりに――年金問題を「政争の道具」としない

 年金を政争の場としないというのは、世界各国共通の話です。政治の場でぎしぎし揉んでやっていくことによってさらに年金不安が広がるからです。年金は1つのパイを現役とOBの間でどうやって分けるかだからです。相互に妥協するしかありません。日本の年金の将来は高齢化が進むとといってもそんなに暗い絵を書かなければならない状況ではありません。日本の総人口は12,400万人くらいです。そのうち65才以上の高齢者は1、600万人くらいだったと思います。毎年60万人位増えています。この増えていく高齢者が生活していくためにはみんなで負担増をしなければなりませんが、負担増を増えないパイでやろうとすればギスギスした話になります。現役は自分の手取りを減らすしかないわけです。それを回避するにはパイのサイズを増やすしかない。全体として毎年5%づつ増やし、増えた高齢者の負担増をそれで賄うわけです。ようするに、今後日本が潜在的にどれだけの経済成長力を持っているか、持っている成長力をどうやって実現するかが基本的に重要なことです。

 

 

シンポジュウム

「年金制度はどうあるべきか」

 

中村秀一 厚生省年金課長

 現在厚生省では平成6年の財政再計算をめざして作業を行っています。平成6年2月に厚生年金・国民年金の必要な改正法案を国会に出したいというスケジュールで進めています。もう一つは公的年金制度の一元化問題あり、平成7年をめどに完了させたいと思っております。 財政再計算は年金制度の中身、長期的な安定した制度にするために、また現役世代と年金受給世代の負担のバランスをどのようにとっていったらよいかという縦の関係のことです。一元化はサラリーマンの年金である厚生年金とか、公務員の年金では国家公務員共済年金とか、地方公務員共済年金とか、農林団体、私学、旧国鉄、NTT、日本たばこといった制度が分立していますが、そういった分立している年金制度の横の関係をどう整理していくかです。

(1)高齢化問題と財政再計算

 財政再計算は厚生年金、国民年金を所管する立場からいえば、共済年金とは若干違うと思います。一番頭が痛いのは高齢化の問題です。今後30年間は容易なものではない。国民年金ということで、国民皆年金がスタートしたのは1961年ですから、およそ30年前です。人口の高齢化の最初のピークがくるといわれるのは2020年ですから、これから約30年ありますが、このおよそ60年間の高齢化を考えると、スウェーデンにしろアメリカにしろ、他の国では高齢化率は2倍にはなりませんが、日本ではこの60年間で1961年には5%程度でしたから、現在(92年)はその倍の12%、さらに昨年の9月に出した人口推計では2020年には25%ということでまた倍になるわけです。こんな国は他にはありません。

 サラリーマンの85%は厚生年金に入っており、高齢化の波を最も受ける宿命に有ります。こういう状況の中で、来年の年金改正をしようとしています。5年に1度の財政再計算ということで、平成元年度の再計算、そしてその前の再計算と比較して少し違った状況があるのではないかと思います。【図11】の保険料率の上がりかたですが、大変なのは2010年からです。2010年というのは戦後生まれの世代が65才に達するわけです。団塊の世代といわれていますが、かっては小学校の入学、大学の紛争、そして今、企業内では多少持て余しぎみというように、この世代が通るところでは、世の中多少ギクシャクしております。来年の改正というのは1994年ですが、年金の場合は大きい制度ですから、ハンドルを切る場合にも徐々にしか切れません。何か手を打つにしても、今度の改正辺りできちっとしたシステムを作っていかなければなりません。その意味ではラストチャンスです。次の改正は1999年ですから、2010年の壁からみると10年しかない。それではちょっと間に合わないのではと思います。

(2)一元化問題

 一元化については、各制度の内部の問題について話し合いながら、横の問題を討議していかなければならないと思います。制度が歴史的制度で分立しているわけですが、分立していることによって済んでいればそれでよいわけですが、分立していることによって対応できないことが出てきている。これまで、基礎年金を作ったり、官民格差解消ということで二階年金部分を揃えるとういことをしてきました。残っていることとしては、負担面の整理出す。制度が分れていることにより、1つの制度では対応できないところが出てきています。たとえば旧国鉄共済は破綻に瀕しています。また、日本たばこもそうです。これが、厚生年金という大きな保険集団の中にいますと、たとえば石炭産業のような場合には、産業としては旧国鉄以上に厳しい状況です。もし、石炭産業が別な共済制度を作っていたならば、今頃は破産に瀕していたわけですが、今は厚生年金ということで、公的年金制度で支えられました。これは今調子のいい自動車産業、電機産業、金融産業などによって支えられているといえます。国鉄の破綻に瀕している年金を救済するという側面と、年金制度はそれぞれ成熟度が違いますから、それを調整するという側面があります。被用者年金制度間調整懇談会の場でも、「平成7年度に一元化について政府はやるといっているが、案が詰っていないのではないか」と指摘されていますので、現在精力的に具体的な方策については各制度と調整し詰めていくつもりでおります。

 

川村仁弘 自治省公務員課長(前自治省共済課長)

(1)一元化問題について

 一階部分については基礎年金で一元化されたというお話でしたが、いろいろ問題点が生じていないといえば嘘になります。支給開始年齢の話ですが、急速に高齢化が進むとともに、年金制度も成熟化が進んでいます。成熟化といいますのは、年金制度は一定期間掛金を払ってはじめて年金受給の資格を得るわけですが、お店を開いた時には保険料を払う人が多いわけです。しかし、一定期間経ちますと年金を貰う人が多くなる。別に高齢化現象がなくてもそういう性格をもっています。したがって、将来の年金制度を確固たるものにするにどうしたらいいかをみんなで考えていかなければならないわけです。一元化については1本の矢では折れてしまうが、3本、5本とまとまれば強くなるだろうということです。1本、1本の矢そのものが脆くなっていくような状況では何にもなりません。

(2)支給開始年齢の問題

 支給開始年齢の問題にどう対処していくかですが、これは平成元年の3月に閣議決定したわけですが、平成10年度(1998年)から支給開始年齢を61才にしていこう、だんだん時間をかけて2020年には65才支給へもっていこうというものです。厚生年金について必要な法改正をしようと平成元年に国会に提案したわけですが、当時は是とするには至りませんでした。要は、「年金の給付水準を維持しつつ、将来の負担が過重なものとならないようにするには65才支給にする必要がある、諸外国の例をみても65才支給という国が多いわけです。また、60才台前半も元気で働けるのではないか」というものでしたが、「支給開始年齢は65才になるが、定年は60才で、年金は貰えない、仕事はないということではどうなのか」という議論だったわけです。雇用の問題とも関わっているわけですが、将来の年金財政の観点からみると、入るのは保険料、そして質は支給開始年齢といった給付条件、給付水準に関わってきます。保険料はどうなるのか、どの程度までは許されるのか、将来の給付水準はどの程度がよいのかを国民的合意得ていくかです。雇用の関係では、60才支給を65才支給にするということは、60才を過ぎても働くことを期待されているわけです。60才台前半をどういうライフスタイルで捉らえるのか、人生を働く時期と休息の時期に分けた場合、60才台前半というのはどう考えていったらよいのかということです。とはいえ、年金制度の改革は、明日から直ぐに全く新しいものにしていくことはできないわけです。大きな改正ほど時間を掛けて経過期間を設けてやっていかなければなりません。

(3)公務員の場合の特殊性

 公務員の場合に民間とは異なったことがあります。雇用対応の問題です。民間の定年延長の動向がどうなのかを見なければなりません。民間ではいろんなスタイルが出てきますが、公務員の場合には一定の線をおさえ公正化していかなければなりません。移行期として仕組みかたが大変難しいわけです。

(4)一元化の考え方

 一元化ですが、残っているのは二階部分の被用者年金部分の負担のことがらです。現在行っている被用者年金間の財政調整について平成元年に法律が出来たわけですが、当時、二階部分の負担の問題についてはこれで片付いたと思ったわけです。しかし、政府は最終的な一元化の姿がこうだとは何も示していませんから、全てを一本化すべきだとか、民間年金と、公務員共済との2本立てだとか、制度間の財政調整でいいのではかいかとかいった様々な議論が出ています。

 制度間の負担の面ですが、旧国鉄共済がよく例に出されますが、職員がどんどん減っており、昭和40年ころには48万人の職員がいたわけですが、いまは20万人に満たないということで、支える側がいないわけです。制度上の運営の責任もあるかも知れませんが、これだけ減ったのでは財政的にもたないわけです。制度が分立する中で、産業構造就業構造が変化し、潰れる年金制度がでないように、また、制度によっては法外な負担を取らなくてもいいように、各制度のエゴを乗り越えて、広い目で理解を示すべきではと思います。

(5)問題のある基礎年金

 一階部分は基礎年金制度で一元化されたといいますが、実際にはかなりの問題点があります。滞納者・免除者が大変多いわけです。3割の人が保険料を払っていません。400〜500万人いるわけです。これらの人達は、のちのち無年金になるか低額の年金支給しか受けられないということになるます。これはいったい国民皆年金という考えからはどう整理するかです。年金を世代と世代の助け合いとするならば、これらの人達はその義務を果たしていないということです。滞納者・免除者の他に、本当は国民年金に入るべきで当局が把握していないという人が200〜300万人いるといわれます。これをどう考えるべきかです。

 届出に関わる問題ですが、いままで働いていた女性が結婚して退職した場合、ご主人が勤めていれば、届出をすれば国民年金の期間にカウントされ、独自に保険料を払う必要はない。しかし、届出をしなければカウントされなくて、その期間無年金になってしまうわけです。

 

中村

(1)今回の財政再計算でどれだけ国民の負担をもとめるか

 財政再計算の問題ですが、現在の保険料率は厚生年金の場合、労使折半で14.5%頂いています。元年の計算の見通しでは、ピーク時には、現在の60才の支給年齢でいけば、保険料率は31.5%になります。これから、30年間5年毎に負担の見直しをお願いしなければならないという線路を走っているということです。元年度の提案では、65才支給にすればこれが26%台になるということでした。したがって、いまのシナリオでも将来的には26%〜31%の負担は求めていくということです。その後の人口構成の変化等により、元年当時と較べ、約1割増の負担増が必要となっており、60才支給の場合には、非常に粗い計算ですが、34%〜5%、65才支給でも28〜29%の費用負担を求めざるを得ないということとなっています。

 そうだとすると、今度の財政再計算ではどれだけの負担を国民に求めていくか、また、国民のコンセンサスを得られるかということです。世代間の公平も考えると、支給開始年齢の問題や高山先生の話にあった現役世代の実質的負担力と年金の伸びをリンクさせた自動調整機能の問題、保険料の引き上げ幅の前倒しなど、総合的に安定化の措置を講じていかねばならないと思っています。

(2)雇用がメイン、年金がサブ

 雇用がついてこないということですが、2020年なり、それ以降の超高齢化社会に向けてどういう社会システムがふさわしいか、どういう世の中がふさわしいか、そのために年金制度がどうあるべきかを位置付けていくべきです。労働省も平成5年度で60才定年制が完全定着したといっていますが、65才までは働くことを希望する高齢者全員が働ける雇用システムを確立していく、60才までは雇用で、65才からは年金で、60才台前半を雇用と年金で支えるが、雇用がメインで、年金がサブで支えていくことではないかと思います。60才から支給するということは、それ以降は働くことを期待しないという社会だと思いますが、そうした社会ではまずいと思います。年金の役割をどこに重点化していくかではないか。

 

川村

(1)どんな高齢化社会が望ましいか

 平成元年度の改正の時の国会で、支給開始年齢か、保険料の引き上げか、給付水準かといういいかたで、だいぶん批判をうけたわけですが、ものの言い方はともかく、こうした要素は基本的にあります。年金財政上のことだけではなく、60才台前半をどうするかということを含めどんな高齢化社会が望ましいのかということをしっかり頭に踏まえ、いかような手立てがあるかを考えていく必要があるのではないかということです。

 

高山

(1)雇用と年金を直結させる為には無理のできない65才問題

 私はいろいろやっても、60台前半層の雇用というのは容易ではないということです。他方で労働力不足と高齢化社会の要請というマクロのことがあり、マクロとミクロが衝突してしまっているわけです。おそらく、21世紀を展望すると60台前半層には働いて頂きたいということですが、考え方としては、60台前半層は雇用がメインで、年金がサブという中村課長の考え方を理解できるわけですが、どう向かっていくかです。働く能力があり、働く意志の強い人にどうやって働く環境が与えられているかです。年金が働くことに対して邪魔をしているかもしれない。早く退職しなさいよといっているのかも知れない。現在の年金制度自体が早期退職を奨励しているかもしれない。社会全体の要請として、60台前半層に働いてもらいたいとするならば、大方の人はそういう意識になるかもしれません。そうした時、それに向けて全ての制度を整合的にする必要があります。能力も高くて働く意志の強い人に、どうやって働く場を提供していくかが真剣になってやっていく、年金の方もそうした人の意志を邪魔しないような仕掛けをしなければなりません。

 雇用の方からのアプローチというのが別途ある。しかし、雇用と年金というのを直結する制度にしないと皆さんの納得が得られないし、私の理解では、政府が雇用促進をどんなにやってもその効果は期待できないのではと思います。企業と個人がついていかないのではないかという判断です。だとするならば、雇用と年金を直結させるうえで65才問題というのは無理ができない。

 

会場からの質問

旭川退職者組合

 3万人の共済会だが、1400億円の積立金があり7%の運用でやっている。一元化など必要無い。

滋賀県本部

 公務員年金には独自性がある。職域年金を残すといっても、財源をどこから調達するのか。不可能なのではないのか。退職手当と引き換えということになるのではないのか。

 積立金は現在、厚生年金が77兆円・一人当たりにして21万円、地共済が20兆円・一人当たり47万円、鉄道共済は一人当たり4万円でしかない。一元化というのはこうした積立金にまで手をつけることか。安易な流用はよくない。不公正ではないのか。財政の統合は無理ではないのか。旧国鉄共済の破産の原因は国に責任がある。

 一元化といっても、二階部分、三階部分あるいは厚生年金基金などということになれば、二重業務になる。一元化に逆行するのではないのか。結果として分立していくのではないのか。

東京都本部

 給付切り下げの経過措置は高齢者の死活問題になる。凍結して議論すべきではないのか。

 基礎年金を充実しないと21世紀の年金改革とはならない。国民年金では450万円の滞納者がいる。また、制度から洩れている人も300万人もいる。基礎年金に魅力がないのではないのか。

 一階部分,二階部分、三階部分と分けることの意味がわからない。

 

中村

(1)おちこぼれの制度ないように

 公的年金制度として安定が確保できるようにしたい。全体が落ちこぼれる制度があってはまずい。制度の財政単位を大きくして制度の安定を図る方がいいのではないかと思います。

 加入した制度によって、Aという共済、あるいはたまたまBという共済に入り、また、別な人は厚生年金に入り給付と負担について合理的な差以外の差があってはいけないということで、給付と負担との公正化を図る。

 後は国民サービスの向上とか、業務の効率化は当然図っていかなければならない。業務の一元化をすることによって、制度が分立していることに伴う適用洩れとか、年金相談上の問題とかへのサービスの向上は図らなければならないということです。

(2)一元化については今年の秋口に案を出したい

 一元化は二階部分を考えています。公務員年金としての職域部分というのは三階部分に当たると理解しています。いま、議論しているのは共通部分についてです。公務員年金の特殊性の三階部分をどうしていくのか、三階部分として残るのかということとは別です。今、一元化について年金審議会で審議してもらっていますので、秋口にはまとめてみたいと思っています。

 一つの制度に一本化する案、官民別立てにする案、財政調整方式の案提案されていますが、一長一短があるわけで、一元化は何の為にやるのか、更地の上でやるのではないので、合意が得られる案という観点から、自治省、大蔵省、文部省、農林水産省及びそれぞれの共済制度と相談してみたい。

 

川村

(1)地方公務員共済も成熟化が進んでいる

 平成元年度に公務員制度についての将来見通しを作ってみたわけですが、2020年ころの見通しは厚生年金と大同小異という結果です。地方公務員共済についてもあんかんとはしていられません。地方公務員数は昭和40年度に229万人、45年には254万人、50年には300万人、60年度には330万人に達し、以降横ばいです。将来増えるかというと、一定の水準を維持していくとは思いますが、固定して試算した結果が厚生年金と大同小異ということです。地方公務員共済は古いようで新しい制度です。恩給時代を含めると古いようですが、共済制度は昭和37年に発足したわけですから最も新しいのです。37年以前は恩給を引き継いだわけですから、年金とはいうものの国家公務員は国が、地方公務員は地位法公共団体が全額負担を持っていたわけです。37年を基点として成熟化が進行しています。積立金は年々増えていますが、負担率が現在のままで済むかというとそうではないと思います。

(2)旧国鉄共済の破産は産業自体の要素もある

 旧国鉄共済は国に責任があるのではということですが、戦後満鉄の引揚げ者を雇ったという事実もありますし、政策的なものが変っていることも事実です。そういうことで、昨年制度間調整を見直す懇談会を持ったわけです。責任をどう果たすかということについても議論をしたわけです。それはそれとして、現在のように交通手段が変ってきている中で、産業自体の要素はあるわけです。そこは制度間を乗り越えて考えなければなりません。

(3)一元化といっても、共済組合の積立金に手をつけて貰っては困る

 共済組合の積立金に手をつけるかという質問ですが、積立金の3割ほどが組合員の住宅貸付けなどに使われている。民間でいう社内貸付けの機能を果たしています。これはそう簡単に手をつけてもらうと困ると危惧しています。

(4)二階部分、三階部分ということになれば業務は複雑化する

 二階部分、三階部分別々の制度でやるとなると、現役OB共に、同じ内容について記録裁定、支払という業務を日々二重にこなさねばなりません。一元化の問題は現実に落とした場合どのように物事が機能するのかという観点から見ていかねばなりません。基礎年金制度の導入はそれはそれで必要があったと思っていますが、一階部分を一元化したことで業務は明らかに複雑になっているわけです。基礎年金制度を導入すべきだったかどうかという議論とが別に、業務については押さえておかねばならないと思います。

(5)60年改正の水準を凍結はできない

 60年改正の水準を凍結して議論しろとの話ですが、年金制度というの非常に長期を見通した制度となっていますから、時間を掛けてある状態から次の状態に持っていこうとしているわけですから、これをそう簡単に途中でストップさせるとはいかないと思います。

 

中村

(1)自分のところは関係ないというでは公的年金制度が成り立たない

 少し、厚生年金と共済年金とは違うとは思います。厚生年金の場合にはオールジャパンの人を相手としておりますから、人口構成の変化をもろに受けるといえます。自分のところの企業のパフォーマンスがいいから自分のところは関係ないということになると公的年金制度自体が成り立たなくなるわけです。企業の栄枯盛衰があっても同じ保険料を納めてもらった人には同じ保障をしていこうということです。民間サラリーマンと国家公務員、地方公務員の制度が分れていても、公的年金制度という同じ舟に乗っているということです。

(2)一元化にあったって、積立金は公正に評価すべきと思う

 一元化については積立金をどうするかというのは課題ではないかと思います。過去の努力してきた積立金については、仮に一本化する場合でも、努力を公正に評価すべきだと思います。ここが難しいし、コンセンサスも得にくいことです。ひとり当たりの積立額が地方公務員共済組合の場合は47万円で厚生年金の場合は21万円だという話がありましたが、これをどう評価し、どうやってやっていくかです。

業務の一元化は実際にどうするかということです。年金相談についても各制度を通算してどうだということにはなっていませんが、そこも含め改善していかねばならないと思っています。

(3)モデル年金の現役に対する割合を維持するためにも、60年改正の水準の凍結できない

 60年改正の水準の凍結という話しでしたが、モデル年金の現役の標準報酬に対する比率が、40年改正だと36%、48年改正で68%であり、このままで行けば比率が80%を超えるような形になってしまう。それでいいのかということで、成熟時にも68%を維持するために進行中のものです。今の給付設計を見直すことは適切ではないと考えています。

(4)基礎年金については課題がある

 基礎年金について課題がないとは思っていません。公的年金の基礎となるものですから、魅力あるものとしなくてはならないといと思っています。二階の一元化の前にという話でしたが、基礎年金は基礎年金として、二階の一元化は二階の一元化として議論していかなければと思っています。

 

高山

(1)旧国鉄共済は、自助努力でとはいうが、それでは公的年金制度がなりたたない、また、国の責任でとなれば税金で払うしかない

 一元化については自治労の方は厳しい見方をしているということは理解していましたが、今日改めてそういう思いを強くしたところです。しかし、地方公務員の共済制度も県は県の職員で、市はしの職員で、町は町の職員というようにバラバラにやっていたのではたぶん困るところがでてきたわけです。それを避けるために大連合を作ったわけです。そのことを、全体の一元化への移行においても考慮して頂きたいということです。 同じ地方公務員だということで助け合いをしているはずなのです。たまたま、国家公務員や民間の人の中で、同じように保険料を払いながら、同じような給付が受けられないという人が出てきているわけです。いま、旧国鉄の共済組合の人達に財政調整をやっていますが、この人達は地方公務員の人達よりも遥かに高い保険料を負担しています。保険料は労使で19.5%を超え、月給の10%近くを控除されているわけです。給付は今の地方自治体の職員よりも悪く3階部分はありません。これは、あの人達に全部責任があったかということです。自助努力ということですが、少しでもわかい組合員を少しでも増やすということですが、これは、ゼロ・サムゲームです。公務員は総定員制で縛られていますから簡単に増やせません。月給の水準を上げることですが、公務員は月給を別に決められるため自分たちで勝手に上げることはできません。積立金を高利で運用するということがありますが、これも現在の低金利の状況では難しいわけです。旧国鉄共済に自助努力を求めていますが、これは保険金を上げ給付水準を落とすことしかありませんから、みんなでよってたかって旧国鉄職員をいじめているといえます。これが、地ならしといわれる措置です。それは国の責任だといいたいのだと思いますが、国の責任だというのであれば国はお金を付けなければならない。それは税金で払うしかない。増税を賛成するかということです。増税はいやだということになると国債発行しかありません。その点を考えて頂きたい。