田中康夫知事の「脱ダム宣言」
さる2月20日、長野県の田中康夫知事は原則ダムに頼らずに利水・治水対策を推進するという「脱ダム宣言」を発表した。田中知事の宣言があまりにも唐突だったため、県幹部や県議、国土交通省の反発をまねき、光家土木部長の解任、県議会三会派の共同提出による「脱ダム」に歯止めをかける条例の可決等状況は混沌としているが、長野県の事例は今後の公共事業のモデルとなっていくのではあるまいか。
河川事業は(利水はまた別の機会に述べることとして)自然条件をはじめ要因が無数にあり、また生活への影響も広範囲に及ぶため、現在、国や各都道府県で検討している行政評価手法だけではその正当な評価は無理である。現在の河川事業の思想は、「降った雨水を川に集めて、海まで早く安全に流すことを基本」とする、河道に任せきる洪水処理対策であり、全ての水を河道に集めるというハード優先の考えであった。それが洪水最大流量を増大させる結果を招き、開発の進展に伴なって治水安全度を次々に向上させなければならないシステムが形成され、堤防などの治水施設の自己増殖傾向を強めてしまった。
特にダムは、下流部の沖積地では、宅地開発が進んでいたり、用地買収が困難で川幅が広げられない、堤防も高くできない、河床のの掘削もできないといった中で、住民の反対の少ない河川の上流部に洪水を貯留しようというものである。しかし、もともと上流部は河川の全流域面積に対してダムが支配できる流域面積は小さいため、下流に発生する洪水の一部を貯留できるにすぎない(高橋裕編『水のはなしT』)。ところが、用地交渉が比較的スムーズであることなども手伝って建設が自己目的化している。
しかし、近年こうしたシステムの欠陥が次々に明らかとなってきている。1998年の栃木県余笹川での水害等、河川の流下能力を遥かに超える洪水の頻発であり、昨年夏の東海水害、1999年の福岡水害等、都市水害の増大である。都市水害の増加は豪雨時の水循環変化の典型例である。都市化により、豪雨の地下浸透は激減し、下水道などの排水施設の完備によって、流出は一挙に河川へと突進するようになった。
こうした中で、河川審議会委員・水資源開発審議会会長を勤めた高橋裕東京大学名誉教授は雑誌「科学」1999年12月号の、「河道主義からの脱却を」というテーマの中で「もはや堤防をより高く、河幅をより広げることは現実的でないとともに、土地問題への圧迫もあり、投資に対する治水効果としても疑問がある。」とし、「いまや、この1世紀実施してきた治水システムを、自然としての川の本性とその機能尊重する方向に転換する時機に立ち至っている。」河川の自由を徹底的に抑えるのではなく、ある程度の自由を与える。つまり、「大洪水を完全に河道において処理するのではなくて、氾濫原の一部を大洪水の氾濫のために用意することである。そのためには氾濫原の新たな土地利用計画を樹立する必要があり、治水計画が都市計画、地域計画、農業政策と相まって検討されるべきである。」「氾濫原管理を治水政策の中に正当に位置づけることである。」と提案している。
こうした意見を背景として建設大臣の諮問機関である河川審議会計画部会は昨年12月19日に「流域での対応を含む効果的な治水の在り方」と題する中間答申を出した。答申では「近年頻発している集中豪雨等により極めて甚大な洪水被害を受けたところでは、その規模の洪水に対応できるよう河川改修を行った場合に、下流が流出量の増大に対応できない事態や、地域の基盤である宅地や農地の大半を堤防敷地として失ってしまうような事態を生ずるため」、これまでの連続堤方式による河川整備ではなく、河川の氾濫を前提として、「氾濫区域において、浸水区域や浸水深の実績についての情報を公開」するとともに、「建築物を新築する場合の制限」等の「土地利用方策を組み合わせた対策」を提案している。
この答申はこれまでの建設省の堤防やダムといった河川構造物一本槍の河川事業の大転換を図るもので画期的なものである。もはや100年、200年といった確率洪水のレベルを上げて治水の質を上げるべき時代ではなくなったといえる。治水機能には限界があることを行政も市民も心得ておくべきことを宣言したといえる。
しかし、問題は今後である。元々、連続堤方式は堤内地の住宅や農地を“その自然的条件に左右されずに”「平等」に守ろうという発想である。答申はこの“戦後民主主義”の「平等」概念を根底から崩すことになる。もう1点は全面的に自由な土地所有権の修正である。答申でも述べているように、「建築物の建築の制限」「開発行為の制限や移転勧告」等「水害の危険性のある区域において、土地利用の規制や移転の促進等を図」り、土地利用に規制をかけることとしている。
土地利用は自然の前では元々「平等」ではなかったのである。戦後の高度成長と河川技術の発達が、「不平等」であった自然の立地条件を、あたかも「平等」であるかのように“幻想”を振り撒いてきたのである。その結果、建築物を建ててはならないところに住宅が建ち、土地所有者はその流域の開発利益を無制限に享受してきたのである。さらに具体的にいえば、河川改修事業という膨大な財政措置を講じて「不平等」な立地条件を人為的に「平等」な立地条件に近付けようとしてきたのであり、その財政措置を何らの対価なしに配分を受けたのは流域の「不平等」な土地の所有者であったといえる。こうした“幻想”が洪水という自然の前に、そして財政の破綻による公共事業の見直しの前に崩れ去ろうとしている。
戦後、1945年の枕崎台風から1959年の伊勢湾台風に至る15年間は毎年のように水害が発生し、その死者は1000人を越え、利根川をはじめ重要河川は毎年破提を繰り返していた。その原因は「流域の開発と…連続高堤防方式による近代的治水事業であった」「要するに同程度の豪雨に対して、以前よりは大きな洪水流量が発生する流出構造になっていたのである」(「河道主義からの脱却を」:高橋裕)。その後も現在までさらに流域の開発は進み河川の洪水負担は増していたのであるが、高度成長による河川改修事業費の負担と河川工学の発達により洪水は堤防の中に封じ込められたものと“錯覚”していたのである。それが、この間の洪水によって事実上破綻したことが明らかとなったのである。
ところで、7〜8kmもの河川改修区間があるにもかかわらず、20年間にわずか数百mしか完成していない河川改修事業に何の価値があろうか。現状では何十年たっても安全を保障するものとはならない。都市河川(排水河川)の場合には、上流部の開発行為を抑えるべきではなかろうか。上流部を開発自由の原則に任せ、土地所有者にその開発利益を享受させておいては、付けは必ず下流部の住民に回ってくる。
これまで、行政は開発自由の原則のもと、土地所有者に対して最大限の飴を認めてきた。これを河川の周辺について土地利用の規制を行うということであるが、浸水の虞があれば土地の評価は下がり、場合によっては買い手もつかないこととなる。土地所有者が規制に納得するとは思えない。まずは安全“幻想”の払拭から説得を始めざるを得ないであろう。自分の土地は浸水の虞があるという自覚である。そのためには徹底した情報の公開が必要である。答申でも指摘するように「現在及び将来計画を含めた治水安全度等の公表」「過去の浸水実績、現在及び将来の浸水予想区域、浸水深、治水安全度及び河川の改修計画等について」住民への情報提供を行うことが大切である。具体的には「河川管理者と下水道管理者が浸水実績図の作成、氾濫シュミレーション等を実施し、市町村がこれを基にハザードマップ等を作成し」広く住民に提供していくことである。情報や警報の精度向上や効率的な伝達方法、それに基づく避難計画の樹立、水防技術の普及なども必要であろう。その上に立って河川整備計画の原案段階から地域の意見を反映するようにしていかねばならない。無論、その調整は困難を極めるであろうが、行政はそれを避けては通れない。
国土交通省では答申を受け、早速市町村がハザードマップを作るよう通知を出したが、過去に堤防のどの箇所が破提したか、どの土地が周囲よりどれだけ低いのか、どこの場所はかって河川であったか等々の情報を含めたマップが作成できれば、より具体的な議論ができるのではないだろうか。氾濫シュミレーション等については、過大な仮定により、ダム建設や河川事業の根拠にしようとするケースも考えられるので、過去の破提や越流実績等に基づいたシュミレーションを行うべきである。こうした根拠に基づき公共事業の評価を行えば、いたずらに100年や150年確率の洪水の不安を煽るのではなく、何が本当に今必要であるかがより具体的に分析できることとなる。これまで、あまりにもハード、しかもダム等の巨大なハードに依存して洪水を押さえ込もうとしてきたが、ムダな公共事業を増やすばかりで、これでは何百年かかっても治水はできない。早急にソフトに依拠した考えに移行すべきである。
さて、遊水地等の取扱い―農地等への規制の問題であるが、答申では建物の移転・改造・建築物の制限等が提案されている。こうした規制が合理的な範囲内にとどまれば、補償を要しないといえる(答申では建築物の移転や耐水化については助成等を検討している)。農地については、農地とういう普通の利用は禁止されないのであるから、財産権の本質的な規制とはいえず、土地所有者はこの程度の規制は無補償で受忍すべきではないだろうか。
いずれにしても、これまでの白図の上に勝手に線を引くような公共事業のあり方は大きく見直さなければならない時代となっている。(R)
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