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PART ONE The Mummy's Shroud  第1部  ミイラの屍衣

・3・
琥珀の中の蝿


星々と満月がハムナプトラ--- 死者の都を古色蒼然とした象牙色に染め上げている中を、さらに逃亡した囚人を探すように、明々と投光器が砂漠の発掘現場を隈無く照らし出している。現地で集められた人夫達は、骨にたかる寄生虫よろしく、古代の壮大な都の形骸を荒らしていた。遺跡に残されているのは、崩れた城門、風化が進んだ柱列、一部だけになった城壁、獅子や羊のかしらを戴いた立像など数限りない。しかし、偉大な過去の営みの跡は今、最新の機械文明に陵辱を受けていた。一度は時の流れの中で沈黙した死の神殿は、地面を崩す重機の音で目覚め、廃墟はブルドーザーやクレーンと並んで立ち尽くすことになった。

いくつかの小さな発掘現場を取りまいてぐるりと武装した男達--- 赤いターバンを巻いて緩い白い衣装に黒い長衣をまとっているアラブ人の戦士達が--- ざっと見て100人はいる現地の人夫の仕事の進み具合を監督していた。赤いターバンでライフルを持った警備兵の一部は、砂漠から夜陰に乗じて紛れ込むかもしれない侵入者からキャンプを護衛するように命じられていた。

警備も土掘り人夫も皆、赤いトルコ帽と生成のシャツを纏った小柄な黒い人影の命令に従っていた。その男の尖った顔立ちと鋭い黒い目は、あえて進んで温厚な物腰を捨ててしまったような態度に、一種の凄みを加えていた。
僅かに中年太りでせり出した腹の上でじっと腕を組んで、その男、フォード・ファチェリーは砂に穿たれた深い穴の淵に佇んでいた。穴の中では彼の指示に従って投光器が煌々と照らす中で何十人というこの地の人夫が、ひたすら土を掘っており、周囲には赤いターバンでライフルを構えた警備が目を光らせていた。

ファーチェリーは大英博物館のエジプト棟の主任いう肩書きだったが、事実上大英博物館の「館長」職はこの部門の長が担うのが常であった。

車の近付く音がして館長の注意が穴から逸らされた。振り返るとマーモン-ヘリントンの全地形トラックが止まるところだった。傭兵のレッド・ウィリッツがハンドルを握って、あとの二人、ジャックとスパイヴィーの顔が見える。男達は天蓋のない荷台から下りて館長が近づいてくる方へ向かった。

館長の声に含まれる切迫した響きは、その落ち着いた挙動とそぐわず奇妙だった。
「うまくいったか?」
「ええと、それがその・・・」
赤毛は無精髭の生えた頬を掻きながら答えた。
「手に入れたか? 例のブレスレットだ」
「ああ・・・」
振動がこの会話を中断させた。地面が揺れて軋んで・・・そして止まった。

三人の傭兵は気味の悪そうな眼差しを交わした。テーベのイムホテップの神殿で三人がこれとよく似た揺れを経験しているのを館長は知らなかった。

再び口を開く前に揺れに先を越された。足下の砂地が先刻より強く手荒く震えた。大きな地震がそこまで差し迫っているように・・・得体の知れない獣が地中をゆっくりとこちらに近づいて来るように。
そして、再び、大地の震えが止まった。

館長は穴の方に頭を巡らした--- 音がそこから発しているように思えて、先ほどまで立っていた穴の淵まで戻った、傭兵達も何事かと後に続いた。
穴の底では、何も分からずに恐怖で目を剥いて口をあんぐりと開けた人夫達がお互いに顔を見合わせ周囲の砂の壁と、その場に留まるように威圧を掛けて下を狙っている銃口を交互に見ていた。
「仕事に戻れ!」
館長は彼らの言葉でぴしりと言った。

しかし仕事を再開する間もなく、人夫たちの前にこんもりと砂が盛り上がった。彼らの真中でそれは膨れ出した。まるで掘られた穴が自らを埋め戻すように、砂の丘が意志を持つように穴の底でどんどん大きく膨れ高くなった。鍋の中で膨れあがるケーキさながら・・・。
人夫は後退った、目を見開いて困惑して、シャベルを握りしめ足がすくんだように立っている。中央の膨れる砂の所を遠巻きにして、この不思議な出来事を釘付けになったように凝視していた。

そして・・・阿鼻叫喚がはじけた。
砂の塊が沸騰するように中からはじけると何千という甲虫が--- それもスカラベと呼ばれる腐肉喰いの甲虫が--- 吐き出された。次から次へと湧き出る虫は鳴き声を立てながらのたくる波になって高まって砂の穴を黒く充たしていく。硬い外皮を被った肉食の虫が人夫に群がって貪欲に食欲を充たして行くに連れて黒い波は赤く変じた。

恐怖の叫びと苦痛の呻きが穴から起こった。人夫は我先に砂壁を登ろうと殺到し、手がかりを求めて無益に辺りを掴み、手足は砂を掻いた。壁はそれほど急ではなかったものの、登る距離は伸びずしかもスカラベは速かった。投光器の元で甲虫の黒い外皮と血糊とはじけたばかりの白い骨がつややかさを競った。

「なんてこった!」強面の赤毛が思わず口走った。
この光景を超然として科学的な興味を持って眺めていた館長は(何かこの成り行きを予測した感があった)三人の極悪の猛者が怯えた初等学校の生徒のように青ざめて震えて立っているのに気付いてほくそ笑んだ。こいつら、まだスカラベに人が生きながら喰われるのを見たことがなかったのか?

彼らはトラックに駆け戻るとまだ中のほうが安全とばかりに急いで乗り込で、いつでも動かせるようにレドは身構えた。

人夫が一人奇跡的に壁面をよじ登って穴から逃れ出てきたが、体の表面をあちこち食いちぎられた上に皮膚の下には、大きな動き回るできもののように蠢く塊がある、何かが肉体の中を這い回っているのだ。
三人の傭兵は悲鳴を上げた。

人夫も悲鳴を上げた、いや、少なくとも上げようとしたが声にならなかった・・・開けた咽口から黒い甲虫の大群がひしめき合って湧き出してきたのだ、まるで男が虫を吐き続けているように見えた。
叫びを上げられない男の代わりをするように、百戦錬磨のはずの三人はホラー映画の昼興行を見て怯えた子供さながら、お互いにしがみついて一層大声で叫んだ。

この光景にほくそ笑みながら館長は腕を突き出して哀れな人夫を穴の中に押し戻した。男が落ちると、落ちた何匹かのスカラベが辺りを這い回っているので高い足場を探して素早く後ろに下がった。そして赤いターバンの警備の男たちに頷いて言った。
「やれ」

ローブがはためいて警備兵は火焔放射器の炎を、逃げまどうスカラベに浴びせかけた。炎は虫を集めて穴に押し戻した。甲虫が恐慌を起こして穴の中に逃げ込むと今度は人間の悲鳴が穴の中から立ち上ってきた。警備兵は穴の縁まで彼らを追い落とすと上から炎を浴びせかけた。風に乗って人肉の焼ける臭いがあたりに漂った。館長はお上品なしぐさでハンカチで鼻を押さえた。

非道な行為が続く中で、突然興奮した叫びが湧き起こった。恐れの叫びではない、近くに幾つかある発掘現場の一つから何かの発見を告げる声だった。赤いターバンの男達が一斉にそちらに向いて動き出した。館長の目は、近くの廃墟から回転して鎌首をもたげた、人の手が作った怪物ともいうべきクレーンの上に止まった。クレーンのかぎ爪には探し当てられた宝が握られていた、それは大きな石で、館長の立っているところからでも、中に入っている物が見えた--- 琥珀の中に閉じこめられた虫のような、それは--- かつて人だったものだった。

スカラベも人夫のこともすっかり忘れて、館長は、ずっと欲しがっていた新しいおもちゃをやっと手に入れた子供のように有頂天になって手を叩いていたが、やっとクレーンと釣り下げられた宝のある現場へと駆けだした。
「あの方が見つかった!我らの主が見つかった!あのお方が!」
館長は興奮してまくし立てた。

それよりも少し前に、同じ発掘現場のテントの中では、館長のパートナーが死者の都から掘り出された2つの発掘品を調べていた。ミーラ・パシャと、その全幅の信頼を受けている護衛、その正体は不明で、ただロック・ナーという名しか知られていない男だった。

遙か遠い過去の時代にひとかたならぬ興味を抱いているにもかかわらず、ミーラは現代的な女性だった。知的であると同時に蠱惑的で、一筋縄ではいかないように見えながら、官能的だった。すらりとした長身で、漆黒の髪は古代エジプト風に額で真すぐに切りそろえてある。細身の肢体にぴったりしたカーキの服がよく似合って、物に動じない、てきぱきと物を処理できるよう印象を見る者に与えた。

ロック・ナーは館長と女主人のミーラに仕えているあまたの男達と同じように赤ターバンを巻き、白い緩衣と暗色のローブを纏っていたが、逞しい体と鑿で削ったような顔と、暗い鋭い目つきで他の者とは全く違ってみえた。

ロック・ナーはたった今、テントの中のテーブルにある物をどさりと置いて埃を舞い上がらせた所だった……それは一冊の書物だった。
それは普通の本とは似ても似つかぬ体裁の、本の閾を越えた大きさと重さがあり、金属製の綴じ金で留めてある。黒曜石の表紙にはきらびやかで、どこか不吉な趣のあるヒエログリフが彫られている、そんな大部の書物だった。

「"死者の書"」
ロック・ナーのよく通るバリトンの声が本の名を告げた。
「これがあのお方に命を与える、そして"アメン・ラーの書--- 生者の書"は命を奪う」
ミーラは歌うようなアルトの声で周知の事実といわんばかりに言った。

今度はロック・ナーは先ほどの黒い書物の横にもう一冊のずしりとした本を置いた。先回を凌ぐ埃が立ってテーブルの脚が重みで軋んだ。こちらは金色で、黒い本の色違いの双子のような本だった。同じように蝶番がついていてヒエログリフで装飾されていた、しかし精巧な金属飾りには一筋も不吉な影はなく、その価値は計りきれなかった。

ミーラは黄金の本の上に屈み込むと口づけをするように唇をすぼめて、子供が誕生日ケーキのろうそくを吹き消すように表紙の埃を吹いた。

上体を起こしながらミーラは護衛に婉然と微笑んだ。
「もうすぐよ」
この時、生きながらスカラベに喰われる人夫の叫びがテントにまで届いてきた。ミーラはロック・ナーに向かって意味ありげに眉を弓なりにあげた。
「もう、すぐそこまで来ているわ……」

美女と彼女を守る男前の野獣は夜闇の中に走り出て、点在する遺跡と野営地を通り抜けた。ロック・ナーは死者の書を携えミーラは、かなりの重さも者ともせずに"生者の書"をしっかりと抱えて走った。

クリーム色のロールス・ロイスの横で指示を待っていたターバンの運転手は女主人と護衛の姿を認めて車のドアを開けた。運転手の耳には、死者の都中に鳴り響いた恐怖と苦痛の叫びが届いていなかったようだった。

「今はいいわ」
ミーラは運転手と車の横を通り過ぎながらぞんざいに言うと、館長が監督している発掘現場に向かった。赤いトルコ帽を被った小男が立っているのが見えた。隣の現場ではクレーンが大きな石の塊をそろそろ下ろしている。

歩きながらミーラは護衛に尋ねた。
「この黄金の本、これであいつらはイムホテップ様を滅ぼした、そうよね」
「その通りです、ミーラ様」
「この世であの方を傷付けられるのはこれだけなのね」
「そうです」

焼ける人肉と黒焦げの甲虫の悪臭が漂い出てくる穴の淵で、ミーラは立ち止まった。使ったティッシュを捨てるように、値の付けられない高価な金の本を、汚濁の煙が漂う暗い穴の中にぽいと投げ込んだ。そのまま二人は返りもせず、足もとのスカラベの鳴き声も気にならない様子で歩き続けた。

ミーラは、近くのトラックの中に座り込んでいる三人の傭兵を気にも留めなかったし、彼らの声も聞かなかったが、三人の方はしっかり彼女の行動を見ていた。

「おい、今の見たか?」と、ジャック。
「ぶったまげた、あいつは黄金でできてたぜ! 純金の本だ!」
スパイビーも興奮した。
レッドは止めたままの車のハンドルを握ってまだ震えていた。手の甲で額の汗をぬぐうと穴に向かって顎をしゃくった。
「それじゃ、お嬢さんがた、ちょっくら急いで行って、拾ってきたらどうだい」
ジャックもスパイビーもこの言葉には乗らず、無言でブルドーザが近付いて、土砂を穴の中に落とし始めるのをじっと見ていた。逃げ場を失ったスカラベが悲鳴に、ならず者三人組は怖気を振るった。

投光器の柔らかい光の中をミーラとロック・ナーは、有頂天になって我を忘れているような館長にずんずん近づいた。ちょうどクレーンが岩の塊を砂上に下ろしたところだった。岩の中には石化した死骸が埋め込まれていた。死と苦悶に身を捩り、苦痛の叫びか、運命にあがらおうとする叫びか、知りようもないが、声にならない絶叫を上げる途中で凍り付いていた。

ミーラの感情は錯綜していた。イムホテップへの愛で心が一杯になっていたとはいえ、岩の中に悪夢と一緒に捕らわれている愛しい相手の姿を見ると、心が引き裂かれそうに辛かった。ミーラは岩の中の死体に近付くと、ほほえみを浮かべてその冷たい頬を撫でた。そのほほえみには、優しさと共に何か邪な影が宿っていた。

逞しくぞっとするほど容姿の整った護衛がミーラに近づいた。"死者の書"はまだその腕の下に抱えられたままだった。
「今度はわが主に仕えた者どもを呼び起こさなくてはなりませんな」
ミーラは頷く。
「壷を」
ロック・ナーは下僕に向かって言ったが、男は傭兵が歩いてくるのを見て急いで暗いところに紛れていってしまった。
「結構なものを掘り出したじゃないか」
レッドは馴れ馴れしく言った。吸い終わった煙草を指でぴんと弾いて捨てると暗闇の中で火花が散った。

レッドと仲間はつい今しがたグロテスクで、見た者に等しく不安を与える岩詰めのミイラの光景を目の当たりにしてきていた。

館長は顔をしかめた。三人の姿を見てスカラベの出現で中断された話を思い出したからだ。広げた手のひらを薄汚い赤毛のアメリカ人にぐいと突き出した。
「あのブレスレットだ! どこにある、すぐにここに出せ!」
「持っちゃいねえさ」
「どういう意味だ」
館長はかろうじて威厳を保ちながら詰問した。レッドは肩をすくめて言った。
「あれは……チャンスを逃がしたんだ」

一方ロック・ナーの方は、怒りをを押さえる気などさらさらなく、"死者の書"を砂の上に取り落としながら前に詰め寄るとレッドのシャツの前をつかんだ。
「あのブレスレットが要るんだ!」
二人の仲間が血相を変えて駆け寄る、手は銃に伸びている。

ロック・ナーがレッドを離すと、レッドは面子を保つような笑いをロック・ナーに浴びせ、仲間も俺たちの方が一枚上手だと言うように歯を剥き出してにやついた。
その時だった、ロック・ナーが偃月刀を抜き払うと辺りを一閃した。空気を切る鋭い唸りがした……幸いなことにそこには誰もいなかったが。

何かのスポーツの審判のように両手を広げて館長が進み出た。
「諸君! 止めるんだ!野蛮なまねはするな」
腕を組んで愚かな男達のいさかいを窺っていたミーラはほんの少し手で合図をすると、ロック・ナーは恭しく頷いて後ろに引き下がった。

ミーラは館長に近寄ると言葉を掛けながら腕に触れた。
「言ったでしょう、ロック・ナーと私でこの件は片付けるって……あれを手に入れること」
「はい、分かっておりますよ」
館長は大人しく言った。
「しかしあなた様の、その、何というか、昔の事で問題を込み入らせたくないんでね」

赤毛のレッドが何も二心がないと言うようにてのひらを見せて手を突き出しながら前に出てきた。
「何も気色ばむこたぁないぜ、誰も責めることもない。おれに説明させてくれたら、今の状況が手に取るように分かるぜ」
ミーラの声はその目と同じくらいぞっとするほど冷たかった。
「説明なさい」

肩を竦めてレッドは言った。
「ぶつがどこにあるか知ってるぜ。」

この章続く