About me 人間?コンピューター?
絵はここからもらいました。
Kくん >人間そのものとはほど遠かったコンピュータが、実は今もそしてこれから先もずっと人間の代わりなど本当はできないし、そういう存在を究極として目指しているわけでもないだろう、というのが僕の結論です。 > でも、だからコンピュータより人間の方が面白いという意味ではなくて、人間や人間の脳とは全然違うルールやシステムで全然違う世界を広げていくからこそ、コンピュータは凄いと思ったりするわけです。「人間と似てる」というとらえ方ばかりではコンピュータの神髄を見失うかもしれませぬ。 ふむふむ、そりゃそうだろ! うむそうだね!!うんうん!! などと相槌をうっていたら、やおら反対意見が出てきて、 Yくん >僕はコンピュータの事も脳が考えている以上、脳の構造に近づこうとするベクトルがあるような気がしてなりません. Nさん >とりわけコンピュータこそまさに脳だと僕も感じます。 >ではそのどちらが「コンピュータ&人間&脳論」の真髄かというと、やはり似ているという観点の方が発展性があるようですね。ただ、それだからこそ人間がコンピュータとは違うという視点も指摘しておきたかったのです。 と、コンピュータはやはり人間、または脳に近づく宿命だという方が優勢になってきたので書きたくなりました。 僕はやっぱり違うというか、ほど遠いという方に一票入れたいです。ほど遠いから一歩でも近づける方向に進んでいく、というベクトルの方向としては同じなのかも知れませんが、内包するロジックが根本的に違うような気がしてなりません!!「モトをただせば所詮1か0じゃねーか!」というのがここへ来て大きな意味だったりすると思っちゃいます。成り立ちを考えりゃ、1か0かの二元論をどこかに物理的に記しておくだけのシステムなんですよコンピュータなんて!! すばらしく流麗な曲線を表現するのに1か0の旗を1億個使って再現できた(何ビットだこれは?)としても、(最近ではまったく判別つかないくらいデジタルはアナログに迫っていますけど)モトをただせば1か0っていうのは、・・・なんか割り切れちゃう表現・・って感じがしてなりません(2で割り切れるとかいう意味じゃないよ)。 養老さんのNHKの脳の特集とか全部見た訳じゃなくて良く知りませんけど、脳の記憶システムだって1か0な部分ってのはいっぱいあるハズなんだけど、例えば刺激物質を出す器官があって、出せば1で、出さなかったら0という置き換えは十分出来て、それが100個あったら100ビット(?だったっけ)と見なすということは可能でしょうが、実際は刺激物質を出す信号は来てるのにこわれてて出ないのがあれば、さぼって出さないヤツもいるし、見当はずれな方に出すヤツもいるって次第で、思い通りには機能しなくって、しかし、そのような何割かはエラーがあるのが当たり前でそれをフォローする、または当てにしてる別のシステムも当然ある、というのが人体で(いやこれは全くのたとえなんですが)、そのようなとにかく割り切れないようなモノっていう感覚をわたしは持っています。(そのような複雑なシステムだって1か0で作れっていわれれば今じゃ出来るでしょうけど) しかし、結局、どのような複雑なシステム=例えばある人間の行動も、膨大な記憶容量さえあればかなり近いモノがプログラム可能という気もしてきて、行動のパターンが100億パターンくらいあっても、100億パターンのプログラムを組めばいいことなので、結局1ギガ1テラという容量がそれに0が10個くらいつくような時代になれば人間の脳になることも出来ちゃうという気もするんですが、(もっとも数パターンしかない、簡単服ならぬ簡単犬、簡単一家とおっしゃる御仁もいましたが・・・) しかし、やっぱりわたしは「人間の代わりなど本当はできないし、そういう存在を究極として目指しているわけでもないだろう」「脳とは全然違うルールやシステムで全然違う世界を広げていくからこそ、コンピュータは凄いと思ったりする」という方を支持したいと半ば感情的に思ったりします。(ちょっと論点がずれてきたかなぁ?) ('95.10.25) |