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'98.12.26
自殺のホームページが多いとは知らなかった。(僕も潜在的志願者だったんだけどなぁ...!)でも当然でしょう、こんな希望の持てない社会では。
常々思っていたけど、基本的人権に「自殺権」なんてのもあるべきだ。
なんでそう人の生き死にを警察が責任とるのか全く不思議。交通事故死者の数で警察の成績が決まったりとかするしね。
'98.12.18
日本は支持、ということは国民も支持しているということになるんだろうか?
もし国民投票で過半数が支持というなら、そういう社会の中に住んでいるのだから仕方がない気もするけど、しかしいつそう決まったのだろう??
あなた支持ですか?
'98.12.16
12月13日、画家の間所節夫さんが、24時間絵を描き続けるという実験パフォーマンスを行った。以前から間所さんには共感していたところがあったので、今回24時間つきあって記録撮影を試みた。この詳細はまた後日にアップしたい。
しかし実を言うと、ここのところ自身の生活にのみ終始していて、モノを”生み出す”とか”創造する”といったことをしていないことへの焦りが募っていた。そこへ彼のパフォーマンスがあるということで手伝わせてもらうことにした。だから、手伝うと言うより僕の方が「救って」いただいたような気分なのである。
ここ数日、友人に薦められ中島みゆきを聴いている。
こんなにどっぷりと聴くことになるとは夢にも思わなかった。正直言って今までまともに聴いたことがなかったのが恥ずかしい。
こんなに悲しい歌をはじめて聴いた。
だからこっちに書くことにした。
'98.12.10
先日、麻原弁護団の主任弁護士が逮捕、というニュースがありました。この人は死刑廃止運動などにも取り組んでいるとも報じられ、その人が金銭授受で逮捕?ということで、なんだか胡散臭そうな話、と思っていましたが、このような告発ページがありました。ガサ入れ時の捜査二課の面々の顔写真もあってなかなかすごいページ!
'98.12.2
沖縄県知事選は巨大広告代理店(今回は電通)の勝利だったそうで。
筑紫哲也 さんが『週刊金曜日』第244号(11月20日)に書いているそうです。
オリンピックの時に書いたことを思い出しました。今や我々の生活を取り仕切ってるのは政治家でも官僚でもなく、実は大手広告代理店だったりするっていうのが現実になってたりしたのでした。
自我作古 第170回 沖縄知事選 広告宣伝技術の勝利(筑紫哲也)
'98.11.27
昨日(26日)デニス・チェンバースが福井に来ました!私はなんとPAやってたのですが、メッッッチャすごかったです。ああ、カッコよかった。
(デニチェンていうのは、いまや世界の超売れっ子で、超強力なビート&テクニックで定評のあるドラマーです。)
いやぁ、ビートがエモーショナル!、に加えて、16の6連譜とか、いや32かな..たたきまくってました。左右に広がるシンバルを瞬時に連打するスピード!
今回のライブは実はKANKAWA(日本人)というオルガン奏者がメインで、この人はかの神様ジミースミスの弟子だそうで、定番のハモンドB-3に馬鹿でかいレスリースピーカーをつないで爆音出します。といっても広いダイナミックレンジを十二分に生かして、蚊の鳴くようなちっちゃーい音から腰の抜けそうな爆音までを自在にコントロールして、情感豊かな演奏を聴かせます。(一応)世界で認められてるミュージシャンです。
メンバーはあと、ギターがフィル・アップチャーチという人、ベースにナニワエキスプレスの清水興が来ました。
KANKAWAって人はもう耳がイカれてて、相当な爆音にしないと満足しません。全体がものすごい音量で、ふつうミキサーも少しぐらいピークオーバーしててもメーターが振り切りながらも動いてるものですが、昨日は完全に針が右端で止まっていました!!
しかし、実際客のほとんどはKANKAWAよりデニス・チェンバースを見に来てて、かっこいいフレーズが出る度におおーーと拍手が鳴るので、後半のソロは、一人で10分以上やってました。それで気分が良かったのか、めったにサインなどもしないということでしたが、昨日は自分からファンのところに降りてきて、サインはするは肩組んで写真は撮るわ、サービス満点でした。
いやぁほんとおもしろかったです。
(ちなみにおとといは大阪バナナホール、今日は名古屋らしい)
'98.11.16
とても残念です。大田知事。
今の日本で本当に信念を持った数少ない政治家が表舞台から退く結果になってしまいました。
またもや経済破綻が、下すべき判断を誤らせたのでしょうか。
フリューゲルスがマリノスに合併するというニュースに、「ニュースステーション」では不況のために一つの文化を切り捨てるという結果になんともやりきれない、みんながサッカーをもっと見ることで救えないのだろうか...というようなコメントを川平慈英がしていましたが、その後の久米宏のコメント、「今、不況不況と毎日お伝えしているわけですが、我々はなにも、不況を打開するために毎日生きているわけではないんですよね。すこしでも豊かになりたいと思いながら生きてるんですよ。(毎日不況に悩むより)近くの競技場にサッカーの試合を見に行く方が豊かです。サッカー見に行きましょう。...」
これには感動しました。
今後日本経済が昔の上り調子を取り戻すことなんて多分もうないでしょう。今の状態の中で細々と、しかし心は豊かに生きていくことを、そろそろ考えましょうよ。
政府主導の経済振興策なんて(もう目に見えているでしょ)、とても”豊か”になれるとは思えないんだけど。
'98.11.6
沖縄県知事選(戦)絶賛展開中!!
ここやここ。
大田知事がんばれ。投票権はないからお金でも出してみようかなぁ...
'98.10.29
昨夜、深夜にふとスターチャンネルを見ると、なんと春川ますみがダブダブの衣装を着てサーカス小屋でふくらんでいるではありませんか!こ、これは「田園に死す」だ!
どうせならちゃんと見たかったけど、十数年前に見て受けた衝撃がよみがえりました。その時に脳裏に焼き付けた短歌とシーンがよみがえりました。
”売りに行く柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯れ野行くとき”
いまだに彼の表現は色あせていない、と衝撃を新たにしました。
そのあと衛星劇場ではたけしのソナチネをやってましたが、深夜に(超)暴力的な映像は殺伐とした気分になるので寝ました。
あ、今日の夜は「さらば箱船」だ!!
'98.10.24
5カ月振りに更新します。
なんだか更新というのも、一回一回きちんとしたページを作ろうと思うとなかなかやる気にならないのですが、日記調でイージーにちょっとだけ書き込んで更新するページというのを作ると更新頻度が上がるのではないかと思うのでやってみることにしました。
とりあえず、ここ5カ月を振り返っておこう!
6月頃(だったかなぁ...)
インド・パキスタンの核実験についてよく行く飲み屋のマスターとの会話
マスター:ウチの娘が職場にいるときにテレビで核実験のことをやってて、見てる連中が難しそうな顔して見てるところへウチの娘がやってきて「やれやれー」とか言ったらしいんだけど、職場の連中は「おいおい、やれやれとか言ってるヤツがいるぞー!」なんて言って驚いてたらしくって、そこへちょうど妹の方が迎えに行っててその場に居合わせたんだけど、帰ってきて言うのが「お父さん、ウチって世の中とずいぶん(考え方が)違うんだね!」って。で、「なんだ、今頃気が付いたのか」って言ってやったんだよ!!
僕はペルーのMRTAが日本大使公邸で人質を取った事件について、(不謹慎ながら?も)MRTAを必ずしも非難しません。それは彼らが他に取るべき手段もなくああいった行為に及んだ(かも知れない)と推察できるからです。人権を蹂躙することが非難されるならまず非難されるべきはフジモリ・ペルー政権であるかも知れないからです。同じく”人権を蹂躙した”のならばその手段として”権力”を振りかざして遂行したという方が悪質とも思えます。MRTAはあのような大事件を引き起こしたことでペルーの悲惨な状況(フジモリ政権の強権的弾圧等)を世界に知らしめることに成功した、という点ではむしろ功績を挙げたとも考えられます。(メジャーなメディアではもちろん殆ど伝えられませんでしたけどね。)
同様に、現在のCTBTが、大国だけのご都合主義なザル法だと世界に知らしめたのがインドの核実験だと言えるでしょう。日本はお世話になっているアメリカにこそ、核(実験)廃絶を訴えましょうよ。
話が混同しますが、テポドンが飛んできたときに、岡本行夫が言っておりました、アジアの緊張を解く努力をすることによってアメリカの核の傘は必要ではなくなる、と。そうです、雨が降らなければ傘は要らないじゃないですか。
これも6月
ワールドカップでものすごく感じたのは、選手と、会場にいるサポーター達と、いっしょに国歌を歌いたい!ということでした。この興奮を現地にいる人たちとリアルタイムで共有したいと思いました。しかし、しかしです、別に選手と気持ちを共有するのに、「君主様の世の中は永遠に、小石が大きな岩になって苔がむすまでも続くことでしょう...」なんていう歌詞を歌いたくはないですよね。別に誰の国ってわけでもないのですから。例えば自分の国に誇りを持つ歌なら、そうですねぇ、さしづめ日本の場合、やっぱり野山の美しさとかふるさとの美しい景色に誇りを持ちたいと思うんじゃないでしょうか。そうなると、そのような歌が、あるじゃないですか、「うさぎ追いしかの山 こブナ釣りしかの川 夢は今もめぐりて わすれがたきふるさと...」ま、歌詞を口ずさむと、ちょっと荘厳さに欠ける気もしますが、メロディーは十分に国歌に値するものだと思うんです。アレンジ次第でそれっぽく聞こえるようにも作れるし!。でこれからは「ふるさと」を国歌にしよう、を提案しようと考えつきました!(ま、国歌は「君が代」でもいいから、国民の歌というのを別に作ってもらって、オリンピックや式典にはそっちを流すことにしてもらえないもんでしょうかね...)
この夏は7月、8月と大工をしていました。
実家の車庫を車庫付き2階建て家屋に改築した。設計から完成までほとんどに関わることができていろいろおもしろく勉強ができました。安く家を建てたい方はご一報を!!
8月
大阪厚生年金にCHARのライブを聴きに行く!チキンジョージに行けなかったのが心残り。
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ジャコ・パストリアスの名前をこの夏3回耳にした。最初は大工仕事を一緒にやった某ベーシストとギタリストの会話でジャコパス・トリビュートアルバムというのが出ていることを聞いた。2回目は、大学時代に一緒にバンドをやってたベーシストの友人が、今ジャコパスの本を読んでいる、と言う話。「こいつやっぱり天才やぞぉ...」。3度目は知人からのメール、古いビデオを整理してたらジャコパスのビデオにカビが生えとったぁ、どーしよー...、今年は梅雨が明けなかったから...。
9月は特になし。
10月
劇団シベリア寒気団東京公演「観光ジェンカ」の手伝いで東京へ付いて行きました。
まあ、楽しく見たり、泣いたり、考えたりがあるのは毎回ですが、今回は(一応)スタッフということで何回も見る機会があったので、芝居の世界により深く入り込むことになりました。
「終わらない観光旅行」、「ジェンカ」(坂本九の歌うフォークダンス)をテーマになぜかカッパの村のお伽話(しかし現実)というようなものでした。人はいつしか誰もが日常に退屈するようになっているのですが、観光旅行というのはいわゆる一番手っとり早い”非日常”であります。でそれが終わらないというのはとても嬉しく幸せなことのようですが、終わらなくなった時点で途端にそれは”日常”と化してしまうのであります。両者の狭間で行き交う人間感情のもつれというか葛藤みたいなものがカッパの村という近未来的お伽の国の中で展開されるというもの、と私は理解しているのですが、どうもこの状況は私自身の生活そのものではないかと思わされ考え込む次第です。
なんとか日常から逃避したく、脱サラしましたが、このまま例えば実家でなにか生活手段を見つけて暮らしはじめるとまた違った、もう抜け出せない日常にはまり込みそうだし、実家に戻らず定職に付かないとしても、なにか一定の収入を得る手段が定着してくると、またそれは抜けにくい日常となるのです。結果、不定期に舞い込む仕事を適当にこなし、時折親の顔を見に実家へ帰り、たまに東京なぞへ理由を見つけて行ったりするのです。日常が日常化しないように必死だったことに気が付きました。
takaya@mitene.or.jp