Music Column 人間?機械?Human or machine 2
絵はここからもらいました。
さて、1では機械仕掛けのギターの話だけで終わってしまいましたが、・・・・・ ええ、ギターマシン、ここでは、音を鳴らす部分だけはアナログなエレメントが用いられているわけですが、さらにコンピューターミュージックと呼ばれる世界では、演奏者の生の演奏の音質を、音源、あるいは生の音を実際に録音(サンプリング)したものを用いて再現できるばかりか、音を発音するタイミングや間合いといった、曖昧な時間情報まで、非常に細かい時間単位で設定することができ、人間の演奏に極めて近いものを作り出すことが出来るのです。 しかしこれらの仕組みは、おそらく、人間のやることを機械にマネさせるというのではなく、たとえば、作曲のプロセスが変わり複雑に構成された曲も作ってすぐ聴いてみることが出来て作りやすくなるとか、レコーディングを行うときに簡単によりクォリティーの高いものを生み出すことができたり、従来では出せなかったサウンドを作り出せたりとか、あくまで人間が行うクリエイションを支援するための仕組みとして発展してきたと思うのですが、しかし、デジタルレコーディングという録音技術の発達でも現されるように、これらの技術は、人間の創作した音楽というものを寸分違わず再現することをも可能にしているのです。極端に言えば、カラヤンが振ったベルリンフィルの、1972年の「田園」の演奏を全く同じに、一人一人の楽器の音程のチューニングの具合まで、タイミングのわずかなはずし具合まで、もちろんビブラートの速さとその変化、アンサンブルの微妙な息づかいまで全く同じに(といっても、物理的数学的解析的にイコールまでいかなくても、聞く方の人間の耳に判別できない程度まで同じならこの議論においては十分なのですが)、機械の音で作り出すことができるでしょう。 さて、ここでやっと本論にはいるのですが、このようなテクノロジーでもって、たとえば、コンサートホールで生のオーケストラが演奏するのと、機械の演奏を巨大なスピーカーで鳴らして、耳で聞いただけでは全く区別がつかない音が鳴らされたとしたら、目をつむって聴いていたら機械なのか人間なのかわからない演奏会を体験したとしたら・・・・我々は一体何に感動するのでしょうか?・・・・機械の音には感動するのでしょうか?・・・・するとしたら人間が創り出す音楽芸術とは一体何をもって芸術作品と呼ぶことが出来るのでしょうか?・・・・感動を呼び起こす力とはいったいどこからどのように発せられるのでしょうか?・・・・ つづく (カラヤン&ベルリンフィルが1972年に「田園」を演奏したかどうかは定かではありません。アシカラズ) |