an opinion
絵はここからもらいました。

今年中に考えたいこと



本年中に考えたいと思っていたことがあります。

キーワードは・・・
 インディペンデント、戦後50年、沖縄米軍基地問題、95年安保、フランス核実験



 以前、弘兼憲史氏のマンガのことで気になることがありました。ミスターマガジン連載の「加治隆介の議」というマンガです。その、気になる展開のところを読んだのは春くらいのことです。内容を簡単に書きますと・・・

 政治とは関係のなかった、大物政治家の息子である主人公が、父の死を契機に政治の世界に入り、政界再編の時流に乗り、(私が読んだ時点で)官房長官にまでなって、外交に力を入れようとしているというところでした。そこで、ストーリーの中で急浮上した問題は日米摩擦でも慰安婦問題でもありません。なにかというと、”北朝鮮の脅威”です。日本海側では北からのスパイが上陸することがあるなんて話がタダの冗談ではないことは知ってはいましたし、たしかにいつぞやはミサイルが日本海に撃ち込まれたり、核開発疑惑で騒がせたりと話題には事欠かない謎の国とはいえ、マンガのようなメディアで露骨に、「現在の状況は、北朝鮮からいつ攻撃を仕掛けられても不思議ではない緊張状態である。早急にしかるべき場所に米国製のパトリオットミサイル(皆さんご存じの、イラクのスカッドミサイルや北朝鮮の労働(ノドン)号を迎撃できるミサイル)を配備しないと日本の国土を守ることは出来ない」といった具体的な議論が、フィクションと称しながら噴出しているのを読んでいると心穏やかならざるモノがありました。

 そのマンガの中ではPKOにも触れていました。日本はお金しか出さなかった、アレです。90億円も出したけど、人(兵隊)は憲法の枠組みを越えるので出せないという、アレです。これについて何と書いていたかというと、”例えば、洪水などの災害である集落が水没しそうなときに、すぐに皆の力を合わせて洪水対策の作業をしないとたいへんな被害になりそうだとします。その時に各家庭から一人ずつ労働力を出すことになりましたが、ある人が一人だけ、ウチは家の事情で行くことが出来ないけどお金はいっぱい持ってるのでお金なら出しましょうと言ったとしたら、そんな言い分が許されるでしょうか?”という説明でした。世界の平和を維持するために世界の警察といえる人員(軍)を各国から出すのは当たり前で、日本もその義務を果たせないでいる限り世界の中で一個の成熟した国家とは認められないのだ、平和はタダではないのだ、代償を支払って初めて享受できるのだ、と。

 また、軍隊、軍事力など必要ないと言う人たちがいるが、それでは外からの侵略に対して国民を守ることは出来ないし、政治家としては(主人公が政治家)国民を守ることが第一義であるので、他の予算に優先してパトリオットミサイルを買わなければならないし、PKOに人員を兵力として派遣しなくてはならない、とも書いてあったと思います。

 安全保障の話ではありますが、日本という国家の独立というニュアンスで書かれていたと思いました。だから、きな臭くはなくクリーンなイメージであったと記憶しています。
 春過ぎから、これを読んだことで頭の中をむんむんといろいろなことが巡っていました。そのように明快にわかりやすく(マンガで)書かれてもしかし支持する気にはなれません。ではどういう反論をすればいいのかわかりませんでした。

 そこへ来て、夏前から戦後50年が喧伝されるようになりました。この50年は日本にとってどういう期間だったのでしょう?いろいろなテレビ番組がいろいろな回答を出しました。しかしものすごい事件は時を同じくして、こんなバッド(グッド)タイミングでどうして起きたの?っていうくらいのことがおきました。沖縄米軍基地で米兵による少女の暴行事件、これには正直、今の世の中にそんな馬鹿なコトするしかも駐留米兵が?ほんとにいたの?信じられない!(私の頭の中も平和だったんだ!)、という気持ちでした。大きな問題になるだろうにと思っていたら、”本土”に暮らす私などの予想をはるかに凌ぐ大大大問題に発展しました。

 もう一つの大事件が起きるのにさほどに時間はかかりませんでした。フランスが核実験を再開するというのでした。すでに5回(95年末現在)実行されました。フランスは”抑止力”ということばで説明しました。

 これらのことが、すべて一本の線上でつながって示唆したものは、おわかりでしょうが、「アメリカの傘」です。

 50年前、人のウチに土足で上がり込んで、殺すは、ものは取るはのわがまま勝手のし放題、悪行の限りを尽くした「J」は、そのことでまわりの大人達にこっぴどい懲罰を受けました。「A」さんの厳しい保護監察の下で徐々に更正していった「J」は、仕事はちゃんと出来るようになり自分で食べてはいけるようになったものの、自我を確立する間もずっと長い間「A」さんと一緒で、厚い庇護の下で暮らしたために世の中の渡り方がわからなくなってしまい、自立する事を忘れ、一生「A」さんの家にやっかいになることに決めてしまいました。せっせと働くだけ働いて「A」の言うことさえ聞いていれば幸せに暮らせました・・・・。しかし「J」もいい大人になって言うことだけは一人前のことを言うようになりました。

 日本がPKOに派兵したりして国際貢献を言うのは、いつまでもアメリカに守ってもらってはいられない、という、まあ言ってみれば前向きな取り組みではあります。しかし、50年もの間われわれは雨風の厳しい世の中をひとりで渡り歩くことを放棄してきたので外的世界にどんな風に対応していいのかわからなくなってしまってるんではないかと思ったりします。そのことがはからずも、米軍基地少女暴行事件で、地位協定なるものに目を向けることになり忘れほうけていた頭をガンとたたかれ、フランス核実験反対に至っては、「これまでずっと自分で自分のことを守ってきた自立した国」は「自分で軍事力(防衛力)を持つ必要のない国」に、大口たたいて責められる筋合いはない、みたいなことまで言われて、アメリカに守ってもらっていた日本には世界の安全のハナシには口も挟めないのだろうかと改めて自分の立場を鮮明にされてうろたえる日々でした。(誤解を恐れずに書けば)核実験反対には、被爆国でなかったなら日本には全く発言権などなかったのかも知れません。

 アメリカの世話には絶対にならないと言って(核実験データの供与の申し出まで受けながらそれを断ってまでして)、周囲の批判をも省みず厳然と実験を続けたフランスの姿勢は、核の不条理ささえ除けば立派な態度と評価されるべきものと思います(しかし核の不条理さがこの問題の全てなので間違っても賞賛はされませんけど)。

 だから、日本はちゃんと自立した主権国家として防衛力もきちんと整備して周りの国々と互角に渡りあって行くべきだと言いたいかというと、全くそのようなことは言いたくありませんで、やはり、結局はここのところへ帰ってきて、どういう姿をめざすべきかを、原発に依存しないと生きていけないけれどもやっぱり原発は危なくて恐くて、これ以上いらないとは言えるけど全くいらないとは言えないわが国我が県の状況とあわせて苦悩してしまう、'95年戦後50年の晦日なのでした。

 最近この種の議論がなされるようになって、マンガでも他にも日本の自立を論ずるものも出てきています。しかし、以前に弘兼氏の件のマンガが、どこかで書かれていたように、政治のプロパガンダの一端を担っていた側面も見逃せません。北の脅威なんて、昔西側社会において仮想敵国を想定して急速に武装、緊張していったのと同じじゃないか、歴史をまた繰り返すのかと言いたくなります。(しかし、北朝鮮の現実がどうなのかを私には知る由もありませんが。)

                     ('95.12.31)




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