三日月地蔵尊と花だんご
鳥羽中三日月地蔵尊まつりの由来は、いまから150年前、修行僧が巡礼中に眼を患って失明しそうになったとき、各地の地蔵尊に開眼を祈りつづけました。
その甲斐あって、患っていた眼は全治しました。
こののち、ご恩返しをしなければと思いつつひたすらに巡礼をし、鳥羽野に至りました。そして、天谷與左ェ門(注)宅に投宿したその晩“濃州の三日月地蔵尊の分身をこの地に建立せよ”と夢のお告げがありました。
それから4年、托鉢でその資金を集め、夢のお告げの濃州の地蔵尊の分身をもってこの地蔵尊が建立されたと伝えられています。
このまつりは、建立当時から2/24.7/24に欠かすことなく執り行われています。
2月24日は御来子講といわれ、「花だんご」がまかれます。
この花だんごは、その年の役員と班長によりお世話をすることになっています。
町内の班数は、10班あまりですから、大体10年に一度そのお世話役が回ってきます。なかなか、面倒はかかりますが、わが町の歴史ある言い伝えを、後世に正しく伝えよう誰
もが誇りをもって頑張っています。
仙人堂住人 柴田哲朗
注 天谷與左ェ門の末裔で現天谷小之吉氏は、現在当三日月地蔵堂のとなりで整骨院を経営しておられる。
伝承に先祖が記されていることから、この地蔵堂に関した肩入れはひとしおである。
2月24日、7月24日の地蔵尊まつりはもとより、普段からお堂周辺の整備はもとより清掃等に努めておられる。
また、三日月地蔵に関わる言い伝えをリーフレットにまとめ、地元の子供たちに貴重な歴史を伝えている。
小之吉氏は書もたしなむ。独学ではあるが、個性とはいえ、その自愛に溢れるその書体は、真に小之吉氏そのものである。
お堂のなかに掲げてある由来額の書は、小之吉氏によるもので、分かり易くまとめられている。
なお、由来にでてくる“濃州の三日月地蔵尊の分身・・・”とあるが、これについていろいろと手お尽くしたが、その存在が確認できなかったとのことである。
このたびの、地蔵尊を見直すことを機に、何とか“濃州のご本尊を探し当てたい”と気を揉んでおられるらしい。
分からずに現在にいたっていることから、なおさらこの地の地蔵さんに“愛着と愛おしさを感じてくる”とのことでした。
花だんご
一週間前には、団子は作られます。
材料は、米を粉にしてから始まります。
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・まず、町内の子供たちが、各戸を回り約十升の米を集めてきます。
・柴田哲朗宅で粉に挽き、原材料が出来ます。このとき、もち米を二升ばかり粉にします。
・米粉ともち米粉を約8対2で混ぜ合わせ、水を加えて練り上げ、お絞り位の大きさに整えます。(手につかない程度の硬さ)
・蒸しあげます。(餅とおなじ)
・杵で搗きます。(餅とおなじ)・・このとき、赤・黄・緑の各搗き上げます。
・上記の各色をチクワ位の大きさにして、一本に寄せます。
・三本の副え箸で窪みを付けます。(切ってからの花びらを模して付ける)
・翌日、硬さ加減をみながら包丁で1cmほどの厚さに切ります。
花団子まき
2月24日 午後5時地蔵堂へ長久寺(松平忠直卿菩提所)橘照泰住職を招き、読経とお説教があり、こののち花団子と供えられたお菓子とお神酒等が参拝者に振舞われます。
また、地蔵尊の供えられた大きなお鏡は、小さく切られ町内の各戸に配られます。
ご利益
目の患いや、むかし村の大火のとき、この地蔵堂で延焼がくい止められたとのことから、火事の守りにも益があるとされています。
そのほか、願事は叶えられると伝えられております。
三日月地蔵尊の由来