「忠直卿」街道を往く
概要
兄でありながら弟秀忠に将軍の位を譲り、34歳で急逝した結城秀康。その父の不遇な宿命を負った嫡子松平忠直は、大坂夏の陣で大活躍。その後なんの沙汰(ご褒美)もないことから、藩主としての面目を失っただけでなく大いに鬱憤にさいなまれることとなる。
当時としては、将軍に忠誠を誓うべく参勤に努めようと出立したが、最初は今庄にて発病し半月止宿して北の庄へ戻る。名代として仙千代が勤めた。
次の年の参勤では、関が原で病となり4ヶ月滞留の後北の庄へ帰っている。
1623年には、不行跡が幕府に障り豊後萩原に配流、のちに津守に移され56歳で没した、とあることから悲運の殿様との言われるゆえんである。
諸説はあるが、神明の地開祖(大恩人)の暴君説を払拭まではいかなくとも、忠直卿もたどったであろう北陸道の要所を訪ね・・・揺れ動く心の葛藤に想いをはせようとするものです。
なお、やるにはそれなりのアピールが必要であるので、少しでも当時(380年程前)の苦労を知るため、衣装もさることながら被り物(笠から横ゴザ)から履物(ワラジ)、食事(乾飯、竹の水筒)まで再現したいものです。
神明を越えた参加を願っています。
以下にその概要(案)を立ててみました。
仙人堂住人 東 定男
1 日時 第一日 平成13年10月7日(日) 午後1時〜
福鉄鳥羽中駅から上鯖江交差点まで
約6・5km 2班による
歴史の要所
三日月地蔵尊
長久寺
兜山古墳
烏ヶ守(神明社)
鯖江地係(観光ボランティア)
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第二日 平成13年10月13日(土)午前8時から〜
日野川の河川敷サイクリングロード
25km 5班による
日野川の河川敷サイクリングロード
19km 5班による