風の足音

 平成9年1月26日に、作家の藤沢周平氏が亡くなられた.今までに一番強く影響を受けた作家だったので、今は、寂しいとしかいいようのない気持ちだ.文芸春秋別冊の追悼特集号にはいろいろな方が追悼の文章を書かれているが、その中のひとつの文章にとても心を打たれた.

 それは、中学校時代の教え子たちに対して本人の遺言で、遺族と同じように、遺骸のお顔を見ること・葬儀の際に最前列に並ぶこと・遺骨を拾うことが許されたと書かれていたことである.職業としての教師は結核という病気のために挫折したが、教え子たちには、最後まで本当の意味での先生だったのだ.人生の先を歩いて行く先輩として、最後まで人を思いやる優しさに満ちていて、作品の中から溢れてくる暖かさがその人柄からも感じられる.死の床で死後の他人のことさえ思いやれる強さはいったいどこから生まれてくるのだろう、とうてい私にはこんな立派な生き方はできそうにもない.

 落合信彦さんが、”アメリカよ、アメリカ”で、ロバート・ケネディを人生の師と決めたと書かれていたが、それなら私の人生の師は藤沢周平さんだなと思ったのは、もうずいぶん前のことだ.”周平独言”や”小説の周辺”には心に残るエッセイがたくさんあって、小説とはまた違って藤沢周平さんの生の言葉がたくさん堪能できる.亡くなられたとなるとよけいに感慨深いものがある.

 その中の”書斎のことなど”には、
”わたしは所有するものは少なければ少ないほどいいと考えているのである.物をふやさずむしろ、少しずつ減らして生きている痕跡をだんだん消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終わることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する”と書かれている.

 この文章には心に響く何かがあって、以後私の人生の生き方の目標になっている.物に囚われない心、自分らしさを失わないことを心がけている.まだまだ、いろいろなことに囚われながら生きていて、当分到達できる境地ではないが、一生かかってそこに少しでも近づきたいと思っている.人間は死ぬ時には、何も持っていくことはできない.たとえそれが愛する家族であっても富や地位であっても.

 藤沢周平さんの小説に登場する名も無い人々は、江戸の町の片隅でけなげに毎日を生きている.そこからは、作者の”それでいいのだ、一生懸命生きていけばいいのだ、何もえられなくても、一日一日を自分なりにつつましく納得して生きていけばいいのだ”というメッセージが聞こえてくるような気がして、名も無き人々の姿を通して、御自分をも含めた応援をして下さったのかもしれないなと思ったりする.

 藤沢周平さんの小説の魅力は、自然描写の美しさにもある.同じ雪国のせいか、雪が解けて春になっていく山々の様子や、雪解け水で増水した川の流れの速さ、野鳥のさえずり空の色と全てが想像できる確かさである.郷里山形県鶴岡市の豊かな自然の中で、子ども時代を過ごしたことが、大きな遺産となって行ったようだ.

 ”漆の実のみのる国”を読んでしまえば、藤沢周平さんの本は完結してしまう(全て読んでしまう)ことになる。はやく読みたくもあり、読みたくもなしといった心境だが,亡くなられてすでに3年近くが経とうとしている。いい加減に自分の中で,けじめをつけないとと思っている。この年末年始には,「漆の実のみのる国」を読みたいと思っているが,感慨深いものがあるだろうなあ。

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