早 春

 この本は平成10年1月20日に第1刷が出されている。つまり藤沢周平さんが亡くなられてから,約1年後に出版された本ということになる。

 実際は,「深い霧」は平成5年12月号のオール読物に,「野菊守」は同じく平成6年12月号に,「早春」は昭和62年1月号の文学界に掲載された作品である。

 「深い霧」は,藩の陰謀に巻き込まれるという設定が「暗殺の年輪」を思わせるが,最後の展開が陰謀に巻き込まれても,しっかり自分の立場を守り抜く主人公原口慎蔵の生き方が違っている。

 「野菊守」は,最後まで読み終えて,題名の付け方にうならされた。
 斎部五郎助は昔の剣の腕を買われて,菊という若い女性の警護を依頼されるのだが,その菊の描写を
 「花にたとえるなら,まずは野菊だろうかの,と五郎助は柄にもなく思うことがある。ただしその感想は,多分に娘の名前とむすびついているので,五郎助が急に詩人になったわけではない。」
 と書いている。

 「早春」は純文学の雑誌「文学界」に掲載された作品である。晩年の作品は,時代物の小説を純文学に高めたという評価があるが,この作品を現代に置き換えて書く必要があるのだろうか?
 「藤沢周平の世界」で向井敏さんが「早春の謎」という一文を書いておられ,「三屋清左右衛門残日録」の一文と「孤独」ということで対比させている。60才の時に書かれた作品だが,毎日の生活の中でもこれほどの孤独感を感じていたのだろうか?
 時代小説の制約の中では,たとえば長男が他家へ婿に行くなどということは絶対に許されない状況であり,また娘も離婚裁判中の妻子ある男の元へ去ってしまうという状況は,不義は御法度の世界ではあり得ない設定になる。家という物が現代の暮らしの中では,絶対ではありえない時代である。家族というものの脆さ・孤独感・寂寥等を描いたといえばそうもとれるし。
 藤沢周平さんの年代になって読むとまた新たな解釈があるのかもしれない。 

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