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太鼓持ちの発生と歴史の流れ |
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武士同士が争った戦国時代(1500〜)頃になりますと、諸国の大名のお側にいて知識や情報力を供え総合判断やアドバイスも出来て、ユ-モアを持ってお相手を勤める事も出来るお抱えのお側同朋衆は「お伽衆(おとぎしゅう)」とか「話衆(はなししゅう)」とか言われ定着し始めました。 下剋上の戦国時代に最初に頭角を表した革命的大名織田信長(おだのぶなが)様(1534〜1582)は京都本能寺(ほんのうじ)で倒れ、その後天下を取った豊臣秀吉(とよとみひでよし)様(1536〜1598)には多くのお側衆(おそばしゅう)が集められ、その中から(架空の人物?かどうか不明)刀の鞘師「曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)」様と申される頓知のきく面白い方がおられて色々な逸話が伝承されております。 秀吉様が関白(かんぱく)職を辞し太閤(たいこう)の称となってから「曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)」様が、太閤様のご機嫌が悪いとご機嫌伺いをして、太閤様を持ち上げてはご機嫌良くするので、「太閤様を持ち上げる」から「太鼓持ち」となったなんて、信用できない様な太鼓持の語源?が言い伝えられてもおりますので、多分この頃にお相手のご身分に関係無く自由に発言できる特殊な立場「お伽衆・話衆」の中からお相手を楽しく上手に持ち上げる事が出来る人を「太鼓持ち」と言われる様になって、その地位が定まって来たのではないかと思われます。 |
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