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海は ひとをつなぐ        

海は ひとをへだてない    

やさしい 母のような  

大きな海 

 

  私の村////漁業漁村の歴史文化百選// 蘇洞門めぐり//

◆◆◆ トピックス ◆◆◆

海の道は奈良に続く〜奈良室生の海神社に泊の若狭彦姫神社と同じ神様が鎮座 2006.8.5

韓国の高校生が記念碑を訪問 海の道をつないでくれる若者たち 2006.7.20

アジアの留学生・日本人学生・NPO」の混合団体で「海を越えたアジアの友情」を探しに訪問 2006.8.14

韓国・鳥取・小浜・そして未来をつなぐ交流展 時代を越えて吹く交流の風

未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選展

  

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  index-old2005.7.3


「風の吹いてきた村」ストーリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STORY OF 「風の吹いてきた村」

ふるさと紹介

 私の村のご案内をします。若狭湾にのびる内外海半島の先に泊(とまり)があります。村の背後には夫婦亀や大門小門など天下の奇勝をほこる蘇洞門があり、美しい風景に包まれています。箱眼鏡から海底を覗いてアワビやサザエやわかめをとる磯見漁などの伝統漁法も残る「海に生き海に生かされる村」です。戦時中まで鉱山のあった岬に続く道に、地蔵(三十三所観世音)ありました。今は寺の境内に鎮座して微笑んでいます。ふるさとの平安と祈りがあります。この豊かな自然や伝統や精神文化を未来に継承するために村で泊の歴史を知る会を結成し、伝統行事歴史・民俗を再発見し記録し続けています。村の氏神様若狭彦姫神社で車座になって酒を汲みかう酒事などの伝統行事も継承されています。民謡「泊盆踊り唄」など民俗文化を記録したり、村のかわらばんを発行するなどの地道な活動を続けてきました。若狭彦姫神社の近くに、泊岳の山麓から流れる水があふれ出る名水まじょ川があります。最近、名水を復活し区民のいこいの場になっています。泊新漁港が完成し区民が集い夕涼み会 盆踊りなど新しい交流行事も始めています。泊写真ニュースふるさと近況ファイル 泊の昔(写真集)でも紹介しています。韓国船遭難救護の碑が水産庁未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に指定されました。私たちはこの美しいふるさとを大切に守り子孫に継承していきたいと思います。

歴史・国際交流

この村に1900年1月12日、韓国船遭難し、93人を救護した歴史があります。事件から2000年1月、韓国の大学教授の提案で百周年を記念して韓国船遭難救護百周年記念事業行いました。日本語と韓国語で表記した絵本「風の吹いてきた村」出版、現場を望む海岸に「海は人をつなぐ母の如し」と刻んだ記念碑を建てました。側には少年の像がアジアを見つめて立っています。海の少年は歌い続け語り続け海風がオーケストラを奏でます。この美しい風景の中に子どもたちは遊び、祖先の魂も遊んでいます。記念碑の前で国際的なバイオリニスト丁讃宇(ジョン・チャヌ)さんが「イムジン河」など美しい曲を演奏してくれました。雨森芳洲の生誕地高月町雨森の小中学生が来訪しサムルノリの演奏をしてくれました。韓国の浦項海洋科学高校サムルノリのメンバーも来日しコンサートをして交流をしました。韓国の高校生たちは2000年以来、毎年船で小浜に来航し、記念碑を訪れています。筑前琵琶の川村旭芳さんと日本胡弓の木場大輔さんが千年の風音楽会 を村の海照院で開き、韓国船救護の話を琵琶語りで演奏しました。2003年には日韓友好のつどいが開催されました。韓国船遭難救護記念碑訪問者は多く国内はもとより、韓国からも多くの訪問者があります。日韓の鯖街道を歩いた間宮武美さんのように日韓の心の街道の基点として訪ねてくださった方もあります。 記念碑公園ではムクゲの美しい花たちが微笑んでいます。今後、ムクゲを植樹し続け国際交流の基点となるムクゲの公園ムクゲ咲き誇ることを夢見ています。私の村は地球郡アジア村字泊です。2006年に、韓国・鳥取・小浜・そして未来をつなぐ日韓交流展を開催しました。2006年水産庁未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選定されました。小浜市御食国若狭おばま食文化館百選展も行いました。

夢海道 

 若狭小浜はアジアに海道が続く海の玄関です。私は小浜水産高校の実習船雲龍丸で小浜から函館へ、隠岐へ、佐渡へ、韓国へと海道をゆくをテーマに航海し、歴史を再発見してきました。 2000年、ついに小浜から韓国への海道もつながり、小浜の高校生が韓国へ、韓国の高校生が小浜へと、船で行き来して5年目となります。 朝鮮語の「ワッソ、カッソ」(行ったよ、来たよ)が「若狭」の語源かという説がありますが、この相互交流はまさにそれです。海をつなぐ若者はやがて国をつないでくれます。小浜湊は夢湊、つづく海の道は夢海道です。人生に夢なくして航海はできない。夢あるところに海道は続いていきます。報告は「海道をゆく 紀行文」でも紹介しています。

歌・出会い・交流

 に出会ってができ、を歌ってに出会う。人生を探す旅はうれしいものです。そんな気持ちを百人百歌百景というタイトルにしました。記念碑公園を会場に行われた日韓友好のつどい (パンフレット)の時、遭難救護の記念碑に寄せて創作曲「海は人をつなぐ母の如し」ができ、歌手の荒井敦子(音楽の森)さんによって歌唱されました。旅の詩が続きます。佐渡の曽我ひとみさんが帰国後に会見した詩のような言葉を聞いて感動し「帰ってきました ありがとう」という歌ができました。うれしい出会い、佐渡からの帰りの船で「海は人をつなぐ母の如し」という曲ができました。うれしい人との出会い、風景との出会いによりできたオリジナル曲は400曲になりました。知人の還暦記念の新作CD「夫婦箸」も完成しました。Webでも配信中です。

執筆・出版

 自己紹介トークエッセイ エッセイ2 KAZU曲集  新曲 ライブ情報 /新着情報 心窓去来 ■BLOG「気分はいつも上天気」なども載せてみました。徒然なるままに心窓去来も綴り始めました。相互リンクもよろしくお願いします。音楽や交流情報BOX 新聞を読むもアップしました。 

心に続く道 ひたすらに

 雲浜小学校は母の腕のような半島に抱かれた小浜湾を一望する最高の場所にあります。この国の新しい時代を夢見た梅田雲濱の像がその海を遠望しアジアを見ています。白山を望みこの国の形が見える場所にある音海では、音海和太鼓倶楽部で若者たちが一生懸命を打ち込んでいます。奈良と歴史の深いつながりのある下根来では根来の子守唄を大切にして下根来小学校の子どもたちがお水送りの里から発信しています。「のちせ山の緑がいつまでも緑でありますように、小浜の海がいつまでも青い海でありますように」27年前に子どもたちが託したメッセージ。2006年、卒業生がタイムカプセルを開けて再会しました。若狭湾は表情豊かで人生を探す風景に溢れています。「二十四の瞳」のような木造の校舎、廃校になった母校の堅海小中学校の木造の校舎と椎の巨木がまだまだがんばっています。上前正己先生の書かれた「玉磨かざれば光りなし」の碑が、この里の子どもたちの未来を励ましています。