デュエリストの未来予想図 
 
 

 今回はデュエリストの未来像について書いてみます。

 これはマジックに限ったお話じゃないと思うんですが、ある遊びに手を出す子供や大人というのは目先の面白さのみに意識が向いていて、自分がその遊びと1年後あるいは5年後にどう接するかなんて考えてないだろうと思うんです。ですからその遊びにどれだけ中・長期的かつ明確なビジョンがあったとしても、未経験者が単純明快に「この遊びは面白そうだ。」と感じることができない遊びは生き残れないはずなんです。最近マジックはまさにそういう状況になりつつあるんじゃないか。今まで私はそういうお話を書いてきました。そしてもう1つ、日本のマジックは大きな問題を抱えてる気がする。今回はそういうお話です。それはデュエリストがマジックの未来に希望を持てていないんじゃないかということです。つまり先ほど書いたビジョンがデュエリストに認知されてない。いや、ひょっとするとそもそもビジョンなんてないんじゃないの。そういうことになるでしょうか。

 最近のマジックは、主にスタンダードとブロック構築をメインにしたDCI公認トーナメントにその話題性を依存してます。このフォーマットはマジックのカードを1年〜2年で使い捨てるという、言ってしまうと売り手側の事情に強く配慮したものです。最近ようやくエクステンデッドの必要性が認識され始めてますが、それでもやはり買ったカードは数年ですべて使えなくなります。(確かに基本セットへの再録によって救済されるカードもありますが、それは多分ごく一部でしかないでしょう。)つまり私たちが競技マジックで定められてるフォーマットでマジックを遊び続ける以上、私たちは半永久的にマジックを買い続けるしかないことになります。しかも特に競技指向の強いデッキを作ろうと思うと、その購入量は決して少なくはありませんし、そういう遊び方を長く続けようと思うと、私たちは一瞬として気が抜けなくなります。受験や仕事の都合なんかで1年もマジックを中断してしまうと、そのブランクを取り戻すことは極めて困難だろうと思うんです。

 それともっと本質的なお話があります。マジックはデュエリストにかなり大きな投資を求めます。ですから数ヶ月あるいは数年遊び続けると、当然デュエリストはその投資に見合うだけの、より大きな満足感をマジックから得たいと思い始めるはずです。そういうニーズを満足させることができなければ、デュエリスト達にいわゆるマンネリ感を感じられてしまうことになります。でも最近の競技指向が強いマジックのみを遊んでると、結局のところ今はいつまで経っても同じような遊び方しかできないはずです。だってカード資産の蓄積は毎年確実に部分リセットされますし、それはカード知識やデッキ構築/プレイングのノウハウにしても同じです。しかも最近のマジックはカード能力が全体としてアンダーパワーになる傾向にあって、あまつさえクリーチャー戦しかさせてくれません。何年経っても同じことの繰り返しで、しかもカード購入の負担はちっとも軽くならない。これではそのうちデュエリストはマジックを見放してしまうはずなんです。だってこんな状況でマジックに明るい将来展望なんて期待できないでしょうから。

 こういった問題点は、実を言うとそもそもTCGという遊びが持ってたシステム上の欠陥だと思います。でもマジックではその欠陥が競技指向の強まりによってかなり大きくなっていて、今では無視できないレベルになってしまっている気がします。では、どうすればそういう状況を少しでも緩和できるんでしょうか。

 元々マジックにはコレクションという楽しみ方がありました。デッキ構築のアイディアが尽きてデュエルがつまらなくなった。そういうデュエリストが現れたとしても、その方があるイラストレーターのファンで熱心にカードをコレクションしてるとしたら、それでその方がカード購入を続けるのに十分な動機が生まれるはずです。さらにカードのコレクションにはそれ相応のカード知識が必要になりますから、当然新しいデッキの動向といった情報にも注目することになります。するとある日「あ、このデッキ面白そうだから自分も作ってみるか。」といったきっかけで、その方がデッキ構築やデュエルへの意欲を回復することが期待できます。しかもそれまでも一定量のカードは買い続けてきたわけですから、そうなったときにデッキ構築も比較的スムーズに行えるはずなんです。

 さらにはヴィンテージの普及にも同じような効果が期待できるでしょう。ヴィンテージというのは、簡単に言うと改造に規制がないミニ四駆みたいなものです。普通に考えれば面白くないわけがないんです。しかもヴィンテージで色々なカードを使ってると、競技フォーマットでも有効なテクニックや知識が身に付くと思われますし、さらにヴィンテージで有効な様々なデッキを作ったり、それらと対戦する経験を積むことで、結果的に自分自身で新しいカードからデッキを発想するためのスキルも身に付いたりします。欧米のデュエリストがなぜデッキ発想力に優れてるかというと、1つには彼らがそういう経験を数多く積んでるからではないでしょうか。あるデッキを全くゼロから発案するのと、過去に経験してきたデッキからひねり出すのとでは、どちらが有利かは火を見るよりも明らかですよね。

 しかし創生期の頃にはあったはずの、そういう“長く上手にマジックと付き合うための手段”が、実際には最近ほとんど機能していないと思われる状況になってしまってます。例えば今、あるデュエリストが「そろそろ競技マジックを追いかけるのも疲れたなあ。」と感じたとします。そういうときに例えばGAMEぎゃざとか競技プレイヤーのみなさんが発信してる情報って、一旦競技から離れて純粋にマジックを楽しみたいと欲したデュエリストを何か救済してくれるでしょうか。してないですよね。でもその方が誰かのサポートを得て有意義な充電期間を過ごせたとしたら、ひょっとするとその方はその後もの凄い競技プレイヤーとして劇的な復活を遂げるかもしれないんです。しかしそういうデュエリストに対して日本のマジックは「いや、競技マジックから離れるなんてとんでもない。歯を食いしばってでも着いてこい。でなきゃおまえはマジックプレイヤーじゃねえ!」としか言ってこなかったんです。そんな遊びに夢とか希望が持てるでしょうか。それはムリでしょう。

 要するに最近の日本のマジックって、デュエリストに対して「マジック未経験者→ニューカマー→競技プレイヤー(→引退)」という図式しか頭の中にないんです。しかもそうやって引退するプレイヤーが大勢現れることを「やった、またカード資産を格安に放出してくれるプレイヤーが現れた。」といって歓迎する人までいる。そんな雰囲気すら私は感じてます。だから実際には何も言わず、無言でマジックを去っていくデュエリストが大勢いたし、このまま誰も何もしなければ多分これからも大勢現れるでしょう。「そういう人を育てるということについて、ほとんど関心すら持ってないデュエリストが日本では圧倒的多数派になってる。だからこれからもそういう状況は変わらないだろうし、今後むしろ状況は悪くなるんじゃないか。」これがあいせん君の現状認識だそうです。それってあまりにも寂しすぎる気がするんですが。

 人を育てるということは、色々な趣向の人達に夢や目標を持たせて、それを実現させることだという気がします。ですから日本のマジックが「日本選手権で優勝することがマジックを遊ぶ上での唯一無二の目標だ!」と主張し続ける限り、マジックで本当の意味で成功を収めるデュエリストは毎年1人しか現れないんです。しかし少なくとも昔のマジックは、それこそ本当に小さな事の積み重ねですが多くのデュエリストに夢を見せることができてたはずです。そうでなければ、今これだけの数のデュエリストがマジックを遊び続けてるはずがないんですから。私は競技マジックは間違いなく必要な物だと思います。でもその競技マジックが多くのデュエリストに夢を持たせて、人を育てるという発想で推進されるものに昇華しない限り、その前途に明るい未来はやってこないだろうと思います。しかも日本の競技マジックは未だに“世界一”という称号を得るに至ってません。日本人デュエリストがその壁を突破して、多くの競技プレイヤーに「凄い、日本人にもできるんだ。よし俺も続くぞ!」という高い目標を与える。そして日本でのプレミアイベントの開催数や賞金総額をアップする。これだって立派にデュエリストに夢を与えることにはなると思いますけどね。

 という事で、次回のテーマは引退デュエリストのお話にしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

     

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