出る杭は打たれる( 2004.6.23 )
 メーカーに対しては常に様々な意見が出されます。昔からそういう意見交換では、よく“自分の意に添わない意見に横槍を入れて潰す”という動きが起こります。そのやり方や根底にある目的は実に様々なのですが、ただそういうやり方には実を言うと誰にとってもメリットがありません。

 極端な話ですが、あるゲームに100万人のユーザーがいるとしたら、その100万人分全員の意見がメーカーに届けば、その中からメーカーは多数派の意見や少数派の中でこれはという意見を取り入れ、よりユーザーのニーズに沿った商品が出せる可能性があります。ところがメーカーに意見が届く課程で横槍が入り、それこそ「このゲームはこういう趣向を持ったユーザーしか遊んでいない」という情報しか入らなかったとしたら、メーカーが道を間違える危険性は大いにあり得るのです。実際私個人は「幾つかのゲームはそうやって道を間違えた」と見ていますし。しかもそういう形でゲームの不振が決定的になった後もなお、業界の中にそういう体質が未だに残っているケースもよくあります。さすがにゲームごときで、それこそ人が死んだりケガをするようなレベルの不祥事は起こらないでしょうが、でも何の罪もないユーザーや業界関係者が随分と迷惑を被ってきたはずです。

 私の周囲で起こった様々な出来事や事件をご覧になった皆さまならば、少なくとも某業界が“まともじゃない”事は容易にご理解頂けるだろうと思います。しかし肝心要のその“まともじゃない原因となった人達”がそれを理解していなくて、相変わらず業界の先頭に立って下々の者を引っ張ろうとしている。業界にとってこれ程不幸な話はないんじゃないかと思います。でもこういう話って最終的には個人の性根の問題なので、それこそ“棺桶に入るまで治らない”レベルの話なんですけど。 (^^; せめてそういう業界に、個人が十分な責任を果たした上で自由に意見を発言できる仕掛けだけでも作っておいてくれれば、最後の望みとして軌道を修正できるチャンスはあるだろうと思いますが。まあメーカーの関係者までもが結託して、あれこれ画策して潰そうとかかるようではさすがに論外ですけどね。

 あと前回の日誌のちょっと補足を。野球といったプロスポーツの世界では、試合中に退場者が出た場合は会場全体に明確なアナウンスをします。これはその試合を“観客が見ている”以上、極めて当然の処置なのです。つまり失格者が出た事についてアナウンスが要らない競技の試合というのは、言ってしまうと“観客が全く見ていない”あるいは“今後も観客は現れないであろう”事を前提にシステムができています。先日公開したエッセイの内容もそうなのですが、私に言わせると「本当にそれでいいんですか?」という事なのですが。




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