阿部語録 


第十七 本尊(模刻)


  ☆四一七号

 (昭和五十五年十一月三日・「宗内檀徒の皆さんへ」)


 「なかでも御本尊模刻の件は、二年前の五十三年十月、すべての経緯を見きわめられたうえで御本尊に関する一切の大権を所持される御法主のお立場から、日達上人が処置を完了し、今後このことについてとかくの論議は無用と決断済みであります。今もって蒸し返して謗法論議をすることは逆に日達上人の御意に背く謗法といわなくてはなりません。」P七三

☆四三九号

 (昭和五十七年八月六日・正義山蓮久寺落慶入仏法要の砌)


 「それら総本山に背く悪侶のいる寺院の御本尊は、御本尊自体はまことに尊いのでありますけれども、そこに住んでおるところの、その寺に蟠踞する者が御本尊に背いておるのでありますから、そのままの状態において既に、その法と法を護る僧侶との精神は全く背馳しておるのでございます。」P七六

これよりケンカ別れの後の発言

☆五六一号

 (平成四年八月二十八日・全国教師講習会)


 「とにかく、池田大作の説明は、大聖人様を無視し、御本尊を蔑ろにし、法を破っておるわけです。

 やはり、このようなところから本尊の模刻があったともいえるわけです。この件については実に重大なことでありますし、当時、日達上人が、池田大作がかなりの影響力を持つ指導者であることなど、種々の状況を鑑みられて、最終的に『これ以上、触れてはならない』と仰せになっているけれども、今日、ここに至れば、御本仏大聖人の仏智を無視した、池田大作の本尊観から、本尊模刻という形も出たということは申し上げておきます。」P四一

☆五六三号

 (平成四年十一月十七日・全国教師指導会の砌)


  「今日、池田大作が、宗門との関係において、苦しまぎれに様々な手段をもって宗門を攻撃する反面、結局は自分らの野望を次第に露わにし、いよいよ独立の形を取らんとしつつある感じがいたします。その際、大聖人様の御真筆御本尊を、どこか他宗の寺院から買ってくるのかどうかは知りませんが、大聖人の御本尊は今日、格護されている場所がすべて明らかでありますから、どこから買ってきても、それがどこの邪宗の寺院に格護していた御本尊であるかということは明らかになるのであります。

 たとえ創価学会がそういう御本尊を邪宗の寺院等から買い取ったとしても、血脈の法体の上から、はっきりと内容が整わず、大聖人様の御真筆御本尊としての功徳を認められていない御本尊においては、いささかも御本尊としての功徳はなく、その御本尊を信行の対境とするならば、結局は邪宗邪義の一分に過ぎないということを、この際、はっきりと申し上げておく次第であります。」P五八

☆五七三号

 (平成五年九月十九日・栃木布教区御親教)


 「しかるに、池田大作は昭和五十二年路線において、少なくとも7体以上の御本尊を勝手にもこくするという大謗法を犯しました。あれも結局、『創価学会がこれだけ法を弘めたのだから、その一番の中心者である自分は、なんでもできる、何をしても構わないのである』という、実に思い上がった、付嘱を無視し、筋道を乱したところの考えによるのです。ですから、今回、『ニセ本尊』を作成したということも、池田大作の狂った謗法の考えが根底に存して、それが今日、様々な仏法壊乱の姿として表れておるものであります。」P六八

☆五七五号

 (平成五年九月十・大宣寺御宝蔵落成入仏法要の砌)


 「要するに、日寛上人は、ある方に対しての授与というお心をもってその御本尊を顕され、下附されたわけです。しかるに、創価学会では、その授与書きの部分その他を勝手に抹消して『ニセ本尊』を作成すると想像されますけれども、もしそうであるならば、まさに日寛上人のお心に背くところの大謗法であります。

 したがって、日寛上人の御本尊をそのような形で御形木にするということは、下種三宝、特に日寛上人を冒涜し、また、日寛上人に大きく背き奉るところの大謗法であって、その本尊はまさに『ニセ本尊』であり、いわゆる本物をただコピーしただけに過ぎないという次第であります。」P四六

☆五八八号

 (平成六年十二月八日・中九州布教区御親教の砌)


 「最近において創価学会が、日寛上人の御本尊をある所から持ち出して、それをコピーして学会の者達に配っておるようでありますが、日寛上人がそのことを許されておるのならば、付嘱の上からその筋道が立つわけであります。  ところが、日寛上人はどうですか。学会の者達が勝手に消してしまった部分に、小山市にある寺院の当時の住職に対する授与書きが、はっきり認められてあります。したがって、日寛上人のお心を拝するならば、今、学会が悪用している御本尊は、学会に与えられたものではなく、血脈付法の上からの御本尊の書写において、ただ一人の僧侶に与えた一機一縁の本尊であります。

 これを学会の者が、さも自分達にその所有権がある如くに、勝手にあちらこちらの人に渡すということは、全く仏法の筋道を蔑ろにするものであります。すなわち、付嘱を蔑する行為であり、大聖人様の仏法に対する大きな背反であると断ずるものであります。」P四三

☆五九〇号

 (平成七年二月二十三日・南九州布教区御親教の砌)


 「近年において、池田大作という仏法破壊の大悪人が現れ、下種三宝を深く尊んで正法を弘通するという、前に存在したと思われる創価学会の精神をいつの間にか忘れてしまって、我見の上から仏法を考え、法宝を考えて、大聖人様の仏法を私するようになりました。

法宝誹謗の顕著な例は最近における『ニセ本尊』の作製・販売でありますが、そのほかにも大作は、本門戒壇の大御本尊に対し奉り、実に不敬な言辞を弄しておるのであります。これらはすべて、大作が下種三宝のなかの法の宝を破壊しておるところの姿であります。

 仏宝について言えば、『大聖人様も人間である。我々と同じ人間なのだから、人間としての仏法、人間主義の仏法をこれから考え、行うべきである』という趣旨のことを言っております。これはまさに『摧尊入卑』、尊きを摧いて卑しきに入れるものであり、これほど仏を馬鹿にし、仏を蔑ろにする姿はありません。」P四四

☆五九一号

 (平成七年三月二十五日・第二回講頭・副講頭指導会の砌)


 「私は前に、次のような内容の手紙をもらったことがありました。それは、『日顕上人書写の御本尊は、字が下手だから、あまり有り難く思えない。日顕上人書写の御本尊は、それなりの、その程度の境界で書いたと思う』というようものでした。これはとんでもない考え方ですけれども、そこに、『末法に生まれた凡夫が僧侶となって修行し、そして法主となった人が書写する御本尊と、根本の大聖人様の御本尊とでは、そこに天地の相異があるのではないか』というような考え方があるが故に、そういう言い方をしてきていると思うのであります。

 しかしながら、これは全く誤った見解であります。そこに、大聖人様が日興上人に伝えられ、日興上人が日目上人へ伝えられた、血脈相伝の上から本尊の内証を口伝せられた意義があるのであり、これは厳然として七百年の今日まで伝わっておるのであります。

 申すまでもなく、御歴代上人御書写の御本尊にはすべて、大聖人様のお心がそのまま、はっきりと顕れております。したがって、御歴代上人、どなたの御本尊にしても、皆様方が大聖人様の御当体と拝して真剣にお題目を唱え奉るところ、必ず真の即身成仏への道が開かれるということを、ここにはっきりと申し上げておく次第であります。」P四四

☆五九三号

 (平成七年五月二十五日・全国教師・寺族指導会の砌)


 「はっきり言えば、寺院にある程度の下附願い用紙が積まれていても、二年後、三年後に調べてみたら、それだけの下附願い用紙の願主がほとんど、どこへ行ったか判らないというような形もあったのです。それは要するに、御本尊を受けさせはしたけれども、そのあとの面倒を見なかったことによると言えましょうが、そういう大変な不敬の状況が創価学会の折伏の形のなかでもあったことは、皆さん方も聞かれておることと思います。」P六四

☆六〇二号

 (平成八年三月八日・岐阜布教区御親教の砌)


 「昨年の一月十七日の神戸の大震災も、あの前日、前々日において、創価学会があの一帯に『ニセ本尊』をばらまいたことがはっきりしております。その現証とも言えるかの如く、あのような大惨事がはっきりと現れてまいりました。これも、あの地方の方々としては寝耳に水のことだったと思いますけれども、その時によってどのような形となって現れるのかということは凡智では全く判らないのです。」P四四

☆六〇三号

 (平成八年四月六日・虫払大法会に参詣の海外信徒お目通りの砌)


 「さて、明日、客殿の起工式が執り行われることになっております。これは、皆さんも御存じかと思いますが、昨年の一月十七日に兵庫県の神戸市という所を中心に大地震が襲い、大変な被害をもたらしました。その前日、前々日、創価学会において、あの辺一帯に『ニセ本尊』を配布していたことが判っておりますが、このような大謗法の因縁によって、実に修羅の様相とも言えるような悲惨な状況でありました。

 この神戸の震災を契機として、また、この東海地方に大地震が起こるということが以前から言われていることもあり、総本山内の諸堂宇の安全性等を調査した結果、種々の状況を鑑みて、今回、客殿を新築をすることにいたしました。」P八二

☆六一二号

 (平成九年一月一日・平成九年元旦勤行の砌)


 「例えば、創価学会員が多くいたと伝えられる北海道奥尻島の大震災の姿、さらにまた、阪神大震災の起こる前々日と前日に大量の『ニセ本尊』を配布したことにより、あの地域において大きな災害を招来したということを考え合わせるとき、その大謗法の邪義を明らかに打ち破り、対治して、正法がいよいよ興隆する因縁として表れてきておるということを深く感ずる次第であります。

 既に御承知の方もあると思いますが、昨年の十月三十一日、ブラジルにおいて飛行機事故がありました。不思議なことに、情況上、亡くなってもおかしくはなかった法華講員が難を免れ、二人の学会員が死んでおるということからしても、はっきりした仏法の現証が、正邪のけじめにおいて明らかに顕れておるということを、我々は深くかんじなければならないのであります。」P三三

 (平成九年一月六日・末寺住職・寺族初登山の砌)

 「これは、ただ単なる偶然ではありません。阪神大震災の前々日と前日において、あの地域一帯において『ニセ本尊』がばらまかれるという、徹底した創価学会員による謗法の姿がはっきりと存在したのであります。それがそのまま明らかな謗法の現証とも言うべき姿をもって、あのような惨事が起きておるということが考えられるのであります。

 さらに、別な話になりますが、先般、ブラジルにおいて飛行機の墜落事故がありました。この飛行機事故によって、少なくとも二人の学会員が死んでおり、一人はその飛行機に乗り合わせ、もう一人はたまたま墜落現場付近の建物で仕事をしており、事故の巻き添えなり、全身火だるまになって死亡したそうであります。これに対し、墜落した飛行機に乗る予定であったブラジルの法華講員は、御仏智をいただき、事故機に乗ることなく、惨事を免れております。

 これを対照して見ると、本当に罰、利益の現証は明らかであります。」P四九

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