阿部語録 第九 正本堂(戒壇)"5">
☆四四一号
(昭和五十七年十月八日・恵妙寺客殿新築落慶入仏法要の砌)
「さらに、正本堂が世界の人々の真の懺悔滅罪の大堂であり、大聖人の御仏意が世界中に広宣流布していくところの堂として十年前に建立せられたのであるということの意義を改めてはっきりと知る必要があるのであります。」P八四
(昭和五十七年十月十二日・正本堂建立十周年記念日)
「さて先師日達上人が大御本尊安置のこの大殿堂を正本堂と命名せられたことは、宗祖大聖人、日興上人以来の血脈法水を通して、甚深の意義を熟慮あそばされたからにほかなりません。即ち前代未聞の広布の相、顕著なりとはいえ、いまだ謗法の者多き故に安置の形式は内陣に蔵の形を残し、また、したがって『百六箇抄』や御遺状に示し給う『本門寺』の名称も使用せられなかったのでありますが、未曽有の広布相現出による参詣信徒の激増と、さらには本因妙の義において因行の流布中に、おのずから妙果の具足されていく下種仏法の実相のうえから、さきほどの『百六箇抄』の金文を拝され、戒壇の大御本尊安置の霊場を正本堂と命名せられたのであります。」P九四
「この正本堂の建立は本門下種三宝の御威光を根幹とし、近代における先師日昇上人、日淳上人、さらに当時の御当代日達上人の御高徳と、そして創価学会の初代牧口会長、二代戸田会長の後に続く第三代池田会長の卓越した信心と正法護持の精神、およびその指導による会員信徒各位の不惜身命の大折伏行の賜物であり、その功徳を中心としてこの大事業が完成されたことは、論をまたないところであります。」
P九五
☆五三五号
(平成二年七月二十九日・法華講連合会第二十七回総会の砌)
「次に事の戒壇とは、大聖人御一期の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊は、本仏宗祖大聖人の一切衆生救済の大慈悲を実際に一閻浮提総与として顕された御本尊なるが故に、そのおわします所が事の戒壇であります。そしてその事の戒法の究極的実相は、仏法と王法の不可思議な冥合の力によって衆生の邪法における執着が破られ、現実にその功徳が国土に顕現する旨を『三大秘法抄』にお示しであります。ただし、その事の戒壇の聖文は仏知仏見によるところであり、凡智をもって軽々しく浅識の解釈をすべきでなく、信をもって未来永遠にわたる大法広布の実相として拝しゆくべきと思います。」P五四
これよりケンカ別れの後の発言
☆五四〇号
(平成三年一月六日・全国教師指導会)
「けれども、この問題に関して池田名誉会長は、昭和四十三年の正本堂着工大法要の時に『三大秘法抄』の文を引き、
『この法華本門の戒壇たる正本堂』とはっきり言っております。すなわちこれは『三大秘法抄』の戒壇がそのまま正本堂であるということを言ったのであります。そのほかの所においても、ほぼそれと同じような意味において述べております。先程申しました、信徒一切を含めての宗門の公式発表である『正本堂は現時における事の戒壇』という意味と非常に違っておるのであります。」P六三
「『正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』
という決定の前に、『おれは偉いから、これはこうなのだ』というようなことを、ある一人の信徒の方が確定してしまい、発言してしまったということは、言い過ぎでありますから、これははっきりと反省しなければならない。また、訂正しなければならないと思います。
ところが、今日に至るまで、本人がそれに対する反省も、また訂正も全然ありません。我々は、『自分はこれだけの立場(正本堂建立発願者)にあるのだから、大聖人の仏法はこうだ』と言い切るというようなことは、やはり仏法上、心して考えなければならない問題だと思うのであります。」P六四
(平成三年一月十日・教師指導会)
「それから、これは一月六日にも言ったことですが、どうも池田名誉会長は、随分前から、仏法を御自分の考えを中心として解釈し述べておりまして、それによって大きな問題が起こっておると思います。それは正本堂の意義についてであります。
昭和四十三年に着工大法要という法要が行われた。その時において池田名誉会長は『三大秘法抄』の戒壇の文を引いて、
『この法華本門の戒壇たる正本堂』
ということをはっきり言っております。したがって、『三大秘法抄』に示されたところの戒壇が、直ちにこの正本堂であるという意味において述べています。最近の者は知らないと思うけれども、その頃の記録に明らかである。」P八六
「その当時は、私達もそのような空気の中に巻き込まれてしまって、たしかに私も藤本総監も、ズバリとは言っていないが、それに近いようなことを実際に言っており、『大日蓮』にきちんと残っている。今、それは大いに反省しております。しかし、その時はそのような空気が宗門を巻き込んでいった。そのような経過の中で大事なことは池田大作名誉会長が、大聖人の御遺命の達成であるという意味で、正本堂を『三大秘法抄』の戒壇である指名したことであります。」P八八
「だから、私どもは一時、そのような考え方に多少、引き込まれたけれども、その後においての色々な事情の中で、日達上人が今のような意義内容の定義にされたわけです。
しかし、池田名誉会長はもともと『こうだ』と言い切っていますから、おもしろくないわけです。そこから日達上人に対する不信の気持ちが起こったのです。私は、あの当時の宗務役員として、その経過や色々な過程から、このことを深く感じておるものであります。おもしろくないから『宗門に難癖をつけてやろう』、まして『我々はこれだけのことをやったではないか』という、慢心・傲慢がありますから、あの当時、色々なことを言ってきたのです。『仏法史観を語る』というような論文を書いたり、あるいは『御歴代の観念文のあとに歴代会長を入れろ』といって突き付けてきたり、事実、そのような観念文を作ってきました。要するに、今考えれば、本当に驕りとしか思えないようなことまで言ってきている。そのほかにもまだ、多々あるでしょう。そのようなことにより、色々な問題が起こったことは事実であり、それらについて当時、一部僧侶が決起した意味もあります。」P九〇
☆五四二号
(平成三年三月九日・御法主日顕上人猊下御指南)
「しかして、そのような意識の中から、池田名誉会長の慢心が強まり、それが正本堂問題、昭和五十二年路線の逸脱、そして今回の問題を生んだ根源となっていると思います。それはつぎに挙げるような事柄からも明らかであります。
まず昭和三十九年六月三十日、東京台東体育館における学生部第七回総会の講演で、池田会長は、
『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。』
と述べられています。いやしくも正宗信徒の身として、もっとも大事大切な御遺命である戒壇のことをこのように下すことは、まさに大聖人軽視、三大秘法軽視の最たるものです。この発言は、まさに大聖人一期の御化導の究極たる『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇の御文に対する冒涜であり、三大秘法破壊につながる重大なる教義逸脱というべきです。P一九
「そして、昭和四十三年の着工大法要の時の挨拶として、池田氏は、
『日蓮大聖人の三大秘法抄のご遺命にいわく『霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり』云々。この法華本門の戒壇たる正本堂の着工大法要』
と述べ、まことにはっきりと『三大秘法抄』の戒壇そのものが、ただちに正本堂であることを宣言されました。」P二〇
「着工大法要の際の池田氏の言葉は誤りですから、正本堂建立発願者という責任ある立場からも、その後において自ら進んで大聖人様に対し奉り、誤りの言そのものをただちにお詫び申し上げ、それを宗内一般に公表すべきだと思います。」P二〇
☆五五六号
(平成四年四月二十一日・全国宗務支院長会議)
「この我見の顕著な例が、以前にも申しましたが、昭和三十九年の台東体育館における、本門戒壇建立に関する不逞な発言であります。その発言の趣旨は、戒壇建立はオカラのようなものである、オカラは豆腐の残りかすであるから、戒壇建立などというものはかすであり、したがって形式の形式、従の従である、というものであります。しかも、この考えはその時だけではなく、既に会長就任の時からそれ以後に至るまで、ずっと根底において存しておったと思います。(中略)
このような我見による考えが、池田大作なる人物の大謗法の一番の基を成しておると思います。」
P六五
☆五五九号
(平成四年七月二十六日・法華講連合会第二十九回総会の砌)
「昭和三十九年において、池田大作なる者が、『戒壇建立ということは、ほんの形式に過ぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます』
ということを言っております。しかしながら、仏法は本来、精神と形式というように分けて考えるべきものではありません。
それも、御本仏大聖人様が三大秘法の究極たる本門戒壇の本義を説かれておることについて、凡夫の我意・我見をもって精神と形式とに分け、『従の従の問題、形式の形式の問題』ということを、ずっと以前から考えておったのであります。つまり、本門の本尊に向って唱える題目が本門の題目であり、その本門戒壇の御本尊様のおわします処は常に本門戒壇の本義が存するのでありますから、そこに建物を建立するということにおいて、『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。(中略)従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえない』と考えていたということは、その根底において大聖人様の仏法を蔑ろにし、御仏意を我見をもって否定しておるところの誤った考え方が、はっきりと見て取れるのであります。」P七〇
☆五六〇号
(平成四年八月二十四日・行学講習会閉講式)
「『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。』
ということを言っておるのでありますが、これに過ぎる謗法はありません。」P五七
☆五六六号
(平成五年二月二十四日・東中国布教区御親教)
「さて、池田大作という者が過去から長い間、三大秘法を自分勝手に解釈してきましたが、それらはすべて狂っております。その狂っておる元は、先程言った機ということ、つまり『衆生』という考え方に執われて大聖人の三大秘法を解釈したところにあるのです。これは大変なとなのですが、そういうことが根本的な誤りとしてありますから、あらゆることが今、狂ってきてしまっております。」P六三
「それを、池田大作はどうですか。池田大作はかつて、
『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。』
と述べたことがあります。しかし、どうして池田大作が、大聖人様の御出現の目的たる本門戒壇法門を、『形式の形式』などと言って蔑む必要があるのか。これはもう根本的に狂っているからにほかなりません。」P六五
☆五六七号
(平成五年四月六日・虫払大法会)
「しかるに、池田大作なる顛誑の大謗法者は、
『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます』
として、精神と形式を分け、御本仏の精神、いわゆる御仏智を蔑ろにし、民衆の幸福という空漠たる迷いの機根中心の観念を正として、これに大聖人のお心による戒壇建立を従属化したのであります。これまさに、仏法破壊の天魔の所行であり、大悪言であります。
このような誤りによって正本堂を意義づけようとしたところに、池田の指導する創価学会の基本的な狂いがありました。それが、今日の『広布第二章』という大作の指導に見られる、本末顛倒の、内外一致とも言える誑かしの姿となっております。」P四五
☆五六九号
(平成五年五月二十八日・第三十五回寺族同心会大会の砌)
「すべては根本が大事であります。池田大作は、御本尊についても誤り、戒壇についても誤りましたが、これらの元はすべて、根本が解っていなかったのであります。その一例として、人即法・法即人、この『人法一箇』ということを口では解っているように言っていても、結局これが解っていない、ですから、人と法を分離して、法だけが尊いように考え、その法を、さらに多くの人に弘めるという意味から横に広げて、結局は機根中心の考え方になって堕落しておるのであります。それが、正本堂の建立の時にキリスト教の僧侶を招く考えとなったのであります。今日においても、内外一致以上に、キリスト教の者達をも尊敬しながら仲良くやっていくというような、大聖人の仏法の根本から外れた姿となって現れてきておるのであります。それもこれも、一番根本の目の着け所、拝し方を間違えると、すべてがそうなってくるという実証だと思います。」P七四
☆五七〇号
(平成五年六月二十日・北陸布教区御親教)
「池田大作は、あの正本堂建立の時に、世間迎合の色々な姿のなかから、バチカンのキリスト教関係者をその祝いの席に招いております。この一つだけをもっても、あの大作という男の考え方のなかには、法が一切の根本ということではなく、むしろあるゆる謗法を招き寄せながら、結局、世間に迎合する形のなかで仏法の流布を考えておるところに、その根源的な誤りが存しておるのであります。」P五八
☆五七〇号
(平成五年六月二十七日・新潟布教区御親教)
「『広布第二章』という考え方の元もそこにあるのです。それらのところから正本堂に関する意義付けにおいても大変な誤りが生じて、一般の信徒の方はあまり知らなかったようですが、実は大変な問題が起こりました。御先師日達上人はそのために実に御苦労あそばされておったのであります。
私も当時、教学部長として宗務院におりまして、それらのつぶさな子細をことごとく体験し、知っておりますが、登座以来、この池田大作をなんとか正しく導きたいと考えてまいりました。しかし、我見をもって大聖人の御仏智を阻害し、民衆中心ということだけを仏法の骨組みにした場合には、これはとんでもない考え方になります。
それが、あの正本堂の完工式の時にキリスト教の者を招き、しかもキリスト教の法服を着けた形で正本堂の中に入れたり、あるいは今日にみられるような内外一致の行動となっているのです。すなわち、キリスト教の者どもの歓心を買い、あちらこちらに行って勲章をもらって喜んでいるような姿、そういう大聖人様の信徒としてまことに恥ずかしい、名聞名利のみに執われたような姿が現れてくるのも、一切は大聖人様の仏法を我見をもって解釈し始めたことから起こっておるのであります。」P七三
☆五七八号
(平成六年二月二十三日・全国宗務支院長会議の砌)
「この戒壇建立は、大聖人の御仏意による終窮究竟の厳然たる御指南であり、いやしくも凡夫や一信徒が知ったかぶりをして、軽々に口を入れ、論ずべき法門ではありません。もし、そういうことがあれば、これは本仏のお心を踏みにじる、大謗法であります。
しかるに、池田大作なる顛誑の大謗法者は、
『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。』
として、精神と形式を分け、御本仏の精神、いわゆる御仏意を蔑ろにし、民衆の幸福という空漠たる迷いの機根中心の観念を正として、これに大聖人のお心による戒壇建立を従属化したのであります。これまさに、仏法破壊の天魔の所行であり、大悪言であります。
このような誤りによって正本堂を意義づけようとしたところに、池田の指導する創価学会の基本的な狂いがありました。それが、今日の『広布第二章』という大作の指導に見られる、本末転倒の、内外一致とも言える誑かしの姿となっております。故に、世間的な名誉のみに囚われて、各国の勲章をあさったり、また、その名声や賞を常にねらうなど、この大作の所行については、かの『勧持品二十行の偈』の法敵三類中、僣聖増上慢についての予言、『利養に貪著す』云々、また云く、『是の人悪心を懐き常に世俗の事を念う』と説かれる言こそ、まさにピタリと的を射ております。」P六四
☆五八三号
(平成六年八月二十一日・第一回講頭・副講頭指導会の砌)
「話が前後しますが、先程の戒壇問題をもっとはっきりと言えば、戒壇建立は、大聖人様が御入滅の年にお認めあそばされた『三大秘法抄』に初めて仰せになったことであり、これは三大秘法の御化導の終窮究竟の御指南であります。それを池田大作如き、小僧以下の浅識の者が、戒壇の尊い法門について『従の従、形式の形式』と述べたのですから、御仏意を見下し、さげすむこと、これほど甚だしいものはないわけです。
こういう根本のところに謗法があるということを、皆さん方、よく肚に入れていただきたい。そういうところからあらゆる謗法が起こってきているのです。」P七五
☆五八四号
(平成六年八月二十四日・全国教師講習会の砌)
「しかし、その謗法の一番の元は、あの池田大作という者の狂った考えにあるのです。前から申しておりますが、既に昭和三十九年六月三十日の台東体育館における学生部の第七回総会で、
『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます』
と、大聖人様の御仏意を『形式の形式』と言っているのです。
戒壇建立ということは、大聖人様の三大秘法の終窮究竟の御指南であります。いくら『実質は全民衆が全大衆がしあわせになること』などと言ってみても、その民衆救済の根本の大法を『形式の形式』と下しているのです。そういうところに根本的な仏法軽視、御仏意に対する軽視があり、これが今日、御本尊の問題、信仰的な問題等、色々な形で波及してきております。」P一四
☆五九〇号
(平成七年三月五日・香川布教区御親教の砌)
「創価学会においては、池田大作の我見によって大聖人様の教えを自分に都合のよいように作り替え、様々な誤った指導がかなり前から行われておるのであります。本門三大秘法の一々について狂った考えを持っておりますが、特に戒壇の大義について大作は、
『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。』
という暴言を吐いて、大聖人の末法万年を救う戒壇建立の真義を蔑し、自分勝手な考えをもって仏法を得々として述べておるのであります。そのようなことが一番根本となって、先般来の宗門の法義に基づく正しい指摘となった次第であります。」P五五
第十 正信会破門へ
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