教行証御書
教行証御書の概要 【弘安元年三月二十一日、三位房日行、聖寿五十四歳】 夫れ正像二千年に小乗・権大乗を持依して、其の功を入れて修行せしかば大体其の益有り。 然りと雖も、彼れ彼れの経経を修行せし人人は、自依の経々にして益を得ると思へども、法華経を以て其の意を探れば一分の益なし。 所以は何ん、仏の在世にして法華経に結縁せしが其の機の熟否に依り。 円機純熟の者は在世にして仏に成り、根機微劣の者は正法に退転して、権大乗経の浄名・思益・観経・仁王・般若経等にして其の証果を取れること在世の如し。 されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり。像法には教行のみ有て証無し。 今末法に入ては教のみ有て行証無く、在世結縁の者一人も無し。権実の二機悉く失せり。 此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心 「是の好き良薬を今留めて此に在く、汝取て服すべし、差えじと憂る勿れ」とは是なり。 乃往過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに、不軽菩薩出現して教主説き置き給ひし二十四字を一切衆生に向て唱へしめしがごとし。 彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値て益を得たり。是則ち前の聞法を下種とせし故なり。 今も亦是くの如し。彼は像法、此れは濁悪の末法。彼は初随喜の行者、此れは名字の凡夫。彼は二十四字の下種、此は唯五字なり。 得道の時節異なりと雖も、成仏の所詮は全体是れ同じかるべし。 問て云く、上に挙ぐる所の正像末法の教行証各別なり。何ぞ妙楽大師は「末法の初冥利無きにあらず、且く大教の流行すべき時に拠る」と釈し給ふや如何。 答て云く、得意に云く、正像に益を得し人々は顕益なるべし、在世結縁の熟せる故に。今末法には初めて下種す、冥益なるべし。 已に小乗・権大乗・爾前・迹門の教行証に似るべくもなし。現に証果の者之無し。妙楽の釈の如くんば、冥益なれば人是を知らず見ざるなり。 問て云く、末法に限て冥益と知る経文之有りや。答て云く、法華経第七薬王品に云く「此の経は則ち為閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」等云云。 妙楽大師云く「然かも後の五百は且らく一往に従ふ。末法の初冥利無きにあらず、且く大教の流行すべき時に拠るが故に五百と云ふ」等云云。 問て云く、汝が引く所の経文釈は末法の初の五百に限ると聞きたり。権大乗経等の修行の時節尚末法万年と云へり、如何。 答て曰く、前釈已に「且従一往」と云へり。再往は末法万年の流行なるべし。 天台大師上の経文を釈して云く「但当時大利益を獲るのみに非ず、後の五百歳遠く妙道に沾はん」等云云。是末法万年を指せる経釈に非ずや。 法華経第六分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持てる者」と。安楽行品に云く「末法の中に於て是の経を説かんと欲す」等云云。此等は皆末法万年と云ふ経文なり。 彼れ彼れの経々の説は四十余年 拙いかな諸宗の学者、法華経の下種を忘れ、三五塵点の昔を知らず。純円の妙経を捨てて亦生死の苦海に沈まん事よ。 円機純熟の国に生を受けて、徒に無間大城に還らんこと、不便とも申す許り無し。 崑崙山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り、栴檀林に入て瞻蔔を踏まずして瓦礫の本国に帰る者に異ならず。 第三の巻に云く「飢国より来て忽ち大王の膳に遇ふが如し」。第六に云く「我が此の土は安穏、我が浄土は毀れず」等云云。 状に云く、難問に云く、爾前当分の得道等云云。涅槃経第三に「善男子応当修習」の文を立つべし。 之を受けて弘決第三に「所謂久遠必無大者」と会して、爾前の諸経にして得道せし者は、久遠の初業に依るなるべしと云て、一分の益之無き事を治定して、其の後滅後の弘経に於ても亦復是くの如く、正像の得益証果の人は在世の結縁に依るなるべし等云云。 又彼が何度も爾前の得道を云はば、無量義経に四十余年の経々を、仏我れと 涅槃経には依法不依人と説かれて、大に制せられて候へばなんど立てて 又難問に云く、得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ。其の故は観経の往生、或は其の外例の如し等云云。 又 玄義の三、籤の三の文を出すべし。経釈能く能く料簡して秘すべし。 一状に云く、真言宗云云等。 答ふ、彼が立つる所の如き弘法大師の戲論、無明の辺域何れの経文に依るやと云て、彼の依経を引かば云ふべし、大日如来は三世の諸仏の中には何れぞやと云て、善無畏三蔵・金剛智等の偽りをば汝は知れるやと云て、其の後一行筆受の相承を立つべし。 大日経には一念三千跡を削れり。漢土にして偽りしなり。就中、僻見有り。毘盧の頂上を踏む証文は三世の諸仏の所説に之有りや。 其の後彼云く等云云。立つべし、大慢婆羅門が高座の足等云云。彼れ此れ是くの如き次第何なる経文論文に之を出すやと等云云。 其の外常に教へし如く問答対論あるべし。設ひ何なる宗なりとも、真言宗の法門を云はば真言の僻見を責むべく候。 次に念仏の 経に於て権実の二経有ること例の如し。論に於ても又通別の二論有り、黒白の二論有ること深く習ふべし。彼の依経の浄土三部経の中に是くの如き等の所説ありや。 又人毎に念仏阿弥陀等之を讃す。又前の如し。所詮、和漢両国の念仏宗、法華経を雑行なんど捨閉閣抛する本経本論を尋ぬべし。 若し慥かなる経文なくんば、是くの如く権経より実経を謗ずるの過罪、法華経の譬喩品の如くば、阿鼻大城に堕落して展転無数劫を経歴し給はんずらん。 彼の宗の僻謬を本として、此の三世諸仏の皆是真実の証文を捨つる、其の罪実と諸人に評判せさすべし。 心有らん人、誰か実否を決せざらんや。而して後に彼の宗の人師を強に破すべし。一経の株を見て万経の勝劣を知らざる事、未練なる者かな。 其の上我と見明らめずとも、釈尊並に多宝分身の諸仏の定判し給へる経文、法華経許り皆是真実なるを不真実、 法師品の已今当、無量義経の歴劫修行、 慈覚・智証の 依法不依人の経文、毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや。悪鬼入其身の無明の悪酒に酔ひ沈み給ふらん。 一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難横死、弘法・慈覚が死去の有様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や。観仏相海経等の諸経、並に 一行禅師の筆受の妄語、善無畏のたばかり、弘法の戲論、慈覚の それほどに浦山敷もなき死去にて候ぞやと、和らかに又強く、両眼を細めに見、顔貌に色を調へて閑に言上すべし。 状に云く、彼此の経経得益の数を挙ぐ等云云。是れ不足に候と先ず陳ぶべし。其の後汝等が宗宗の依経に三仏の証誠之有りや未だ聞かず。 よも多宝分身は御来り候はじ。此の仏は法華経に来り給ひし間、一仏二言はやはか御坐候べきと。 次に六難九易何なる経の文に之有りや。若し仏滅後の人人の偽経は知らず。釈尊の実説五十年の説法の内には、一字一句も有るべからず候なんど立つべし。 五百塵点の顕本之有りや。三千塵点の結縁説法ありや。一念信解・五十展転の功徳何なる経文に説き給へるや。 彼の余経には一二三乃至十功徳すら之無し、五十展転まではよも説き給ひ候はじ。余経には一二の塵数を挙げず、何に況や五百三千をや。 二乗の成不成、竜畜下賎の即身成仏、今の経に限れり。華厳・般若等の諸大乗経に之有りや。 よも天台大師程の明哲の、弘法・慈覚の如き無文無義の偽りはおはし給はじと我等は覚え候。 又悪人の提婆天道国の成道、法華経に並て何なる経にか之有りや。 然りと雖も万の難を閣て何なる経にか十法界の開会等、草木成仏之有りや。 天台・妙楽の無非中道、惑耳驚心の釈は、慈覚・智証の 已に天台等は三国伝灯の人師、普賢開発の聖師、天真発明の権者なり。豈経論になき事を偽り釈し給はんや。 彼れ彼れの経経に何なる一大事か之有るや。此の経には二十の大事あり。 就中、五百塵点顕本の寿量に何なる事を説き給へるとか人人は思召し候。 我等が如き凡夫、無始已来生死の苦底に沈淪して仏道の彼岸を夢にも知らざりし衆生界を、無作本覚の三身と成し、実に一念三千の極理を説くなんど浅深を立つべし。 但し公場ならば然るべし。私に問註すべからず。慥に此の法門は、汝等が如き者は人毎に、座毎に、日毎に談ずべくんば、三世諸仏の御罰を蒙るべきなり。日蓮己証なりと常に申せし是なり。 大日経に之有りや、浄土三部経の成仏已来凡歴十劫之に類すべきや、なんど前後の文、乱れず一一に会すべし。 其の後又云ふべし、諸人は推量も候へ、是の如くいみじき御経にて候へばこそ、多宝遠来して証誠を加へ、分身来集して三仏の御舌を梵天に付け、不虚妄とは■しらせ給ひしか。 地涌千界出現して、濁悪末代の当世に別付属の妙法蓮華経を 又、彼の邪宗の者どもの習ひとして、強に証文を尋ぬる事之有り。涌出品並に文句の九・記の九の前三後三の釈を出すべし。但日蓮が門家の大事之に如かず。 又諸宗の人、大論の自法愛染の文を問難とせば、大論の立所を尋ねて後、執権謗実の過罪をば竜樹は存知無く候けるか。 「余経は秘密に非ず、法華是秘密」と仰せられ、「譬如大薬師」と此の経計り成仏の種子と定めて、又悔い返して「自法愛染、不免堕悪道」と仰せられ候べきか。 さで有らば、仏語には「正直捨方便」、「不受余経一偈」なんど法華経の実語には大に違背せり。よもさにては候はじ。 若し末法の当世、時剋相応せる法華経を謗じたる弘法・ 御辺や不免堕悪道の末学なるらん痛敷候。未来無数劫の人数にてや有るらんと立つべし。 又律宗の良観が云く、法光寺殿へ訴状を奉る其の状に云く、忍性年来歎て云く、当世日蓮法師と云へる者世に在り、斎戒は堕獄す云云。所詮何なる経論に之有りや〈是一〉。 又云く、当世日本国上下誰か念仏せざらん、念仏は無間の業と云云。是れ何なる経文ぞや、慥かなる証文を日蓮房に対して之を聞かん〈是二〉。 総じて是体の爾前得道の有無の法門六箇条云云。然るに推知するに、極楽寺良観が已前の如く、日蓮に相値て宗論有るべきの由■る事之有らば、目安を上げて極楽寺に対して申すべし。 某の師にて候者は、去る文永八年に御勘気を蒙り佐州へ遷され給て後、同じき文永十一年正月の比、御免許を蒙り鎌倉に帰る。 其の後平金吾に対して様様の次第申し含ませ給て、甲斐の国の深山に閉篭らせ給て後は、何なる主上・女院の御意たりと云へども、山の内を出で諸宗の学者に法門あるべからざる由仰せ候。 随て其の弟子に若輩のものにて候へども、師の日蓮の法門九牛が一毛をも学び及ばず候といへども、法華経に付て不審有りと仰せらるる人わたらせ給はば存じ候なんど云て、其の後は随問而答の法門申すべし。 又前六箇条一一の難問、兼兼申せしが如く、日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。 彼れ彼れの経経と法華経と勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず、何に況や其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。 法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し、鬼畜なんどと下しても其の過ち有らんやと意を得て宗論すべし。 又彼の律宗の者どもが破戒なる事、山川の頽るるよりも尚無戒なり。成仏までは思もよらず、人天の生を受くべしや。 妙楽大師云く「若し一戒を持てば人中に生ずることを得。若し一戒を破れば還て三途に堕す」と。 其の外斎法経・正法念経等の制法、阿含経等の大小乗経の斎法斎戒、今程の律宗忍性が一党、誰か一戒をも持てる、還堕三途は疑無し。 若しは無間地獄にや落ちんずらん、不便なんど立てて、宝塔品の持戒行者是を■しるべし。 其の後良有て、此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり。此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや。 但し此の具足の妙戒は一度持て後、行者破らんとすれど破れず。是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし。 三世の諸仏は此の戒を持て、法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ。 此れを「諸教の中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師は書き給へり。 今末法当世の有智・無智、在家・出家、上下万人、此の妙法蓮華経を持て説の如く修行せんに、豈仏果を得ざらんや。 さてこそ「決定無有疑」とは、滅後濁悪の法華経の行者を定判せさせ給へり。三仏の定判に漏れたる権宗の人人は決定して無間なるべし。 是く如くいみじき戒なれば、爾前迹門の諸戒は今一分の功徳なし。功徳無からんに一日の斎戒も無用なり。 但此の本門の戒を弘まらせ給はんには、必ず前代未聞の大瑞あるべし。 抑も当世の人人何の宗宗にか本門の本尊・戒壇を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず。 日本人王三十代欽明天皇の御宇に仏法渡て、今に七百余年。前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・ 又已前の重、末法には教行証の三つ倶に備はれり。例せば正法の如し等云云。 已に地涌の大菩薩上行出でさせ給ひぬ、結要の大法亦弘まらせ給ふべし。 日本・漢土・万国の一切衆生は、金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値へるなるべし。 在世四十二年、並に法華経の迹門十四品に之を秘して説かせ給はざりし大法、本門正宗に至て説き顕し給ふのみ。 良観房が義に云く、彼の良観が日蓮遠国へ下向と聞く時は、諸人に向て急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし、為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由其の聞え候。此等も戒にてや有らん、強ちに尋ぬべし。 又、日蓮鎌倉に罷上る時は門戸を閉じて内に入るべからずと之を制法し、或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ。 某は日蓮に非ず、其の弟子にて候まま、少し言のなまり、法門の才覚は乱れがはしくとも、律宗国賊替るべからずと云ふべし。 公場にして理運の法門申し候へばとて、雑言・強言・自讃気なる体、人目に見すべからず。浅■しき事なるべし。弥身口意を調へ謹て主人に向ふべし、主人に向ふべし。 三月二十一日 日蓮花押 三位阿闍梨御房へ之を遣はす。 |