六郎恒長御消息
六郎恒長御消息の概要 【文永六年九月、南部六郎恒長、聖寿四十八歳】 所詮念仏を無間地獄と云ふ義に二つ有り。一には念仏者を無間地獄とは、日本国一切の念仏衆の元祖法然上人の 之に付て上人亀鏡と挙られし処の浄土三部経の其の中に、双観経阿弥陀仏の因位法蔵比丘の四十八願に云く「唯五逆と 法然上人も乃至十念の中には入れ給ふといえども、法華経の門を閉じよと書かれ候へば、阿弥陀仏の本願に漏れたる人に非ずや。其の弟子其の檀那等も亦以て此の如し。 法華経の文には「若し人信ぜすして乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。 阿弥陀仏の本願と、法華経の文と真実ならば、法然上人は無間地獄に堕ちたる人に非ずや。 一切の経の性相に定めて云く「師堕つれば弟子堕つ、弟子堕つれば檀那堕つ」云云。 譬へば謀叛の者の郎従等の如し。御不審有らば選択を披見あるべし〈是一〉。 二には念仏を無間地獄とは、法華経の序分無量義経に云く「方便の力を以て、四十年には未だ真実を顕さず」云云。 次下の文に云く「無量無辺を過ぐるとも乃至終に無上菩提を成ずることを得じ」云云。 仏初成道の時より、白鷺池の辺に至るまで、年紀をあげ、四十余年と指して其の中の一切経を挙ぐる中に、大部の経四部、其の四部の中に「次に方等十二部経を説く」云云。 是れ念仏者の御信用候三部経なり。此れを挙げて真実に非ずと云云。 次に法華経に云く「世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべし」とは、念仏等の不真実に対し、南無妙法蓮華経を真実と申す文なり。 次下に云く「仏は自ら大乗に住したまへり。乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕す。此の事は為て不可なり」云云。 此の文の意は、法華経を仏胸に秘しおさめて、観経念仏等の四十余年の経計りを人人に授けて、法華経を説かずして黙止するならば、我は慳貪の者なり、三悪道に堕すべしと云ふ文なり。 仏すら尚唯念仏を行じて一生をすごし、法華経に移らざる時は地獄に堕すべしと云云。 況や末代の凡夫、一向に南無阿弥陀仏と申して一生をすごし、法華経に移て南無妙法蓮華経と唱へざる者、三悪道を免るべきや。 第二の巻に云く「今此三界」等云云。此の文は日本国六十六箇国島二つの大地は教主釈尊の本領なり。 娑婆以て此の如く全く阿弥陀仏の領に非ず。「 日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女、各父母有りといへども、其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり。 三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息なり。全く阿弥陀仏の子には非ざるなり。 文永元年甲子九月日 日蓮花押 南部六郎恒長殿 |