災難対治抄
災難対治抄の概要 【正元二年二月、聖寿三十九歳、真筆−完存】 国土に大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病・大兵乱等の種種の災難の起る根源を知て対治を加ふべきの勘文。 遂に我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず、甘露の味に背き、正法の流を失ひ、威光及以び勢力有ること無らしむ。悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜て涅槃の路に背かん。 世尊、我等四王並に諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無けん。但我等是の王を捨棄するのみに非ず、亦無量の国土を守護する諸天善神有らんも皆悉く捨去せん。 既に捨離し已れば其の国に当に種種の災禍有て国位を喪失すべし。一切の人衆皆善心無けん、唯 疫病流行し、彗星数ば出で、両日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、星流れ、地動き井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、 常に飢饉に遭ひ苗実も成らず、多く他方の怨賊有て国内を 大集経に云く「若し国王有て我が法の滅せんを見て擁護せずんば、無量世に於て施戒恵を修すとも悉く皆滅失して其の国の中に三種の不祥の事を出さん。乃至命終して大地獄に生ぜん」と。 仁王経に云く「大王、国土乱れん時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る」と。 亦云く「大王、我今五眼をもつて明に三世を見るに、一切の国王は皆過去世に五百の仏に侍るに因て帝王主と為ることを得たり。 是をもつて一切の聖人羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨て去ることを為さん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起る」と。 仁王経に云く「大王、吾今化する所の百億の須弥百億の日月、一一の須弥に四天下有り。其の南閻浮提に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り。 其の国土の中に七つの畏るべき難有り。一切の国王是の難の為の故に、○云何なるを難と為す。 日月度を失ひ、時節返逆し、或は赤日出で黒日出で、二三四五の日出づ。或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを○一の難と為すなり。 二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・F星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百宦星是くの如き諸星各各変現するを○二の難と為すなり。 大火国を焼き万姓焼尽し、或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火、是くの如く変怪するを○三の難と為すなり。 大水百姓を漂没して時節返逆し、冬雨ふり夏雪ふり冬時に雷電霹靂し、六月に氷霜雹を雨らし、赤水・黒水・青水を雨らし、土山・石山を雨らし、沙礫石を雨らし、江河逆まに流れ山を浮かべ石を流す、是くの如く変ずる時を○四の難と為すなり。 大風万姓を吹殺し国土の山河樹木一時に滅没す。非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風、是くの如く変ずる時を○五の難と為すなり。 天地国土亢陽し炎火洞然として百草亢旱し五穀登らず。土地赫然として万姓滅尽せん。是くの如く変ずる時を○六の難と為すなり。 四方の賊来て国を侵し内外の賊起り、火賊・水賊・風賊・鬼賊あつて百姓荒乱し刀兵劫起せん。是くの如く怪する時を○七の難と為すなり」と。 法華経に云く「百由旬の内をして諸の衰患無からしめん」と。 涅槃経に云く「是の大涅槃微妙の経典流布せらるる処は当に知るべし其の地は即ち是れ金剛なり、是の中の諸人亦金剛の如し」と。 仁王経に云く「是の経は常に千の光明を放て千里の内をして七難起らざらしむ」と。 又云く「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説く。其の王別へずして此の語を信聴し横に法制を作り仏戒に依らず。是を破仏破国の因縁と為す」と。 今之を勘ふるに、法華経に云く「百由旬の内諸衰患なからしむ」と。仁王経に云く「千里の内に七難起らざらしむ」と。 涅槃経に云く「当に知るべし其の地は即ち是れ金剛是の中の諸人亦金剛の如し」と文。 疑て云く、今此に国土を見聞するに種種の災難起る。所謂建長八年八月より正元二年二月に至るまで大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病等種種の災難連連として今に絶えず。大体国土の人数尽くべきに似たり。 之に依て種種の祈請を致す人之多しと雖も其の験無きか。正直捨方便・多宝の証明・諸仏出舌の法華経の文の「令百由旬内」、双林最後の遺言の涅槃経の「其地金剛」の文、仁王経の「令千里内七難不起」の文、皆虚妄に似たり如何。 答て云く、今愚案を以て之を勘ふるに、上に挙ぐる所の諸大乗経国土に在り。而も祈請と成らずして災難起ることは少し其の故有るか。 所謂 大集経に云く「若し国王有て我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば○其の国内三種の不祥を出さん」と。 仁王経に云く「仏戒に依らざる是を破仏破国の因縁と為す○若し一切の聖人去る時は七難必ず起らん」〈已上〉。 此等の文を以て之を勘ふるに、法華経等の諸大乗経国中に在りと雖も、一切の四衆捨離の心を生じて聴聞し供養するの志を起さず。 故に国中の守護の善神・一切の聖人此の国を捨て去り、守護の善神聖人等無きが故に出来する所の災難なり。 問て曰く、国中の諸人諸大乗経に於て捨離の心を生じて供養する志を生ぜざる事は何の故より之起るや。 答て曰く、仁王経に曰く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し横に法制を作て仏戒に依らず」と。 法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるをこれ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん。 ○是の人悪心を懐き○国王・大臣・婆羅門・居士及び余の諸の比丘に向て、誹謗して我が悪を説て、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂はん。○悪鬼其の身に入る」等云云。 此等の文を以て之を思ふに、諸の悪比丘国中に充満して破国破仏法の因縁を説く。国王並に国中の四衆弁へずして信聴を加ふるが故に諸大乗経に於て捨離の心を生ずるなり。 問て曰く、諸の悪比丘等国中に充満して破国・破仏戒等の因縁を説くことは、仏弟子の中に出来すべきか。外道の中に出来すべきか。 答て曰く、仁王経に云く「三宝を護る者にして転た更に三宝を滅し破らんこと、師子の身中の虫の自ら師子を食ふが如し。外道には非ず」文。 此の文の如くんば仏弟子の中に於て破国破仏法の者出来すべきか。 問て曰く、諸の悪比丘正法を壊るに相似の法を以て之を破らんか。当に亦悪法を以て之を破るべしとせんか。 答て曰く、小乗を以て権大乗を破し、権大乗を以て実大乗を破し、師弟共に謗法破国の因縁を知らず。故に破仏戒・破国の因縁を成して三悪道に堕するなり。 問て曰く、其の証拠如何。答て曰く、法華経に云く「仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」と。 涅槃経に云く「我涅槃の後当に百千無量の衆生有て誹謗して是の大涅槃を信ぜざるべし○三乗の人も亦復是くの如く無上の大涅槃経を憎悪せん」〈已上〉。 勝意比丘の喜根菩薩を謗じて三悪道に堕ちし、尼思仏等の不軽菩薩を打て阿鼻の炎を招くも、皆大小権実を弁へざるより之起れり。 十悪・五逆は愚者皆罪たることを知る。故に輙く破国破仏法の因縁を成ぜず。故に仁王経に云く「其の王別へずして此の語を信聴す」と。 涅槃経に云く「若し四重を犯し、五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知り、而も心に初より怖畏懺悔無くして肯て発露せず」〈已上〉。 此くの如き等の文は謗法の者は自他共に子細を知らず。故に重罪を成して国を破し仏法を破するなり。 問て曰く、若爾らば、此の国土に於て権教を以て人の意を取り実教を失ふ者之有るか如何。答て曰く、爾なり。 問て曰く、其の証拠如何。答て曰く、法然上人所造等の 今其の文を出して上の経文に合せ其の失を露顕せしめん。若し対治を加へば国土を安穏ならしむべきか。 大乗の中に就て顕密権実等の不同有りと雖も、今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す。故に歴劫迂回の行に当る。之に準じて之を思ふに、密大及以び実大を存すべし。 然れば則ち今、真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論此等の八家の意正しく此に在るなり。 ○ ○浄土宗の学者先ず須く此の旨を知るべし。設ひ先ず聖道門を学する人と雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てて浄土に帰すべし」文。 又云く「善導和尚、正雑二行を立て、雑行を捨てて正行に帰するの文。第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除て已外、大小乗顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く。 ○第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除て已外、一切諸余の仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名く。 ○私に云く、此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし。豈に百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」と。 又云く「貞元入蔵録の中始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで、顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり。皆須く読誦大乗の一句に摂すべし。 ○当に知るべし。随他の前には暫く定散の門を開くと雖も、随自の後には還て定散の門を閉づ。一たび開て以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なり」文。 又最後結句の文に云く「夫れ速に生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣て選て浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中に且く諸の雑行を抛て選て正行に帰すべし」。已上 今之を勘ふるに、日本国中の上下万人深く法然上人を信じて此の書をJぶ。 故に無智の道俗此の書の中の捨閉閣抛等の字を見て、浄土の三部経・阿弥陀仏より外は諸経・諸仏・菩薩・諸天善神等に於て捨閉閣抛等の思を作し、彼の仏経等に於て供養受持等の志を起さず還て捨離の心を生ず。 故に古の諸大師等の建立せし所の鎮護国家の道場零落せしむと雖も護惜建立の心無し。 護惜建立の心無きが故に亦読誦供養の音絶え、守護の善神も法味を嘗めず。故に国を捨てて去り、四依の聖人も来らざるなり。 偏に金光明仁王等の一切の聖人去る時は七難必ず起らん、我等四王皆悉く捨去せん、既に捨離し已れば其の国当に種種の災禍有るべしの文に当れり。 豈に諸悪比丘多く名利を求め悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲の人に非ずや。 疑て云く、国土に於て 答て曰く、彼の時も亦災難有り。云く、五常を破り仏法を失ひし者之有りしが故なり。所謂周の宇文元嵩等是れなり。 難じて曰く、今の世の災難五常を破りしが故に之起ると云はば、何ぞ必ずしも 答て曰く、仁王経に云く「大王未来の世の中に諸の小国王・四部の弟子○諸の悪比丘○横に法制を作て仏戒に依らず○亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴さず○七難必ず起らん」と。 豈に弥陀より外の諸仏諸経等を供養し礼拝し讃歎するを、悉く雑行と名くるに当らざらんや。 難じて云く、仏法已前国に於て災難有るは何ぞ謗法の者の故ならんや。 答て云く、仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり。礼儀を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり。 問て曰く、其の証拠如何。答て曰く、 法華経に云く「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と。 普賢経に云く「正法をもつて国を治め人民を邪枉せず。是れを第三懺悔を修すと名く」と。 涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり、外道の説に非ず」と。 止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と。弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と。 広釈に云く「仏三人を遣して且く震旦を化す。五常以て五戒の方を開く。昔、大宰、孔子に問て云く、三皇五帝は是れ聖人なるか。孔子答て云く、聖人に非ず。 又問ふ、夫子是れ聖人なるか。亦答ふ、非なり。又問ふ、若し爾らば誰か聖人なる。答て云く、吾聞く西方に聖有り。釈迦と号く」文。 此等の文を以て之を勘ふるに、仏法已前の三皇五帝は五常を以て国を治む。 夏の桀・殷の紂・周の幽等の礼儀を破て国を喪すは遠く仏誓の持破に当れり。 疑て云く、若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者は何ぞ此の難に値へるや。 答て曰く、 此等の文を以て之を推するに、法華真言等を行ずる者も未だ位深からず。信心薄く、口に誦すれども其の義を知らず。一向名利の為に之を誦す。 先生の謗法の失未だ尽きず。外に法華等を行じて内に選択の心を存す。此の災難の根源等を知らざる者は此の難を免れ難きか。 疑て云く、若し爾らば何ぞ 答て曰く、業力不定なり。順現業は法華経に云く「此の人現世に白癩の病乃至諸の悪重病を得ん」と。 仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神祐けず。疾疫悪鬼日に来て侵害し、災怪首尾し連禍せん」と。 涅槃経に云く「若し是の経典を信ぜざる者有らば○若は臨終の時、或は荒乱に値ひ、刀兵競ひ起り、帝王の暴虐怨家の讎隙に侵逼せられん」〈已上〉。 順次生業は、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。 仁王経に云く「人仏教を壊らば○死して地獄餓鬼畜生に入らん」〈已上〉。順後業等は之を略す。 問て曰く、如何にして速かに此の災難を留むべきや。答て曰く、速に謗法の者を治すべし。若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留むべからざるなり。 問て曰く、如何が対治すべき。答て曰く、治方亦経に之有り。涅槃経に曰く「仏言く、唯一人を除て余の一切に施せ○正法を誹謗して是の重業を造る○唯此くの如き一闡提の輩を除て其の余の者に施さば一切讃歎すべし」〈已上〉。 此の文の如んば施を留めて対治すべしと見えたり。此の外にも亦治方是れ多し。具に出すに暇あらず。 問て曰く、謗法の者に於て供養を留め苦治を加ふるは罪有りや不や。 答て曰く、涅槃経に云く「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す○正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆当に苦治すべし○尚罪有ること無けん」〈已上〉。 問て曰く、汝僧形を以て比丘の失を顕すは罪業に非ずや。 答て曰く、涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置て、呵責し駈遣し挙処せざれば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり」〈已上〉。 予此の文を見るが故に、仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚からずして、法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つべき由を称す。此の道理を聞き解く道俗の中に、少少は回心の者有り。 若し一度高覧を経ん人は、上に挙ぐる所の如く之を行ぜずんば、大集経の文の「若し国王有て我が法の滅せんを見て捨てて擁護せざれば、無量世に於て施戒恵を修すとも、悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥を出さん。 乃至命終して大地獄に生ぜん」との記文を免かれ難きか。仁王経に云く「若し王の福尽きん時は○七難必ず起らん」と。 此の文に云く「無量世に於て施戒恵を修すとも悉く皆滅失す」等云云。 此の文を見るに且く万事を閣て先ず此の災難の起る由を勘ふべきか。若し爾からざれば弥亦重ねて災難起るべきか。愚勘是くの如し。取捨は人の意に任す。 |