三大秘法禀承事
三大秘法禀承事の概要 【弘安四年四月八日、太田乗明、聖寿】 夫れ法華経の第七神力品に云く「要を以て之を言ば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此経に於て宣示顕説す」等云云。釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等云云。 問ふ、所説の要言の法とは、何物ぞや。答て云く、夫れ釈尊初成道より四味三教、乃至法華経の広開三顕一の席を立て、略開近顕遠を説かせ給ひし涌出品まで、秘せさせ給ひし実相証得の当初修行し給ひし処の 教主釈尊、此の秘法をば三世に隠れ無き普賢・文殊等にも譲り給はず。況や其の以下をや。 されば此の秘法を説かせ給ひし儀式は、四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき。 所居の土は寂光本有の国土なり。能居の教主は本有無作の三身なり。所化以て同体なり。 かかる砌なれば久遠称揚の本眷属、上行等の四菩薩を、寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給ふ。 道暹律師云く「法是れ久成の法なるに由る故に、久成の人に付す」等云云。 問て云く、其の所属の法門、仏の滅後に於ては、何れの時に弘通し給ふべきか。 答て云く、経の第七薬王品に云く「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」等云云。 謹て経文を拝見し奉るに、仏の滅後正像二千年過て、第五の五百歳闘諍堅固白法隠没の時云云。 問て云く、夫れ諸仏の慈悲は天月の如し。機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に移し給べき処に、正像末の三時の中に末法に限ると説き給はば、教主釈尊の慈悲に於て偏頗あるに似たり如何。 答ふ、諸仏の和光利物の月影は九法界の闇を照すと雖も、謗法一闡提の濁水には影を移さず。 正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり。像法一千年には法華経の迹門機感相応せり。 末法の始の五百年には法華経の本門前後十三品を置て、只 今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳、機、尚堪へず。況や始めの五百年をや。何に況や、正法の機は迹門尚日浅し、増して本門をや。 末法に入て、爾前・迹門は全く出離生死の法にあらず。但専ら本門寿量の一品に限て出離生死の要法なり。是を以て思ふに、諸仏の化導に於て全く偏頗無し等云云。 問ふ、仏の滅後正像末の三時に於て、本化・迹化の各各の付属分明なり。但寿量の一品に限て末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず。慥に経の現文を聞かんと欲す如何。 答ふ、汝強ちに之を問ふ。聞て後堅く信を取るべきなり。所謂 問て云く、 答て云く、予が己心の大事之に如かず。汝が志無二なれば少し之を云はん。 疏の九に云く「一身即三身なるを名けて秘と為し、三身即一身なるを名けて密と為す。又昔より説かざる所を名けて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す。仏三世に於て等しく三身有り、諸教の中に於て之を秘して伝へず」等云云。 題目とは、二の意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・ 像法には南岳・天台等、亦南無妙法蓮華経と唱へ給て、自行の為にして広く他の為に説かず。是れ理行の題目なり。 末法に入て、今日蓮が唱る所の題目は、前代に異り自行化他に亘て、南無妙法蓮華経なり。名体宗用教の五重玄の五字なり。 戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持て、有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。 時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並に 此の戒法立て後、 存の外に 彼の摩黎山の瓦礫の土となり、栴檀林の荊棘となるにも過ぎたるなるべし。 夫れ一代聖教の邪正偏円を弁へたらん学者の人をして、今の 此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり。 今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき、色も替らぬ 問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に出し申すべし。此に於て二種有り。 方便品に云く「諸法実相 所謂諸法 如是相 乃至 欲令衆生 開仏知見」等云云。底下の凡夫、理性所具の一念三千か。 予年来己心に秘すと雖も、此の法門を書き付て留め置ずんば、門家の遺弟等、定めて無慈悲の讒言を加ふべし。 其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存ずる間、貴辺に対し書き送り候。一見の後秘して他見有るべからず。口外も詮無し。 法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給て候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘すべし秘すべし。 弘安四年卯月八日 日蓮花押 大田金吾殿御返事 |