上野殿母御前御返事

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上野殿母御前御返事の概要

【弘安三年十月二十四日、南条時光母尼、聖寿、真筆断存】 
南条の故七郎五郎殿の四十九日御菩提のために送り給ふ物の日記の事。
鵞目両ゆひ・白米一駄・芋一駄・すりだうふ(摺豆腐)・こんにやく・柿一篭・ゆ(柚)五十等云云。
御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り候ひ畢ぬ。
抑法華経と申す御経は一代聖教には似るべくもなき御経にて、而かも唯仏与仏と説かれて、仏と仏とのみこそしろしめされて、等覚已下乃至凡夫は叶はぬ事に候へ。
されば竜樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)の大論には、仏已下はただ信じて仏になるべしと見えて候。
法華経の第四法師品に云く「薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経あり、而も此の経の中に於て法華最も第一なり」等云云。
第五の巻に云く「文殊師利、此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云。
第七の巻に云く「此の法華経も亦復是くの如し、諸経の中に於て最も其の上たり」。又云く「最も照明たり、最も其の尊たり」等云云。
此等の経文、私の義にあらず。仏の誠言にて候へば、定めてよもあやまりは候はじ。
民が家に生れたる者、我は侍に斉しなんど申せば必ずとが(咎)来る。
まして我れ国王に斉し、まして勝れたりなんと申せば、我が身のとが(咎)となるのみならず、父母と申し、妻子と云ひ、必ず損ずる事、大火の宅を焼き、大木の倒るる時小木等の損ずるが如し。
仏教も又かくの如く、華厳・阿含・方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依る人人の、我が信じたるままに勝劣も弁へずして、我が阿弥陀経等は法華経と斉等なり、将た又勝れたりなんど申せば、
其の一類の人人は我が経をほめられ、うれしと思へども、還てとがとなりて師も弟子も檀那も悪道に墮つること箭を射るが如し。
但し法華経の一切経に勝れりと申して候はくるしからず。還て大功徳となり候。経文の如くなるが故なり。
此の法華経の始に無量義経と申す経おはします。譬へば大王の行幸の御時、将軍前陣して狼藉をしづむるが如し。
其の無量義経に云く「四十余年には未だ真実を顕さず」等云云。此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ、又太刀を以て切りすつるが如し。
華厳経を読む華厳宗、阿含経の律僧等、観経の念仏者等、大日経の真言師等の者共が、法華経にしたがはぬを、せめなびかす利剣の勅宣なり。
譬へば貞任を義家が責め、清盛を頼朝の打ち失せしが如し。無量義経の四十余年の文は不動明王の剣索、愛染明王の弓箭なり。
故南条五郎殿の死出の山・三途の河を越し給はん時、煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給ふべき御供の兵者は、無量義経の四十余年未顕真実(みけんしんじつ)の文ぞかし。
法華経第一の巻方便品に云く「世尊の法は久くして後、要らず当に真実を説きたもうべし」。又云く「正直に方便を捨てて但無上道を説く」云云。
第五の巻に云く「唯■中の明珠」、又云く「独り王の頂上に此の一珠有り」、又云く「彼の強力の王の久しく護れる明珠を今乃ち之を与ふるが如し」等云云。
文の心は、日本国に一切経わたれり、七千三百九十九巻なり。彼れ彼れの経経は皆法華経の眷属なり。
例せば日本国の男女の数四十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家人たるが如し。
一切経の心は愚痴の女人なんどの唯一時に心うべきやうは、たとへば大塔をくみ候には、先ず材木より外に足代と申して多くの小木を集め、一丈二丈計りゆひあげ候なり。
かくゆひあげて、材木を以て大塔をくみあげ候ひつれば、返て足代を切り捨て大塔は候なり。
足代と申すは一切経なり、大塔と申すは法華経なり。仏一切経を説き給ひし事は法華経を説かせ給はんための足代なり。
正直捨方便と申して法華経を信ずる人は、阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛てのち法華経をば持ち候なり。
大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあげぬれば足代を切り落すなり。「正直捨方便」と申す文の心是なり。足代より塔は出来して候へども、塔を捨てて足代ををがむ人なし。
今の世の道心者等、一向に南無阿弥陀仏と唱へて一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人人は、大塔をすてて足代ををがむ人人なり。世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。
故七郎五郎殿は当世の日本国の人人にはにさせ給はず。をさなき心なれども賢き父の跡をおひ、御年いまだはたち(二十)にも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱へさせ給て仏にならせ給ひぬ。無一不成仏は是なり。
乞ひ願はくは、悲母我が子を恋しく思食し給ひなば、南無妙法蓮華経と唱へさせ給て、故南条殿・故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ。
一つ種は一つ種、別の種は別の種。同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給ひなば、同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給ふべし。
三人面をならべさせ給はん時、御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。
抑此の法華経を開て拝見仕り候へば、「如来則ち為に衣を以て之を覆ひたもう、又他方現在の諸仏の護念する所と為らん」等云云。
経文の心は、東西南北八方、並に三千大千世界の外、四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給ふ。
天には星の如く、地には稲麻のやうに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬へば大王の太子の諸の臣下の守護するが如し。
但四天王一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈・梵天等の守護せさせ給ふに足るべき事なり。
其の上一切の二乗・一切の菩薩・兜率内院の弥勒菩薩・迦羅陀山の地蔵・補陀落山の観世音・清涼山の文殊師利菩薩等、各各眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給ふに足るべき事に候に、
又かたじけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏のてづからみづから来り給て、昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。
かかるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給て、今日は四十九日にならせ給へば、
一切の諸仏霊山浄土に集まらせ給て、或は手にすへ、或は頂をなで、或はいだき、或は悦び、月の始めて出でたるが如く、花の始めてさけるが如く、いかに愛しまいらせ給ふらん。
抑いかなれば三世十方の諸仏はあながちに此の法華経をば守らせ給ふと勘へて候へば、道理にて候けるぞ。
法華経と申すは三世十方の諸仏の父母なり、めのと(乳母)なり、主にてましましけるぞや。
かえる(蛙)と申す虫は母の音を食とす、母の声を聞かざれば生長する事なし。からぐら(迦羅求羅)と申す虫は風を食とす、風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみか(栖)とす。仏も亦かくの如く、法華経を命とし、食とし、すみかとし給ふなり。
魚は水にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。鳥は木にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。月は水にやどる、仏は此の経にやどり給ふ。此の経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。
古昔輪陀王と申せし王をはしき。南閻浮提(えんぶだい)の主なり。此の王はなにをか供御とし給ひしと尋ぬれば、白馬のいななくを聞て食とし給ふ。
此の王は白馬のいななけば年も若くなり、色も盛んに、魂もいさぎよく、力もつよく、又政事も明らかなり。故に其の国には白馬を多くあつめ飼いしなり。
譬へば魏王と申せし王の鶴を多くあつめ、徳宗皇帝のほたる(螢)を愛せしが如し。
白馬のいななく事は又白鳥の鳴きし故なり。されば又白鳥を多く集めしなり。
或時如何しけん、白鳥皆うせて白馬いななかざりしかば、大王供御たえて、盛んなる花の露にしほれしが如く、満月の雲におほはれたるが如し。
此の王既にかくれさせ給はんとせしかば、后・太子・大臣・一国皆母に別れたる子の如く、皆色をうしなひて涙を袖におびたり。如何せん、如何せん。
其の国に外道多し、当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等の如し。又仏の弟子も有り、当時の法華宗の人人の如し。中悪き事水火なり、胡と越とに似たり。
大王勅宣を下して云く「一切の外道此の馬をいななかせば仏教を失て一向に外道を信ぜん事、諸天の帝釈を敬ふが如くならん。仏弟子此の馬をいななかせば一切の外道の頚を切り、其の所をうばひ取て仏弟子につくべし」云云。
外道も色をうしなひ、仏弟子も歎きあへり。而れどもさては(果)つべき事ならねば、外道は先きに七日を行ひき。白鳥も来らず、白馬もいななかず。
後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴と申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給ふ法華経を以て七日祈りしかば、白鳥壇上に飛び来る。
此の鳥一声鳴きしかば一馬一声いななく。大王は馬の声を聞て病の牀よりをき給ふ。后より始めて諸人馬鳴に向て礼拝をなす。白鳥一・二・三乃至十・百・千出来して国中に充満せり。
白馬しきりにいななき、一馬・二馬乃至百千の白馬いななきしかば、大王此の音を聞こし食し面貌は三十計り、心は日の如く明らかに、政正直なりしかば、天より甘露ふり下り、勅風万民をなびかして無量百歳代を治め給ひき。 正直
仏も又かくの如く、多宝仏と申す仏は此の経にあひ給はざれば御入滅、此の経をよむ代には出現し給ふ。釈迦仏十方の諸仏も亦復かくの如し。
かかる不思議の徳まします経なれば、此の経を持つ人をば、いかでか天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩すてさせ給ふべきとたのもしき事なり。
又此の経にあだをなす国をば、いかに正直に祈り候へども、必ず其の国に七難起て他国に破られて亡国となり候事、大海の中の大船の大風に値ふが如く、大旱魃の草木を枯らすが如しとをぼしめせ。 正直
当時日本国のいかなるいのり候とも、日蓮が一門法華経の行者をあなづらせ給へば、さまざまの御いのり叶はずして、大蒙古国にせめられてすでにほろびんとするが如し。
今も御覧ぜよ。ただかくては候まじきぞ。是れ皆法華経をあだませ給ふ故と御信用あるべし。
抑故五郎殿かくれ給て既に四十九日なり。無常はつねの習ひなれども、此の事うち聞く人すら猶忍びがたし。況や母となり妻となる人をや。心の中をしはかられて候。
人の子には幼きもあり、長きもあり、みにくきもあり、かたわなるもある物をすら思ひになるべかりけるにや。をのこご(男子)たる上よろづにたらひ、なさけあり。
故上野殿には壮なりし時をくれて歎き浅からざりしに、此の子を懐姙せずば火にも入り水にも入らんと思ひしに、此の子すでに平安なりしかば、誰にあつらへて身をもなぐべきと思て、此に心をなぐさめて此の十四五年はすぎぬ。いかにいかにとすべき。
二人のをのこご(男子)にこそになわれめと、たのもしく思ひ候ひつるに、今年九月五日、月を雲にかくされ、花を風にふかせて、ゆめ(夢)かゆめならざるか、あわれひさしきゆめかなとなげきをり候へば、うつつににてすでに四十九日はせすぎぬ。
まことならばいかんがせん。さける花はちらずして、つぼめる花のかれたる。をいたる母はとどまりて、わかきこはさりぬ。なさけなかりける、無常かな無常かな。
かかるなさけなき国をばいといすてさせ給て、故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給て、常住不壊のりやう(霊)山浄土へとくまいらせ給ふ。
ちち(父)はりやうぜんにまします。母は娑婆にとどまれり。二人の中間にをはします故五郎殿の心こそをもひやられてあわれにをぼへ候へ。事多しと申せどもとどめ候ひ畢ぬ。恐恐謹言。
十月二十四日  日蓮花押 
上野殿母尼御前御返事 

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