報恩抄文段上本

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  享保七年壬寅二月二十四日  日寛之を記す

(序)

一、当抄の大意

 凡そこの抄は吾が祖五十五歳、建治二年丙子六月、道善房逝去の由を伝聞したまい、報恩謝徳の為にこれを述べ、同じき七月下旬、身延山より清澄の浄顕房・義浄房両人の許へ送りたまう御抄なり。

録外第三十二報恩抄送文に云く「道善御房の御死去の由・去る月粗承わり候乃至此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ」等云云。

「大事の大事」とは、凡そ五大部の中に、安国論は佐渡已前にて専ら法然の謗法を破す。故に唯これ権実相対にして未だ本迹の名言を出さず。況や三大秘法の名言を出さんをや。開目抄の中には広く五段の教相を明かし、専ら本迹を判ずと雖も但「本門寿量の文底秘沈」といって、尚未だ三大秘法の名言を明かさず。撰時抄の中には「天台未弘の大法経文の面に顕然なり」(取意)と判ずと雖も、而も浄・禅・真の三宗を破して、未だ三大秘法の名義を明かさず。

 然るに今当抄の中に於て、通じて諸宗の謗法を折伏し、別して真言の誑惑を責破し、正しく本門の三大秘法を顕す。これ則ち大事の中の大事なり。故に「大事の大事」というなり。吾が祖はこれを以て即ち師恩報謝に擬したまうなり。当抄下巻二十二及び本尊問答抄、録外十四善無畏抄等、往いて見よ。道善房の事明らかなり。

一、当抄の題号

 この抄の題号は即ち二意を含む。所謂通別なり。通は謂く、四恩報謝の報恩抄、別は謂く、師恩報謝の報恩抄なり。

 初めの四恩報謝の報恩抄とは、当に知るべし、この抄の四恩は少しく常途に異なり。謂く、一には父母の恩、二には師匠の恩、三には三宝の恩、四には国王の恩なり。故に下巻二十二に云く「これは・ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざれば・さでこそ候へ」等云云。

 問う、御抄第四十四恩抄に具に四恩を明かす。謂く、一には父母の恩、二には衆生の恩、三には国主の恩、四には三宝の恩なり。何を以て故に今師匠の恩を出して、衆生の恩を没するや。

 答う、師恩報謝の為に別して当抄を述する故に、梵網経の意に依り師恩を開出するなり。故に梵網経に云く「孝は父母・師僧・三宝に順うなり」等云云。

与咸註に云く「所孝の境に三あり。一には父母生育の恩、二には師僧訓導の恩、三には三宝救護の恩」等云云。既に師匠の恩を開出する故に、衆生の恩を合して父母の恩の中に在き、以て四恩と為すなり。心地観経に云く「故に六道の衆生は皆是れ我が父母なり」等云云。

法蓮抄十五十四に云く「然るに六道四生の一切衆生は皆父母なり。此の父母に孝養を果さずんば仏と成らず」(取意)等云云。即ちこの文意なり。

 次に別は謂く、師恩報謝の報恩抄とは、総結の文に云く「されば花は根にかへり真味は土にとどまる、此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし」と云云。学者、当に知るべし、今所述所行の辺に約すれば、即ち通別の両意なり。別して能述の辺に約すれば、唯これ師恩報謝の為に別して当抄を述ぶるなり。

一、当抄の入文

 将にこの抄を釈せんとするに、大に分ちて三と為す。初めに仏子は必ず応に恩を知り、恩を報ずべきの道理を明かし、次に「此の大恩」の下は報恩の要述を明かし、三に「されば花は根」の下は総結なり。蒙抄の大科は穏やかならざるなり。

 問う、啓蒙の細科に云く「初めに総じて恩を報ずべき旨を明かす、また二あり。初めに世間有為の報恩を明かし、二に『何に況や』の下は出世無為の報恩を明かす」等云云。この義如何。

 答う、当抄の大意は、出世無為の中に於て唯沙門の報恩に約して、無智の男女に約さず。沙門の報恩の中に於て、意は蓮祖自身の報恩に約するに在り。何ぞ「世間有為の報恩を明かす」というべけんや。但し当文の意は畜を挙げて人に況し、世の賢人を挙げて以て仏弟子に況す。畜生すら此くの如し、況や人倫をや。世の賢人すら此くの如し、何に況や仏弟子をや。仏弟子、若しこの大恩を報ぜずんば、応に彼々の賢人にも劣るべし。但彼々の賢人に劣るのみに非ず、抑また畜類にも劣るべし。故に仏弟子は必ず応に恩を知り、恩を報ずべしとなり。これ即ちその道理なり。

 開目抄上十三に云く「聖賢の二類は孝の家よりいでたり何に況や仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし」。乃至三十六に云く「若しほうぜずば彼彼の賢人にも・をとりて不知恩の畜生なるべし乃至畜生すら猶恩をほうず」等云云。

 (第一段 報恩の道理を明かす)

一、夫れ老狐は塚をあとにせず文。(二九三n)

 淮南子に云く「兎は死して窟に帰り、狐は死して丘を首にす」と文。楚辞に云く「鳥飛んで古郷に帰り、狐死するに必ず丘を首にす」と云云。朱子の註に云く「鳥の飛んで古郷に帰るは、古巣を思えるなり。狐の死して必ず丘を首にするは、其の自ら生るる所を忘れざるなり」と。鄭玄の註に云く「狐は穴丘を以て生る、亦丘に背いて死するに忍びざるは、恩を忘れざるなり」と。具に註及び啓蒙の中に諸文を引くが如し。

一、白亀は毛宝が恩をほうず文。(同n)

 開目抄上三十七に云く「毛宝が亀はあをの恩をわすれず」等云云。「あを」は衣裳の類なり。「毛宝白亀」に即ち両説あり。

 一には蒙求中の註に晋書の列伝五十一を引く。その説は毛宝が軍士に約す。直ちに毛宝には非ざるなり。事文類聚三十五もこれに同じ。

 二には瑯邪代酔三十八の意は直ちに毛宝に約す。啓蒙六十二に蒙求、大綱抄、盛衰記二十六を引く。これに同じ。

 また亀を放って報を得るは、その事甚だ多し。唐の劉彦回水難を免るるの事、啓蒙六十二に瑯邪代酔二十一巻を引く。晋の孔愉印亀三たび顧みる事、蒙求下八。楊州の厳敬の事、法華伝八十二。山陰中納言の事、和語記上八。但し源平盛衰記二十六には如無僧都という。その余は大同云云。

 また蟹の恩を報ずる事、沙石八三。魚の恩を報ずる事、開目抄上三十六。啓蒙六十四の註。烏の恩を報ずる事、御書十六四十二。啓蒙二十六八十六云云。本尊綱目に時珍云く「此の鳥、初め生まるとき母に哺すること六十日、長じて則ち反哺すること六十日、慈孝と謂うべし」と云云。白氏文集一十五に云く「慈烏夜啼。慈烏其の母を失い、唖唖と哀音を吐く。乃至鳥中の曽参なり」文。猿の恩を報ずる事、沙石八五云云。恥ずべし、恥ずべし。この故にこれを引く。

一、予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて文。(二九三n)

 史記八十六四の註に云云。

 問う、蒙求に云く「予譲は炭を呑む」等云云。故に応に「炭を呑む」というべし。何ぞ「剣を呑む」というや。

 答う、文意は炭を呑みて剣に伏す。智伯の恩に擬するなり。今はこれ文を巧にす、故に「剣を呑む」というなり。健抄に「刀を口に入れて死す」といえるは、然るべからざるか。

一、弘演乃至衛の懿公が肝を入れたり文。(同n)

 註三十七に諸文を引く。往いて見よ。開目抄に「魏王」に作るは謬りなり。

一、いかにいわうや乃至父母・師匠・国恩をわするべしや文。(同n)

 問う、十法界明因果抄十六三十五に云く「夫れ以みれば持戒は父母・師僧・国王・主君の一切衆生三宝の恩を報ぜんが為なり」と云云。この文は具に六恩を挙ぐ。今何ぞ唯前の三を挙げて後の三を挙げざるや。

答う、今は正しく沙門の報恩に約す。故に主君の恩を挙げざるなり。若し一切衆生の恩は父母の恩に合す。故に別してこれを挙げざるなり。若し三宝の恩は文に於て便ならず、故に且くこれを略す。謂く、次下に恩を棄てて恩を報ずるを明かす。而るに三宝にはこの義なきが故なり云云。若し元意の辺は、但世の主師親の三徳の恩を挙ぐる所以は、出世の三徳の重恩を忘るべからざることを顕すなり。

 (第二段 知恩・報恩を明かす)

一、此の大恩をほうぜんには等文。(二九三n)

 この下は次に報恩の要術を明かす。また二と為す。初めに恩を棄てて恩を報ずるを明かし、次に「かくのごとく存して」の下は正しく報恩の要術を明かす。初めの文をまた二と為す。初めには正しく明かし、次に「この義」の下は難を遮す。

 大集経に云く「他の小恩を受けて尚厚報を思う。何に況や人重徳有りて敢えて輙く忘れんをや」と文。柿葉二九、十八史略に「豆粥麦飯」と。

一、必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか文。(同n)

 問う、若し一代の蔵経を学し、八宗の章疏を究むるに非ざるよりは、焉ぞ仏法を習い究むといわんや。然らば末代の下根、誰か仏法を習い究めん。若し爾らば畢竟恩を報ずること能わざるや。

 答う、若し他宗他門の如くんば、縦い一代聖教を胸に浮ぶと雖も、仍これ仏法を習い究むるに非ず。これ則ち三重の秘伝を知らずして、権実・本迹・種脱に迷乱する故なり。若し当流の学者は、実に一迷先達の蓮祖の跡を忍ぶ。故に初心より尚この事を知れり。故にその義は仏法を習い究むるに当るなり。

宗祖云く「鳥はとぶ徳人にすぐれたり。日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡をしのぶゆへなり乃至法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし」等云云。これに例して知るべし。但当流の学者、三重の秘伝を知ると雖も、若し法を伝え衆生を度せずんば畢竟恩を報ずることなきか。如来説いて云く「只通化伝法を以て報恩と名づくるのみ」と云云。

 問う、縦い当流と雖も、無智の俗男俗女は三重の秘伝を知らず。若し爾らば、恩を報ずること能わざるや。

 答う、無智の男女は唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る、実にこの大恩を報ずるなり。

法蓮抄十五十四に云く「仏は法華経をさとらせ給いて六道・四生の父母・孝養の功徳を身に備へ給へり、此の仏の御功徳をば法華経を信ずる人にゆづり給う、例せば悲母の食う物の乳となりて赤子を養うが如し」等云云。若し元意の辺は、仏とは久遠元初の自受用身なり。法華経とは要の法華経、意の法華経、下種の法華経なり。即ち本門の本尊の御事なり。

一、譬へば衆盲をみちびかんには等文。(二九三n)

 「一迷先達して以て余迷に教う」の文、これを思うべし。

一、方風を弁えざらん船主(大舟)等文。(同n)

 方及び風なり。

一、父母・師匠等の心に随うべからず等文。(同n)

 止観四四十三に云く「夫れ親に違い師に離れて、本要道を求む」と云云。宗祖云く「一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か」等云云。

一、この義は諸人をもはく等文。(同n)

 この下は難を遮するなり。難の意に云く、この義は、顕には礼儀にもはずれ、冥には仏意にも叶ふまじとなり。

一、外典の孝経等文。(同n)

 孝経大義三十七。註八五にこれを引く。師弟もまた爾なり。守護章中上九。また孝経(ケウキャウ)とよむべし。啓蒙八四十六、往いて見よ。

一、内典の仏経に云く等。(同n)

 林三十二十二に清信士度人経を引く云云。

一、比干が王に随わずして等文。(同n)

 啓蒙四十五、註三十七、見るべし。

一、悉達太子等文。(同n)

 統紀二十四、兄弟抄十六十二。

一、三界第一の孝の主なりしこれなり(孝となりしこれなり)文。(同n)

 法蓮抄十五十三に云く「教主釈尊をば大覚世尊と号したてまつる、世尊と申す尊の一字を乃至孝と訓ずるなり、一切の孝養の人の中に第一の孝養の人なれば世尊と号し奉る」等云云。この文意なり。柿葉二九に大般若経を引いて云く「一切世間に恩を知り恩を報ずること、仏に過ぐる無きが故に」と文。

 (第三段 一代諸経の勝劣を判ず

一、かくのごとく存して等文。(二九三n)

 次にこの下は正しく報恩の要術を明かす、また二と為す。初めに邪法を退治するは即ちこれ報恩なることを明かし、次に「問うて云く、法華経」下巻二十四丁の下は、正法を弘通するは即ちこれ謝徳なることを明かすなり。

 問う、報恩の要術、その意は如何。

 答う、不惜身命を名づけて要術と為す。謂く、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通すれば、即ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり。

 初めの謗法を呵責するは即ちこれ報恩なることを明かす文、また二と為す。初めに略して一代諸経の勝劣を判じ、次に「問うて云く、華厳」八丁の下は、広く諸宗の謗法を呵責す。

 初めの略して一代諸経の勝劣を判ずる文、また三と為す。初めに諸宗の迷乱を挙げ、次に「我等」の下は今家の正判を明かし、三に「然るに華厳」の下は、上を承けて下を起こす。

初めの諸宗の迷乱を挙ぐるの文、また三と為す。初めに通じて十宗を挙げ、次に「小乗」の下は別して小を簡びて大を取り、三に「大乗の七宗」の下は正しく七宗の迷乱を明かす。

初めの通じて十宗を挙ぐるの文、また三と為す。初めに上を承けて下を起し、次に「一代」の下は正しく列し、三に「世間」の下は世人の情を示す。文に「かくのごとく存して」とは、上の「此の大恩」已下を承け、また下の文を起す。故にこれを上を承けて下を起す文というなり。啓蒙の義は不可なり。文に云く「父母・師匠等に随わずして」とは御書三十四 四十七。

一、一代聖教等文。(同n)

 この下は次に正しく列す、また三あり。初めに標、次に「所謂る」の下は釈、三に「此等」の下は結。文に「明鏡」というは、これ明鏡に非ずと雖も、世人の情に順うが故に、且く明鏡というなり。

一、世間の学者等おもえり等文。(同n)

 「分け登る麓の道は多けれど 同じ雲井の月をこそ見れ」と云云。今謂く、この歌は教々の四門に約す。何ぞ一代に約すべけんや。天台云く「四門の観は別なれども、真諦を見るは同じ」と云云。

一、小乗の三宗等文。(二九三n)

 この下は次に別して小を簡び大を取る、即ち大小相対の判釈なり。小乗の中には実に出離の要路を明かさず。譬えば「民の消息」の如し。故に且くこれを置くなり。

 文に「生死の大海」というは、

 問う、何ぞ生死を以て大海に譬うるや。

 答う、五の相似ある故なり。瑜伽論七十十二に云く「一には処所無辺なること相似の故に。二には甚だ深きこと相似の故に。三には渡り難きこと相似の故に。四には飲むべからざること相似の故に。五には大宝所依のこと相似の故に」等云云。

一、大乗の七宗いづれも・いづれも等文。(同n)

 この下は釈、また二と為す。初めに元祖を挙げ、次に判教を明かす。文にいう「杜順・智儼」等とは、杜順、本名は法順なり。この人杜氏なり。故に杜順和尚というなり。専ら華厳を弘め、以て霊華寺の智儼に授け、智儼は賢首法蔵に授くるなり。唐の太宗の時の人なり。智儼は別に伝なし。杜順の伝に附出するなり。「法蔵」は即ちこれ賢首の事なり。また香象大師と名づく。則天の朝に金師子の譬を説きし人なり。「澄観」は即ちこれ清涼国師なり。書註第三、第四、啓蒙五六十二、往いて見よ。

 「玄奘・慈恩」は統紀第三十巻、書註三巻。「智周」は濮楊の智周なり。註八六、啓蒙十三二十二。文に「智昭等」というは、「智」の字恐らくは謬れり。応に「道昭」に作るべし。法相宗の日本伝来は凡そ四箇度なり。第一は道昭、第二は智通・智達、第三は智鳳・智鸞・智雄、第四は玄・この中に「智昭」という人なし。故に知んぬ、本朝伝来第一の道昭を挙げ、以て余人を等しくすることを。

撰時抄下三十五に「道昭・智鳳等」と云云。下二十三に云く「法相宗の慈恩・道昭」と云云。註六十八に云云。

 「興皇」は即ちこれ天台所破の河西の道朗なり。興皇寺に住するが故に興皇というなり。「嘉祥」は即ち興皇の弟子なり。取要抄の初めに「嘉祥・道朗」等云云。註五十五、同八六、同十十二、啓蒙二十三、往いて見よ。

 「善無畏・金剛智」等は仏祖統紀三十巻、註三、同六等。その外は常の如し。

 問う、初めに「七宗」と標し、今何ぞ唯六宗と挙ぐるや。

 答う、慈覚・智証は、或はこれ天台宗、或はこれ真言宗なるが故なり。

一、此等の宗宗の人人等文。(二九四n)

 この下は判教を明かすなり。文にいう「本経・本論によりて」とは、開目抄下二十、取要抄三に「諸経各第一」等の文を引くなり云云。

一、而も上に挙ぐる諸師は世間の人人・各各おもえり文。(同n)

 或は応に「各各重んじ」と作るべきか云云。この下は三に、世人の帰依を明かすなり。法蓮抄に云く「愚人の正義に違うこと昔も今も異らず但外相のみを貴び内智を貴ばず」等云云。これを思い合すべし。

一、我等凡夫は等文。(同n)

 この下は次に今家の正判を明かす。文を分ちて三と為す。初めに疑を起し願を立つるを示し、二に「我直ちに」の下は涅槃の遺誡に准ずるを示し、三に「随つて法華経」の下は正しく法華の明文に依って一代諸経の勝劣を判ずるなり。文に「国主は但一人なり」というは、雑含三十二二に云く「一国の中にも亦二主無し。一仏の境界に二の尊号無し」と云云。既に記第一に云云。礼記七十四に云く「天に二日無く、土に二王無し」等云云。

一、我直ちに一切経を開きみるに文。(同n)

 この下は二に涅槃遺誡の文に准ずるを示す、また二と為す。初めに文を引いて義を釈し、次に「されば仏」の下は前を結し後を生ずるなり。初めの文にまた二あり。初めに人法相対、次に「又云く」の下は法法相対。各引文・釈義あり。見るべし。文にいう「涅槃経」とは会疏六二。

 文にいう「了義経と申すは法華経」等とは、

 問う、何ぞ通じて爾前を不了義と名づけ、唯今経のみを了義経と名づくるや。

 答う、開・未開異る故なり。故に授決集下終に云く「若し細に至って之を論ぜば、五時の中に三箇の円は猶是れ未了義なり。未だ麁を開せざる故に」等云云。円教すら尚爾なり、況や三教をや。記三下六十六にいう「法華已前は不了義」とはこれなり。

一、随つて法華経の文を開き奉れば等文。(同n)

 この下は三に正しく法華の明文に依って一代諸経の勝劣を判ず、また四と為す。初めに正しく法華の明文を引き、次に「此の経文」の下は釈、三に「又大日経」の下は諸経相似の文を会し、四に「或る人疑つて云く」の下は釈成。

 文にいう「諸経の中に於て最も其の上に在り」とは、所謂「諸経」とは今日一代並びに十方三世の諸仏の諸経の中に、法華経最第一なり。故に「最も其の上に在り」というなり。

一、此の経文のごとくば等文。(二九四n)

 この下は釈、また二と為す。初めに所引の文を釈し、次に「されば専ら」の下は正しく勝劣を判ず。初めの文にまた二あり。初めに広く四譬を挙げ、次に「此の法華経」の下は、略して法に合し、別してこの文を引く。具にこれを釈することは、意、慈覚の金剛頂の疏に対する故なり。

一、されば専ら論師人師をすてて等文。(二九五n)

 この下は正しく勝劣を判ず、また三と為す。所謂法・譬・合なり。見るべし。

一、又大日経・華厳経等文。、(同n)

 別して二経を挙ぐることは、また真言宗に対するが故なり。この下は三に諸経相似の文を会す、また二と為す。初めに奪って爾前相似の文を会し、次に与えて涅槃経の文を会す。初めの文また三と為す。初めに正しく会し、次に「或は」の下は所以を釈し、三に「法華経」の下は結。

 文意に云く、爾前の諸経に、この「諸経の中に於て最も其の上に在り」の経文に相似の経文一字一点もなし。縦い諸経の王と説くと雖も、或は小乗に対し、或は俗諦に対する等なり。若し法華経は諸王に対して大王なり。故に「最も其の上に在り」という。故に相似の経文一字一点もこれなきなり。学者能く所対に意を留むべきなり。

一、唯涅槃経計こそ等文。(同n)

 この下は次に与えて涅槃経の文を会す、また四と為す。初めに一往相似の文あるを示し、二に「されども専ら」の下は涅槃も尚法華に劣れるを明かし、三に「かう経文」の下は十方世界の一切経の勝劣を比知すべきを明かし、四に「而るを経文」の下は略して諸宗を破す。文にいう「法華経に相似の経文」とは、即ちこれ五味の文なり。これ所対同じきが故に相似というなり。

一、されども専ら経文を開き見るには等文。(二九五n)

 この下は二に涅槃も尚法華に劣れるを示す、また二と為す。初めに爾前・涅槃の勝劣を挙げ、次に「又法華経」の下は正しく法華・涅槃の勝劣を明かす。下の文十五に云く「涅槃経第十四に四味を挙げ、涅槃経に対して勝劣を説かれて候へども、全く法華経と涅槃経との勝劣見へず。第九巻に法華・涅槃の勝劣分明なり。所謂『是の経の出世』」(取意)等云云。これを思い合すべし。

文に云く「是の経の出世」等文。会疏九二十七、籤一五十一、文九七十三。記九末五十に「法華は大陣を破るが如し。涅槃経は残党難からざるが如し。故に法華は大収の如し、涅槃は・拾の如し」等云云。総じて十六の同異等云云。

一、かう経文は分明なれども等文。(同n)

 この下は三に十方世界の一切経の勝劣を比知すべきを明かすなり。謂く、若し涅槃も尚法華に劣れることを了せば、十方世界の一切諸経、法華経に劣れることまた以て分明なり。故に十方世界の一切経の勝劣を比知すべきなり。故に「能く能く眼をとどむべし」というなり。

一、而るを経文にこそ迷うとも等文。(同n)

 この下は四に略して諸宗を破するなり。慈覚・智証等は尚この経文に眼を留めて比知せざるが故に「理同事勝」等云云。故に「此の経文にくらし」というなり。

一、或る人疑つて云く等文。(同n)

 この下は四に釈成。今、義意に約す、故に釈成というなり。謂く、宗祖は巧弁を以て仮難を設けて而してこれを会す。三説超過の文を引いて、一代並びに十方三世の諸仏の諸経の中に法華最第一の旨を明かし、以て「諸経の中に於て最も其の上に在り」の文を釈成するなり。若しこの意を得ずんば、徒に当抄を消するならん云云。

この釈成の文、また二と為す。初めに問、次に答、また三あり。初めに問を嘲り、次に正義を示し、三に「又我は見ざれば」の下は問に酬ゆ。

 文にいう「庭戸」等とは文選第十五、依憑集等に出ず。故に「これなり」というなり。初めに問を嘲るの意は、汝若し智あらば一を以て万を察せよ、然るに今汝が問は彼の癡人の疑に似たり。文にいう「山を隔て煙の立つを」等とは、宗円記四四十七に云く「既に煙を見て火あるを比知す」等云云。文にいう「一闡提の人」、「生盲」等は、涅槃経第九に「唯生盲・一闡提を除く」というなり。

一、法華経の法師品等文。(二九五n)

 この下は次に正義を示す、文二と為す。初めに三説超過の明文を示し、次に「已今当」の下は一代並びに十方三世の諸仏の諸経の中に法華最第一なるを明かす。初めの文をまた三と為す。初めに如来の金言、次に多宝の証明、三に分身の助舌なり。

一、已今当の三字は乃至説せ給いて文。(二九六n)

 問う、何を以て十方三世の諸仏の諸経の中に、法華最第一なることを知るを得ん。

 答う、経に云く「三世の諸仏説法の儀式の如く、我今亦是くの如し」等云云。「一をもつて万を察せよ庭戸を出でずして天下をしる」とはこれなり。

一、又我は見ざれば等文。(同n)

 この下は三に問に酬ゆるなり。文に云く「されば梵釈乃至法華経の御座にはなかりけるか」等とは、既に法華の座に在り。「世尊の勅の如く当に具に奉行すべし」と云云。「不妄語戒の力」とは、且く一戒を挙ぐ、実に十善戒を持って天に生るるなり。

后日云く「是れ果を以て因を知る故なり」と。謂うところの「不妄語戒」とは正直の異名なり。当に知るべし、諸天善神は正直の頭に宿るなり。故に知んぬ、諸天は正直の因に依って天に生ずることを。これ則ち正直に依って天に生ずる故に、また正直の頭に宿るなり。諌暁八幡抄二十七二十五に云く「成仏の後・化他門に出で給う時我が得道の門を示すなり」と云云。往いて見よ。啓蒙の義は然らざるか。

一、壊劫にいたらざるに大地の上にどうとおち候はんか文。(同n)

 問う、若し爾らば壊劫の時は日月大地に落つるや。

 答う、啓蒙を往いて見よ。

一、然るを華厳宗の澄観等文。(同n)

 この下は大段第三の承上起下の文なり。

 「瞿伽梨」は書註七四十五、「大天」は撰時抄下二十三に云く「大天は凡夫にして阿羅漢となのる」等云云。書註七四十九、同十七二十三。「大慢」は下の文二十七に云く「彼の月氏の大慢婆羅門が大自在天・那羅延天・婆籔天・教主釈尊の四人を高座の足につくりて其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし」等云云。また撰時抄下十一、註七十一に西域記十一十三を引く。

一、彼の輩を信ずる人人はをそろし・をそろし。(二九六n)

 師堕つれば弟子堕つ、弟子堕つれば檀那堕つる故なり。例せば、大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等の苦岸等に誑かされ、師子音王仏の末の男女等の勝意比丘を信じて、無量劫が間、地獄に堕ちしが如し。御書十六八、二十七二十二。下巻初に「今日本国中の男女等、皆爾らば不便」と云云。

(第四段 在世及び正法時代の値難)

一、問て云く華厳の澄観等乃至仏の敵との給うか文。(二九六n)

 この下は次に広く諸宗の謗法を呵責するに、また二と為す。初めに問、次に答。初めの問の起は、既に此等の人々を指して「諸仏の大怨敵」という。故に今驚きて問難するなり。問の意に多くの意あり。今略してこれを示す。

 問の意に謂く、凡そ「華厳の澄観」とは、即ち清涼国師の御事なり。清涼山に居する故に清涼国師と名づく。また唐の徳宗皇帝、「能く聖法を以て朕が心を清涼にす」といいたまうが故に、清涼国師と号す。身の長九尺四寸、手を垂るれば膝を過ぐ。目は夜も光を発し、昼は視て瞬がず。才は二筆を供え、声韵は鐘の如し。十一にして出家し、法華経を誦す。後普く諸宗を学ぶ。妙楽大師に従い天台止観、法華の疏等を習う。而る後、五台山大華厳寺に居す。将に華厳の疏を撰せんとする時に、金人の光明を呑むと夢み、常に付嘱せんことを思いたまうに、或る時、身化して大竜と成り、また化して一千の小竜となり、分散して去ると夢む。生まれて九朝を歴、七帝の国師と為る。春秋一百二歳にして化す。  「三論の嘉祥」とは即ち吉蔵法師なり。後、嘉祥寺に居す、故に嘉祥大師という。興皇の入室なり。七歳にして出家し、世に学海と称す。心に難伏の慧を包み、口に流るるが如きの弁を瀉ぐ。随の煬帝勅して京師日厳寺に住せしむ。唐の高祖詔して延興寺に居く。平時、妙経二千部を写造し、玄論義疏を述ぶ。法華経を講ずること三百遍、大品・華厳・大論各数遍、普く章疏を著す。臨終の日、死不怖論を製し、筆を投じて化す。

 「法相の慈恩」とは玄奘三蔵の御弟子、唐の太宗皇帝の御師なり。梵漢を暗に浮べ、一切経を胸に湛え、仏舎利を筆末より雨らし、牙より光を放つ。朝に講じ夕に述作すと云云。守護抄に「玄賛十巻を撰し、専ら法華経を讃す」と出でたり。世人は日月の如く恭敬し、後世は眼目の如く渇仰す。智行兼備の高徳なり。

 「真言の善無畏」とは、月氏の烏萇奈国仏種王の太子にて、七歳にして位に即き、十三にして国を兄に譲り、出家遁世して五天竺を修行し、達磨菊多に値い奉り、真言の諸の印契を一時に頓受し、即日に潅頂あって、人天の師と定まり給えり。鶏足山に入り、迦葉の髪を剃り、王城に於て雨を祈りたまうには、観音日輪の中より出でて、水瓶を以て水を潅ぐ。北天竺の金粟王は塔の下にして仏法を祈請したまうには、文殊師利、大日経の胎蔵の曼茶羅を現じてこれに授く。その後、開元四年丙辰漢土に渡り、玄宗皇帝これを尊ぶこと日月の如し。また大旱魃あり。皇帝勅を下す。三蔵、一鉢に水を入れ暫く加持したまうに、水中に指計りの物あり、変じて竜と成り、その色は赤色なり。白気立ち上り、鉢より竜出でて虚空に昇り、忽ちに雨を降す。此くの如き霊験の大聖なり。

* 「弘法・慈覚・智証」等は、入唐求法の大徳、天子御帰依の高僧なり。此等の人々は、並びにこれ八万宝蔵を胸に浮べ、十二部経を掌に握る。故に仏法の露一滴も謬りあるべからず。何ぞこれ仏敵ならん是一。

 況や此等の人々は、漢土・日域には先聖・王公・大人の明師にして、智は日月の如く徳は四海に弥れり。然るに恐れをも懐かずして仏敵というか是二。

 況や此等の人々は、各一宗を立て、普く群類を済う。故に天下の万民は、諸天の帝釈を敬い、衆星の日月に随うが如く、渇仰すること年旧り、信敬日に新なり。若し末師の謬りは、縦いこれを破すと雖も、その元祖に於ては、最も恐慮すべき事ぞかし。然るに恐れをも懐かずして仏敵というか是三。

 況や此等の人々は、智徳霊験の高徳、内証不測の大聖なり。縦い心中にその謬りを知ると雖も、口外にこれを出さんことは恐るべきの甚だしきなり。而るに恐れをも懐かずしてこれを仏敵といいたまうは、応にその謂あるべし。委細にこれを聞かん是四。

一、答えて云く此大なる難なり等。(二九六n)

 この下は答、文また二と為す。初めに問を歎じ、次に「愚眼」の下は正しく答う、また二と為す。初めに略して呵責謗法の所以を示し、次に「むべなるかなや」の下は、広く値難を以て法華の行者を顕す。初めの文に四段あり、即ち四問に答う。文に配して見るべし。

 文にいう「法華経に勝れたる経ありといはん人」等とは、意に謂く、「已今当」の文を破し、「最も其の上に在り」の文に背いて法華経に勝れたる経ありといわん人は、八万・十二を胸に浮ぶる人と雖も、謗法は免れずと見えたり。而も経文の如く申さば争でか仏敵たらざるべき是一。

 若し王公・大人の師範なるが故に恐れをなして仏敵なりと指さずんば、応に一切経の勝劣空しかるべし是二。

 また宗々の元祖にして万民の敬信せざるが故に、この人々を恐れて末師の仏敵といわんとすれば、末師には過なし、元祖に譲る故なり是三。

 また日蓮、この人々の謗法を知りながら、恐れを懐いてこれを申さずんば、仏陀の諌暁を用いぬ者となりぬ。いかんがせん。委細にこれをいわんとすれば、「恐怖悪世中」の世間怖し。黙止せんとすれば、仏の諌暁遁れ難し。進退惟に谷れり。

 二辺の中には、言わざるべからずとの意なり。「進退此に谷り」とは、詩経十八の言を借用せり。

一、むべなるかなや、法華経の文に云く等文。(二九七n)

 この下は次に広く値難を以て法華の行者を顕す、また二と為す。初めに経文を引き、次に引文を釈す。初めに経文を引く意は、謂く、二辺の中には応に言うべし、若し言うならば則ち大難必ず競い起るべし。大難競い起るとも身命を惜しまずして謗法を呵責し、能く大難を忍んで法華経の行者と顕れ、父母・師匠等の大恩を報ずべしとなり。「むべなるかなや、法華経の文に云く」等云云は、或は「患なるかなや」に作り、或は「喜ばしきかなや」に作る。御直書には「宜なるかなや」と云云。「むべなるかなや」とは「げにも」という意なり云云。

一、而かも此経は等文。(同n)

 この文に三意を含む。中正六五十五。

一、釈迦仏を摩耶夫人はらませ給いたりければ等文。(二九七n)

 この下は次に引文を釈す、また二と為す。初めに「如来の現在にすら猶怨嫉多し」を釈し、次に「況んや滅度の後をや」の文を釈す。初めの文また二と為す。初めに遠き難、次に近き障。初めの文また二と為す。初めに釈、次に「此等の大難」の下は結。

 文にいう「法華経と申す利剣をはらみたり」とは、唯一大事を以て世に出現し、諸の所作あるも常に一事の為の故なり。一乗要決上二に云く「金鏘・馬麦は是れ一乗の弄引なり」と釈したるこれなり。初めの釈の文中に且く七難を挙ぐ。所謂、一には母胎毒害の難、二には初生降石の難、三には乳中置毒の難、四には出城毒蛇の難、五には提婆擲石の難、六には瑠璃殺尺の難、七には闍王酔象の難なり。開目抄上四十に云く「千万の眷属は酔象にふまれ」等云云。故に「御弟子等を殺す」とは闍王酔象の難なり。

一、近き難には舎利弗・目連等文。(同n)

 記八の意に云く「迹門は二乗鈍根の菩薩を以て怨嫉と為し、本門の中には菩薩の中の近成を楽う者を以て怨嫉と為す」と云云

一、況滅度後と申して等文。(同n)

 この下は次に「況んや滅度の後をや」の文を釈す、また二と為す。初めに略して釈し、次に「付法蔵」の下は広く釈す。

 文にいう「小失なくとも大難に度度値う人をこそ」等とは、文意は、少しも世間の失なく、法華経の為に大難に度々値う人々を、滅後法華の行者とはしり候はめとなり。「況滅度後」の文に通別あり。通じては三時に亘り、別しては末法に在り。今は別意に約するなり。故に、前に「末代の凡夫争でか忍ぶべき」等という、これを思え。

一、付法蔵の人人等文。(同n)

 この下は次に広く三時に約し三国に寄す。釈また三と為す。初めに正法の月氏の四依の値難、次に像法の弘通怨嫉、三に末法日本の蓮師の弘通怨嫉。「提婆菩薩」は統紀五二十、「師子尊者」は啓蒙八二十九。「仏陀密多」は啓蒙十三四十五、「竜樹菩薩」は啓蒙八二十九。文にいう「七年十二年」というは、仏陀多密十二年、竜樹菩薩七年なり。「馬鳴菩薩」は啓蒙八六十三、十三四十七。「如意論師」は西域記二十九。党援の衆に大義を競うことなかれ。群迷の中に正論を弁ずることなかれ。

 問う、此等の四依は大小時に随う、何ぞ値難を以って法華の行者を顕すというや。

 答う、外用は然りと雖も、今は内証の同じきに約する故なり。啓蒙九二十一。故に開目抄下四十に云く「提婆菩薩乃至師子尊者の二人は人に殺されぬ、此等は法華経の行者にはあらざるか」と云云。下の文三十四に云く「されば内証は同じけれども法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴・竜樹等はすぐれ」等云云。

(第五段 像法正師の弘通と怨嫉)

一、像法に入つて五百年等文。(二九八n)

 この下は次に像法の弘通怨嫉、また二あり。初めに漢土の天台、次に日本の伝教。初めの漢土の天台、また二と為す。初めに正しく大師の弘経に約し、次に大師の滅後に約す。初めの大師の弘経に約す、また二と為す。初めに総標、次に「天台已前」の下は釈。

 文にいう「像法に入つて五百年」等とは、天台大師は像法に入って四百八十七年に誕生し、五百四十六年に入滅なり。故に「五百年」というなり。

一、天台已前の百千万の智者等文。(同n)

 この下は次に釈、また二と為す。初めに前代流布の光宅の迷乱を示し、次に「法雲法師・御死去」の下は天台弘通の正判を明かす。初めに前代流布の光宅の迷乱を示すに、また三と為す。初めに標、次に「此の人」の下は釈、三に「法華経の疏」の下は結。

 文にいう「所謂南三北七なり」とは、初めに「南三」とは三師然りと雖も大綱は一同なり。謂く、頓・漸・不定の三教なり。頓は謂く華厳。漸は謂く鹿苑乃至涅槃経なり。不定は謂く勝曼経・金光明経等なり。これ通用の教相なり。その中の漸教に三師の異義あり。

 一には三時の教を立つ。所謂、一には有相教即ち阿含。二には無相教、般若・方等・法華経なり。三には常住教即ち涅槃経なり。

 二には四時の教を立つ。三時は前の如し。彼の無相教の中より法華を開出して、万善同帰教と名づく。

 三には五時の教を立つ。四時は前の如し。彼の無相教の中より浄名等の方等経を開して、抑揚教と為すなり。これ則ち上林寺の僧柔慧、次に道場寺の慧観の所立にして、開善、光宅等の用うる所なり。

 次に「北七」とは、

 四にはまた五時の教を立つ。さらに提謂を取って人天教と為す。方等・般若を合して、唯無相教と為すなり。この第四の師もまた頓・漸・不定を用う、南方の如くなり。

 五には阿含を半字教と為し、その余を満字教と名づくるなり。

 六には四宗と為す。一には因縁宗、二には仮名宗、三には誑相宗、四には常宗。

 七には五宗と為す。四宗は前の如し、更に華厳を指して法界宗と為す。

 八には八宗と為す。さらに法華を指して真宗と名づけ、大集経を円宗と名づく。

 九には二種の大乗を明かす。一には有相の大乗。謂く、華厳・瓔珞・大品等なり。二には無相の大乗。楞伽・思益等なり。

 十には一音教なり。

 これ「南三北七」の十流なり。具には玄十七紙已下の如し。

一、十流ありしかども一流をもて最とせり。(二九八n)

 玄二六に云く「古今の諸釈、世世光宅を以て長と為す。今光宅を難ず、余は風を望む」と文。

一、此の人は一代の仏教を五にわかつ等文。(同n)

 この下は次に釈、また二あり。初めに判教を明かし、次に「此の人は本より」の下は高徳を挙ぐ。

 初めの文に云く「その五の中に三経をえらびいだす」とは、

 問う、光宅の所立は一代の仏教を三に分つ。所謂頓・漸・不定なり。何ぞ「一代の仏教を五にわかつ」というや。況や華厳を以て唯頓教と名づけ、漸教の中に於て五時の教を分つ。所謂漸教の中の五時の教とは、一には有相宗(教)即ち阿含なり、二には無相教即ち般若なり、三には抑揚教即ち方等経なり、四には万善同帰教即ち法華なり、五には常住教即ち涅槃経なり。この中に華厳経なし。何ぞ「所謂華厳経」等というや。

 答う、実に所問の如し。今は大意を取って彼の判教を明かす。故に一に華厳、二に涅槃、三に法華というなり。また撰時抄上十二を往いて見よ。

 文にいう「摂政関白のごとし」とは、天子の幼き時、天下の政を摂って以て天子に代る、これを「摂政」という。この時は関白の名はなし。天子幼主に非ずして常に内覧の宣旨を蒙り、天下の政を行う、これを「関白」という。万機に関り白さしむるが故なり。この時は摂政の名はなきなり云云。仮令左大臣なれども摂政・関白なれば太政大臣の上に着く。故に天子は第一、摂政・関白は第二なり。

 文にいう「公卿等のごとし」とは、三公はこれ公、三位已上はこれ卿なり。故に「公卿」はこれ第三なり。

一、此の人は本より智慧かしこき上等文。(二九八n)

 この下は次に高徳を挙ぐるなり。註六十に続僧伝を引く云云。今、高徳を上げ即ち十徳を明かす。

 第一に智慧賢き事。宝亮毎に曰く「我が神明殊に及ばず、当に必ず大法に棟梁たるべし」等云云。これ光宅の智慧を歎ずるの辞なり。

 第二に師資禀承す。玄十九に云く「定林の柔、次の二師及び道場の観法師乃至漸を判じて五時教と為す。即ち開善・光宅の用うる所なり」と云云。故に今「習ひ伝え」という。習い伝うというと雖も、直ちに受くと謂うには非ざるなり。啓蒙の義は可なり。

 第三に他宗を責破す。伝に云く「機弁疾風の如く、応変降雨の如し。其の鋒に当る者は、心・れざるは罕なり」等云云。「・」の字は「おもいみだるる」とよむなり。

 第四に山林に功を積む。

 第五に禁中に寺を立つるに、武帝の旧宅七日七夜光を放つ。故に光宅寺というなり。

 第六に経を講ずるに、天華の状、飛雪の如く空に満ち、下って空に昇って堕ちず、講を訖って方に去る等云云。また通載の意に依れば、節々の事と見えたり。

 第七に祈雨霊験。籤二十二、統紀三十八云云。志公云く「雲能く雨を致す」等云云。

 第八に現身に僧正たり。「普通六年、勅して大僧正と為す」と云云。正は謂く政なり。自ら正して人を正す故なり。

 第九に王臣渇仰す。

 第十に袁昂感夢。文に「或人」というは、即ちこれ陳郡の袁昂という人なり。

一、法華経の疏四巻あり等文。(二九八n)

 この下は三に光宅の迷乱を結するなり。撰時抄上十二、これを見合すべし。彼の師の意は、法華経は阿含・方等・般若等に対すれば、真実の経、了義経、正見の経なり。涅槃経に対すれば、不了義経、無常経、邪見経なり云云。玄文第二に詳らかに光宅を破す、見るべし。

一、法雲法師・御死去ありて等文。(同n)

 この下は次に天台弘通の正判を明かす、また十段と為す。

 第一に天台出世。梁の武帝の大通三年己酉三月二十七日に法雲法師御死去あって正しく第十年に当る大同四年戊午、智者の誕生は少かに十年を隔つ。故に「いくばくならざるに」というなり。智者の誕生せし梁の武帝の大同四年より陳の始め永定元年に至るまで唯二十年なり。故に「梁の末・陳の始」というなり。

 第二に師資猶預。南岳大師、大乗止観に円融無碍の法門を明かすに、但華厳を引いて法華を引かざる等なり。故に「師の義も不審」というなり。

 第三に三五高覧。啓蒙に六文を引く。所謂、太子伝、本朝文粋十二、往生要集二、同記第三、沙弥威儀経疏、註梵網等、並びに一切経を転読すること一十五遍等というと云云。故に「度度御らん」というなり。御書三十九十五。

 第四に華厳礼文。智証大師、定聚に与えて云く「天台大師十五遍一切経を読み、古華厳に至って特に功力を致す。別に礼文を副えて、日日之を行ず」と文。

 第五に他解不審。若し他人の所解を暁らずんば、我が破責も当るべからざる故なり。

 第六に自見発明。文の如く見るべし。

 第七に悲歎思惟。またこれ文の如し。

 第八に呵責謗法。

 第九に怨敵蜂起。

 第十に陳殿対論。また八段と為す。第一には天子臨莚。第二には諸師巨難別書見るべし。第三には智者反難、また二と為す。初めに総じて光宅所立の証文を責め、次に別して責む、また二と為す。初めに華厳第一の義を責め、次に涅槃第二、法華第三の義を責む、また二あり。初めに涅槃経の文を引き、次に法華の文を引く、また二あり。初めに「已今当」の文を引き、次に「然して後」の下は正しく責む。初めの文にまた三あり。初めに如来の金言、次に多宝の証明、三に分身の助舌。第四には怨敵承伏。朗詠詩に云く「漢高三尺の剣、坐して諸侯を制す」と云云。第五には大師威猛。第六には王臣礼敬。第七には法華広布。第八には高誉讃歎。震旦の小釈迦等云云。

 其の後天台大師も御入滅なりぬ。

 「其の後天台」の下は次に大師の滅後に約す、また二と為す。初めに三宗の迷乱を示す。仏滅後千五百四十六年、隋の開皇十七年の御入滅なり。即ち日本の人皇三十四代推古五年、聖徳太子摂政の時に当るなり。天台入滅の第二十一年に隋の代亡び而して唐の代と成れり。章安大師は唐の太宗の貞観六年八月七日の入滅なり。

報恩抄、大いに分かちて三となす・・

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・初めに仏弟子必ず応に恩を報ずべき道理を明かす

・次に「此の大恩」の下は報恩の要術を明かす、文また二となす・・

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・・初めに恩を棄てて恩を報ずるを明かす

・・次に「かくのごとく存して」の下は正しく報恩の要術を明かす、

・   文また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・

・ ・初めに邪法を対治するは即ちこれ報恩なることを明かす、

・ ・ 文また二となす・・

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・ ・・初めに略して一代諸経の勝劣を判ず※

・ ・・次に「問て云く華厳」の下八丁は広く諸宗の謗法を呵責す*

・ ・ ・ ・次に正法を弘通するは即ちこれ報恩なることを明かす下巻二十四

・                     「問うて云く法華経」の下

・三に「されば花は根にかへり」の下は惣結

※初めに略して一代諸経の勝劣を判ず、文また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに諸宗迷乱を挙ぐ、文また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに通じて十宗を挙ぐ、また三となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・・初めに上を承け下を起す ・初めに標

・・ ・・次に「一代」の下は正列、また三・・・次に釈

・・ ・三に「世間」の下は世人の情を示す ・三に結

・・次に「小乗」の下は小を簡び大を取る

・・三に「大乗の七宗」の下は正しく七宗の迷乱を明かす、文また三となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに標

・ ・次に「所謂」の下は釈、また二となす・・初めに元祖を挙ぐ

・ ・  ・次に判教を示す

・ ・三に「而も上に」の下は世人の帰依を示す

・ ・次に「我等凡夫」の下は今家の正しく判ずるを明かす、文また三となす・・

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・・初めに疑いを起し願を立てるを示す

・・次に「我直ちに」の下は涅槃の遺誡に準ずるを示す、また二となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・初めに文を引き義を釈す、また二・・初めに人法相対

・・ ・ ・次に法法相対

・・ ・次に「されば仏」の下は前を結し後を生ず

・・三に「随つて法華経」の下は正しく法華の明文に依って一代諸経の

・                   勝劣を判ず、また四となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに正しく法華の明文を引く

・ ・次に「此の経」の下は釈、また二・・

・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・ ・初めに引文を釈す、また二となす・・初めに広く四譬を挙ぐ

・ ・ ・  ・次に「此の」の下は略して

・ ・ ・                          合譬す

・ ・ ・次に「されば専ら」の下は正しく勝劣を判ず、また三となす・・

・ ・    ・・・・・・・・・・・

・ ・   ・・初めに法

・ ・   ・・次に譬

・ ・   ・三に合

・ ・三に「又大日経」の下は諸経相似の文を会す、また二となす・・

・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・ ・初めに爾前の文を会す、また三となす・・

・ ・ ・ ・・・・・・・・

・ ・ ・ ・・初めに正会

・ ・ ・ ・・次に「或は」の下は所以を釈す

・ ・ ・ ・三に「法華経」の下は結

・ ・ ・次に涅槃経の文を会す、また四となす・・

・ ・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・  ・初めに一往、相似の文を示す

・ ・  ・次に「されども専ら」の下は涅槃も尚法華に劣るを明かす、

・ ・  ・                       また二・・

・ ・  ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・  ・ ・初めに爾前涅槃の勝劣を挙ぐ

・ ・  ・ ・次に正しく法華涅槃の勝劣を明かす

・ ・  ・三に「かう経文」の下は十方世界の一切経の勝劣を

・ ・  ・                比知すべきを明かす

・ ・  ・四に「而るを経文」の下は略して諸宗を破す

・ ・四に「或る人疑つて云く」の下は釈成、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに問

・ ・次に答、また三となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに問を嘲る

・ ・次に「法華経」の下は正義を示す、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・初めに三説超過の明文を引く、また三となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・・・初めに如来の金言

・ ・・・・次に多宝の証明

・ ・・ ・三に分身の助舌

・ ・・次に「已今当」の下は一代並びに十方三世の諸仏の諸経の中に

・   ・                  法華最第一なるを明かす

・ ・三に「又我は見ざれば」の下は問に酬ゆ

・三に「而るを華厳宗の澄観」の下は上を承け下を起す

*次に「問て云く華厳の澄観」の下は広く諸宗の謗法を呵責す、また二となす・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに問

・次に答、また二・・初めに問を歎ず

・次に正答、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに略して呵責謗法の所以を示す

・次に「むべなるかなや」の下は広く値難を以て法華の行者を顕す、

     また二となす・・

・・・・・・・・・・

・初めに経文を引く

・次に引文を釈す、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに「如来の現在にすら猶怨嫉多し」の文を釈す、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに遠き難、また二・・初めに釈

・・ ・次に「此等」の下は結

・・次に近き障



・次に「況んや滅度の後をや」の文を釈す、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに略釈

・次に広く三時に約し三国に寄せて釈す、また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに正法月氏の四依値難

・次に像法の弘通怨嫉、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに漢土の天台、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに大師の弘通に約す、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・初めに標

・・・・次に「天台已前」の下は釈、また二となす・・

・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ ・初めに前代流布の光宅の迷乱を示す、また三・・

・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ ・・初めに標

・・・ ・・次に「此の人」の下は釈、また二・・初めに判教を示す

・・・ ・・三に「法華経の疏」の下は結   ・次に高徳を挙ぐ、また十 ・

・・・ ・               ・・・・・・・・・・・

・・・ ・次に天台弘通の正判、また十となす・・ ・一、智慧賢事

・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・二、師資稟承

・・・ ・一、天台出世     ・三、責破他師

・・・   ・二、師資猶預     ・四、山林積功

・・・   ・三、三五高覧    ・五、禁中立寺

・・・ ・四、華厳礼文    ・六、講経天華

・・・ ・五、他解不審    ・七、祈雨霊験

・・・ ・六、自見発明    ・八、現身僧正

・・・ ・七、悲歎思惟    ・九、王臣渇仰

・・・ ・八、呵責謗法    ・十、袁昂感夢

・・・ ・九、怨敵蜂起

・・・ ・十、陳殿対論、また八・・

・・・ ・・・・・・・・・・・・

・・・ ・一、天子臨筵

・・・ ・二、諸師強難

・・・ ・三、智者反難、また二・・初めに惣じて責む

・・・ ・ ・次に別して責む、また二・・

・・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ ・ ・初めに華厳第一の義を責む

・・・ ・ ・次に涅槃第二、法華第三の義を責む、二・・

・・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ ・ ・初めに涅槃経の文を引く

・・・ ・ ・次に法華の文を引く、また二・・

・・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ ・ ・初めに已今当の文を引く、また三・・

・・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ ・ ・・初めに如来の金言

・・・ ・ ・・次に多宝の証明

・・・ ・ ・・三に分身の舌相

・・・ ・ ・次に「然して後」の下は正しく責む

・・・ ・四、怨敵承伏

・・・ ・五、大師威徳

・・・ ・六、王臣敬礼

・・・ ・七、法華広布

・・・ ・八、高誉称歎

・・・次に大師の滅後、また二・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・

・・ ・初めに上を承け下を起す

・・ ・次に「天台の仏法」の下は釈、また二となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・初めに前代流布の三宗の迷乱、また三・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・・初めに法相宗、また四となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・・・初めに渡天伝来

・・ ・・・次に「此の宗」の下は一代判教

・・ ・・・三に「而るを天台」の下は末師未破の所以を示す

・・ ・・・四に「法華経を打ちかへして」の下は今師の歎責、また二・・

・・ ・・               ・・・・・・・・・・・・

・・ ・・               ・初めに悲歎

・・ ・・          ・次に「天竺」の下は破責

・・ ・・

・・ ・・次に華厳宗、また三となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・・・初めに立宗の来由

・・ ・・・次に一代判教

・・ ・・・三に今師の対判

・・ ・・

・・ ・・三に真言宗、また四となす・・

・・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・ ・初めに真言の伝来

・・ ・ ・次に貴賎の尊敬云云

・・ ・ ・三に一代判教、また二となす・・

・・ ・ ・     ・・・・・

・・ ・ ・   ・・初めに顕密の勝劣を明かす

・・ ・ ・ ・次に法華大日経の勝劣を明かす

・・ ・ ・四に「此の由」の下は邪宗の興隆

・・ ・

・・ ・次に「但し妙楽」の下は呵責謗法を明かす、また四・・

・・  ・・・

・・次に「又日本国」の下は日本の伝教の弘通、また二・・・初めに妙楽出現

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・次に自見発明

・ ・初めに由、また二・・  ・三に悲歎思惟

・ ・・・・・・・・・・・  ・四に述記破責

・ ・・初めに惣じて最初の伝来を明かす

・ ・・次に別して太子の持経の伝来を明かす

・ ・次に「其の後」の下は正しく明かす、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに略して前代流布の六宗の伝来を明かす

・ ・次に「桓武」の下は広く伝教の弘通を明かす、また八となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに伝教出現

・ ・次に師資習学

・ ・三に自見発明

・ ・四に六宗邪見

・ ・五に思惟発願

・ ・六に呵責謗法 ・一、天子臨筵

・ ・七に怨敵蜂起 ・二、諸宗立義

・ ・八に高雄問答、また六となす・・三、伝教難責

・ ・四、諸師閉口

・ ・五、承伏謝表

・ ・六、六宗破滅、また二・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに正しく明かす

・ ・次に「而るを今に」の下は世情を破す



・三に「真言宗と申すは」の下は末法の日本の蓮師の弘経、

                  怨嫉値難、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに前代流布の真言の伝来を明かす、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに伝教の伝来を明かして以て正義を示す、また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに略して前代の伝来を明かす、自ら三・・初めに無畏

・・・ ・次に玄●

・・・ ・三に徳清

・・・次に「此等」の下は広く伝教の入唐伝来を明かす

・・・三に「止観真言」の下は二宗の勝劣を明かす、また二となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・ ・初めに道理を明かす、また二となす・・

・・ ・初めに釈、また三となす・・ ・・・・・・・・・・・・

・・ ・ ・ ・初めに宗名を削る故

・・ ・ ・ ・次に傍依為るが故

・・ ・ ・次に「而れども大」の下は難を遮外す

・・ ・ ・三に「但」の下は引証結示

・・ ・二十五

・・ ・次に「されば釈迦」の下は惣結、また二となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・初めに正結

・・ ・次に「真言」の下は同を引き異を破す

・・次に三師の伝弘を明かし以て邪謬を顕す、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに弘法の伝弘を明かす、また三となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・初めに伝来立宗を明かす

・ ・・次に「一代」の下は正しく邪謬を明かす、また二となす・・

・ ・・ ・・・・・・・・・

・ ・・ ・初めに一代判教

・ ・・ ・次に法華誹謗、三云云

・ ・・三に「天竺」の下は今師の破責

・ ・次に覚証の伝弘、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに正しく明かす、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・初めに慈覚、また四となす・・初めに入唐習学

・ ・・ ・次に帰唐既述

・ ・・ ・三に夢想勝劣

・ ・・ ・四に今師不審

・ ・・次に智証、また三となす・・初めに師資習学

・ ・ ・次に入唐伝受

・ ・ ・三に自述矛盾、二・・初めに自述

・ ・ ・次に宣宗

・ ・次に「されば慈覚」の下は今師の破責、三となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに略して自語相違を責む

・ ・次に「但二宗」の下は広く先師違背の失を責む、二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・初めに正しく責む、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・・初めに二宗斉等の失を責む、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・・・初めに無文の失を責む、また二・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・・・・・初めに正しく責む

・ ・・・・・次に難を遮伏す

・ ・・・・ ・初めに引文、また二・・

・ ・・・・次に正文相違を責む、二・・ ・・・・・・・・

・ ・・・ ・ ・初めに序文を引く

・ ・・・ ・ ・次に正宗を引く

・ ・・・ ・次に引文を釈す、また二・・

・ ・・・ ・・・・・・・・・・・・・

・ ・・・ ・初めに序文を釈す

・ ・・・ ・次に正宗を釈す

・ ・・・次に「それは・いかにも」の下は釈成

・ ・・次に「かうせめ」の下は破責の所以を明かす

・ ・三に「粮米」の下は総結、また二となす・・

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ ・初めに結して破す

・ ・次に覚証の謗法、弘法に超過するを結す

・次に「抑も法華経の第五」の下は正しく蓮祖の弘経値難を明かす、

                      また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに引文、また二・・

・・・・・・・・・・・・

・・初めに経文を引く、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに所持の法華最上の文を引く、また二となす・・

・・・ ・・・・・・・・

・・・ ・初めに正引

・・・ ・次に釈、また二となす・・

・・・ ・・・・・・・・・・・・

・・・ ・初めに正釈

・・・ ・次に詰難

・・・次に能持の行者第一の文を引く、また二となす・・初めに正引

・・ ・次に意を探って釈す

・・ ・・次に釈文を引く、また二となす・・

・ ・・・・・・・・

・ ・初めに「法妙なるが故に人貴し」の文を引く

・ ・次に「信毀罪福」の文を引く

・次に法華経・天台宗を事に約して釈す、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



・初めに日本国中、都て法華の行者なきを明かす、また二・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに標

・・次に「月氏」の下は釈、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに上代仍法華の行者希有なるを明かす、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに三国の唯三師のみ有るを明かす、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・ ・初めに月氏の釈尊、また二・・

・・・・初めに釈、また三となす・・ ・・・・・・・

・・・・ ・ ・初めに化儀に約す

・・・・ ・ ・次に所説に約す

・・・・ ・次に漢土の天台

・・・・ ・三に日本の伝教

・・・・次に「月氏・漢土」の下は結、また二となす・・初めに正結

・・・ ・次に引証

・・・次に「仏滅後」の下は正しく希有を示す、また二・・初めに正示

・・ ・次に引例

・・次に「然るに日本国」の下は唯、謗者のみ有るを明かす、また三・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに三師謗法の現報を明かす、また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに慈覚を明かす、また三・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・初めに本師を挙ぐ ・初めに二途を摂らず、また二・・法

・・・・次に両師を評す ・ ・譬

・・・・三に正示・また三・・次に謗法不孝、また三・・譬

・・・ ・ ・合

・・・ ・ ・証

・・・ ・三に「されば」の下は正しく明かす

・・・次に正しく智証を明かし、兼ねて慈覚を示す・初めに禁誡相違

・・・三に弘法を明かす、また三師なす・・・・・・次に末弟の誑惑

・・  ・三に正しく現報を明かす

・・次に誑惑久しからざるを明かす、また二となす・・

・・  ・・・・・・・・

・・  ・・初めに正しく明かす、また三

・・  ・次に「尼」の下は例

・・三に「趙高」の下は略して亡国を結す、また三云云

・次に末法今時は唯蓮祖一人のみ法華行者なるを明かす、また二となす・・下巻

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・初

・  ・初めに正結

・初めに結前生後、また三となす・・・・・・・・・・・・・・次に引例

・次に「かかる謗法」の下は正しく明かす、また二となす・・・三に況結

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに呵責謗法、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに国主諌暁、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに諸天善神謗国を捨離するを示す

・・・次に「但日蓮」の下は正しく明かす、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに初度の諌暁・国主怨嫉を明かす

・・・次に「最勝王」の下は二度の諌暁・国土災難を明かす、

  ・・                   また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに勘文を引く

・・・次に「此等」の下は正釈、また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・初めに経意を探って釈す、また二となす・・

・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・ ・初めに法華の行者を明かす

・・・・ ・次に「去ぬる文永八年」の下は正しく諌暁を明かす

・・・・次に「此の経文」の下は直ちに経文を消す

・・・・三に「去ぬる文永九年」の下は兼讖の符合、また二となす・・

・・・ ・・・・・・・・・・・

・・・ ・初めに如来の玄鑒

・・・ ・次に蓮祖の勘文

・・・三に「弘法」の下は料簡、また二となす・・

・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・ ・初めに伏間

・・ ・次に「彼は謗法の者」の下は伏答、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに且く前代の災難斜めなる所以を明かす、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・    ・初めに略示

・・・・初めに正釈、また三となす・・・・・次に譬を挙げて広く釈す

・・・・次に「例せば」の下は証前起後  ・三に「謗法」の下は結釈

・・・次に「それにはにるべく」の下は正しく当世の

・・   災難盛んなる所以を明かす、また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに略示

・・・次に経を引き正釈、また二となす・・初めに別して四経の文を引く

・・・ ・次に「此等」の下は通じて釈す

・・・三に引例釈成

・・次に「法滅尽」の下は真言責破、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに証前起後、また二・・初め証前、また二・・

・・ ・ ・・・・・・・・

・・ ・ ・・初めに引文

・・ ・  ・次に「此の経文」の下は釈

・・ ・次に「問て」の下は起後

・・次に「此の例」の下は正しく真言責破、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに釈、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに惣破、また四・・

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・初めに依経の謗法を示す

・・・・次に故に「法華経」の下は不信毀謗の謗法を責む、また二となす・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・初めに信じて信ぜざる謗法を挙ぐ、また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・初めに標

・・・・・・次に「例せば嘉祥」の下は例を引いて釈す、また二・・

・・・・・・ ・・・・・・

・・・・・・ ・・初めに嘉祥

・・・・・・ ・次に慈恩

・・・・・・三に「此等」の下は結

・・・・・次に「嘉祥・慈恩」の下は正責

・・・・三に「嘉祥大師のごとく」の下は不懺悔の謗法を責む、

・・・・                     また三となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・初めに謗罪を懺悔するも尚滅し難き例を引く

・・・・・次に「されば弘法・慈覚」の下は正責

・・・・・三に「世親」の下は懺悔親切の例を引く

・・・・四に「嘉祥大師の法華玄」の下は謗法の根本を責む、

・・・                     また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・初めに例を引き義を定む

・・・・次に「嘉祥大師・とが」の下は正責

・・・次に「されば善無畏」の下は別破、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに漢土の三師を破す、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・一、出家修道

・・・・初めに正しく三師を破す、自ら三となす・・・二、退大取小

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三、台家憎嫉

・・・・・初めに善無畏、また七となす・・・・・・・四、現報頓死

・・・・・二に金剛智 ・五、祈雨逆風

・・・・・三に不空三蔵 ・六、臨終悪相

・・・・「此の三人」の下は一切の末流を破す ・七、謗法堕獄

・・・次に「弘法大師は去ぬる」の下は本朝の両師を破す、また二となす・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに通じて両師を破す、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・初めに弘法、また二・・初めに祈雨

・・・・ ・次に夜中日輪

・・・・ ・初めに正破

・・・・次に慈覚、また三・・次に引例

・・・ ・三に「此れをもつて」の下は結

・・・次に「問うて云く弘法」の下は別して弘法を破す、自ら二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・

・・・ ・初めに心経秘鍵の跋 ・・・初めに問難、また三となす・・次に孔雀経音義

・・・次に答、また二となす・・ ・三に弘法大師伝

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに法の邪正は霊験に依らざるを述ぶ、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・初めに引例

・・・・次に「弘法」の下は彼の謗法を示す

・・・次に「いかにいわうや」の下は霊験虚誕を破す、自ら三・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに標 ・初めに心経秘鍵の跋

・・・次に「弘仁」の下は蝶条評破、また三となす・・次に孔雀経音義

・・・三に「此等をもつて」の下は結 ・三に弘法大師伝

 二十四

*「問うて云く法華経」の下は大段の第二、正法を弘通するは

   即ちこれ報恩なることを明かす、また二となす・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・初めに且く迹中題目肝心を明かす、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・初めに正しく明かす、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに略して明かす、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・初めに引例

・・・・初めに題目肝心を示す、また二となす・・次に正明

・・・・ ・体

・・・・次に「問うて云く南無」の下は功徳浅深を明かす、また二・・用

・・・次に「疑つて云く」の下は広く明かす、また二・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・初めに題目肝心の所以を明かす

・・・次に「阿含」の下は功徳浅深を明かす

・・次に「問うて云く此の法」の下は難を遮す

・次に「天台」の下は本門の三大秘法を明かす

報恩抄文段上末

報恩抄、大いに分かちて三となす  初めに仏弟子必ず応に恩を報ずべき道理を明かす  次に「此の大恩」の下は報恩の要術を明かす、文また二となす  初めに恩を棄てて恩を報ずるを明かす  次に「かくのごとく存して」の下は正しく報恩の要術を明かす、文また二となす  初めに邪法を対治するは即ちこれ報恩なることを明かす、文また二となす  初めに略して一代諸経の勝劣を判ず※  次に「問て云く華厳」の下八丁は広く諸宗の謗法を呵責す*  次に正法を弘通するは即ちこれ報恩なることを明かす下巻二十四「問うて云く法華経」の下  三に「されば花は根にかへり」の下は惣結

※初めに略して一代諸経の勝劣を判ず、文また三となす  初めに諸宗迷乱を挙ぐ、文また三となす  初めに上を承け下を起す  初めに標  初めに通じて十宗を挙ぐ、また三となす  次に「一代」の下は正列、また三  次に釈  次に「小乗」の下は小を簡び大を取る  三に「世間」の下は世人の情を示す  三に結  三に「大乗の七宗」の下は正しく七宗の迷乱を明かす、

文また三となす  初めに標  初めに元祖を挙ぐ  次に「所謂」の下は釈、また二となす  次に判教を示す  三に「而も上に」の下は世人の帰依を示す  次に「我等凡夫」の下は今家の正しく判ずるを明かす、

文また三となす  初めに疑いを起し願を立てるを示す  次に「我直ちに」の下は涅槃の遺誡に准ずるを示す、また二となす  初めに人法相対  初めに文を引き義を釈す、また二  次に法法相対  次に「されば仏」の下は前を結し後を生ず  三に「随つて法華経」の下は正しく法華の明文に依って一代諸経の勝劣を判ず、また四となす  初めに正しく法華の明文を引く  次に「此の経」の下は釈、また二  初めに広く四譬を挙ぐ  初めに引文を釈す、また二となす  次に「此の」の下は略して合譬す  初めに法  次に「されば専ら」の下は正しく勝劣を判ず、また三となす  次に譬  三に合  

三に「又大日経」の下は諸経相似の文を会す、また二となす  初めに正会  初めに爾前の文を会す、また三となす  次に「或は」の下は所以を釈す  三に「法華経」の下は結  次に涅槃経の文を会す、また四となす  

初めに一住、相似の文を示す  次に「されども専ら」の下は涅槃も尚法華に劣るを明かす、また二  初めに爾前涅槃の勝劣を挙ぐ  次に正しく法華涅槃の勝劣を明かす  三に「かう経文」の下は十方世界の一切経の勝劣を比知すべきを明かす  四に「而るを経文」の下は略して諸宗を破す  四に「或る人疑つて云く」の下は釈成、また二となす  初めに問  次に答、また三となす  初めに問を嘲る  次に「法華経」の下は正義を示す、また二となす  初めに如来の金言  初めに三説超過の明文を引く、また三となす  次に多宝の証明  三に分身の助舌  次に「已今当」の下は一代並びに十方三世の諸仏の諸経の中に法華最第一なるを明かす  三に「又我は見ざれば」の下は問に酬ゆ  三に「而るを華厳宗の澄観」の下は上を承け下を起す

*次に「問て云く華厳の澄観」の下は広く諸宗の謗法を呵責す、また二となす  初めに問  初めに問を歎ず  次に答、また二  次に正答、また二となす  

初めに略して呵責謗法の所以を示す  次に「むべなるかなや」の下は広く値難を以て法華の行者を顕す、また二となす  初めに経文を引く  初めに釈  次に引文を釈す、また二となす  次に「此等」の下は結  初めに遠き難、また二  初めに「如来の現在にすら猶怨嫉多し」の文を釈す、また二  次に近き障  次に「況んや滅度の後をや」の文を釈す、また二  初めに略釈  次に広く三時に約し三国に寄せて釈す、また三となす  初めに正法月氏の四依値難  次に像法の弘通怨嫉、また二  

初めに漢土の天台、また二  初めに標  初めに大師の弘通に約す、また二  次に「天台已前」の下は釈、また二となす  初めに前代流布の光宅の迷乱を示す、また三  初めに標  初めに判教を示す  次に「此の人」の下は釈、また二  次に高徳を挙ぐ、また十  

三に「法華経の疏」の下は結 

 一、智慧賢事  二、師資禀承  次に天台弘通の正判、また十となす  三、責破他師  四、山林積功  一、天台出世  五、禁中立寺  二、師資猶預  六、講経天華  三、三五高覧  七、祈雨霊験  四、華厳礼文  八、現身僧正  五、他解不審  九、王臣渇仰  六、自見発明  十、袁昂感夢  七、悲歎思惟  八、呵責謗法  九、怨敵蜂起  十、陳殿対論、

また八  一、天子臨筵  二、諸師強難  初めに惣じて責む  三、智者反難、また二  次に別して責む、また二  初めに華厳第一の義を責む  次に涅槃第二、法華第三の義を責む、二  初めに涅槃経の文を引く  

次に法華の文を引く、また二  初めに已今当の文を引く、また三  初めに如来の金言  次に多宝の証明  三に分身の舌相  次に「然して後」の下は正しく責む  四、怨敵承伏  五、大師威徳  六、王臣敬礼  七、法華広布  八、高誉称歎  初めに上を承け下を起す  次に大師の滅後、また二  次に「天台の仏法」の下は釈、また二となす  初めに前代流布の三宗の迷乱、また三  初めに法相宗、また四となす

  初めに渡天伝来  次に「此の宗」の下は一代判教  三に「而るを天台」の下は末師未破の所以を示す  四に「法華経を打ちかへして」の下は今師の歎責、また二  次に華厳宗、また三となす  初めに悲歎  初めに立宗の来由  次に「天竺」の下は破責  次に一代判教  三に今師の対判  三に真言宗、また四となす  初めに真言の伝来  二に貴賎の尊敬云云  初めに顕密の勝劣を明かす  三に一代判教、また二となす次に法華大日経の勝劣を明かす  四に「此の由」の下は邪宗の興盛  初めに妙楽出現  次に「但し妙楽」の下は呵責謗法を明かす、また四  次に自見発明

  次に「又日本国」の下は日本の伝教の弘通、また二  三に悲歎思惟  四に述記破責  初めに由、また二  初めに惣じて最初の伝来を明かす  

次に別して太子の持経の伝来を明かす  次に「其の後」の下は正しく明かす、また二となす  初めに略して前代流布の六宗の伝来を明かす  次に「桓武」の下は広く伝教の弘通を明かす、また八となす  初めに伝教出現  次に師資習学  三に自見発明  四に六宗邪見  五に思惟発願  一、天子臨筵  六に呵責謗法  二、諸宗立義  七に怨敵蜂起  三、伝教難責  八に高雄問答、

また六となす  四、諸師閉口  五、承伏謝表  六、六宗破滅、また二  初めに正しく明かす  次に「而るを今に」の下は世情を破す  三に「真言宗と申すは」の下は末法の日本の蓮師の弘経、怨嫉値難、また二となす  初めに前代流布の真言の伝来を明かす、また二となす  初めに伝教の伝来を明かして以て正義を示す、また三となす  初めに無畏  初めに略して前代の伝来を明かす、自ずから三  次に玄・  次に「此等」の下は広く伝教の入唐伝来を明かす  三に徳清  三に「止観真言」の下は二宗の勝劣を明かす、また二となす  初めに宗名を削る故  初めに道理を明かす、また二となす  次に傍依為るが故  

初めに釈、また三となす  次に「而れども大」の下は難を遮外す  三に「但」の下は引証結示  次に(二十五)「されば釈迦」の下は惣結、また二となす  

初めに正結  次に「真言」の下は同を引き異を破す  次に三師の伝弘を明かし以て邪謬を顕す、また二となす  初めに弘法の伝来を明かす、また三となす  

初めに伝来立宗を明かす  初めに一代判教  次に「一代」の下は正しく邪謬を明かす、また二となす  次に法華誹謗、三云云  三に「天竺」の下は今師の破責  

次に覚証の伝弘、また二となす  初めに正しく明かす、また二となす  

初めに入唐習学  次に帰唐既述  初めに慈覚、また四となす  三に夢想勝劣  四に今師不審  初めに師資習学  次に智証、また三となす  次に入唐伝受  初めに自述  三に自述矛盾、二  次に宣示  次に「されば慈覚」の下は今師の破責、三となす  初めに略して自語相違を責む  次に「但二宗」の下は広く先師違背の失を責む、二となす  初めに正しく責む、また二となす  初めに二宗斉等の失を責む、また二となす  初めに正しく責む  初めに無文の失を責む、また二  

次に難を遮伏す  初めに引文、また二  次に正文相違を責む、二  初めに序文(分)を引く  次に正宗を引く  次に引文を釈す、また二  初めに序文(分)を釈す  次に正宗を釈す  次に「それは・いかにも」の下は釈成  次に「かうせめ」の下は破責の所以を明かす  三に「粮米」の下は総結、また二となす  初めに結して破す  

次に覚証の謗法、弘法に超過するを結す  次に「抑も法華経の第五」の下は正しく蓮祖の弘経値難を明かす、また二となす  初めに引文、また二  初めに経文を引く、また二となす  初めに正引  初めに所持の法華最上の文を引く、また二となす  初めに正釈  次に釈、また二となす  次に結難  初めに正引  次に能持の行者第一の文を引く、また二となす  次に意を探って釈す  初めに「法妙なるが故に人貴し」の文を引く  次に釈文を引く、また二となす  次に「信毀罪福」の文を引く  次に法華経・天台宗を事に約して釈す、また二  初めに日本国中、都て法華の行者なきを明かす、また二  初めに標  次に「月氏」の下は釈、また二となす  初めに上代仍法華の行者希有なるを明かす、また二となす  初めに三国の唯三師のみ有るを明かす、また二となす  初めに化儀に約す  初めに月氏の釈尊、また二  次に所説に約す  初めに釈、また三となす  次に漢土の天台  三に日本の伝教  初めに正結  

次に「月氏・漢土」の下は結、また二となす  次に引証  初めに正宗  次に「仏滅後」の下は正しく希有を示す、また二  次に引例  次に「然るに日本国」の下は唯、謗者のみ有るを明かす、また三  

初めに三師謗法の現報を明かす、また三となす  初めに慈覚を明かす、

また三  法  初めに二途を摂らず、また二  初めに本師を挙ぐ  譬  次に両師を評す  譬  三に正示、また三  次に謗法不孝、また三  合  証  三に「されば」の下は正しく明かす  次に正しく智証を明かし、兼ねて慈覚を示す  初めに禁誡相違  三に弘法を明かす、また三となす  次に末弟の誑惑  三に正しく現報を明かす  次に誑惑久しからざるを明かす、

また二となす  初めに正しく明かす、また三  次に「尼」の下は例  三に「趙高」の下は略して亡国を結す、また三云云  次に末法今時は唯蓮祖一人のみ法華行者なるを明かす、また二となす  下巻初  初めに正結  初めに結前生後、また三となす  

次に引例  次に「かかる謗法」の下は正しく明かす、また二となす  三に況結  初めに呵責謗法、また二となす  初めに国主諌暁、また二となす  初めに諸天善神謗国を捨離するを示す  次に「但日蓮」の下は正しく明かす、また二となす  初めに初度の諌暁・国主怨嫉を明かす  次に「最勝王」の下は二度の諌暁・国土災難を明かす、また三となす  初めに勘文を引く  次に「此等」の下は正釈、また三となす  初めに法華の行者を明かす  初めに経意を探って釈す、また二となす  次に「去ぬる文永八年」の下は正しく諌暁を明かす  次に「此の経文」の下は直ちに経文を消す  

初めに如来の玄鑒  三に「去ぬる文永九年」の下は兼識の符合、また二となす  次に蓮祖の勘文  三に「弘法」の下は料簡、また二となす  初めに伏問  次に「彼は謗法の者」の下は伏答、また二となす  初めに且く前代の災難斜めなる所以を明かす、また二となす  初めに略示  初めに正釈、また三となす  次に譬を挙げて広く釈す  次に「例せば」の下は証前起後  三に「謗法」の下は結釈  次に「それにはにるべく」の下は正しく当世の災難盛んなる所以を明かす、また三となす  初めに略示  初めに別して四経の文を引く  次に経を引き正釈、また二となす  次に「此等の」の下は通じて釈す  三に引例釈成  次に「法滅尽」の下は真言責破、また二となす  

初めに引文  初め証前、また二  初めに証前起後、また二  次に「此の経文」の下は釈  次に「問て」の下は起後  次に「此の例」の下は正しく真言責破、また二  初めに釈、また二となす  初めに惣破、また四  初めに依経の謗法を示す  次に故に「法華経」の下は不信毀謗の謗法を責む、また二となす  初めに信じて信ぜざる謗法を挙ぐ、また三となす  初めに標  初めに嘉祥  次に「例せば嘉祥」の下は例を引いて釈す、また二  次に慈恩  三に「此等」の下は結  次に「嘉祥・慈恩」の下は正責  三に「嘉祥大師のごとく」の下は不懺悔の謗法を責む、また三となす  初めに謗罪を懺悔するも尚滅し難き例を引く  次に「されば弘法・慈覚」の下は正責  三に「世親」の下は懺悔親切の例を引く  四に「嘉祥大師の法華玄」の下は謗法の根本を責む、また二となす  初めに例を引き義を定む  次に「嘉祥大師・とが」の下は正責  次に「されば善無畏」の下は別破、また二となす  初めに漢土の三師を破す、また二となす  一、出家修道  初めに正しく三師を破す、自ら三となす  二、退大取小  三、台家憎嫉  

初めに善無畏、また七となす  四、現報頓死  二に金剛智  五、祈雨逆風  三に不空三蔵  六、臨終悪相  「此の三人」の下は一切の末流を破す  七、謗法堕獄  次に「弘法大師は去ぬる」の下は本朝の両師を破す、また二となす  初めに通じて両師を破す、また二となす  初めに祈雨  初めに弘法、また二  

次に夜中日輪 次に慈覚、また三  初めに正破  次に引例  三に「此れをもつて」の下は結 次に「問うて云く弘法」の下は別して弘法を破す、自ら二  初めに問難、また三となす  

初めに心経秘鍵の跋  次に孔雀経音義  三に弘法大師伝  次に答、また二となす  初めに法の邪正は霊験に依らざるを述ぶ、また二となす  初めに引例  

次に「弘法」の下は彼の謗法を示す  次に「いかにいわうや」の下は霊験虚誕を破す、自ら三  初めに標  次に「弘仁」の下は牒条評破、また三となす  初めに心経秘鍵の跋  次に孔雀経音義  三に弘法大師伝  三に「此等をもつて」の下は結

二十四「問うて云く法華経」の下は大段の第二、正法を弘通するは即ちこれ報恩なることを明かす、  

また二となす  初めに且く迹中題目肝心を明かす、また二となす  初めに正しく明かす、また二  初めに略して明かす、また二  初めに題目肝心を示す、また二となす  初めに引例  次に正明  次に「問うて云く南無」の下は功徳浅深を明かす、また二  体  用  次に「疑つて云く」の下は広く明かす、また二  初めに題目肝心の所以を明かす  次に「阿含」の下は功徳浅深を明かす  次に「問うて云く此の法」の下は難を遮す  次に「天台」の下は本門の三大秘法を明かす 報恩抄文段上末

一、其の後天台大師等文。(三〇〇n)

 この下は次に大師の滅後に約す、ま二と為す。初めに上を承けて下を起す、次に「天台の仏法」の下は釈なり。

 天台大師は仏滅後一千五百四十六年、隋の開皇十七年の御入滅なり。正しく日本の人王三十四代推古五年即ち聖徳太子摂政の時に当るなり。天台滅後第二十一年に隋の代滅び、而して唐の代と成るなり。唐の太宗の貞観六年に章安大師御入滅なり。天台滅後第三十六年なり。

一、天台の仏法等文。(同n)

 この下は次に釈、また二と為す。初めに前代流布の三宗の迷乱を示し、次に「但し妙楽」の下は呵責謗法を明かす。初めの文また自ら三あり。初めに法相宗、また四つあり。初めに渡天伝来、二に「此の宗」の下は一代判教、三に「而るを天台」の下は末師未破の所以を示し、四に「法華経」の下は今師の歎責。

一、天台の仏法やうやく習い失せし程に等文。(同n)

 問う、章安滅後より玄奘帰唐に至るまで少かに十有余年、何ぞ天台の仏法を習い失うべけんや。

 答う、今、章安・妙楽の盛んなるに対する故に、中間の智威・慧威・玄朗を以て且く衰運に属せるか。

 文にいう「貞観三年に始めて月氏に入りて同十九年にかへりし」とは、故に天竺に在ること十七年なり。諸文並びに斯くの如し。然るに撰時抄上十三、また三十五に「十九年」とは、「九」の字並びに謬れり。応に「十七年」に作るべし。

一、此の宗は天台宗と水火なり。(三〇一n)

 この下は次に一代判教を明かすなり。註三 三十九。

一、而るに天台の御覧等文。(同n)

 この下は三に末師未破の所以を示す。また自ら二と為す。始めには智慧薄きが故に。次に権威を恐るるが故に。所以に天台の末学は未だこれを破せざるなり。

一、法華経を打ちかへして等文。(三〇一頁)

 この下は四に今師の歎責、また二と為す。始めに悲歎、次に「天竺」の下は破責。

 文にいう「三乗真実」等とは、撰時抄上一三に云く「此の宗の心は仏教は機に隨うべし一乗の機のためには三乗方便・一乗真実なり所謂法華経等なり、三乗の機のためには三乗真実・一乗方便」と云云。

 文にいう「五性格別」とは、一に声聞乗性、二には辟支仏乗性、三には如来乗性、四には不定乗性、五には無性、謂く、一闡提なり云云。声聞の中に、決定性と不定性と二種これあり。有性の中に、有仏性の有情と無仏性の有情と二種これあり。その中に決定性の声聞と無仏性の有性とは、永く成仏せずと立つるなり。若し天台の意は、五性の所談は皆悉く爾前方便の意なり。若し法華真実の説相は、唯一仏性にして無一不成仏なり。秀句上末二十八、註六 四十三、太平抄二十四 四十、往いて見よ。弘三下十九に分明なり。

一、天竺よりは・わたれども等文。(同n)

 この下は次に破責。

 文意に云く、天竺より渡れば伝来貴きようなれども、月氏の外道が漢土に渡れるかと云云。

 文にいう「釈迦・多宝乃至誠言」とは、釈尊の「久後真実」、多宝の「皆是真実」、分身の「舌相」倶に誠言と名づくるなり。舌相既に無虚妄を表す、豈誠言に非ずや。

 文にいう「生身の仏」とは、これ嘲弄の辞なり。

一、其後則天皇后等文。(同n)

 この下は次に華厳宗、また三と為す。始めに立宗の来由、次に「此の宗」の下は一代判教、三に「南北」の下は今師の対判。

 文にいう「法蔵法師と申す人」とは、

 問う、何ぞ杜順・智儼といわざるや。

 答う、法蔵の時にこの宗盛んなる故に、況やまた法蔵は、実にまた難陀と倶に新華厳を訳出せる故なり。

一、此の宗は華厳経をば根本法輪・法華経をば摂末帰本法輪(枝末法輪)と申すなり。(同n)

 この下は次に一代判教なり。然るにこの義は本嘉祥の所立なり。故に処元随釈五二十二に云く「嘉祥、三種の法輪を以て一代教を釈す。一には華厳を以て根本法輪と為す。二には阿含等を以て枝末法輪と為す。三には法華を以て摂末帰本の法輪と為すなり。後、天台に帰して、己の所立の非為ることを知り、是の故に心に帰して旧の所学を捨つ。然るに華厳宗は人の捨つる所を拾い、珍しとして至宝と為す。良に笑う可し」等云云。「南北」の下は今師の対判。見るべし。

一、其の後玄宗皇帝等文。(三〇一n)

 この下は三に真言宗、また四と為す。初めに真言西来、次に「此の三人」の下は貴賤尊敬、三に「此の人人」の下は一代判教、四に「此の由」の下は邪宗興盛。

一、此の三人等文。(同n)

 この下は次に貴賤尊敬を示す、また二と為す。初めに所以を示し、次に「天子」の下は結示。初めの所以を示すに、また四あり。初めに近きを賤しみ遠きを貴ぶに由る、二に法を貴ばず種姓を貴ぶに由る、三に内智を貴ばず外相を貴ぶに由る、四に旧きを捨てて新しきを取るに由るなり。

 初めの文にいう「此の三人は月氏の人」とは、これ近きを賤しみ遠きを貴ぶが故なり。文選三十一 十二に云く「又遠きを貴び、近きを賤しむは人の常の情、耳を重んじ目を軽んずるは俗の恒の蔽なり」等云云。鶏は五徳を備え、忍冬は諸薬に勝る。然りと雖も人これを賤しむは由来近きが故なり。これを思え。

 次の文に云く「種姓も高貴」とは、これ法を貴ばず種姓を貴ぶが故なり。涅槃経第二十一に云く「正法の所に於て法師の種姓を観ること莫れ」と云云。止観第四に云く「上聖大人、其の法を取って人を取らず」等云云。然るに世人、多くその法を貴ばずしてその種姓を論ず。例せば諸宗の、蓮祖の種姓を軽んずるが如し云云。

 三の文にいう「人がらも漢土の僧ににず」とは、これ内智を貴ばず外相を貴ぶが故なり。法蓮抄十五 三に云く「愚人の正義に違うこと昔も今も異らず。然れば則ち迷者の習ひ外相のみを貴んで内智を貴ばず。多く仏を捨てて提婆に付きし是なり」(趣意)と云云。諸門の族、色相荘厳の迹仏を貴ぶは、これ外相を貴ぶ故なり。久遠元初の本仏を貴ばざるは、これ内智を貴ばざる故なり。

 四の文にいう「法門乃至印と真言」等とは、これ旧きを捨てて新しきを好む故なり。本尊抄八 十四に云く「或は遠きを貴んで近きを蔑みし或は旧を捨てて新を取り魔心・愚心出来す」と云云。当世の風俗、多く古法を捨てて新法を好むなり云云。此等の人情は古今一同なり。然るに今の四義具足せる故に貴賤これを敬うなり。

一、此の人人の義にいわく等文。(三〇一n)

 この下は三に一代判教を明かす、また二と為す。初めに顕密勝劣を明かし、次に「華厳経」の下は法華と大日経の勝劣を明かす。初文また二と為す。初めに顕密二経を分ち、次に「彼の経経」の下は正しく勝劣を判ず。初めの文また二と為す。初めに顕教、次に「今の大日経」の下は密教なり。次に「華厳経」の下に法華と大日経の勝劣を明かすに、また二と為す。初めに諸経を簡んで法華相似を挙げ、次に「されども彼の経」の下は正しく勝劣を判ず、また二と為す。初めに法、次に譬。

一、此の旨(由)尋ね顕す人もなし等文。(三〇二n)

 この下は四に邪宗興盛を明かすなり。

 文にいう「菩提心論」等とは、この論文の中に「唯真言法の中に即身成仏」の文あり。故に弥真言宗盛んになれるなり。

一、但し妙楽大師等文。(同n)

 この下は第二に呵責謗法を明かす、また四と為す。初めに妙楽の出現、次に「智慧」の下は自見発明、三に「或は智」の下は悲歎思惟、四に「三十巻」の下は破責を述記す。「或は智」の下、三の悲歎思惟に、また三あり。初めに先哲未破、次に「かくて・あるならば」の下は正法欲滅、三に「又」の下は邪法熾盛。

 問う、文には但思惟のみを見て悲歎の相を見ず、何ぞ悲歎思惟というや。

 答う、文に見ずと雖も、その意、顕然なり。学者これを思うべし。文に云く「法相宗と華厳宗と真言宗とを一時にとりひしがれたる書なり」と文。

 問う、正しく三宗を一言に拉ぐ、その文如何。

 答う、今且く三文を出さん。

 一には諸宗の依経は皆悉く兼帯の麁法なり。記六 三十六に云く「縦い経有って諸経の王と云うとも『已今当説最為第一』と云わず、兼但帯対、其の義、知るべし」と文。

 二には諸宗の依経は皆悉く無得道の悪法なり。弘六末六に云く「●く法華已前の諸経を尋ぬるに、実に二乗作仏の文及び如来久成を明かすの説無し」等云云。

 三に諸宗の元祖は皆悉く不知恩の畜生なり。開目抄下十一に五百問論下五を引いて云く「寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ不知恩の者なり、故に妙楽云く『一代教の中未だ曾て遠を顕さず、父母の寿しらずんばある可からず若し父の寿の遠きを知らずんば復父統の邦に迷う、徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず』」等云云。

 妙楽大師は唐末、天宝年中の人なり。華厳・法相・真言等の諸宗並びに依経を深く見、広く勘みて、寿量品の仏を知らざる者は父統の邦に迷える才能ある畜生と書けるなり等云云。これ一言を以て諸宗を拉ぐ文なり。

一、又日本国等文。(三〇二n)

 この下は第二に日本の伝教の弘通を明かす、また二と為す。初めに由、次に「其の後」の下は正しく明かす。初めの由、また二と為す。初めには総じて最初の伝来を明かし、次に「又用明」の下は別して太子持経の伝来を明かす。啓蒙十一 五十七に云く

「一心戒文の中に云く、最澄禅師、弘仁七年に四天王寺の上宮の廟に入り、法華宗を伝うることを求むる詩序に云く、今、我が法華の聖徳太子は、即ち是れ南岳慧思大師の後身なり。持経を大唐に請じ、妙法を日域に興す。最澄愚かなりと雖も、我が師の教を弘めんと願う。渇仰の心に任えず、謹んで一首を奉る。海内に縁力を求め、心を悪法の宮に帰す、我今妙法を弘め、師教窮り無からしむ」と云云。

 文にいう「先生所持の一巻の法華経」とは、釈書に云く「太子、慧慈に語って云く、法華の某句一字を闕く」等云云。

 今因に問うて云く、何れの句、何れの字ぞや。今謹んで案じて曰く、或は「我本菩薩の道を行ぜし時」の「時」の字に非ざるか。現本には「時」の字なし、天台の諸文の引用には皆「時」の字あり。証真云く「梵釈寺の本に時の字有り」等云云。

一、其の後人王等文。(同頁)

 この下は正しく明かす、また二と為す。初めに略して前代流布の六宗の伝来を明かし、次に「桓武」の下は広く伝教の弘通を明かす。

 文に云く「三十七代・孝徳天王の御宇(までに)乃至成実宗わたる」と文。応に此くの如く点ずべし。これ則ち孝徳天皇の御宇に五宗整束するが故なり。啓蒙の意も爾なり。具に撰時抄上十三の如し云云。若し華厳宗は、彼の家の一説には欽明十三年に仏法最初伝来の時、華厳宗渡ると云云。且くこの義に准ずれば孝徳の時、五宗整束せるなり。文にいう「人王第四十五代に聖武天王の御宇に律宗わたる」とは、  問う、撰時抄上に云く「人王四十六代孝謙天皇の御宇に鑒真律宗を渡す」(取意)と云云。如何。

 答う、鑒真伝来に付いて今これを料簡せば、実に鑒真の来朝は四十六代孝謙天皇の天平勝宝六年なり。然るに当文は、鑒真最初発船の時に約せるか。謂く、鑒真最初の発船は、唐の玄宗の天宝二年、即ち日本の人王四十五代聖武天王の天平十五年に当るが故なり更に検えよ。

一、桓武の御宇等文。(三〇二n)

 この下は次に広く伝教の弘通を明かす、また八と為す。

 初めに伝教出現。

 二に「山階寺」の下は師資習学。

 三に「而れども仏法」の下は自見発明。文に云く「鑒真和尚」等とは、即ちこれ天台四代の末学。道宣三代の弟子なり。謂く、受学の次第に拠れば、天台ー章安ー弘景−鑒真なり。若し受戒の次第に拠れば、道宣ー弘景−鑒真なり。

 四に「此の書(明鏡)」の下は六宗の邪見。

 五に「忽ちに願を」の下は思惟発願。

 六に「身命」の下は呵責謗法。

 七に「七大寺」の下は怨敵蜂起。

 八に「而るを去ぬる」の下は高雄問答、また六と為す。初めに天子臨莚、次に「七寺」の下は諸宗立義、三に「最澄」の下は伝教難責、四に「一言」の下は諸師閉口、五に「天皇」の下は承伏謝表。啓蒙十一 五十四に直雑等を引き謝表の本拠を出す。往いて見よ。

 文にいう「最澄乃至判じて云く」とは、文の意は、彼の権教の義を以て法華の文を講ずるを斥くるなり。「各一軸を講ずる」とは、これ各法華一巻を講ずるを標するなり。

 次に正判の文、三双六句なり。「法鼓」「義旗」は、これ法華を講ずることを顕すなり。「深壑」「高峰」はこれ講法の会場を顕すなり。「賓主」「長幼」は並びにこれ講を問うなり。

 「三乗の路に徘徊し」とは、これ権教の三乗の義を執して、法華の一仏乗を知らざるなり。

 「三有の結を摧破して」とは、これ権教の断惑を執して法華の不断而断をしらざるなり。

 「猶未だ歴劫の轍を改めず白牛を門外に混ず」とは、猶未だ権教の歴劫修行の執を改めず、故に法華の乗、此の宝乗直至道場の速疾なることを知らず、故に三車の中の牛車を以て、即ち大白牛車と為す。これ白牛を門外に混ず。若し爾らば豈善く初住の位に昇り「阿」字即「荼」字を生身に悟らんや等云云。

 問う、撰時抄上三十四に「弘世・国道」と云云。国道・真綱は同人と為んや、別人と為んや。

 答う、別人なり。啓蒙十四 二十一、釈書一 二十五。

 文に云く「弘世・。真綱」等とは、二人直ちに伝教即ちこれ南岳・天台なりと信じ喜ぶなり。また還って伝教已前は法華の実義未だ顕れざることを慨悲するなり。この意を以て今文を見るべきなり。

 文に云く「何ぞ聖世に託せんや」とは、これ桓武の聖代を指すなり。

 六に「此の十四人」の下は、六宗の破滅を明かす、また二と為す。初めに正しく釈し、次に「而るを今」の下は世情を破するなり。

(第六段 真言伝来及び慈覚・智証を責む)

一、真言宗と申す等文。(三〇四n)

 この下は第三に末法日本の蓮師の弘通、怨嫉、値難を明かす、また二と為す。初めに前代流布の真言伝来を明かし、次に「抑も法華経」の下は正しく蓮祖の弘通、値難を明かす。初めの文また二と為す。初めに伝教の伝来を明かして以て正義を示し、次に三師の伝弘を明かして以て邪謬を顕すなり。

 問う、且く文相に准ずるに「日本国」の下は仏法最初伝来、及び六宗伝来、並びに天台・真言二宗の伝来の相を明かす。故にこの下は仍日本伝来の中の細科為るべし。今何ぞ大科と為して末法弘通の中の前代流布等というや。

 答う、凡そ「況滅度後」の文を釈するに、広く三時に約し、三国に寄せて釈す。既に三国に寄せて釈するが故に、文の相連なれるは且く所問の如し。而るに今は大旨に約して以て科段を分ち、学者をして昭然として文の起尽を見るべからしむ。この故に然るのみ。謂く「況滅度後」の文を釈するに、初めに正法の四依に約してこれを釈し、次に像法の三師に約してこれを釈す。既に正像に約するの相、この文の次上の至って即ちこれを釈し畢んぬ。故に知んぬ、これより下の文は応に末法に属すべきことを。況や復天台・妙楽・伝教の中の文各初めに前代流布の迷乱を明かす。像法尚爾なり、況や末法の中に於て何ぞこれを闕くべけんや。故に知んぬ、この下は前代流布の真言を明かすことを。

 問う、若し爾らば何ぞ伝教の伝来を挙ぐるや。

 答う、文、三国に寄せて釈するが故に、但伝教のみに非ず、尚無畏・玄●等の伝来を挙ぐるなり。而もその意は正しく正に対して邪を顕す為なり。故に明らかに二宗の勝劣を判ずる、即ちこの意なり。

 問う、若し前代流布の迷乱を明かさば応にまた禅・念仏等をも明かすべし。何ぞ唯真言のみを挙ぐるや。

 答う、真言はこれ蓮祖所破の正意なるが故なり。清澄抄三十三 十九に云く「真言宗は法華経を失う宗なり、是は大事なり先ず序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ」と云云。

 初めに伝教の伝来を明かす中にまた三と為す。初めに前代の伝来を明かし、次に「此等を伝教」の下は正しく明かし、三に「止観」の下は二宗の勝劣を明かすなり。

 初めに前代の伝来を明かすに、自ら三と為す。

 初めの文にいう「日本人王・第四十四代」とは、元正天皇の養老年中に、無畏、大日経を渡すに時機未熟の故に、和の久米寺に蔵して、還る後の七十年に空海この経を得たり等云云。釈書一 十一、養老類雑五 三十八。

 次の文にいう「又玄●等」とは、人王四十四代元正帝の霊亀二年に入唐し、四十五第聖武天皇の天平七年に帰朝、唐に在ること二十年なり。将来せる経論・章疏五千余巻、即ち興福寺に蔵む。同じき十八年六月、筑紫の観音寺供養の導師たり。この時、空中より玄●を提げて去る。その後、●の頭、興福寺の唐院に落つ。これ則ち太宰府の都督・藤原広継が霊の為す所なり。●、前に広継の妻に花鳥の便(使)を通ぜしが故なり。羅山文集二十六、「玄●」の下に云く「虎関の、所謂才行ありと雖も治めざる者は丈夫と為さずとは、吾取るあり」と云云。二三子よ、恥じざるべからず、慎まざるべからず云云。釈書十六 六、同二十二 十八、神社考三 三十七。夫れ人は応にその名を簡ぶべし。唐の人、相して云く「玄●は還って亡ずるか」と。果して日本に還りその身を亡せり。漢の高祖は柏人に宿せず。柏人は人に迫るが故なり。岑彭、蜀を伐って尚彭亡に営し、その夜、人に害せられ為り。啓蒙十三終に羅山文集を引く。

 また明雲座主の事は源平盛衰記三十四 十四に、皇嘉門院聖子の事は本朝語園一 二十七に、法雲法師の雨を降す事は籤二 十二に、友切丸の事は剣の巻九に、また聖賢のその名を忌む事は文選二十八に云く「渇して盗泉の水を飲まず、熱けれども悪木の陰に息まず」と云云。同三十九に云く「里を勝母と名づく、曽子入らず。邑を朝歌と号す、墨子車を廻えす」等云云。啓蒙三十一 六十一にこれを引く。文に云く「大日経の義釈十四巻」とは、諌迷八十九に「不空作る」と云云。宗旨雑記下三に云く「大日経疏二十巻は善無畏の説、一行の筆記なり。未だ再治せざるなり。温古再治して十巻を調う、是れを大日経の義釈と名づく。山門・園城寺には義釈を用い、東寺・高野には之を用いず、未治の大日経疏を用うるなり」と文。

 御書三十五 二に云く「善無畏・金剛智等評定有って大日経の疏義釈を作れり、一行阿闍梨の執筆なり」と云云。

 また次の文に云く「東大寺の徳(得)清大徳」等とは、智証の義釈目録に云く「西大寺の徳清大徳将来の本一十四巻、又山階寺後興福と号すに一本有り、玄●将来す」と云云。

一、此等を伝教大師等文。(三〇四n)

 この下は次に正しく明かす。

 文に云く「大日経・法華経の勝劣いかんがと・おぼしけるほどに」等文。

 問う、撰時抄に云く「伝教大師は日本国にして十五年が間・天台真言等を自見せさせ給う生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給いしかども、世間の不審をはらさんがために漢土に亘り」と云云。

 答う、彼は内証に約し、此れは外相に約するが故なり。

 文にいう「延暦二十三年七月」等とは、

 問う、延暦二十三年には伝教大師の御年何歳ぞや。

 答う、此に二説あり。一には三十八歳なり。釈書に「神護景雲元年に澄を生む。故に延暦二十三年は即ち是れ三十八歳の御時なり」と。宗旨雑記下二十四は即ちこの意なり。

 二には四十歳なり。朝抄並びに啓蒙所引の一心戒文中七丁に云く「国昌寺の僧・最澄、年四十、臈二十乃至延暦二十三年に海を渡り道を求む」等云云。若しこの義に拠らば天平神護元年に誕生なり。合運三 四十二見合すべし。

 文にいう「西明寺」とは、この文謬なり。応に「国清寺」とぃうべし。宋高僧伝二十九、釈書一に云云。

 文にいう「止観円頓の大戒」とは、顕戒論に云く「一心三観は一言に伝え、菩薩の円戒は至心に授くる」と文。

 文にいう「霊感寺の順暁」とは、若し釈書一 十四には「竜興寺の順暁」等云云。若し顕戒論には「霊巌寺の順暁」と云云。今は借音ならんか。

一、止観・真言(真言・止観)の二宗の勝劣等文。(三〇四n)

 この下は三に二宗の勝劣を明かす、また二と為す。初めに釈、次に「されば釈迦」の下は結。初めの釈、また三と為す。初めに道理を明かし、次に「而れども大事」の下は、難を遮伏し、三に「但依憑集」の下は引文結示。初めの道理を明かすに即ち二重あり。一には宗名を削る故に、二には傍依為るが故なり云云。守護章上中二十九の文に云く「弟子等にも分明に教え給わざりけるか」等文。また一意には謂く、末法に責めさせんがために分明に教えざるなり。撰時抄下七。

一、但依憑集と申す文に正しく真言宗等文。(同n)

 この下は三に引文結示。

 依憑集に云く「大唐の真言宗の沙門一行は天台の三徳・数息・三諦の義に同じ」等云云。一行阿闍梨、大日経の疏に天台円家の数息観を引いて彼の経の三落叉の文を釈す。また天台の三徳の義を挙げて菩提心・慈悲慧等の義を成ず。また天台の三諦の義を引いて阿字本不生の義に同ず。然れば則ち、その法門の建立しかしながら天台の正義を盗み取り、大日経に入れて理同の義を成ずること歴然たり。故に天台の正義を盗み取る等というなり。朝抄に分明なり。

一、文に云く(されば)彼の宗は天台宗に落ちたる宗なり。(同n)

 文にいう「彼の宗は天台宗に落ちたる宗なり」とは、これ依憑の辺を以て天台宗に落つというなり。改宗を謂うには非ざるなり。

一、竜智菩薩に値い奉り等文。(三〇四n)

 問う、記十に但「僧有って」といいて、「竜智」とはいわず。何ぞ今治定して竜智というや。

 答う、これ諸文の意に拠って竜智なること分明なるが故なり。統紀三十 十六の不空三蔵の下に云く「智没して後、遺教を奉じて西のかた天竺に遊び、師子国に至り、竜智に値う」等云云。付法伝第二もこれに同じ。また伝法護国論に云く「天台大師、名は三国に振う。竜智天竺に在り、讚じて云く、震旦の小釈迦、広く法華経を開す」等云云。また云く「不空三蔵親しく天竺に遊ぶ。彼に僧有り、問うて云く、大唐に天台の教迹あり。最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり。能く之を訳して将に此の土に至るべしやと。含光請を受け、竜智称歎す」等云云。この文に分明なり。「邪正を簡び偏円を暁むる」は豈称歎に非ずや。

一、されば釈迦如来等文。(三〇五n)

 この下は次に総結、また二と為す。初めに正しく結し、次に「又真言宗」の下は同を引いて異を破す。

 問う、文意は如何。

 答う、釈尊説いて云く「已今当」と云云。天台釈して云く「已説は四時教、今説は無量義経、当説は涅槃経」と云云。妙楽云く「縦い経有って諸経の王と云うとも、『已今当説最為第一』と云わず。是れ兼但帯対して其の義知るべし」等云云。秀句下に云く「已説四時教、今説無量義経、当説涅槃経は易信易解、随他意の故に。此の法華経は最も難信難解と為す、随自意の故に」と云云。

 問う、真言師云く「法華経は釈迦所説の中に第一なり。大日経は大日如来の所説の経なり。故に大日経は三説の校量に関るに非ず」と云云。この義、如何。

 答う、難じて云く、若し爾らば釈迦如来より外に、大日如来は閻浮提に於て八相成道して大日経を説くや。若し爾らば世に二仏なく、国に二主なきは如何。若し爾らずんば大日如来とは、即ち釈尊所現の仏身なり、全く別仏に非ず。当に知るべし、今日出世の釈尊は物機に応同し、或は丈六一里の劣応を現じ、或は十里百億の勝応を現じ、或は相多身大の報身を現じ、或は毘盧舎那法身を現ず。故に劣応・勝応、報身・法身殊なりと雖も、皆これ釈尊一仏の所現なり。仏身既に爾なり。説法もまた斯くの如し。釈尊一代五十余年の人中天上・大小権実・顕密迹本の無量無辺の教法は、皆これ釈尊一仏の説法に非ざるなはなきなり。その中に於て、法華経最も為れ第一なり。故に経に云く「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」等云云。何ぞ釈尊所説の外、別に大日如来あって大日経を説くといわんや。御書三十 五十二、金山七 四十三、同八 五十八等云云。雑記下十二に「然れば則ち釈尊・天台・妙楽・伝教の御心は一同に一切経の中に法華経第一」と云云。これ正しく二宗の勝劣を結するなり。

一、又真言宗の元祖という竜樹菩薩の御心もかくのごとし。(三〇五n)

 この下は次に同を引いて異を破す。

 大論一百 十七に云く「問う、更に何法か甚深にして般若に勝る者有って、般若を以て阿難に属累し、余経を菩薩に属累するや。答えて曰く、般若波羅密は秘密の法に非ず。而も法華等の諸経に阿羅漢の作仏を説く。大菩薩は能く受持用す、譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云。

 文意は、法華経には二乗作仏を明かす。毒を以て薬と為すが如し、故に甚深の秘密勝れたり。般若経には二乗作仏を明かさず、故に秘密の法に非ず。この故に劣れるなり云云。

 故に知んぬ、大日経には二乗作仏を明かさざる故に、般若経に同じく秘密の法に非ず、また下劣の法なることを。故に知んぬ、竜樹菩薩の御心も大日経等の一切経の中に法華経は勝れたりと思し召す事、分明なることを。これは同を引くなり。

 文にいう「不空があやまれる菩提心論」等とは、

 問う、菩提心論は或は竜樹の造といい、或は不空の集という。何ぞ今治定して「不空」というや。

 答う、此れに多くの所以有り。今略して一二を挙げん。

 一には彼の論に云く「毘盧舎那経の疏に准ずるに、阿字を釈するに具に五義を有す」等云云。謂く、竜樹曽て月氏に在り、何ぞ千年後の漢土の無畏の大日経の疏を引かんや。

 二には又彼の論に大日経の第七供養次第法を引き畢んぬ。これもまた無畏三蔵の金粟王の塔の下に於て感見する所なり。千年已前の竜樹、争でかこれを引くべけんや。故に竜樹の造に非ざること道理分明なり。智証の意もまた爾なり。宗旨雑記下十二、御書二十四 十五に「或は会して云く、彼是の後人、彼の文を引いて註して論中に入る。而るに有る論本に長行と書けるは写主の謬なり」と云云。

 若し爾らば、正しく不空の●の相、如何。

 答う、彼の論の中の「唯真言法中」の肝心の文は謬なり。その故は、文証・現証分明なる法華の即身成仏を一向に無に属して、文証・現証なき真言経に即身成仏を立つるが故なり。その上の「唯真言」の「唯」の一字、第一の謬りなり。具には撰時抄上二十五の如し。

 今文の意に謂く、竜樹既に大論の中に法華を第一と定め畢んぬ。故に大論を能く能くこれを尋ぬれば、法華・真言の勝劣応にこれ分明なるべし。然るに不空の●れる菩提心論の「唯真言法中即身成仏」の文に皆人、誑かされて、法華・真言の勝劣に迷惑せるか云云。文中の二箇の「此の事」は、並びに法華・真言の勝劣の事なり。

一、石淵の勒(勤)操僧正の御弟子等文。(三〇五n)

 この下は次に三師の伝弘を明かして以て邪謬を顕す、また二と為す。初めに弘法の伝弘を明かし、次に覚・証の伝弘を明かす。初めの文また三と為す。初めに伝来立宗、次に「一代」の下は正しく邪謬を明かし、三に「天竺」の下は今師の破責。「空海」は釈書一 二十七、二 二十、註七 七の如し。

 文にいう「両三蔵の第三の御弟子」等とは、真言八祖の相承に二義あり。謂く、一には付法の八祖。一には大日如来、二には金剛薩●、三には竜猛、四には竜智、五には金剛智、六には不空、七には慧果、八には弘法なり。伝持の八祖とは、一には竜猛、二には竜智、三には金剛智、四には不空、五には善無畏、六には一行、七には慧果、八には弘法なり。雑記下五。啓蒙に云く「両三蔵の第三代の御弟子なり」と。

 文にいう「大同二年十月二十二日御帰朝」等文は、釈書には「元和元年帰朝」という。大唐の元和元年は即ち日本の大同元年なり。今何ぞ「二年」というや。

 答う、大同元年に太宰府に着き、同二年に平安城に入る。故に相違には非ず。釈書一 三十云云。故に唐に在ること三年なり。

 文にいう「平城ほどもなく」等とは、王代一覧二 三十九に仲成、薬子の事云云。

一、一代の勝劣を判じて云く等文。(三〇五n)

 この下は次に正しく邪謬を明かす、また二と為す。初めに一代判教、次に法華誹謗。

 文にいう「第一真言大日経・第二華厳・第三法華涅槃等」とは、弘法大師が十住心を立てて一代を判じたるなり。雑記下六、釈書一 三十一。安然、五失を挙げてこれを破す云云。

 真言天台勝劣抄三十五 十七に云く「法華第一、無量義経第二、涅槃経第三、華厳経第四、般若経第五、蘇悉地経第六、大日経金剛頂経第七」と云云。経文、分明なり。但し蘇悉地経の「猶不成就」とは、或はまた転読大般若経の文に少々穿鑒これあり。金山一下末二十四の意は最も可なり。

一、法華経は乃至華厳経・大日の二経に望むれば(大日経に望むれば)戯論の法なり等文。(同n)

 この下は次に法華誹謗、また三と為す。初めに法を謗じ、次に仏を謗じ、三に僧を謗ずるなり。撰時抄下八已下を往いて見よ。釈迦と大日と一体の事、三十五 十九。

一、皇帝と俘囚との如し文。(同n)

 啓蒙七 五十六に云く「或は浮周に作るは謬なり。応に俘囚の字なるべし」と云云。註七 四十一に云く「俘囚之虜」と文。啓蒙七 五十七に云く「俘も亦囚なり。古はエゾの人、節節〃とりこ〃になる故に義を以て俘囚をエゾとよむと見えたり」云云。また等海抄十七 十二。弘法の三平寺義裏書に云く「天台、妙覚の仏、真言の名字を聞かず」等云云。

一、天竺の外道はさて置きぬ等文。(同n)

 この下は三に今師の破責、また二と為す。初めに正しく弘法を破し、次に「伝教」の下は叡山の末師を責む。初めの正しく弘法を破するにまた二と為す。初めに第三戯論の謗法を破し、次に「彼の月氏」の下は謗仏・謗僧を破す。

 初文の意に云く、天竺の外道は本よりこれ仏家の外なり、故にその罪仍浅し。弘法は仏弟子なり、故にその罪深し。深し。漢土の南北は第二の涅槃に対して第一の法華を謗ず、故にその罪仍浅し。弘法は第四の方等真言経に対して第一の法華を謗ず、故にその罪至って深し。華厳宗は第四の華厳に対して第一の法華を謗ず、故にその罪仍浅し。弘法は第七の大日経に対して第一の法華を謗ず、故にその罪甚だ深し等云云。

 文にいう「彼の月氏」等とは、既に釈尊を謗じて「無明の辺域」という。俘囚の天台を謗じて盗人というが如し。豈大慢にも越ゆるに非ずや。

 文にいう「伝教大師」等とは、次に叡山の末師を責む、また二と為す。初めに本師を挙げ、次に正しく末師を責むるなり。

 初文に云く「伝教大師御存生ならば」とは……。

一、慈覚大師等文。(三〇五n)

 この下は次に覚・証の伝弘を明かす、また二と為す。初めに正しく明かし、次に「されば慈覚・智証」の下は今師の破責。初めの正しく明かすにまた二と為す。初めに慈覚、次に智証。初めの慈覚、また四と為す。初めに入唐習学、次に帰朝疏述、三に夢想勝劣、四に今師不審。

 文にいう「慈覚大師」とは、釈書第三 六已下、往いて見よ。

 文にいう「承和五年」とは、人王五十四代仁明天皇の御宇なり。

 文にいう「大日経は方等部の摂」とは、御書三十五 二十四、諌迷七 三十一、中正十三初、金山八 十五云云。彼の経に「四教並びに説く」の文あり、二乗弾呵の文あり等云云。

 文にいう「同じき承和」の下は帰朝疏述、「然れども我が心」の下は夢想勝劣、「而も宣旨」の下は今師不審云云。

一、智証大師等文。(三〇六n)

 この下は次に智証、また三と為す。初めに師資習学、次に入唐伝受、三に自述矛盾。  文にいう「智証大師」とは、釈書第三 十八を往いて見よ。文に「別当」というは光定の事なり。釈書三 三云云。文にいう「良●」とは、啓蒙七 五十九に。文にいう「大日経の旨帰」とは、この下は三に自述矛盾、また三と為す。初めに真言を勝と為し、次に法華を勝と為し、三には二宗斉等、また二あり。初めに自述、二に宣示。

 初めの大日経旨帰三十九に云く「今案ずるに此の三摩地門は唯秘密教のみに在り。自余の一切修多羅の中に闕けて而も書かず。故に大乗中の王、秘中の最秘と云う。法華尚及ばず。矧や自余の教をや」と云云。また御書三十二 二に云く「円珍・智証大師云く、華厳・法華を大日経に望むれば戯論と為す」と文。玄私記七 四十一に云く「後唐院の記に云く、自証の境界は長短久近の相有ること無し。八葉の諸尊は機に随って土を取る。而して中台は本際を動ぜず。汝が仏は新成、吾が仏は久成等。皆是れ戯論にして仏法に非ず。当に知るべし、華厳・法華の所説は皆戯論なり。久近は機に在り。都て仏に在るに非ず」等云云。また御書三十七 三。

 次の授決集下巻四十五に云く「謬誦真言乃至若し法華・華厳・涅槃等の経に望むれば、是れ摂引門」等云云。啓蒙七 五十九、中正十六 四十五、金山一下末三十五、開目下十三。また智証大師の講演は法華義抄に云く「言う所の方便に能所有り。能に一相有り、所に十相有り。阿字の法門を能門と名づく。此くの如き一字に四方を具す。所謂能開・能示・能悟・能入等なり。菩提心の阿を能開と為し、菩提行の阿を能示と為し、証菩提の阿を能悟と為し、入涅槃の阿を能入と為す。相性体力作因縁果報等の如是の十法を所開・所示・所悟・所入と為す」等云云。

 この文は、真言を能通の方便と為し、法華を所通の本法と為す。故に法華の優れたること文に在って分明なり。故に止観見聞はこの文を以て顕勝密劣の判釈と為るなり。  三の普賢経記と論記とには、同じ等云云。普賢経記下二十四に「天台の実相観と大日の不生観と並びに心に容るるべし」と云云。記八末二十四に云く「仏、三世に於て等しく三身あり。諸経の中に於て之を秘して伝えず。故に菩提心論に云く、唯此の経の中に即身成仏す。故に是れ三摩地門を説く。諸経の中に於て闕けて書かず。今、無畏三蔵の釈語の次に依って之を書く。今と符合せり。彼此嫌うなかれ」と文。

 文にいう「貞観八年」等とは、

 問う、何ぞ宣旨を以て自述矛盾の中に属するや。

 答う奏聞の旨に任せて即ち宣旨を下す。

 故にその宣旨は、義、自述に当るなり。故に宣旨に「聞くが如くんば、真言・止観、両教一宗」等というなり。故に宗祖は宣旨を以て即ち自語相違の中に属したまえるなり。故に下の文に云く「或は真言すぐれ乃至宣旨を申し下すには乃至此等は皆自語相違」等云云。 一、されば慈覚・智証等文。(三〇七n)

 この下は次に今師の破責、また三と為す。初めに略して自語相違を責め、次に「但二宗」の下は広く責め、三に「されば粮米」の下は総結。

 初めの文に云く「或は真言すぐれ乃至」等とは、

 問う上来の慈覚の中に法華を勝と為すの義を見ず。況や等海抄十七 五に天台・真言の勝劣同異を明かす中にも、またその相なしをや。故に等海抄に云く「心賀御義に云く、一には真言は事理倶に一向に天台に勝れたり。是れは弘法・智証の御義なり。智証釈して云く、天台の三観一心の理は、源は阿字本空の理より出ずと云云。此の釈は能生の法は真言、所生の法は天台と釈する故に、所生の法は事理倶に劣れると聞えたり云云。二には事理倶密は真言勝れたり。唯唯理秘密は両字同じきなり。是れ慈覚・五大院等の御義なり。三には真言・天台、事理倶に一向に全く同じきなり。是れ伝教の御義なり。山家の釈に云く、真言と止観と其の旨は一なり。故に一山に於て両宗を弘む等云云。四には天台は勝れ、真言は劣るなり。是れ四重の秘釈を以て口伝の子細之有り」等云云。

 然らば何ぞ「慈覚・智証乃至或は法華すぐれ」等といわんや。

 答う、これ即ち智証に相従する故なり。また等海口伝を見るに、慈覚・智証の先師違背の大罪、弥々分明なり。

一、但二宗斉等文。(同n)

 この下は次に広く先師違背の失を責む、また二と為す。初めに正しく責め、次に「かうせめ」の下は破責の所以を明かす。初めの正しく責むるにまた二と為す。初めに二宗斉等の失を責め、次に「それは・いかにも」の下は釈成。初めの二宗斉等の失を責むるにまた二と為す。初めに無文の失を責め、次に正文相違の失を責む。初めの無文の失を責むるとはまた二と為す。初めに正しく責め、次に「慈覚」の下は難を遮伏す。初文の中に先ず彼の義を牒し、次に正しく責むるなり。

 文にいう「抑も伝教大師いづれの書に」等とは、

 問う、伝教大師に「二宗斉等」の文なきに非ず。一には牛頭決に云く「天台所立の『十界互具』の文と『秘密最大三十七尊住心城』の文と大道殊なりと雖も、不思議一なり」と云云。二には学生式に云く「止観と真言と二羽・両輪」等云云。豈「二宗斉等」の文に非ずや。

 答う、これ約教一往の傍義にして約部再往の正意には非ざるなり。例せば「此妙・彼妙の妙義に殊なり無きも、但帯方便・不帯方便を以て異なりと為すのみ」の文の如し。また「則ち通依一切の大部指帰の妙境は法華より出ずと雖も」の文の如し。一往・再往、傍・正、分明なり。

 中に於ても「大道殊なりと雖も、不思議一なり」、「止観と真言と二羽・両輪」等とは、只これ「此妙・彼妙の妙義に殊なり無きも」、「則ち通依一切の大部」等の文の如く一往の傍義なり。

 何を以て知ることを得るや。

 謂く、一には真言宗の名を削り、唯天台法華宗と号する故に。二には守護章に、大日経を傍依の経と為るが故に。三には依憑集に、真言宗を破する故に。四にはまた記十を引き、真言の元祖を魯人という故に。五には含光の物語を引載する故なり。此等の文義に准ずるに、教大師の御心、二宗の勝劣分明なり。故に知んぬ、「二宗斉等」の釈は、約教一往の傍義にして、約部再往の正意に非ざることを。故に無に属して奪って「いづれの書にかかれて」等というなり。守護章上に云く「我が山家は部に約すれば八教に摂せず」と云云。既に「我が山家は部に約すれば」という、これを思い合すべし。

 問う、教大師は何ぞ「一往斉等」の釈を設けたるや。

 答う、これ一山に於て両業を修し、除障の方便と作さんが為なり。

 問う、その証如何。

 答う、等海抄十七 八に都率の三密抄を引いて云く「大日経の疏の始終は一向に法華の文義を以て此の経の理を釈成す。三観の妙理は全く天台に同じ」と。

 問う、若し爾らば何ぞ秘密経は障を除き、顕経は爾らざるや。

 答う、円頓の理は法華等の経には過ぎず。除障の方便は三密の加持には如かず。天台、法華の陀羅尼品疏にいうが如く「悪世の弘経都て悩乱多し。呪を以て之を護らば、流通することを得るに便とす」と云云。正宗の妙理は勝ると雖も、更に呪を用いて難を除く。故に知んぬ、三密の教門は除障の術なることを。この教門は多く悪世を利する為に学すとは、我が山は真言・止観を兼学す。良に以あるなり略抄。諌迷七 五十九、中正十六 八云云。また顕戒論、学生式に「亦国の為に護る」及び「護国真言」等の文、これを思い合すべし。

 問う、本理大綱集に云く「顕密異なりと雖も、大道爽うこと無し」と云云。また等海抄十七に云く「山家釈に云く、真言と止観と其の旨一つなり。故に一山に於て両宗を弘むと」等云云。此等の文は如何。

 答う、本理大綱集は真偽未決の抄なり。また等海の所引もまたこれ分明ならず。若し伝教大師の真作ならば、則ちまたこれ約教一往の義なり。上に准じて知るべし。

 文にいう「慈覚・智証と日蓮とが伝教大師の御事を」等とは、この下は難を遮伏するなり。謂く、難じて云く「慈覚・智証は伝教大師の直弟なり。日蓮はこれ後世の末学なり。仮令日蓮、智賢しと雖も、伝教大師の御事に於ては、何ぞ慈覚・智証等に及ばんや」等云云。これを会するに進・退の両釈あり。初めに退いてこれを会し、次に「玄奘」の下は進んでこれを会するなり。文義見るべし。

 文にいう「宝蔵法師」とは、応に「法宝法師」に作るべし。宋高僧伝第四 七云云。法宝法師は悲相の見惑を以て玄奘三蔵を難ず。この難を通ずる為に婆沙の中にさらに一十六字を加えたり。法護三蔵は属累品を以て経末に在く。妙楽大師は記第十にこれを破す。法宝法師と妙楽大師とは、梵本を見ずと雖も、而も梵本所覧の玄奘・法護を難じたまう。日蓮もまた爾なり。後世の末学なりと雖も、而も直弟の覚・証を難ずるに、何ぞ不可あらんや。これ則ち正文に相違する故なり。

一、伝教大師の依憑集と申す文は等文。(三〇七n)

 この下は次に正文相違の失を責む、また二と為す。初めに文を引き、次に引文を釈す。初めの文を引くに、また二と為す。初めに序の文を引き、次に正宗の文を引く。文にいう「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯し」とは、諌迷七 六十、啓蒙七 五十五、同十四 三十四、その外云云。

 今謂く、この序の文の意に、或は二意あり。謂く、且く文相に准ずるに、但元祖の依憑を挙げて、以て末弟の偏執を破するなり。往いて義意に准ずるに、彼の元祖の依憑は、即ち盗台に当るなり。その故は天台法華の義に依憑して、宗々の依経を誇耀する故なり。譬えば大海の徳を取って牛跡を歎じ、王者の法を用いて民家に擬するが如し。豈誑惑これに過ぐべけんや。故に宗祖は常にこの序の文を以て、直ちに元祖を破する義と為すなり。開目抄下十三に云云。撰時抄下七に云く「但し依憑集と申す一巻の秘書あり乃至かの文の序に真言宗の誑惑一筆みへて候」等云云。

 文にいう「称心の心酔を覆う」とは、板点不可なり。秀句十勝抄九、輔三 二十五を引き「後に章安の義記を借るに因って、乃ち弥浅深に達し、体解け、口拑み、身踊り、心酔う」と云云。この文何んぞ「心酔を体解す」と点ずるを得んや。

 文にいう「弘仁の七丙甲の歳」とは、彼の最末に「弘仁四年」という。故に知んぬ、序は後にこれを述するか。文に云く「天竺の名僧大唐天台の教迹最も邪正を簡ぶに堪えたりと聞いて渇仰して訪問する縁」と云云。応にかくの如く点ずべし。「録」の字は謬りなり。

 文にいう「魯人のごとし」とは、輔註十 四十に云く「魯の国の人仲尼を敬わず、之を東家の丘と謂えり。仏を学する人天台の妙教を敬わず、亦魯人の如し」と云云。朝抄等は不可なり。

 文いう「此の書は法相・三論・華厳・真言」等とは、これ四宗を元祖を破するなり。

一、それは・いかにもあれ慈覚・智証の等文。(三〇八n)

 この下は次に先師の違背を釈成するなり。

一、かうせめ候もをそれにては候へども等文。(同n)

 この下は次に破責の所以を明かすなり。これ則ち「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」及び「寧ろ身命を喪うとも、教を匿さざれ」等の厳命を固く守るが故なり。この故に「いのちをまとに・かけて」等というなり。

一、されば粮米を等文。(同n)

 この下は第三に総結の文なり。これまた二と為す。結して破し、次に覚・証の謗法、弘法に超過するを示すなり。文にいう「已今当の経文をやぶらせ給う」とは、覚・証の理同事勝は即ち三説超過の経文を破れり。若し爾らば、豈三仏の怨敵に非ずや。

 文にいう「弘法大師こそ」等文。この下は次に覚・証の謗法、弘法に超過するを示す、また三と為す。初めに正しく示し、次に「例せば」の下は譬を挙げ、三に「慈覚」の下は譬を合す。

 文にいう「弟子も用ゆる事なし」とは、撰時抄下十三に云く「弘法の門人等は、大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給へるは、我がかたながらも少し強きやうなれども」等云云。 (第七段 日本に法華の行者なきを明かす

一、抑も法華経の第五等文。(三〇九n)

 この下は正しく蓮祖の弘通を明かす、また二と為す。初めに釈、次に「此の事、日本国」の下は結。初めの釈、また二と為す。初めに文を引き、次に「法華経・天台」の下は事に約して釈す。初めの文をまた二と為す。初めに経文を引き、次に釈の文を引く。初めの経文を引くにまた二と為す。初めに所持の法華最上の文を引き、次に能持の行者第一の文を引く。初めの文、また二と為す。初めに正しく行じ、次に「此の経文」の下は経文を釈す。

 初めの文にいう「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」とは、

 問う、秀句所引の如くんば、第八喩の下に於て、所持・能持一連の文あり。何ぞ彼の所持第一の文を引かずして、今別してこの文を引くや。

 答う、実に所問の如し。然るに元意を推するに、恐らくは真言宗を破せんが為に、別してこの文を引くなり。ここに二意あり。一には、彼の宗は大日経を以て即ち秘密と名づく。釈尊は法華経を以て、別して秘密と名づく。故に経に「秘密の蔵」というなり。

 問う、若し爾らば、彼は秘密ならざるや。

 答う、彼はこれ隠密にして微密に非ざるなり。二には、彼の宗は金剛頂経を以て衆経の頂上と為す。釈尊は正しく法華経を以て衆経の頂上と為す。故に「諸経の中に於て最も其の上に在り」というなり。

 慈覚の金剛頂経疏一六に云く「人の身に頂を最勝と為すが如し」等云云。御書二十三云云。文にいう「最も其の上に在り」とは、法華経は衆経の頂上に居する故なり。譬えば須弥の頂に帝釈の住するが如く、輪王の頂に如意珠のあるが如く、衆木の頂に月の宿れるが如く、諸仏の頂に肉髻の住するが如し。故に「最も其の上に在り」というなり。今「衆経の頂上」というはこれなり。文にいう「此の経文」等とは、この下、次に経文を釈す、また二と為す。始めに正しく釈し、次に詰難す。

一、法華経の第七に云く等文。(三〇九n)

 この下は次に能持の行者第一の文を引く、また二と為す。正しく引き、次に経文を釈す。

 文にいう「此の経文」等とは、この下、経意を探ってこれを釈す。故に通じて十喩に於て能持の人第一を顕すなり。その故は法妙なるが故に人尊し、豈十喩に通ぜらんや。而して但六喩を出すは、これ玄文第一 二十二に准ずるが故なり。

 文にいう「法華経の行者は乃至諸王の中の大梵王なり」とは、宗祖の「正像二千年の大王よりも、東寺七大寺の碩徳よりも、南無妙法蓮華経と唱うる白癩の人は勝れたり」(取意)といいたまうはこれなり。

一、伝教大師等文(同n)

 この下は釈文を引く、また二と為す。初めに「法妙なるが故に人尊し」を明かすの文を引き、次に信毀罪福を示すの文を引くなり。

 初めに秀句所引の文にいう「諸の経法の中に最も為第一なり」とは、釈尊及び伝教は但法華経を以て、諸経法中最為第一と為す。故に彼の金剛頂経疏一に云く「金剛は宝中の宝なるが如く、此の経も亦爾なり。諸経法中最為第一なり」と云云。御書二十三 二十六にこれを引く。若し爾らば、仏敵・師敵の大罪人に非ずや。

 文にいう「天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一」とは、弘法の「天台法華宗の所持の法華経は最も為れ第三」といえるは、その罪猶浅し。慈覚・智証の「天台法華宗の所持の法華経は最も為れ第二」と読みたまうは、その罪甚だ重し。豈謗ずる者、罪を無間に開くことを免るべけんや。

 文にいう「故に能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり」とは、秀句十勝抄にこの文を引き已って云く「真言宗の無畏・智・空・法・覚・証と伝教大師の末学の法華経の行者との勝劣如何」云云。

 今謂く、若し本門の行者に望むれば、彼等は八重の下劣なり。

一、法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の意(心)の如くならば等文。(三〇一n)

 この下は次に経意を釈す、また二と為す。初めに日本国中、都て法華の行者なきを明かし、次に下巻の初めより末法今時には唯蓮祖一人のみ法華の行者なることを明かすなり。当に知るべし末法今時の法華の行者は一切衆生に於てもまた為れ第一とは、唯これ蓮祖一人の御事なり。この事卒爾に彰し難し。故に先ず日本国中、都て法華の行者なきことを明かすなり。此にまた二と為す。初めに標、次に「月氏」の下は釈。初めの標の文の意に云く、若し法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の意の如くんば、但法華経のみ「諸経法中最も為れ第一」、「諸経中に於て最も其の上に在り」と行ずるを、即ち法華の行者と名づく。然るに日本国中一同に、或は「諸経法中最も為れ第三」、「諸経中に於て最も其の下に在り」といい、或は「諸経法中最も為れ第二」、「諸経中に於て最も其の中に在り」という。豈これ法華の行者ならんや。故に「法華経の行者は一人も・なき(無)ぞかし」というなり。

一、月氏には教主釈尊等文。(同n)

 この下は次に釈、また二と為す。初めに上代尚法華の行者希有なることを明かし、次に「然るに日本国」の下は、都て法華の行者なく、唯謗ずる者のみあることを明かす。この事また容易に彰し難し。故に先ず上代尚法華の行者希有なることを明かすなり。此にまた二と為す。初めに三国に唯三師のみあることを明かし、次に「仏滅後」の下は、正しく希有なることを示すなり。初めの文また二と為す。初めに釈、次に「月氏・漢土」の下は結。初めの釈、また三と為す。初めに月氏の釈尊、次に漢土の天台、三に日本の伝教。初めの月氏の釈尊、また二と為す。初めに釈、次に「此れ即ち」の下は結。初めの釈また二と為す。初めに儀式に約して第一を示し、次に「此の大日」の下は所説に約して第一を示すなり。

 初めに儀式に約して第一を示すとは、若し分身の諸仏は既に大地の上に居する故に下劣なり。多宝如来は塔中に居する故に分身に勝るなり。而して南の下座に居する故に、釈尊に劣るなり。若し教主釈尊は塔中の北の上座に居す、豈第一に非ずや。次に所説に約して第一を示すとは、権教の三身は未だ無常を免れざる故に、大日経、金剛頂経の両部の大日は所従なり。実教の三身は倶体倶用の故に、法華経の多宝如来は主君なり。この多宝如来は仍これ迹門宝塔品の仏なり、故に所従なり。本門寿量の教主釈尊は即ちこれ久遠の本仏なり、故に主君なり。若し爾らば両部の大日の主君は多宝なり、多宝の主君は釈尊なり。豈第一に非ずや。取要抄に云く「大日経・金剛頂経・両界の大日如来は宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり」と云云。権実・本迹、これを思い合すべし。

 文にいう「大日如来計り」等とは、

 問う、多宝といわず、何ぞ大日というや。

 答う、ここに二意あり。一には且く他師に順ずる故なり。啓蒙十八 三十四、賢記を引いて云く「多宝を大日と云う事は、不空の法華儀軌に両部の大日を脇士と為す。法華の多宝を不二の大日と名づけて中央と為す」等云云。若し爾らば主従分明なり。二には所表に従う故なり。朝抄に云く「多宝を大日と云う事は、多宝が法仏を表する釈の意なり。故に但法身と云う事なり」と云云。若しこの義に拠らば、応に汝が家の権教の法身は、我が法華経の法身の所従なりというべきなり。

 文にいう「教主釈尊は北の上座につかせ給う」とは、

 問う、何ぞ南を下座と為し、北を上座と為すや。

 答う、ここに多義あり。一には健抄に云く「釈尊の説法は東に向くなり、多宝は西に向くなり。故に宝塔の南は釈尊の右に当る、故に下座と為す。宝塔の北は釈尊の左に当る、故に上座と為す」取意と。今謂く、月氏の風俗は右勝左劣なり。何ぞ左勝右劣に約せんや。

 二には啓蒙十四 四十一に古抄を引いて云く「天竺の礼法は南を下座と為し、北を上座と為す。漢土・日本の風俗は南を上座と為し、北を下座と為す。但し車内は之に反す」等云云。今謂く、此くの如き風俗、正しく何れの典籍に出でたるや。恐らくは本拠なからんか。

 三には啓運抄三十 十七に云く「南道北滅の時は、南は道諦の因、北は滅諦の果なる故に、因下果上なれば北を上座と為し、南を下座と為すなり」と云云。今謂く、四諦の表示、当抄に在って甚だこれ疎遠なり。学者見るべし。

 四にはまた云く「釈迦の報仏を表するは即ち是れ智なり。多宝の法仏を表するは即ち是れ理なり。理智を本迹に分つに、迹門は理なり、本門は智なり。今本門の本尊なれば、智を賞翫して智仏の居る方を上座と為すなり。故に北の上座と云うなり」取意と。今謂く、智仏北に居るが故に北を上座と為さば、智仏南に居りたまわば、また南を上座と為さんや。既に智仏の居る方を上座と為すというが故なり。

 今謂く、月氏の風俗は定めてこれ右勝左劣なり。故に左右を以て上下と為す。謂く、宝塔既にこれ西向なり。故に北はこれ右勝なり、故に上座と為す。南はこれ左劣なり、故に下座と為すなり。

 問う、月氏の風俗、右勝左劣の証文如何。

 答う、且く一文を引かん。謂く、諸経の中の偏袒右肩、右遶三匝等及び身子は右面の弟子、目連は左面の弟子等これなり。略本尊抄下にこれを示すが如し。具に涌出品の愚記の如し。

 文にいう「此れ即ち法華経の行者」とは、この下、次に結文なり。

 問う、応に「此れ即ち法華経の教主なり」というべし。何ぞ「法華経の行者」というや。

 答う、言う所の行者に自行あり、化他あり。今はこれ化他に約す。仏は化他の為に説き「諸の経法の中に最も為れ第一なり」、「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云。豈法華の行者に非ずや。

 文にいう「南北にせめかちて現身に大師となる」とは、これ「亦為れ第一」の義を顕すなり。文にいう「六宗にせめかちて日本の始第一の根本大師となり給う」とは、また「亦為れ第一」を顕すなり。「日本の始第一の」とは、「日本」の二字は漢土を簡ぶなり。「第一」の言に就いて、汎く二義あり。一には最勝の極を第一と名づく、即ち「最も為れ第一」の如し。二には衆次の首を第一と名づく、即ち「序品第一」の如し。今「第一」とは、これ衆次の首の義なり。当に知るべし、「始第一」とは、これ「根本」の二字の意を顕すなり。謂く、前に望むるに日本元始の大師なり、故に根本大師という。後に望むるに第一の大師なり、故に根本大師という。故に前後に望んでその意を顕すなり。然るに啓蒙に云く「日本に始めて法華最第一の法華の行者なることを顕す。故に結して『亦為れ第一』等と云うなり」と云云。この義穏やかならず。既に六宗に責め勝ちて根本大師と成る故に、結して「亦為れ第一」というなり。例せば「天台」の下の釈の如し。これを思い合すべし。

 問う、蓮祖は如何。

 答う、既に諸宗を責め落して前代未聞の妙法を弘通す。豈「亦為れ第一」の法華の行者に非ずや。故に撰時抄下二十三に「日蓮は日本第一の法華経の行者なる」と云云。肩を双ぶる者はあるべからず。

 問う、蓮祖は諸宗に責め勝つと雖も、未だ大師と成らず。若し爾らば「亦為れ第一」に非ざるや。

 答う、宗祖云く「賢王・聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし乃至と・をもひしに其の義なかりし」等云云。故に知んぬ、大師の徳ありと雖も大師号なきことは、賢王・聖主ならざるが故なることを。大師号なしと雖も、実にこれ大師なり。故に血脈抄に云く「本門の大師・日蓮」等云云。豈「亦為れ第一」の行者に非ずや。有徳の君子、在位の君子、これを思い合すべし。

一、之を月氏・漢土・日本等文。(三一〇n)

 この下は次に結文、また二と為す。初めに正しく結し、次に「秀句」の下は引証。

 文にいう「但三人計りこそ於一切衆生中亦為第一にては候へ」とは、

 問う、二人は然るべし。何ぞ釈尊を以て衆生と名づくるや。

 答う、衆生の名は一往因果に通ずる故なり。止五 二十四に云く「大論に云く、衆生の無上なるは仏是なりと」と云云。故に通の辺に約して「三人」等という。故に下に「釈尊を加へ奉りて」という。これを思うべし。

 文にいう「秀句に云く『浅きは易く深きは難し』」とは、当に知るべし、三説九易は随他意の故に易信易解なり。故に「浅きは易く」という。法華の六難は随自意の故に難信難解、故に「深きは難し」というなり。此くの如き難易は釈尊の所判なり。三説九易の浅きを去って、法華の六難の深きに就くは、これ如来の本意なり。「丈夫」とは如来の別号なり。

一、仏滅後・一千八百余年等。(同n)

 この下は次に正しく希有を示す、また二あり。始めに正しく示し、次に「外典」の下は引例。堅に一千八百年間、横に月・漢・日に法華経の行者唯三人のみあり。豈、希有に非ずや。

 問う、所化の弟子は如何。

 答う、師を挙げて弟子を摂す。皆これ釈尊、皆これ天台・伝教、皆これ日蓮なり。「我が如く等しくして、異なる事無けん」、「本門寿量の当体蓮華の仏」これを思い合すべし。これは事に約してこれを釈す。若し義に約してこれを釈せば、法妙なるが故に人尊し。故に皆これ「亦為れ第一」の法華の行者なり。

一、聖人は一千年に一出で賢人は五百年に一出づ。(三一〇n)

 王子年の拾遺記に云く「黄河は千年に一清み、黄河清みて聖人出ず」と文。文選五十九に云く「五百年に賢人生る」と文。晋書の註に云く「千年に一賢人の出ずるを見、五百年に一賢を見る」等云云。

 問う、伝教誕生の神護景雲元年より蓮祖誕生の貞応元年まで、凡そ四百五十五年なり。故に大数は正しく五百年に当れり。若し爾らば、蓮祖は但これ賢人にして聖人に非ざるや。

 答う、孟子十四三十二「孟子曰く、尭舜より湯に至り五百有余歳」云云。註に趙氏曰く「五百年にして聖人出ずるは天の常なり。然るに亦遅速有り。正しく五百年なることを能わず。故に有余と言う」等云云。「兼ねて未萌を知る」、「三度のかうみよう」これを思い合すべし。宗祖云く「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」等云云。当に知るべし、元祖の誕生、貞応元年より享保六年に至るまで正しく第五百年に当る。今年は五百一年なり。故に伝教誕生より九百五十六年なり。

 文にいう「黄河は●渭ながれを・わけて」等とは、朝抄、啓蒙を見るべし。

一、然るに日本国は叡山計りに等文。(同n)

 この下は次に都て法華の行者なく唯謗者のみあることを明かす、また三と為す。初めに三師謗法の現報、死後の恥辱を明かし、次に「尼●」の下は誑惑久しからずの例を引き、三に「趙高」の下は、略して亡国を結す。

 問う、初めの科目は如何。

 答う、御抄三十太田金吾抄十五に云く「弘法・慈覚・智証等は乃至或は墓墳無く、或は事を入定に寄せ、或は度度大火・大兵に値えり。権者は辱を死骸に与えざるの本文に違するか」また二十三 十八に云く「生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人招くわざわいなり」等云云。即ちこの意なり。

 初めの三師謗法の現報、死後の恥辱を明かすを、また三と為す。初めに慈覚の現報を明かし、次に智証の現報を明かし、三に弘法の現報を明かす。初めの慈覚の現報を明かすを、また三と為す。初めに本師を挙げ、次に両師を評し、三に正しく慈覚を明かす、また三と為す。初めに二途を摂らざるを示し、次に「梟鳥」の下は謗法不幸を明かし、三に「されば」の下は正しく現報を明かす。初めの文に法譬あり。見るべし。

 文にいう「蝙蝠鳥のごとし」とは、甫注十五に仏蔵経を引いて破戒の比丘に譬う。

 文にいう「梟鳥」等とは、この下、次に謗法不幸を明かす。文に譬・合・証あり、見るべし。梟鳥は母を喰う鳥なり。「破鏡」は父を害する獣なり。形、狸に似たりと云云。啓蒙六 十四に云云。

 文にいう「法華経の父」等とは、法華経は仏種なり、故に「父」という。持者は仏種を懐く、故に「母」というなり。朝抄の意はこれに異り、慈覚は法華の仏種を断じ、伝教大師の母に違す、故に梟鳥破鏡に譬うるなり。

 文にいう「日をいるとゆめに・みしこれなり」とは、所持の法華経既にまた日天子の如くなり。能持の人もまたまた爾なり。撰時抄下に云く「されば此のゆめは乃至伝教大師・釋迦仏・法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ」と文。

 文にいう「されば死去の後は墓なくてやみぬ」等とは、この下、三に正しく現報を明かすなり。御書二十三 二十七に云く「慈覚大師の御はかは・いづれのところに有りと申す事きこへず候、世間に云う御頭は出羽の国・立石寺に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか」と云云。太平記評判二十四巻に云く「其の後山門・南都に法論発り、慈覚大師の遠行に不思議の分野共多かりし、是も法論の遺恨の故とぞ聞えし」等云云。「遠行」とは死去の事なり。

一、智証の門家等文。(三一〇n)

 この下は次に正しく智証の現報を明かし、兼ねて慈覚の現報を明かす。大火・大兵現じ、無間を感ず。謗者罪を無間に開く。豈、死後の恥辱に非ずや。「園城寺をやき」とは、釈書三十 四已下、二十五 二十一、二十六 十八。「叡山をやく」とは、王代一覧五 三十八、その外、啓蒙を見るべし。

一、弘法大師も又跡なし文。(三一一n)

 この下は三に弘法の現報を明かす、また三と為す。初めに禁誡相違、遺跡断絶を明かし、次に誑惑の末弟の徳を挙げて智に代うるを示し、三に正しく現報を明かす。初めの文、また二と為す。初めに禁状の宣旨に相違するを示し、次に「されば今」の下は釈成。

 文にいう「弘法大師の云く乃至御いましめの状あり」等とは、弘法二十五ヶ条の遺誡これあり、その中の代十六ヶ条の文意なり。

 文にいう「寛平法王は仁和寺を建立して」等とは、仁和四年にこれを始め、寛平元年に成就せるなり。朝抄に「仁和元年の建立」とは、本拠相違するなり。初めに従って名づくるなり。

 文にいう「今の東寺の法師」等とは、今の東寺の法師は東大寺に於て授戒せず。故に鑒眞が弟子に非ず、禁状に背く故なり。弘法の弟子に非ず。偏に宣旨に任せて叡山の円頓戒を持つが故に、伝教の御弟子なり。また伝教の御弟子にも非ず。既に伝教の法華経を破失せる故なり。豈鳥鼠の人に非ずや。寧ぞまた鳥鶏に似たらんや。

 文にいう「去る承和二年」等とは、弘法終焉して火葬すること、啓蒙及び朝抄に云云。また中正十九 七十九を見合わすべし。

 文にいう「師の徳をあげて智慧にかへ」等とは、一義に云く、師の徳を挙げんとして虚事を書く故に、却って弘法の智慧までを無にするなりと。一義に云く、証拠もなき徳を挙げて、弘法の智慧を荘り立つるなりと云云。一義に云く、凡そ十住心等の配立、誠に荒量の義にして智者の所立に非ず。故に智慧を以てこれを吟味せば、忽ちに負処に堕すべし。故に偽の徳を挙げて智慧の代と為し、以て邪義を扶くるなりと云云。

 今謂く、弘法若し智者ならば、第三の戯論等に分明の経文を出すべし。然るに全く証文なし。故に末弟等、他難を遮ること能わず。故に種々の虚徳を挙げて云く、我が師の所立若し仏意に叶わずんば、何ぞ此くの如きの大徳あらん。既に此くの如きの大徳あり。故に知んぬ。仏意に称うこと分明なることを。誰か此の人を信ぜざらんやと云云。これ徳を挙げて智慧に代うるの相なり。凡そ道理・文証に依ってその宗々を立つるは、これ諸家の通法なり。然るに文理を立つること能わず、唯虚徳を挙げて諸人を誑惑す。豈死後の恥辱に非ずや。

 文にいう「又高野山」等とは、この下は三に正しく現報を明かすなり。

 文にいう「此の本末の二寺・昼夜に合戦あり」等とは、太平記十八に「高野、根来不和の事」と。

一、誑惑のつもりて等文。(三一一n)

 この下は次に誑惑久しからざるを明かす、また二と為す。初めに正しく明かし、次に「尼●」の下は例を引く。初めの正しく明かす文に法・譬・合あり。見るべし。

 文にいう「日本に二の禍」等とは、慈覚・智証・弘法の誑惑積りて、叡山・三井寺の合戦、高野・根来の合戦の二の禍出現するなり。

 文にいう「糞を集めて栴檀となせども」等とは、この譬、楞厳経に出でたり。彼の経の第六の下に云く「阿難、若し其の大妄語を断ぜずば、人糞を刻んで栴檀の形と為し、香気を求めんと欲するが如し。是の処有ること無し」等云云。

 文にいう「大妄語を集めて仏と・がうすとも」等とは、文の意は、大妄語を集めて仏寺と号すとも、但無間大城なりと云云。故に「寺」の字を入れて見るべきか。

 文にいう「尼●が塔は」等とは、この下、次に例を引くなり。また元意あり云云。「鬼弁婆羅門がとばり」等とは、註四 二十四 七、また語式の如くなり。礼を受けて忽ちに崩るるなり。然るに王、馬鳴の化を受く、故に功を馬鳴に帰するなり。  文にいう「鬼弁婆羅門がとばり」等とは、「帷」は「とばりたれぬの」なり。註四 二十七、語式に云云。太平記十二 十八に「馬鳴帷を●ぐれば鬼神去り口を閉ず。栴檀、塔を礼すれば支提破れて尸を顕す」等云云。御書二十三 五に云く「拘留外道は八百年ありて水となり、迦毘羅外道は一千年すぎてこそ其の失はあらわれしか」と云云。

 文にいう「拘留外道は石となって」等とは、弘の十 七に「迦毘羅仙」と云云。啓蒙に云云。

 文にいう「水となり」等とは、実に水と成るには非ず。陳那菩薩、偈を書するに石即ち裂けたりと云云。今「水となり」とは、消え易きを示すなり。

一、趙高が国をとりし王莽が位をうばいし等。(三一一n)

 この下は三に略して亡国を結するなり。啓蒙七 四十七、啓蒙十四 六十四、盛衰記一。
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