第二回檀徒大会

現況報告
 
   
 第二回檀徒大会
        現況報告   寿福寺 佐々木秀明師 

続き

 まあこうして十一月七日の件が終わりました。非常に檀徒さんの多い地方においは必死になって

学会は間違っておったという事も実際言っておる。しかし檀徒のいない無風状態の処は、彼等は無

風状態とこう言うんですよ。そういう処では、相変わらず同じ事をやっておるんです。しかし私の

方は結構多いから、一生懸命、秋谷さんとか野崎さんが来て指導しておる。

 そこで十二月十三日に秋谷さんと野崎さんがまた私の所に来ましていろいろ話をうかがいたいと

言うから、どうぞいらっしゃいという事で話をしました。その時に私は、秋谷さんに対して、あな

たは本当に、こう言う風になると言う事が、気が付かなかったんですかと言いましたところ秋谷さ

んは、私達は宗門とうまくいっていたと思います。と怪しい目をして言うのですよ。どうせうそに

決まってるけれども、とぼけてる訳ですわな。それでまあ十一月七日にああ言う大訂正ができたと

言う事は、どちらにしても、此の正信に目覚めた、かつての学会員さん、今の檀徒さんあってのお

かげだと、あなた方その貫禄のある顔をしてて一つも会長に進言できなかったじゃないかと、少し

は恥を知りなさいという事を言いました。それは誠にもっておっしゃる通りでございますと、十一

月七日の件はジェスチャーではございません。我々はもしジェスチャーならば、あれはやりません

とあれをしっかりやっていかなければ、学会員の中にも信用をなくすし、世間様にも信用をなくし

ますから、しっかりやっていきますと、こう言うから、まあうそかほんとか知らないけれども、そ

う言うんだから、それならそれで、一生懸命やって下さいと、我々にもあなた方の謗法を訂正する

のには、お手伝いは、やぶさかではございませんと、どしどしやりますよと、言ってやりました。

がっくりしたような顔で帰りましたけれどもまあ言った訳でございます。その時にあなた方が真か

らぷっつり訂正されて日蓮正宗の信者として、内外ともに認めるような状態になったとしても、我

々はあなた方一枚、日蓮正宗の信者は創価学会しかいないんだという今迄の路線、これをやれば、

またぞろ同じ事をやるに決まっておるからそういう時に必ず学会は変な事をやる。それはいけない

という抑止力の為にもこれから檀徒といいますか、法華講をどしどし作っていきますから、それに

対してあなた方は誹謗中傷したと言うような事があったら許しませんよと言いました。それは絶対

許しませんと、まあ絶対致しませんと言ってもですね、いつもの手ですけれどもまあそういう事に

なった訳でございます。

 皆様方は、御存知の方も、御存知で無い方もあると思いますが、昭和二十七年に、日蓮正宗の信

徒として、創価学会は宗教法人創価学会というものを取得したんです。このこともすんなり出来た

んじゃないのです。本宗には宗会と言うものがございます。これは国で言えば国会みたいなもんで

す。その宗会の決議において「日蓮正宗の信徒団体が宗教法人をとったり、又それに加入したりし

てはいけない」と言う事が討議され可決された訳です。ですから本当は宗教法人は取れなかったは

ずです。

 しかし創価学会は、圧力をもってきて、例の圧力を持ってきて、もうその時から、そういう学会

の邪魔になる人をゴボウ抜きにひっこ抜いちゃって、宗教法人をごり押しして、取ったのが実状な

のです。ですから今こうして昨年、一昨年あたりの路線も初めっからもう、こういう風になってく

ると、昔から初めが肝心だと言う言葉があるけれども、初めからだめなんですよ、創価学会は。そ

れを三ヶ条というあの条文をとって何とかよたよたして出発したんですけれども、やっぱり船頭悪

しで初めから、こうなるようになっていたんですよ。何も二、三年前から急にそんな事をやって来

た訳ではないんです。

 今の創価学会というのは、ある意味では、皆さん方の正信の信者さんの利剣で傷だらけ、これを

昔と言いますが、むずかしい言葉でいうと、満身創痍と言います。満身創痍の創という字は、創価

学会の創です。それは皆さん方の信心のメスで、中のウミを出して、きれいさっぱり、蘇生さして

健康体にしてやろうというのが、我々の闘いなのに、まだこりもせずその上に大きい絆創膏を張っ

ちゃって何とかウミを出ないようにしているんですよ。この絆創膏の創の字も創価学会の創でしょ

う。創価学会の創の字には、あまりおめでたい意味はないんです。まあ作るとか始めるという意味

はあるけれども、大体の言葉の語源は傷つくとか、懲(こ)りるという言葉ですよ。懲(こ)りる

というのはほら昔“あつものにこりてなますをふく”という言葉があるけれどもあの懲りるです。

ですから今、もう創価学会の名前の通り悪いもんばっかりで、できっちゃってるんです。

 ですけれども、先程の猊下のお言葉の如く皆さん方の良医のメスで何とかウミを出してやろうと

いうのが我々の闘いですけれども、考えなきゃいけない事は、我々はこのメスをもって蘇生さして

やろうとしておる運動をしておるのですが、メスの使い方を失敗すると、深追いしすぎてもともこ

もなくしてしまいますよ。これを昔の人は、“角をためて牛を殺す”というのです。

 創価学会は悪い悪いと言いますが、創価学会という組織の中には、上はあの図太い池田会長から

、下は純心な末端の信者までおるんです。我々は始めは、学会は信心があるだろうと思って、その

上の連中に気を付けなさい、気を付けなさいと言って来たんです。しかし、それがどうも聞いても

らえない計りでなく、刃向かって来たから、それなら、ごまかされ誑(たぶらか)されておる下部

の信者さんを救っていこうというのが、今の闘いです。

 ですから一応まあジェスチャーにしろ何にしろ、十一月七日に訂正をしようとしてまだその路線

でやっておる所もあるんです。そういう所では創価学会、憎しとか、創価学会何するものぞという

事を言いますと、その純心な人達は、耳を塞いじゃうんです。拒絶反応をおこしちゃう、ですから

何としてもそういうところではこの手をゆるめさせて、少しずつ日蓮正宗の教義を説いて行かなき

ゃいけないんです。

 なかなか白黒はっきりすりゃ気持ちがいいんだけれども、そうは問屋がおろさないし、皆様方も

そういう我々も目覚めた檀徒さんの粘り強い運動で、こうしてここに参詣する事が出来た訳ですか

ら、皆さん方どうも学会ははっきりしない、又こちらの悪口を言われると、本当に憎いという気持

ちが起こりますが、どうぞこの処は硬軟取り入れて闘う運動でもあります。又長い運動であるかも

知れないし、仏意が出て早く結着つくかもしれない。しかし、謗法の中に居るかつての同志を一人

でも多く早く救うのが我々の運動であるという事を、もう一度確認されて、やっていただきたいと

思います。皆さん方ならそれはできるんです。結して恨みつらみでやっているんじゃないという事

も確認していただきたいと思います。

 まあ、こういうことはマスコミ等の影響で一喜一憂する人もいるんです。それは、坊さんでも、

なかなか器量のいい坊さんと、まあいろいろ言う、訥弁の人がおります。又うち

の坊さんは何とかかんとか言う人がいるけれども、 。それは、やめてもらいたい、 

  、 というものを僧侶信心で、   は、皆さん方の思います。見ていただきたいとものを僧

侶という信心で

信心で僧侶というものを見ていただきたいと思います。皆さん方の信心は、皆さん方の為の信心で

す。皆さん方の成仏の為の信心ですから、つまらない行動とか、また中傷デマに流されるような事

があってはならないと思います。

 此の運動に対していろいろと山師が出てきました。皆さん方を利用して何とか名を売ろうとか、

ひと儲けしようなんていうのがでてきたんです。きのう座談会で皆さん御僧侶に聞いたと思います

けれども、そういう人が出て来た。具合悪いことに、我々坊さんの処に直接そういう人が来るとい

いんだけれども、その人達はなかなかずる賢いから、あなた方地方の末寺の檀徒の中心になってお

るような人達の所で、そういう人がうまい事言って、宗門は何だとか、妙信講は何だとかいうよう

な事を言って洗脳しに来ますから、決してそういう人と会うという事は、今後やめてもらいたい。

必ず住職を通して、話をしてもらいたいと思います。そうじゃなけりゃあなた方だって完全な人じ

ゃないんです。まあ目覚めたと、良かったという程度なんです。ですから決して、そういう人と自

分がその人と対になって話ししても、大丈夫などというような増上慢を起こさないでいただきたい

と思います。

 学会が直るか、直らないかという判断でございますが、それは仏さんのみ知ることでございます

。二年前にあの「慧光照無量」という紙を出して学会は回向したんです。その時にこういう風に幹

部は言いなさいという、全国統一したものがあるんです。全部読むと長いですから「私達創価学会

員は、こうして池田先生の御配慮により『慧光照無量』の回向をしていただきました。」と、これ

だけです。大聖人の御名が出てこない。

 『慧光照無量』とは大御本尊の功徳の光が普く一切衆生、全宇宙を照らしていくとの寿量品の一

句であります。」幹部(教師)挨拶の口上と書いてあります。

 それから、四条金吾殿のお母さんの亡くなった追善のあの御書を拝読してこう書いてある。

 「妙法精霊は法華経の行者なり、日蓮が檀那なり、争か餓鬼道に落ち給うべきやとある通り、南

無妙法蓮華経と唱うるならば、たとえ亡くなった人の生命が地獄界、餓鬼界  にあろうとも、妙

法の力によって必ず成仏する事は間違いないと断言されています。そして現在の私達にあてはめれ

ば、真剣に学会活動に励み福運を積み功徳に満ちあふれていく姿こそ先祖への最大の回向となるの

であります」

 これが二年前にやったんですよ。向こうでは教師というものを作っているんです。そんなことを

やっているんですから、簡単に直ると思いますか、直りませんよこれは。直らないからとにかく、

下の方からじんわりと闘って行くしかないと思います。

 またついこの間の学生部の大会で浅見さんという人が、浅見茂とか、こう言っていますわね。此

は一月十日付の聖教新聞に「学会は、そして私達の父・母が、今、低次元の、低俗な批判をうけて

おりますが、我々学生部は、外面的な批判に同調したり、迎合・紛動されるのではなく、その本質

を仏法史観のうえから鋭く見極め、確固とつかみ学会が真実の正義の団体であることを厳然と証明

し、新しき世紀への黎明の伝達者になることを誓いあいたいと思いますが、皆さんいかがでしょう

か。」低次元ですって我々の闘いが、こりゃこう言やあ、こりゃマスコミの事だとこう言うでしょ

う。マスコミの方がはるかにこの連中よりは上です。ちょっとマスコミが出なくなってくると、あ

の声の欄に出ますわね、チラチラといやらしさが。マスコミなんていい加減なもんだと、いい加減

じゃないですよ。マスコミは全部は本当だとは言っておりません。しかし学会よりは本当ですね、

それが日蓮正宗の信徒の団体ですよ。情けない話だ。まあ、しょうがないけども、皆さん方も、先

程のありがたいもったいないあのお言葉を本当に真剣に身に体して下さい。我身は捨てて下さいよ

、かつての同志を救うのが私達の義務ですから、それを尚一層本日より心新たに確認し合って精進

していこうではありませんか。時間がきましたからこれをもって失礼致します。

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