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太鼓持ちの発生と歴史の流れ |
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やがて日本を平定した武士の頭領徳川家康(とくがわいえやす)様(1542〜1616)が1603年江戸幕府を開く事で、政治の中心が上方(現在の京都・大阪)から江戸(現在の東京)へ移ってまいりますが、まだまだ文化は50代桓武天皇(かんむてんのう)様が794年に平安京(へいあんきょう/現在の京都)に都を造られてから、依然として天皇様や貴族の居られる京都が中心でございました。
特に徳川幕府の江戸(現在の東京)の地の最初は小さな村だった所ですから、武士政治の中心になってからは諸国大名達の居住地にもなり、町を造る為に全国から出稼ぎ労働者の男性が大勢集り、そのお相手をする遊女や芸者や太鼓持ちの需要が高まって参りましたし、全国各地から知らない人達の集った江戸ですから、企業としても宣伝が必要となり、特にミカン船で財をなした材木商の紀国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)様のお遊びは今でも伝えられておりますが、それらを立案し企画実行してお客様をご接待した裏方全体を統括し、お座敷で盛り上げて楽しい遊びにしてお客様に満足いただける様に調整していたのが、元大名のお抱えだった太鼓持ちとも言われておりまして、その当時の太鼓持ちを「無官の太夫(むかんのたゆう)」、今の会社で言う所の営業販売促進企画部長て〜所ですが、実際には肩書きは無いので無官ですが、ご宴会の企画実行から最後の宣伝まで全部委託されており、最上位の遊女や芸事の長に付けられる官位「五位(ごい)」の名称の「太夫」でも有るので、この様に呼ばれた事もございます。 |
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