七日日(タシケント〜サマルカンドへシルクロードを移動、市長訪問、サマルカンド交歓会)
Photo | Time | Report |
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11:20 | タシケントを朝一番に出発したバスは、シルクロードをサマルカンドへ向けてひた走りました。サマルカンドは昔のティムール帝国の首都で、歴史的建造物もたくさんあり、雰囲気も充分で、いかにも「シルクロードへ来た」といった感じの街です。日本で言えば、京都あたりでしょうか。 タシケント〜サマルカンドの間の道は、いわゆるふたつのオアシスをつなぐ、文字通りのシルクロードで、数百年前はラクダに荷物を積んで隊商が行き交った歴史の道です。その行程約4時間半、ちなみに途中パーキングなんて気の利いたものはなく、公衆トイレもたったひとつ、板の間に穴が開いているだけの「ウワサ」のトイレでした。 シルクロードに水洗便所がない、こんな当たり前のことも納得するのに少々時間を要するほど、我々の生活は質的にトップレヴェルです。良いことなんですよね、これって。 | |
12:30 | 昼過ぎ、休憩したトイレの前で温度を測ってみました。水銀柱はどんどん上がって、摂氏42度のところでようやく止まりました。歓声が上がりましたが、でも、それにしては不快感を感じません。直射日光さえ受けなければ暑さは凌ぎやすい程度です。日陰へ入れば至って快適、よほど33度くらいのモンスーン気候の日本の夏の方が不快感を感じます。 日本の夏って、不快ですよね。 でも、だからこそ、衛生とか環境なんかに気を使う国民性が出来たのかな、そうだとしたら日本の気候の不快さも捨てたものではない...。と、妙なところで納得してしまいました。 |
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19:00 | サマルカンドの最初の夜は坩堝のような交歓会でした。 最初こそ緊張の面持ちで対峙していた両国の代表団でしたが、やがて双方の出し物が進むに連れ、次第にうち解け、ウズベク風ダンスで盛り上がりました。 悲しいかな、ロシア語とウズベク語しか通用しないウズベク青年たちは、会話によって我々と意志疎通することがほとんど出来ません。中には片言の英語を話す人もいたりしましたが、それとて多くは望めません。 それでも団員は、ロシア語の会話集を手に、指さしと身振り手振りで結構盛り上がりました。 「音楽には国境がない」というのは使い古された言葉ですが、言葉の通じない人たちと意志疎通するには音楽やダンスが一番です。良い勉強になりました。 |
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19:00 | 先方の団長は女性でした。ウズベクの人たちは、血が混じり合って百人百様の顔をしています。この団長はほとんど日本人のような顔をしていました。 どちらかというとウチの団長の方が向こうの人っぽいと思うのは私だけでしょうか。 |
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19:00 | すっかり仲良くなった両国の青年たちです。何が嬉しかったって、日本の青年が自分たちだけで偏らないで、積極的に出ていっていたのが一番でした。日本の国際化も、ここまで進んだのだなぁと、感無量でした。 | |
19:00 | ね、馴染んでるでしょ。 |