九日日(ビビ・ハニム寺院、バザール、シャーヒ・ジンダ廟、ホームビジット〜タシケントへ地獄の移動)





Photo Time Report
13:00  ホームビジットは二手に分かれました。片方はサマルカンドの「大富豪の家」、そしてもう片方は10年以上も青年の船を受け入れてくれている「ニーナおばさん」の家です。「大富豪の家」のことは残念ながら行っていないので解りませんが、行った人の話によると「ひでぇ目にあった」ということです。
 さて、私たち5人はニーナおばさんの家を訪ねました。ニーナおばさんはロシア人で、サマルカンドへ転勤になった夫とともにサマルカンドに住み始め、そのうち夫も亡くなり、住み着いてしまったという境遇にある人です。
 とにかく日本が好きで、家の中は日本の写真や絵、そして置物などが所狭しと並んでいました。
 ここでお知り合いの人などを招いて昼食を採ったのですが、ニーナおばさんの若嫁さんのカーチャさん手製のピロシキやボルシチ、サラダなどがことのほかうまく「これはうまい」と心底誉めると、「ならもっと食べて」と薦められ、「じゃ、いただきます」と食べると「はいこれもどうぞ」みたいな感じで、ほいほいと食べてしまいました。この後、例のサマルカンド〜タシケントの4時間半の地獄の大移動が控えているのも忘れて...。
 思えば、それまで疲労困憊しながらもなんとか支えてきた胃腸にとどめを刺したのは、このカーチャさんの絶品の手料理だったのではないでしょうか。
 かくして、坂を転げ落ちるように団員の体調はトイレとお友達の方向へ加速度をつけていくのです。
14:20  ニーナおばさんにはかわいい孫がいます。名前をレーナというこの娘は、物心ついたときには青年の船のビジットを受け入れていたという環境で育ち、ロシア人なのに、日本語で10まで数えられるという強者です。
14:20  後ろの写真はニーナおばさんの26才の写真です。まったく、ロシア人、いや、スラブ民族というのは、若いときはどうしてこんなに美しいのでしょうね。ほとんどハリウッドスター顔負けの美貌を誇っています。
 でも、悲しいかな、年とともに必ず太っていきます。これは、一説によると寒いために食事に脂肪や油分、そして糖分が偏ってしまう為とも言われています。そうだとしたら、スラブ民族が日本くらいの気候の所に住む運命にあったなら「べっぴんさんの国」が出来たのではないでしょうか。道行く人すべてこの美貌の国なら、それだけで観光客が絶えなかったりして...。
 などとくだらない想像をしたりしながら、約35年前の白黒写真に魅入ってしまうこの日のぼくでした。
15:00  楽しかったビジットも終わりの時間となります。最後にニーナおばさんは夢を聞かせてくれました。ニーナさんの夢は「日本へ行くこと」だそうです。
 「日本へ行けたなら私の人生に悔いはない」
 そこまで言い切るおばさんの中に、絶ちがたい日本への憧憬を見て取りました。
 「日本くらい簡単に行けるじゃないの」と思うのは、我々島国育ちのアマいところです。日本という国は、訪問しようとする国によって、ある時は大変厳しく入国条件を提示している国だそうです。なんでもニーナさんが日本の入国ビザを取得するのには、日本からの招待状と、日本滞在期間の身元保証人の印鑑が必要なのだそうです。  そこまで厳しくやる必要があるのか、という疑問は別問題として、そういうシステムである以上、ニーナさんの夢は、もう30年の間、「夢」で終わってしまっています。この「青年の船シルクロードコースの青年に夢と思い出を十数年に渡って提供し続けている」のにです。
 おばさんは、今日のこの日、私たちが帰ってしまうとそれから364日の間、日本の臭いを運んできてくれる青年の船を待っているのだそうです。おばさんの親友のウクライナ出身のおばさんが話してくれました。そんな大切な日ならもっともっと大切にしてあげればよかった...。
 理不尽な、やるせない「国家」というシステムに遮られた一人の老婦人の夢、いつかきっとかなえてあげたいものです。
 でも、そこまで憧れてきた「日本」という国、はたしてニーナさんが万感の思いで上陸したとき、その35年の期待にそえるだけの魅力を提供できる国なのでしょうか。ひょっとすると憧れは憧れでそっとしておいた方がニーナさんのためかもしれないね。帰りのバスに揺られながら母国に自信を持てない若い世代は、そう言いながらちょっとさびしい気持ちになりました。
19:00  ニーナおばさんの家を後にした一行はいよいよ地獄のタシケントへの大移動を開始しました。大富豪の家では「めちゃくちゃ飲まされた」御一行様が、そしてニーナおばさんの家では「めちゃくちゃ喰っちゃった」御一行様が、ごろごろ鳴るお腹を抱えて「4時間半のバスの旅 without Toilet」に臨みます。
 案の定、走り出してから2時間で、最初の草原タイムがもたれました。青くなったり赤くなったり、いい調子で食べ過ぎた男性団員の表情は、まるで信号機のようです。
 しかし、板の間の穴ボコトイレに比べれば「地球がトイレ」状態の草原トイレもまた良いものです。なによりハエが少ない、そして臭くない...。たくさんの信号機たちを乗せたバスはひたすら東を目指します。
 途中、突然バスが停車しました。おっと、バスのエンジントラブルのようです。なにやらロシア語で話しながら、運転手と助手のおじさんがファンベルト片手にエンジンと取り組んでいます。
19:10  でも、幾多の試練を乗り越えてきた我々は動じません。もしこのまま動かなくったって、別にたいしたことじゃないよ、お腹はもういっぱいだし、トイレは360度どこにでもあるし、寝ろっていわれりゃバスの中でも寝るさ。
 我々はすっかりロシア、ウズベクのバイオリズムにはまってきたようです。
 めったに横たわれないシルクロードに、大の字に寝そべって体でシルクロードを感じる団員も、なんだかとってもすがすがしそうです。
「ここはロシアですから」「ここはウズベクですから」がメンバーの合い言葉です。
20:00  なんとか修理の完了したバスは再びタシケントへ向かって走り出します。
 ウズベクの地平線にでっかい太陽が沈んでいきます。あたりを朱に染めながら、ちょうど線香花火の最後の玉みたいに真っ赤にまんまるなお日さまが没していきました。
 また、東の空からこのお日さまが上がってきた時から、我々シルクロードコース名物の「死の48時間大移動、タシケント〜関空まで」が始まります。
 空は真っ赤です。

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