2018.3




          

三つの出来事

 ここへ来て職場を完全退職、親友の旅立ち、加山雄三の光進丸火災と、自分に身近なところで大きな物事が起きている。あまりにも大きなニュースにてまだ冷静に見つめることが出来ない。どれをとっても、自分にとっては大きな話で、まだ整理が出来ていない。
 職場の退職は予定通りだが、仕事を持たない身は学生以来だ。41年もの間勤めてきた。再任用になってさらに4年間お世話になった。心理的には多少複雑なものがあったが、それでも基本的には職場の中だ。顔は利いたし居心地の良い場所であった。それが、長年の憧れであるが、フリーになったということだ。気持ちの張りが保てるであろうか、身を崩さずやっていけるであろうか。趣味は持っているものの、どこまでやっていけるか確信はない。
 親友とは職場へ入って以来の付き合いだ。山やスキー、写真などと趣味があった。バイクだって、オーディオ作りだって話が合った。最近では、畑の話だってしていた。彼の存在は、自分にとっては同僚であり、友人であり、先生であった。人生の中で、大きな存在であったことは間違いない。彼も自分と時を同じくして、再任用を退職する予定であったが、その期日を待たすに3月の月末に末期がんにてこの世を去った。彼の死はあまりにも大きく、今は何も語ることができない。
 光進丸と言えば加山雄三所有のクルーザー船である。大好きな加山雄三のライフスタイルを象徴する船であり、その知名度は高い。伊豆半島に係留されていることを知っていたため、一度見に行こうと思っていた矢先の船舶火災だ。残念ながらもう光進丸の雄姿は見ることが出来ない。加山雄三自身も既に80歳になり、新しい船を手に入れることは無理だろう。彼にとっても残念な出来事だが、全国のファンにとっても大変残念な話である。一つの時代が終わったことを感じざるを得ない。
 こうして今まで馴染んできた人や物事が身の回りから一つひとつ消え去り、新しいステージに入っていくのだろうか。さびしいけれどそれが世の中という物なのか。


カンボジアツアー雑感

 台湾旅行の予定が、ツアー価格を見てカンボジアに決めた。だから、何のこだわりもなく気楽な気持ちでツアーに参加することが出来た。旅行社のHISは前回のバリ島で利用しているので不安はなかったが、上海乗り換えが少々不安ではあった。
 帰ってきて3週間ほど経つが、結果的には良い旅行だったような気がする。不安だった上海乗り換えは、苦労したものの今となっては良い思い出。次回の上海空港乗り換えは問題なくできるであろう。中国東方航空だけでなく、国外の航空機についても不安はほとんどない。
 アンコールワット遺跡は、ジャングルの中の遺跡を想像していたが、そうではなかった。周囲には町があり村があった。トムやワットの遺跡そのものも想定内だし、ガジュマルも以前見た写真のとおり。行く前はミステリアスな古代文明をイメージしていたが、時代も背景も明確なクメール王朝の遺跡であった。エジプトのピラミッドやインカの巨石遺跡とは明らかに異なっている。石の大きさとかその移動方法は人の力や象の力で何とかなるし、積み上げた技術も高度なものではなかった。逆に人間らしさを感じ、親しみを覚える。
 カンボジアの国自体は、世界でももっとも所得の少ない国の一つであることは聞いていた。訪れれば、ふた時代ほど前の日本の風景が広がっていた。終戦後はこんな状態であったのだろうと思わせるものだ。貧困というより、人の活気が目についた。
 ただ、農村を見れば非効率的な生産が目につく。稲作は、雨期の雨水だよりだし、機械化だって進んでいない。他の野菜も、積極的に育てているとは思えなかった。長い間の従属国の立場や、極端な政権や内戦などで、庶民のやる気は低いように感じた。暑い気候の中、日常に流されているようだ。


後遺症

 旅行から帰って1週間ほど経つのに、腹の調子が戻らない。時たまシクッと腹が痛み、便は軟調ぎみ。妻も同じような症状なので、原因と考えられるのは幾つかある。
 生水の飲食と蚊は気を付けていたので大丈夫だと思っている。その他に考えられるのは、一つ目としてホテルでの歯磨き。歯を磨いて口をゆすぐときに、ホテルの水道水を使った。後で聞けば、備付けのミネラルウォーターでゆすぐ方法があるらしい。その時は、思いもしなかった。
 二つ目は、現地で飲んだマンゴージュースだ。あるお土産店で出されたものであり、その時は大変おいしくいただいた。水が混じることはないだろうが、果物 を調理するときに、包丁に菌が付いている場合があるという。水上生活者の見学をしたとき、湖上でココナッツジュースを飲んだ。これも、包丁で穴をあけると きに菌が入った恐れがある。各店の調理場の状況まで把握できない。
 三つめは上海空港の中国料理店で食べた天ぷらうどんだ。油が古くて美味しいものではなかったが、背に腹は代えられずいただいた。古い油が影響している可 能性がある。寒い空港で体が冷えたことも影響しているかもしれない。このうちのどれかが原因かも知れないし、他に現地で食べた何食もの食事内容に原因があ るのかもしれない。未だに良く分からない。
 そして、帰国後10日を過ぎてやっと体調が戻ってきた。帰国後に畑で傷めた腰も、ここへ来て何とか回復したようだ。飛行機の中で長い間座っていると何かと影響が出てくる。帰国してすぐ、中腰で畑作業をしたことが悪かったようだ。これから気を付けなくてはいけないね。


冬タイヤの交換
 
 今年の冬は特に雪が多かった。それでも、3月半ばになると田や畑の雪はすっかり消えている。最高気温も10度を超すようになりもう雪が降ることもないだろう。
 我が家では自分用のプリウスα、妻用のホンダフィット、雑用の軽トラックがあるが、それらのタイヤを替える時期が来たようだ。車庫を空けて作業用の場所 を確保する。フィットを停めて、ナットを緩めジャッキアップする。この車は1トンの油圧ジャッキで十分で、フレームの所定の場所へ当てて車体を浮かす。レ ジアスだと車重が2トンを超えていたので、3トン用の大きなジャッキを使った。扱いが面倒だったのを覚えている。この車はタイヤが6穴で太くて重いため、 腰を痛めないように取り換えたものだ。さらに、ナットがトヨタ純正のもので、重量に耐えるものの扱いにくいナットだ。その点、ホンダのフィットのナットは 従来のものだし、タイヤも14インチで軽い。あっという間に交換が終わり、その所要時間はほぼ30分だった。
 しばらく休憩後、本命のプリウスαにかかる。こちらは車重が1.5トン近くあり、タイヤは5穴になる。それに、ナットがレジアスと同じ面倒な奴だ。まだ 新車のつもりなので、車体にキズを付けないように慎重に取り換えた。フィットを先に終えているので手順を体が覚えている。1時間ほどで終了した。例年、手 押しの空気ポンプでタイヤに空気を入れていたのだが、今年は腰を痛めているので中止。近くの農協スタンドへ持ち込んだ。週末はガソリンが特売日なので一石 二鳥だ。その後、フィットも持ち込んですべて終了したのは午前11時頃だったろうか。軽トラックは荷物が積んであるので、別の機会になる。



生垣補修

 今 年の1月の大雪で、我が家の庭木が大きな被害を受けた。大雪の雨で重さが増し、庭木を痛める結果になったようだ。特に、我が家の北側の生垣被害がひどかっ た。植えてから30年ほど経つ貝塚イブキが数か所で傾いてしまった。最初に手で引っ張ってみたが、枝が絡み合い一人で手に負えるものではなかった。ホーム センターにてワイヤー牽引機を手に入れた。荷物ロープを引っ張る道具らしいが、これが一番目的に合っていそうだった。牽引力が500キロから数トンまで揃 えてあったが、一番小さいもので良いだろうと500キロ規格のものを手に入れた。両口のワイヤーも一緒に手に入れ、支払った金額は4千円台だった。
 さて作業であるが、倒れた木の背後に鉄パイプを通し、両端に両口ワイヤーを掛けて牽引機で引っ張った。問題は引っ張るときの支えをどこにするかだ。太い 庭木があればその根元にロープを巻き付けて支柱にした。何もない所は1メートルほどに切った鉄筋を2本地面に打ち込み支えとした。
 さすがは道具で、ギシギシという音を立てながら倒れ掛かった生垣が元へ戻ってくれた。同時に買ったトラロープで固定したが、ひと月ほどそのまま置いてお けば元へ戻ることはないだろう。数か所この作業を繰り返し、生垣はかろうじて元の姿に戻ることが出来た。一時は、存在そのものが危ぶまれた生垣だが、これ でひとまずひと安心だ。夏を越して枝葉が茂ってくれば凹凸は立たなくなるだろう。


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