天皇家の苗字
日本の国民はすべて苗字をもっているが、天皇家には苗字が無い。ところが、ある時期まで、天皇家は「姫氏」を名乗っていた時期がある。天皇家は689年の飛鳥浄原令の発布以前まで「姫氏」を名乗っていた。正式には大王(おおきみ)の姓氏である。平安時代の講書(日本書紀を天皇に講義した記録)に書かれている博士の質疑の一つに「わが国は姫氏と呼ばれているのは何ゆえか。」とある。
姫氏とは中国の古代の周王朝の国姓である。周は紀元前1046年頃に建国し、紀元前256年に秦に滅ぼされた。政権が変わると旧王族は根絶やしにされるが、秦の場合は異例で、周王族はその後も存続が許されていて、血筋は絶えることはなかった。
奇しくもわが国ではその頃から銅鐸が造られるようになった。日本が姫氏国だと日本の使節が自ら称したと古い歴史書に記されている。日本は「東海姫氏国」と呼ばれていた。昔から知られていることで、記されている文献は一つや二つではないという。 そして、日本書紀を編纂した天武天皇のときに、中国の属国から脱するために、天皇家の苗字であった姫の姓を消したとされる。
ただし、姫の姓は周王朝と日本だけではない。ウィキペディアによれば「周王室から分家した姫姓の諸国として呉(諸説あり)・燕(諸説あり)・晋(もとは唐、諸説あり)・韓(晋の分家で分岐国、晋と同様に諸説あり)・魏(もとは畢、晋の分岐国)・管・魯・鄭・衛・霍・?(東?/西?に分岐)・曹・蔡・虞・滕・随・韓(戦国の韓とは別国家)・劉などが挙げられる。その後、春秋戦国時代の激動の時代の中で次第に姓は氏(例えば公孫氏など)を用いることが多くなり、周およびその分家の国が滅んでいく中で?姓と称する者は徐々に消滅していった。」となっている。
周以後の多くの国が、姫姓を名乗っており、属国であった日本の大王が姫姓を名乗ったとしても、周の姫氏の血筋がつながっているかは不透明である。