日本人のルーツを考えるー日本的な文化とは


第1話 日本的な文化とは何か(2)


 神社の形はどうでしょう。日本に存在する神社の多くは、よく似た形をしています。入り口には「トリイ」と呼ばれる門があり、左手には水で手や口を清める場所、拝殿の前には両側に狛犬、拝殿と本殿が分離され、お賽銭箱まであると言います。敷地の周りは囲われている。日本の神社の多くはこの形式を採用しています。我が荒木新保町の氷川神社も篠尾町の北野神社も同じ形です。神社の形は古代イスラエルの移動式神殿と類似していると言われます。
 本殿には神社に三種の神器が祭られています。三種の神器とは玉と鏡と剣です。ヤサカニノ勾玉、八咫鏡、くさなぎの剣です。実物は皇居、伊勢神宮の内宮、熱田神宮にあると言われています。

 八咫鏡は伊勢神宮にあり、普段は誰も見ることは出来ませんが、ある人が秘密裏に見たところ、鏡の裏にあるヘブライ語が書いてあったそうです。内容は、旧約聖書の出エジプト記の3章14節にかかれている「私は有って有るもの」だそうです。
イスラエルにも三種の神器がありました。全面金で覆われた契約の箱のなかに、マナ(パン)の入っている金の壺とアロンの杖と契約の石板が入っていました。 
 契約の箱は、日本の神輿に良く似ていますし、八咫鏡と契約の板は材質が違いますが、薄い板状で神の戒めが掛かれているという点では似ています。草なぎの剣はアロンの杖に対応し、金の壺と勾玉は神の救いという点で共通しています。アロンの杖は、イスラエルの民がエジプトを脱出した際に海を二つに分ける奇跡を起こしたとされる杖だそうです。

 元貴乃花親方が11月27日放送の日本テレビ「すっきり」で、相撲はヘブライ語と発言し、物議となっていますが、「シュモー」はヘブライ語で「彼の名」。ヤコブが天の使いと名前を交換したときに、天の使いが名乗らなかったので、その出来事自体を「彼の名」としたということだそうです。日本でも、「独り相撲」を神に奉納する神社があることを聞いたことがあります。

 相撲は古代のイスラエルに起源があるらしいのです。族長のヤコブ(イエスキリストの先祖)が天のお使いと組み打ちをして夜明けまで戦い、天の使いに勝った為、イスラエルの名前を貰ったそうです。「ハッケ」は打つ、やっつける。「ヨイ」は私の神。「ハッケヨイ」で撃つことは聖なるかな。「ノコッタ」は「ノカタ」で「問題ない、大丈夫」という意味。塩をまいて清めるのは古代イスラエルの習慣であるという。

 次は、京都についてです。京都も遷都された当時は平安京と言いました。ところで、イスラエルの首都はエルサレムであり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地です。このエルサレムはヘブライ語で「イェルシャライム」と発音し、平安の地とか安息の地という意味だそうです。まさしく、自分たちの故郷のエルサレムを新天地の日本で再現したと言えるかもしれません。

 日本を昔は大和(ヤマト)と言った時期がありました。狭い意味では、近畿の奈良、京都付近の平野部を言う場合もあります。本来、大きな和ですからヤマトとは読みません。では、ヤマトという読みは何処から来たのでしょう。
「ヤ」は神、「ゥマト」は民。「ヤゥマト」で神の民と言う意味になるそうです。「大和」を日本国語大辞典でひいてみると、大いに調和すること、優れた調和、また非常に睦ましいこととあります。出雲族との国譲り、他の多数日本に渡来した部族と調和を取りながら一つの国にまとめた当時の王権が、その意味を込めたのでしょうか。

 日本の初代の天皇は、神武天皇です。ウイキペディアによると、45歳の時に兄や子を集め東征を開始します。日向から筑紫国、安芸の国、吉備の国、難波の国、河内の国、紀伊の国をへて苦難を乗り越え大和に入ったとあります。

 この神武天皇の和名は「神倭伊波礼比古命」「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」でした。今まで、日本語では意味が良く分かりませんでしたが、ヘブライ語で読むと意味が通じると言います。スメラミコトは、サマリア(現イスラエルの北の地方)の王という意味です。「カム」は集まる 「ヤマト」は神の民 「ビコ」は最初の子。全体では「神の民によるユダヤが最初に生んだ子であるサマリアの王」の意味になるそうです。ここまでくると、日本人としてどうリアクションしていいか困ってしまいます。

 余談になりますが、明治天皇は在位中に、「日本は神道である。しかし、神道は本来ユダヤ教である」と語ったそうです。また、明治天皇は何人かの側室が居て、その中の一人に「あなたの子は牧師にしなさい。必ず役に立つときが来るから」と言ったそうです。

 また、昭和天皇の末弟である三笠宮さんの研究テーマは「古代イスラエル」と「聖書」だったそうです。日ユ同祖論的な学説に多大な関心を寄せられ、伊勢神宮に納められている八咫鏡の裏にかかれているヘブライ語の「我は在りて有るもの」を確認したとも伝わります。

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