日本人のルーツを考えるー日本的な文化とは
第1話 日本的な文化とは何か(1)
子供達が楽しみにしているお正月。いかにも日本らしい催し物が続きますね。まず、大晦日には家中の大掃除をします。そのあとは、夜になれば紅白歌合戦を見て過ごし、12時前には神社へ出かけて、新年の初詣をします。
神社に着けば、真っ赤な鳥居をくぐり、左側にある手洗いにて口と手を清め、左右にある狛犬の間を通って拝殿に行きます。その奥には本殿があり、三種の神器である鏡や刀が置かれています。仏教のように人の形をした仏像が置かれていることはありません。参拝者はお賽銭箱に小銭をいれて、神様に願い事をします。これが、一般的な初詣の形ですね。
自宅に帰れば、神棚や床の間に鏡餅が2段に重ねられて置かれていることでしょう。そして、そして家族そろって雑煮を頂きますね。外では、子供達がこま回しをして遊んでいます。凧揚げもしているようです。福井の場合は天候が悪い日が多いので、室内でかるた遊びぐらいかな。これが、日本における正月の一般的な過ごし方ではないでしょうか。
それから、日本らしいものといえば、相撲は欠かせません。自分達が子供のころは、地元の神社に土俵があり、祭りなどで相撲大会が開かれたものです。そして、日本の国技である大相撲は古い歴史を持ち、老若男女に人気です。最近は、モンゴルの人たちの活躍が目覚しいですが、貴乃花や若乃花が活躍していた頃が懐かしいですね。
あとは、外人に人気の京都の町並みや祭りも日本的ですね。平安京は第50代の桓武天皇よって長岡京から遷都され、千二百年の歴史を持ちます。歴代の天皇がお住まいであり、(南朝の96代の後醍醐天皇から99代の後亀山天皇は除きますが、)明治に第122代の明治天皇が東京へ行かれるまで、多くの天皇がこの京都に住まれていました。先斗町の古い木造建物の横を歩く和服姿の舞妓さんや芸子さんはまさしく日本的そのものですね。
京都には祭りも多く、代表的なものとして、5月に賀茂神社の葵祭りがあります。葵で飾った平安後期の装束での行列は見ものですね。加茂神社と皇族の祭りを貴族が見に来たのが始まりだそうです。7月には八坂神社の祇園祭が毎年開催されます。7月1日から1ヶ月間開催され、17日には山車が巡行し多くの観光客でにぎわいます。この中にも、見に行かれた方も多いことでしょう。
さて、これらの当たり前のように行われている日本的な事柄のルーツを皆さんご存知でしょうか。多分、ほとんどの方がご存じないと思われますのでここですこし考えて見たいと思います。
日本全国で神社の数が一番多いのはご存知ですか。一番は、八幡神社系 7817社。2番は伊勢神社系 4451社。3番は天神信仰系、北野神社や天満宮。4番は稲荷神社だそうです。氷川神社の元社である八坂神社は7番目で2299社だそうです。
以前から稲荷神社と八坂神社の意味が良く分かりませんでした。地名でもなく、名前自体の意味も不明です。それが、調べてみると面白いことが判明しました。
稲荷神社は京都の伏見稲荷神社が大もとで、創建は「秦伊呂具」という人だそうです。この人は、3世紀以降に日本に渡来した「秦氏」の一族の一人です。秦氏は景教(キリスト教)であったことが知られています。稲荷神社の名称は以前は「伊奈利神社」と呼ばれていたそうです。そして、「INRI」は景教においてユダヤの王ナザレのイエスを表す隠語だそうです。つまり、稲荷神社は教会の様なものだったようです。
八坂神社の「ヤサカ」はヘブライ語で「ヤ」は神、「サカ」は見るとか守護の意味で、八坂神社とは神の守護の神社という意味だそうです。7月17日を中心に開催される祇園まつりは、古代イスラエルのZION祭(シオン祭)がモデルになっています。シオン祭は旧約聖書でノアの箱舟が山頂に降りた日(7月17日)を祝う祭です。
ちなみに一番多い八幡神社は大分県宇佐市の宇佐八幡宮が総本山で、秦氏の支族の辛嶋氏が創建し祭神は応神天皇。ここは、秦氏の古い居住地で、元来「矢羽田」とかいていた。「ヤハダ」と発音し、ユダ族を意味ずる「ヤフダ」に発音が酷似しています。
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