左近長者物語ー概要とあらすじ


左近長者物語の概要とあらすじ

登場人物 @生江臣東人、A益田の縄手、B泰澄太子、C生江臣家道女、D安都雄足、E村人、F東人の家族

1場面
 750年 奈良の東大寺建設の役所にて  登場人物 @生江臣東人 A益田の縄手 D安都雄足
  1 生江臣東人が造東大寺司として東大寺の建立に関わっている様子
    国の威信をかけてなぜ東大寺を作る必要があったのか。資金はどうして調達したか。
    (743年に聖武天皇が東大寺を作ることを宣言)
    (747年 東大寺大仏の鋳造開始 749年 生江臣東人が造東大寺司として任命される。)
  2 益田の縄手に東大寺拝殿の協力を依頼する様子
    (752年 鋳造終了 758年 大仏殿の竣工)
   ※ナレーションにて東大寺を建立後どうなったか。財政のひっ迫や環境汚染。
2場面
 755年 酒生の篠尾廃寺にて  @生江臣東人 A益田の縄手 B泰澄太子、E村人
  1 天神山古墳の時代の様子
     古墳の様子、武具や馬具、生江一族との関係などを年寄りから聞いた話として。
  2 父親が建てた篠尾廃寺の様子 真言宗の寺、7つの末寺含め46人。
     国の指示で古墳を築造出来ず、代わりに氏寺を建てた。県内には丹生郡に3寺、福井に2寺。
     丸瓦の文様が山城国(京都南部)に近いこと。100年以上経て補修が必要になったこと。
  3 泰澄太子様がお参りに来た様子 当時73歳の高齢
     越智山で修業。40年前に白山に登り、勝山の平泉寺を建立。今は大僧正位をもらい有名人。
3場面
 760年頃 足羽郡の道守の荘園にて @生江臣東人 E安都雄足 G村人
  1 荘園開墾の様子
     農民と共にススキの野であった荒れ地を手作業で開墾している様子。
     当時の足羽郡の話。郡の範囲や村の数や石高、溝堀して灌漑設備を整備した話
     墾田100町を東大寺へ寄進した話 生江一族が各地で活躍する話
  2 安都雄足と東人で荘園管理を進める様子
4場面 
 765年頃 奈良の都にて  D生江臣家道女及び母親 F奈良の役人 
  1 写経を寄付した話(757年の思い出話として)
     足羽郡江下郷に住む。法華経の経典100部800巻、瑜伽論1部100巻を母の生江臣大田女とともに寄付する場面。

   暗転 30年後の奈良の都
  2 農民を相手に仏教を説いて惑わせ帰国させられる話(796年)
     「越の優婆夷」と呼ばれた。罪福を説いて民衆を惑わし、国へ送還された。
5場面
 770年頃 酒生の神社の前で @生江臣東人 E村人3人 F東人の家族
  1 春の礼祭のあと、酒宴を開いている様子
     祭りの酒や肴は公費で賄うほど重大な行事であった。
     村人と一緒に酒を飲んで賑わっている様子。
     都からの呼び出しに酒を飲み過ぎて都へ行けなかった。
   
  暗転 東人の自宅にて
  2 生江臣東人が病気になって都へ出かけられない話
     寝込んで家族に見守られている様子。
     奈良へ行けないことを悔やむ。村人のことを想う様子。

登場人物のプロフィール

@ 生江臣東人 705年生れ 50歳 酒生村篠尾町天神生れ 後の時代に「左近長者」と呼ばれた
 代々の豪族の生まれで、父は生江臣安麻呂で足羽郡の前の大領。44歳で奈良東大寺の建設のための役所である造東大寺司に任命される。50歳の時に足羽郡に戻り大領(最高責任者)になる。60歳前半まで大領を務めた。
 中央との関わりを大事にする国家官僚であるとともに、地元の発展をおもい、生江川流域の荒れ地の開墾を進める。地域の祭りなどにもよく参加し、村人にも慕われた。

A 益田縄手  702年生 53歳 酒生村篠尾町生まれ 
 代々、建築を営む家で生まれた優秀な建築技術者。祖父は若き父と共同で、篠尾廃寺を建立した。本人が生まれる前の話なので、廃寺建立の話は親から聞いているだけで関わってはいない。東大寺の大仏殿を建立するにあたり、東人から頼まれて大工を務めることになった。大工と言っても現代の大工ではなく、現場責任者あるいは設計者ぐらいの位置づけであった。
 757年、縄手が53歳の時、大仏殿造営の功績で外従5位下の位を授けられ、貴族の仲間入りをさせてもらっている。大変な名誉で、本人も喜んでいる様子。東人とは幼馴染で3歳年上になる。

B 泰澄太子 682年 麻生津の豪族三神安角の次男に生れる。越智山にて修行、702年に豊原寺建立、717年に白山登頂、平泉寺建立。723年に元正天皇の病を治し、737年に大僧正位。

C 阿須波東麻呂  天皇の直轄荘園である勅使御田を任されている。道守の荘との水争いが起きたときに、道守の荘の水守であった宇治連知麻呂が処罰されたが、東麻呂も管理者であったことからわび状を入れる。天皇の勢力下にあり、地元の豪族として勢力を持っていた生江族とは微妙な対立関係。

D 生江臣家道女(やかみちめ) 足羽郡江下郷の生れ(和田、岡保付近)
信心深いが出家はしていない。母と共に大量の経典を東大寺に寄付する。都にて農民相手に仏教を説くが惑わせるとして強制的に送還。東人とは親戚関係にあり、都で活動できるほど実家は裕福。

E 安都雄足 越前に出向いた国の官僚。足羽郡内に自宅を持ち、私田を持つ。東人とは奈良の時代の旧知の間柄。東人の後任として造東大寺司、足羽郡司を務める。東人ともに東大寺の荘園に関わる。


第1場面 奈良の東大寺前にて 

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