左近長者物語ー第3場面 足羽郡のある荘園にて


 第3場面  足羽郡のある荘園にて

ナレーション
 当時の生江臣東人は足羽郡の大領、今で言えば知事のような立場の人でした。現在では足羽郡という名は消えてしまいましたが、当時は、旧足羽町や美山の宇坂だけでなく、和田地区や社地区、東安居地区まで広がる広大な地域でした。集落は150を超えて、越前を代表する郡のひとつでした。
 ここは、足羽郡のある荘園です。荒地だった生江川、今の足羽川の流域を生江臣東人の指導の下、村人が少しずつ開墾し、そして、用水を引いて水田にしています。

東人:今日は、朝からご苦労さんじゃのう。皆のおかげで酒生の荒地がこんなにも良い田んぼになってくれた。おかげで、米が沢山取れるようになった。ありがたいことじゃ。
 皆が力をあわせて掘った生江川からの用水のおかげで、どんなときでも田んぼに水を引くことが出来る。これも、みなのおかげじゃ。

村人:昔は自然堤防の裏手の水溜りで細々と田んぼを作って居った。それが、東人殿が生江川からの溝を計画してもらったので、広い面積で田んぼが作れるようになった。おかげで、沢山の米が取れるようになり、我々も腹いっぱいのご飯が食べられるようになった。本当にありがたいことですじゃ。

東人:今度、皆が開墾してくれた田んぼを東大寺へ寄付することにしたんじゃ。東大寺も大仏を建てて、お金がなくなったようなのじゃ。この田んぼの米が役立ってくれるとうれしいな。村の衆、心配するなよ。東大寺の荘園になっても、耕して米を作るのは村の人たちじゃ。また、よろしく頼むな

村人:分かりました。東人殿のことなら、何でもさせてもらいます。 

ナレーション
 この頃の生江一族は足羽郡だけでなくあちらこちらに勢力を広げていたようです。越前国の丹生郡、尾張国の山田郷に生江の名が見られますし、中でも生江臣金弓という人は大野郡の大領になったと記録に残されています。





第4場面 奈良の都にて

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