酒生の歴史ー天神山の縄文遺跡から


天神山の縄文遺跡から


 縄文時代とは1万5千年ほど前から2300年ほど前ぐらい前までを言います。人々は主に野生の動物や植物を採る狩猟生活をしていました。最近の研究では、稗や粟、一部では稲の栽培なども行われていたことが分かっています。

 2万年前の日本列島はまだ中国大陸と繋がっていました。人々は船を使うことなく歩いて、日本列島へやってくることが出来ました。その後、大陸から分かれた後も南からは南西諸島を伝って日本へ、あるいは朝鮮半島から日本へ渡ってきた人たちが日本列島で生活をしていたようです。

 最近の遺伝子研究によると、縄文時代に生きた人たちは戦いが好きではなく、優しい性格で長い間平和に暮らしていたそうです。縄文時代は1万年以上続きましたが、遺跡からは一切武器が出てきていないと言います。

 酒生地区の篠尾と高尾地区からは縄文時代に人々が生活していた跡が見つかっています。昭和61年から発掘調査が行われた天神遺跡です。山間を下ってきた足羽川が酒生の平野に出る場所であり、採集生活をするのに適した場所だったようです。
 ここでは縄文時代の中期(約4500年ほど前)から晩期(2500年ほど前)までの特長を持つ土器が見つかっており、2000年を越える長期にわたってこの場所に人が住み続けていたことが分かります。ここで見つかった土器の一部は、現在、市の歴史博物館に展示されておりますので、機会があったら是非訪れてみてください。

 縄文時代の日本の人口は、6000年前の縄文前期で11万人程度、中期で26万人程度だそうです。しかし、ここを境に晩期(2500年前)には8万人まで減少しました。4000年前から徐々に地球規模の寒冷化が起こり、2500年前には温かい時期から3度の気温低下がありました。そのため、食料が不足になったことと、大陸からの渡来人が持ってきた疫病が蔓延したことが原因だと考えられるそうです。

 8万人といえば現在の日本の人口の1000分の1以下です。酒生地区の人口は4000人ほどですから、その割合で計算するとこの頃に酒生地区に住んでいたのは1家族か2家族ぐらいでしょうか。



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