酒生の歴史ー成願寺から篠尾の古墳群
成願寺から篠尾の古墳群
酒生地区の成願寺山から篠尾、高尾にかけての尾根や山麓には、数多くの古墳遺跡があります。紀元3世紀頃から紀元6世紀頃にかけて作られたもので、その数は335基とされており、県内でもトップクラスの古墳密集地域になります。
400年の間に335の古墳を作るとなると、単純計算でも1年に一つの古墳を作らなければこの数は実現できません。これらの古墳の発掘調査が済んでいないので詳しいことは分かりませんが、古墳に埋葬された人達は首長かその家族、あるいはその一族であると推測されます。この時代に大きな権力を持つ集団が酒生地区内かあるいはその近くに存在したことになります。
この中で、団地整備や国道158号の整備に伴って、篠尾町の天神山の古墳が調査されました。国道158号線よりも南側にあたる部分では7つの古墳が発見されました。これらはすべて横穴式石室を持つ円墳で、入り口はすべて南向きだそうです。8号墳から14号墳まで名がつけられていますが、耳環、石製紡錘車、須恵器の土器片、馬の鈴、鉄刀片、鉄鏃(やじり)等の馬具、武器と勾玉、金銅鏡板等が見つかっています。
国道から北側の天神山の尾根から山頂にかけて、さらに数多くの古墳が見られます。工事により破壊されたり盗掘されたりしたものもありますが、7号墳からは数々の埋葬品が見つかりました。
この古墳は、酒生古墳群の中でも最大級の円墳で直径52メートルあります。石室には2名の埋葬者があり、銅製の鏡、金製の首飾り、ヒスイの勾玉、甲冑一式、鉄の刀に剣、鉄製の鉾、皮の盾、弓、矢じり、鉄製の斧などが見つかりました。全国的に見ても貴重なこれらの出土品は、この時代を知る上で大切な資料となっています。